三年後
三年。エーデルベルト大帝率いるズィーラー帝国が地球の国々に宣戦布告してから三年が経った。この三年間は地球にとって暗黒の三年間だった。
混沌獣の被害は増えるばかり。例えばリオデジャネイロに現われた混沌獣は人間を含めた動物をゾンビに変えてしまう能力を持っていて、世界的バイオハザードの半歩手前までいった。主に鳥やネズミのゾンビのために被害が拡大したのだ。
しかも混沌獣はいつどこに現われるか分からない。ズィーラー人がいわば変身して混沌獣になっていることは分かったが、それは結局見知らぬ人への恐怖をかき立てることになり、それは排斥へと繋がった。
しかし希望もある。魔法士の出現である。魔法士とは魔法の力を使って混沌獣に戦う存在で、現在地球側が有するほとんど唯一の対抗手段と言って良い。ただしこの魔法士も解決策とは言い難い。むしろ多数の問題含みだった。
第一にその数。魔法士は世界全体でこれまでに三七名しか確認されていない。その内、現在も戦えるのは二九名。六名はすでに死亡しており、残りの二名は意識不明でベッドの上だ。これでは神出鬼没な混沌獣に対し、世界を守るどころではない。
第二にその年齢。三七名の魔法士は全員がその力を得たとき十代で、最年少はなんと十一歳。つまり子供である。子供たちを混沌獣などというバケモノと命がけで戦わせるのか。魔法士の存在が世に明らかにされたとき、世界はその問題に直面した。
倫理的に考えるなら、「否」と答えなければならない。だがその場合、混沌獣という脅威にどう立ち向かうのか。その答えは「時間経過による自滅を待つより他に、立ち向かう術はない」だ。
その絶望的な現実を前に、人々は年端もいかぬ少年少女を戦場へ送り出すより他になかった。人の心の内は分からない。だが少なくとも表向き、人々は「これしか手がないのだ」と言い訳をして、魔法士に世界の命運を託したのだった。
ただしその魔法士たちを統括しているのは、どこかの国家ではないし国連でもない。「ラ・ロシェル」と言われる組織だった。
表向き、ラ・ロシェルは国連軍の指揮下に入っている。国連軍司令部直属特殊魔法技術研究部隊。それが彼らの肩書きだ。事実上、国連軍トップの命令以外は聞く必要のない、独立部隊である。
しかも今回、戦場は世界規模。魔法士たちは主に出身国で待機しておき、近くに現われた混沌獣に対処するという形になる。そこには当然その国の軍隊がいるわけだが、指揮系統上、魔法士たちは彼らの指示や命令に従う必要がない。実際には「要請」に沿って動くことが多いわけだが、その逆のパターンもまた多く、要するに各国にとって魔法士は自由に動かせる存在ではないのだ。
それでもラ・ロシェルが地球側の組織であれば、最低でも「魔法士達は国連の指揮下にいる」と言えただろう。だが実際にはそうではない。ラ・ロシェルは人員や機材の大半をズィーラーと同じ異世界の人々に依存している。彼らは自分たちのことを「アーヴル」と呼んだ。
ズィーラーとは違い、アーヴルの人々は地球に対して友好的である。だが彼らが異世界人であることは変わらない。混沌獣に対抗できるのは魔法士だけであり、その魔法士を事実上統括しているのはアーヴル。つまり今の地球は異世界人に命運を託している状況なのだ。
これが魔法士の抱える第三の問題であり、これを問題視しない政治家はいない。アフリカのある国では部族間問題も加わり、政権が軍を動かして魔法士の少年を拘束しようとし、結果的に殺害してしまうという事件が起こっている。
これを受け、ラ・ロシェルは直ちにその国から撤退。さらにその国と周辺国に混沌獣が現われても対処を行わなくなった。表向きそれらしい理由は色々と並べられたが、これが魔法士の少年を殺害した国への制裁であることは誰の目にも明らかだった。
最終的にかの国は周辺国から軍を差し向けられて政権は転覆。ラ・ロシェルは「活動できる状況が整った」としてその地域へ戻った。ただし、改めて拠点を置いたのは以前とは別の国である。魔法士に手を出した国がどのような扱いを受けるのか、世界は実例によって学ぶことになったのだった。
この事件以降、表だって魔法士を取り込もうとする国家はなくなった。だが未だ水面下でその動きは激しい。どの国も隙あらば魔法士への、ひいてはラ・ロシェルへの影響力を強めようと躍起だ。
異世界の侵略者を前にしても、地球側とアーヴルはもちろん、地球国家同士さえも一枚岩になれない。他にもたくさんの問題を抱えながら、それでも戦いは続いていく。あるいはそれが最大の問題かもしれない。
- § -
ズィーラーの本陣。その玉座の間に一人の侍従が入ってくる。そして皇帝エーデルベルトに恭しく頭を下げ、こう報告した。
「大帝。マルガレーテ将軍、出撃いたしました」
「うむ」
「……その、よろしかったのでしょうか? なにも、将軍を動かさずとも……」
「朕も止めたのだがな。自分がやると言って聞かぬ。アレも辛かったのであろうよ」
「まこと、辛い道でこざいます。他の道はなかったのでしょうか……?」
「それはマルガレーテのことか? それとも混沌獣を使うと決めたことか?」
「滅相もございませぬ!」
からかうようなエーデルベルトの声に、侍従は慌てて頭を下げた。そんな侍従にエーデルベルトは苦笑を浮かべながらさらにこう言った。
「良い。朕もな、時折思うのだ。他の道はなかったのか、と」
「大帝……」
「その答えはこうだ。他にも道はあった。だがそれはズィーラーの誇りを捨てる道である」
例えば、地球へ宣戦布告をせず、むしろ窮状を訴えて庇護を求めたとする。地球側はそれを受け入れてくれるだろうか。少なくとも諸手を挙げての歓迎とはならないだろう。
「同じ地球人の間でさえ、対立し、分裂し、排斥しているのだ。同じルーツを何一つ持たない異世界人を、三ツ目で見た目のハッキリ異なる異世界人を、快く受け入れる事などあり得ぬ」
エーデルベルトはそう断言した。それでもズィーラーには地球側にはない知識と技術がある。それをテコに自分たちを売り込むことはできるだろう。だがそれも危うい道だ。
「弱り果てた小集団が、自分たちにはない知識と技術を見せて慈悲を乞うのだ。受け入れると思うか? ああ、表向きは受け入れるだろう。だがその実体は収奪だ。我らはただひたすら奪われるのだ。それを責めることはできぬ。同じ立場なら、朕とてそうするであろうからな」
それでも諸々上手くいき、ズィーラーの居場所を作ることができたとする。しかしその居場所は決して国家にはならない。つまり国家としてのズィーラーはどうあっても消滅する。誇り高き三ツ目の民は散り散りになり、受け入れてくれたそれぞれの国で生きていくことになる。
「国家の意思と個人の意思は別物だ。ズィーラーの民は事あるごとに差別され迫害され排斥されるであろうよ。国を持たぬ民は辛い。それは永久に続く茨の道だ。仮に上手く溶け込めたとしても、それは我々のアイデンティティーが失われることを意味する。そもそも、だ。誇り高き三ツ目の民が、魔法も使えぬ連中に見下されるなど、あってはならぬ」
そうした諸々を考え合わせ、エーデルベルトは混沌獣という禁忌の力を使う決断をした。すべてはズィーラーの臣民に脅かされることのない安息の地を与える為。一度壊滅的大敗を喫した彼らにとって、その願いを叶えるための力は混沌獣しかなかったのである。
「……分かち合うことは、できないのでしょうか?」
「分かち合う、か。美しい言葉だ。だが分け与える側は、自らの身を削ってまで与えることはしない。それが国家や組織であるならなおさらだ。……どうせ奪うことになるのだ。ならば最初から殴りかかってやった方が、いっそ親切であろう」
エーデルベルトは薄く笑いながらそう嘯く。侍従は静かに一礼した。
エーデルベルト「ジプシーとか、クルド人とか、パレスチナとか」