決戦2
サラはエーデルベルトと対峙する。彼とこうして直接相対するのはこれが初めてだ。かつてのような激情は湧いてこない。ここへ来て姿を現わしたのも、ただ彼が聖杯を持っていたから。
(アーヴルもズィーラーも地球も、みんなどうでもいい)
それは紛れもない彼女の本心。ただ魔法士たちのことだけは憐れに思う。戦い、祭り上げられたかつての自分と重なるから。それに聖樹の果実と契約した彼らは、聖樹の神子たる彼女とまったく無関係とは言えない。
だから、助けた。奇襲の好機と引き換えにして。正直「もったいなかったかな」とも思うが、まあやってしまったものは仕方がない。サラは腕を振るい、海面すれすれに浮かせていた彼らを空母へ運んでやる。邪魔者がいなくなると、エーデルベルトはにやりと口の端をつり上げてこう言った。
「来たか、聖樹の神子よ。お前もこの首が欲しいか。だがそう易々と……」
「あなたの首なんてどうでもいい」
エーデルベルトの言葉を途中で遮り、サラはそう言い放った。険しい顔をして押し黙る彼に、サラは吐息を熱くしながらさらにこう言った。
「わたしが欲しいのは聖杯。聖杯を渡しなさい? そうしたら、あなたのことは見逃してあげるわ」
「残念だが、それはできない相談だ。だが事と次第によっては、貸してやることはできるかもしれんぞ?」
「その言葉を信じられるとでも? 悪い大人に騙されるつもりは、もうないの」
「くっくっく……。確かに朕は悪い大人だな。ではどうする?」
「言葉を尽くすつもりはないわ。だって無意味でしょう? なら、やることは一つよ」
そう言うが早いか、サラは目を爛々とさせて間合いを詰めた。彼女が突き出した正拳を、エーデルベルトは何とか両腕を交差させて防御する。だがその威力は、さっきまで戦っていた魔法士達の比ではない。彼は勢いよく後ろへ吹き飛ばされた。
「ぐぅ……!」
エーデルベルトは苦しげな声をもらした。全身の骨が軋んでいる。いっそ空中で良かったかも知れない。下手に地に足が付いていたら、衝撃を逃がしきれなくて身体が爆発四散していたかもしれなかった。
ただ生きている限りは、いや聖杯を手放さない限りは追撃を受ける。サラはすぐさま迫ってきて、今度は大きく足を振り抜いた。その攻撃もエーデルベルトは防御したが、やはり大きく吹き飛ばされる。ただし今度は下へ。彼は海面に叩きつけられ、大きな水しぶきを上げた。
(まったく、洒落にならん……!)
勢いよくそして何度も海面を跳ねながら、エーデルベルトは心の中でそう悪態をつく。さすがは聖樹の神子。ズィーラー最盛期の主力艦隊を相手にたった一人で遅滞戦闘を繰り広げたのは伊達ではない。
「……っ」
何とか態勢を整え、顔を上げた彼が見たのは無数の魔力弾。彼はそれを必死になって避ける。その間、聖杯を使ってそのエネルギーを徴収しようとするのだが、全く手応えがない。エーデルベルトは盛大に舌打ちをもらした。
これはもう、少々強引であっても時間を作らないと、終末獣に変化する前に聖杯を奪われてしまう。そして一度聖杯を奪われたら、そこに溜めたプラーナを含めて、エーデルベルトはもう手が出せない。
(どうする……!?)
いっそ海中に潜ってやろうとかと思ったが、すぐに下策だと気付く。相手は単身で混沌の海を渡りきるような存在。一方でエーデルベルトは、水圧はなんとかなるだろうが、呼吸はままなるまい。自分がより不利になる環境に飛び込んでも仕方がないだろう。
その後も、サラの一方的な攻撃は続く。エーデルベルトはそれを凌いではいるが、一方で追い詰められてもいる。そもそもサラが高出力の攻撃をしないのは、そのために聖杯の行方が分からなくなるのを避けるため。つまりエーデルベルトを殺すだけならいつでもできるのだ。
さらに付け加えるなら、サラは聖杯の奪取を焦っていない。手数をかけてでも、確実に聖杯を獲りに来ている。そのやり方たるや執拗で、少々粘着質にも思えるほどだ。エーデルベルトからすれば最悪で、付け入る隙がまったくない。
(これは、もうっ……)
これはもう、賭けに出るしかない。エーデルベルトは腹をくくった。体力的にも魔力的にもすでに限界で、このままではなぶり殺しにされるだけだと分かっている。ならば分の悪い賭けでもやるしかない。
「神子よ、そんなにもコレが欲しいか?」
肩で息をしながら、エーデルベルトは聖杯を掲げながらサラにそう問い掛ける。整った顔は血と汗で汚れ、しかしそれでも不敵な笑みを浮かべ続ける彼は、確かに皇帝以外の生き方はできないのだろう。だがそれを酌み取ってくれるほど、彼の敵は優しくない。
エーデルベルトよりも高い場所を保持しながら、ネズミをいたぶるネコのような笑みを浮かべて、サラは彼を見下ろしている。返事はない。ただ逃がさないことだけを徹底している。やりにくい、とエーデルベルトはまた思った。
「まあ、良い。欲しければくれてやるっ」
エーデルベルトがそう言うと、サラがにわかに表情を変えた。それを見てエーデルベルトがにやりと笑う。そして次の瞬間、彼は手のひらに載せた聖杯を空へ向けて撃ち出した。プラーナも使って撃ち出したその速度は速い。サラは初めて表情を険しくし、舌打ちをしてから聖杯を追って飛翔した。
それを見送り、しかし息つく暇も無く、エーデルベルトは第三目に意識を集中させる。聖杯から力を引き出し、それをもって終末獣へと変化するためだ。ここからは時間との勝負。彼は細心の注意を払いながらも最速で力を練った。
ズィーラー人はこの第三の目を介して聖杯から力を引き出すことができる。そしてその際には必ずしも手で触れている必要は無い。実際に所持した状態が最も力を引き出しやすいのは確かだし、また直に触れている者が最も影響力が強くなるのも事実だが、しかしそれらは必須条件ではないのだ。
よって手放した状態でも、エーデルベルトは聖杯から力を引き出すことができる。だがサラが聖杯を手にしてしまえば、彼女の制御力が上回るだろう。サラが聖杯を確保するまでにこの変化を終えられるか。それが彼の賭けだった。
そして彼は賭けに勝った。
だが勝負には負けた。
サラ「手加減、結構大変なのよ?」