お話
「それでね、ユーグ、えっと、その……」
フランス軍の基地の一室。割り当てられたその部屋で、陽菜はベッドの上に座り、ユーグと向かい合っていた。約束していたお話の時間である。だがどうにも彼女は言いだし辛そう。ユーグはため息を吐くと、これも年上の責任かと思い、自分のほうからこう切り出した。
「ヒナ、落ち着いて聞いて欲しい。ボクは確かに今年で25歳になる。アーヴル人としても、立派に成人男性だ。ただ勘違いしないで欲しいのは、この姿でいるときはボクはあくまでもイタチなんだ」
「えっと、それってどういうこと、なの……?」
「例えばイネス。彼女はヒマワリの種が大好物だろ? それは彼女がハムスターの姿をしているから。だけど人間でヒマワリの種が大好物なんて人はいないでしょう? イネスだってそうさ。つまり人の姿をしているときとは、好きなものが全然違ってくるんだ。ボクだって、普段の主食はネコ缶だし」
「そういえば、そうだね。イタチ缶って、売ってないし」
「マイナーペットは生きづらいよねぇ。でまあ、そんな感じだから、この姿の時はあくまでも姿のほうにいろいろ引っ張られてるわけ。性嗜好とかもそうだから、そこは信頼して欲しいというか何というか。あ、でももちろんヒナが気になるならちゃんと距離を取るよ! ボクは紳士だからね!」
「う~ん、もともとお風呂とかは別々だったし、改めてそういうのは……。あ、でも、着替えとかは気をつかって欲しいかな」
「分かった。気をつけるよ」
ユーグがそう答えると、陽菜は力が抜けたのかにへらと笑った。それからふと彼女は困惑げな顔をする。そしてユーグにこう尋ねた。
「えっと、メスのイタチ、紹介した方がいい?」
「要らないからっ! 本当に要らないからね!?」
ユーグが必死になってそう答えるのを見て、陽菜は声を上げて笑った。そんな彼女にユーグが怒るが、お腹を撫でられるとたちまちその勢いも萎む。ひとしきりユーグを完封すると、陽菜は真剣な顔をしてこう切り出した。
「あのねユーグ、その、あの人のことなんだけど……」
「うん、アンジェのこと、だね」
ユーグは少し寂しそうな顔をしながらそう答えた。陽菜も神妙な顔をして頷く。マルガレーテは彼女のことを「聖樹の神子」と呼んでいた。そして陽菜が契約したのは「聖樹の果実」。この二つには何か関係があるに違いない。何より、彼女はとても強かった。嫌でも興味は引かれる。
「何から話したもんかなぁ……。あの子、アンジェはね、陽菜と同じ地球人なんだ。それも日本人だって言ってたよ」
「え……、でも、名前……」
「もとは別の名前があったみたいなんだけどね。もとの世界でイヤなことがあって、その名前は嫌いになったんだって。それで神官の一人がとりあえずアンジェと呼び始めて、本人もそれを気に入って、そのまま定着したみたい」
「イヤなことって……」
「さあ、それは教えてくれなかった。ボクもあえて聞こうとはしなかったし……」
ユーグが少し面目なさそうにそう答える。だが陽菜もたぶん同じようにしただろう。自分でそれが分かるだけに、彼女もそれ以上突っ込んで聞くことはできなかった。黙り込んだ彼女に、ユーグはさらに続きをこう話した。
「アンジェはある日突然、何というのかな、そう落ちて来たんだ。コッチの世界で言うところの神隠しみたいなもので、まあ後でズィーラーがル・アーヴルに干渉し始めたのが原因だって分かったんだけど、要するに事故にまきこまれたような形の彼女を女神アレークティティスが保護したんだ」
そして恐らくはアレークティティスが直接関わったからなのだろう、彼女には神器「聖樹の精髄」との高い親和性を有していた。ズィーラーの干渉が始まっていたこともあり、彼女は女神アレークティティスと契約。彼女は聖樹の精髄を用いて、ズィーラーの侵攻をおよそ三年にわたって遅らせた。その頃から、彼女は聖樹の神子と呼ばれるようになったのである。
「彼女が時間を稼いでくれたおかげで、アーヴル軍は準備を整えることができた。一年半くらいはほぼ互角に戦っていたんだけど、残念ながら防衛線を突破されて、そこから徐々に押し込まれていったんだ」
ちょうどその頃である。アンジェが戦場に出るようになったのは。初陣は第一次聖地防衛戦。聖樹が根ざす聖地を強襲してきたズィーラー軍を、アンジェは聖樹の精髄の力を使って退けた。そしてこの戦いをきっかけにして、彼女は戦場に立つ決意をしたのである。
『守りたいんです、わたしも。この世界を』
彼女はそう語って、神官たちを説得したという。そして戦場に立つ彼女のサポート役として付けられたのが、当時若手の情報参謀であったユーグである。
「……強かったの? その、アンジェさんって」
「強かったよ。とてもね」
アンジェが出た戦場では、アーヴル軍は百戦百勝だった。ただ彼女の第一任務は聖地守護であり、そのため戦場から戦場へと言うわけにはいかない。どれだけ強くても彼女は一個人でしかなく、戦局全体としてみればアーヴル軍はズィーラー軍に押されっぱなしだった。
そんな苦しい戦局の中、「常勝の神子」は格好のプロパガンダだった。アーヴル軍は彼女をまるで救世主のように持ち上げ、戦意高揚のために利用した。アンジェ自身もそれを受け入れて積極的に協力。アーヴル軍の士気を支えた。だがズィーラー軍も決して退かない。結局アーヴル軍の劣勢が覆ることはなく、戦争はいよいよ最終局面へと向かった。
この時点でズィーラーの目的が聖樹の精髄であることを、アーヴルは把握していた。その理由もまた。ズィーラーはアーヴルという世界の破壊まで望んでいるわけではない。それがわかっていてなお、降伏は彼らにとって拒絶するべき選択肢だった。
その理由は混沌獣である。ズィーラー軍はアーヴル人を混沌獣に改造し、これを市街地へ投入するという卑劣な作戦を行っていたのだ。また占領地においても、ズィーラー軍はアーヴル人を虐げ続けた。降伏して生き残ったとして、一体どんな扱いを受けるのか。それは明らかなように思えた。彼らにとってアーヴル人など、女神アレークティティスに対する人質でしかない。
「アーヴルに残された選択肢は玉砕か隷属か、そのどちらかしかなかった。けれどもそのどちらも受け入れがたい。……選ばれたのは第三の選択肢、『崩界作戦』だった」
それはアーヴルという世界を崩壊させ、侵攻してきたズィーラーをその巻き添えにするという、まさに捨て身の作戦。まさに「死なば諸共。ズィーラーには何も渡さない」という、アーヴル人の意地と憎しみが具現化したような作戦だった。
「もちろん、同時に脱出計画が立てられたよ。ボクたちはほら、こういう姿になればたくさん収容できるからね。グラン・アーヴルのコールドスリープ装置に入るだけ押し込んで脱出することになったんだ。……故郷の世界から、ね」
もちろん押し込んだとは言え、全住民がコールドスリープ装置に入れたわけではない。取り残された人たちもいて、つまり彼らは見殺しにされた。自暴自棄になった者は多かったが、それを受け入れた者も多く、彼らは文字通り命がけで作戦のための時間を稼いだ。
「……今にして思えば、たぶんそういう同胞の血で贖った時間というのが、ボクたちには重すぎたんだ」
預かった命、必ずや救わねばならぬ。作戦に関わる全ての者が目を血走らせるようになった。この期に及んで奇跡を起こしてくれない女神アレークティティスに対する失望も、少しはあったのかもしれない。「一億の同胞のため」。作戦の最終局面、その言葉を免罪符にして、作戦本部はアンジェを切り捨てた。
「切り捨てたって……」
「そのままの意味だよ。退路を閉じ、ボクたちは崩壊する世界にアンジェを置き去りにした。だからあの子がボクたちを恨むのは当然なんだ」
ユーグがそう語ると、陽菜は険しい顔をして黙り込んだ。そんな彼女をユーグは不憫に思う。いや、それは巻き込んだ側の罪悪感だったのかも知れない。だがそれを表に出しても彼女に気をつかわせるだけだろう。ユーグは努めていつも通りに、こう話を続けた。
「そこから先、アンジェに何があったのかは分からない。だけど彼女が地球にいるらしいということだけは分かっていたんだ」
「え、それは、どうして……?」
「不思議に思ったことはない? なぜ日本だけずば抜けて魔法士が多いのか」
「……つまり、じゃあ……」
「そう。端的言えばアンジェが、聖樹の神子が原因なんだ」
ユーグのその言葉に、陽菜はゴクリと唾を飲み込んだ。
ユーグ「うっかりメスのイタチに欲情しちゃったら、いろいろおしまいだよ……」