オペレーション:パルクダトラクションその後
「こんばんわ、ネコさん」
長く美しい濡羽色の髪の毛がサラリと揺れる。そう挨拶する神子の声は、予想していたよりもずっと険がなかった。だがそれでもここに彼女が現われるとは思っていなくて、ペルシャ猫の姿をした事務局長は、目を大きく開けて数秒言葉を失う。それからこう返事をした。
「……お久しぶりでございます、神子様」
「ああ、ユーグから聞いたのね?」
「はい。差し支えなければ、今は何と名乗っておられるのか、教えていただけませんか?」
「サラ、よ。ティスにそう名付けてもらったの。大切な名前だから、あなた達には呼んで欲しくないわ」
穏やかな声で告げられる明確な拒絶。自分たちはまだ彼女に許してもらえていないらしい。当たり前すぎるその事実に、しかしそれでも心はショックを受ける。それを押し隠しながら、ミレーヌは務めて平静を装いこう答えた。
「では、神子様、と」
「ええ。それなら許します」
「ありがとうございます。……では神子様、まずは御礼申し上げます。同胞の尊厳を救っていただきました」
「混沌獣のこと? 一体毛色が違うとは思ったけど。そう、あれはアーヴル人だったのね」
「はい。ヴィンセントの、戦死した魔法士のパートナーでした」
「別に気にする必要はないわ。わたしは火の粉を払っただけ。……それで今夜の要件なのだけど」
「はい。何でしょうか?」
「戦死した、ヴィンセントさん? 地元フランスの。彼に一つ手柄を譲ろうと思って」
サラがそう言うと、ミレーヌのまえにホログラムの画面が開く。そこに表示された情報を見て、彼女は大きく目を見開いた。
「ズィーラーの本拠地の座標データ、よ」
「どうやって……、こんなものを……」
「マルガレーテ将軍にマーキングしておいたの。彼女は必ず、大帝のいるところへ向かうでしょうから。そこがズィーラーの本拠地よ」
ミレーヌはゴクリと唾を飲み込んだ。昼間の戦闘で、サラはマルガレーテを間一髪で逃した。だが今の口ぶりからすると、どうやらそれはわざとだったらしい。
「どうして、この情報を我々に?」
「わたし、聖杯が欲しいの」
「つまり我々に聖杯を取ってこい、と? しかしご自分で動かれたほうが確実では?」
「向こうにも切り札があるかも知れないでしょう? だから、潰しあって」
優しげに微笑みながら、サラは残酷な要求を口にする。ミレーヌは言葉を失った。それを気にも留めず、彼女はさらにこう続ける。
「別にあなた達が動いても動かなくても、わたしは別にどちらでもいいわ。だけど反転攻勢の糸口を握り潰して、地球側の人たちはあなた達のことをどう思うかしらね」
なんでもないような口ぶりで、サラはひどい脅しを口にする。さらに彼女が言った、「手柄をヴィンセントに譲る」という言葉。それは決して、サラが表に出たくないというだけではないのだ。「ヴィンセントが命と引き換えに入手した貴重な情報を、ラ・ロシェルが握り潰した」。そう思われたら、地球とアーヴルの関係は破綻しかねない。
「……早急に、司令長官に報告しましょう」
「そう、お願いね。ネコさん」
それだけ言い残し、サラはまた夜風に紛れるようにして姿を消した。一人になった部屋の中で、ミレーヌは「はあ」とため息を吐く。とんでもない爆弾を渡されてしまった。しかもコイツは時限式。うかうかしていたら爆発しかねない。
(どのみち……)
どのみちブレイクスルーは必要だった。いつまでも後手に回っているわけにはいかないのだ。それを思えば、この情報は確かに突破口になり得る。
(それに……)
それに、ヴィンセントを失ったフランスには英雄が必要だ。ヴィンセントがただ戦死したなどというのを、フランス国民は受け入れられないだろう。
彼の死はせめて意義あるものでなければならない。彼を英雄にすることで、フランスはようやく悲しむことができるのだ。そのためにも「敵の本拠地を見つけた」という手柄は、まさにうってつけと言っていい。
さらに言うならば。ズィーラーの本拠地に攻め込むための装備を持っているのはアーヴルだけ。魔法士を連れて行くことはできるが、ただでさえ戦死者が出た直後だし、それは地球側が嫌がるだろう。そして大帝を討ち、聖杯を確保すればこの戦争は終わる。
災厄戦争を終わらせたという功績は、今後の地球との関係において大きな意味を持つ。聖樹の神子が関わらないというのなら、それはむしろ好都合だ。アーヴルが功績を独占できる。
「やらないという選択肢はありませんか……」
ミレーヌはため息と一緒にとう呟いた。メリットを並べてみても、しかし口調は苦い。笑顔で告げられたサラの言葉がこだまする。
『潰しあって』
嫌な予感がするのだ。混沌獣に頼るズィーラーに、もはやまともな戦力は残されていないはず。一方でアーヴルは敗戦を経験したとは言え残存艦隊の温存に成功している。補給が難しいことはリスクだが、一度の決戦に限れば戦力差は圧倒的と言って良い。
だがサラの言うとおり、ズィーラーにもまだ切り札はあるだろう。大帝のもとには聖杯があるはずで、それを使われた場合どんな反撃があるかは想定しづらい。決して楽観はできないのだ。それこそ本当に潰し合いの消耗戦になる可能性は十分にある。
だがこの情報を伝えれば、アーヴル軍は反転攻勢へ前のめりになるだろう。いろいろそれらしい理由はある。だがその根っこにあるのは復讐だ。
「自分たちをこんな状況に追い込んだズィーラーを叩きのめし、思い知らせてやりたい」。そう思っているアーヴル人は多く、いくら司令長官が冷静でもその声と願望は無視できないだろう。
(誘導されていますね)
そう感じる。だがそれでもこの流れに乗るしかない。そこまで理解しているからこそ、ミレーヌの内心は苦かった。
「アンジェ、いえ、サラ。貴女は一体、何を考えているのですか……?」
その問いかけは夜風に溶けていく。夜風が答えを運んできてくれれば良いのに。ミレーヌはそう思った。
ミレーヌ「ストレスで毛が抜けそうです」