オペレーション:パルクダトラクション4
「お前たち、わたしを逃がしなさいっ!」
「「「「了解であります、閣下!」」」」
部下達の返事を聞くより早く、マルガレーテは聖樹の神子に背中を向けて加速した。個人転移魔法を使うにはタメが必要で、そのための時間を稼ぐ必要がある。
神子もマルガレーテを捕まえようとして動く。そこへ彼女の部下達が割り込んだ。しかし相手の戦力は艦隊級。いくら精鋭とはいえ、数人ではどうにもならない。神子が煩わしそうに腕を振るうと、ただそれだけで吹き飛ばされた。
「ぐぅ……!」
マルガレーテの部下達はうめき声を上げながらもどうにか踏ん張る。だがダメージは大きく、すぐには動けない。そんな彼らを無視して、神子はマルガレーテを追った。
「閣下!」
彼らは魔法銃を放つが、神子はまるで背中に目があるのようにスイスイとそれを避ける。おまけにスピードは少しも落ちない。このままではマルガレーテはすぐに捕まるだろう。当然、個人転移魔法など使う余裕はない。
マルガレーテの部下達は精鋭揃い。彼らはただ命令に従って戦うだけの兵士ではない。この作戦が大きな戦略のなかでどんな意味を持つのか、それを理解して戦っている。だからこそ彼らは分かっていた。必ずやマルガレーテを大帝のもとへ送り届けなければならない、と。
一人が決断を下した。別のもう一人がそれに続く。いや違う。彼らはそれぞれに決断を下した。同じ決断を。この二人だけではない。生き残ったマルガレーテの部下達は、皆それぞれに同じ決断を下した。すなわち混沌獣化という決断を。
「グゥォォォォォォ!!」
兵士たちが混沌獣に化ける。その様子はまるで、人の皮を破ってバケモノが生まれてくるみたいだった。魔法士たちは、混沌獣ならもう見慣れている。だが人が混沌獣に化けるその様子はさすがにショッキングで、陽菜も凪も気圧されたように距離を取った。
現われた混沌獣は十数体。そいつらは手当たり次第に暴れ始めた。無秩序な攻撃は、脅威にはならないものの、鬱陶しくはあるらしい。神子は顔をしかめながらその攻撃を避ける。進路上に現われた一体は一撃で屠った。
「邪魔っ」
苛立たしげに、さらにもう一体。神子の前が空く。神子は大回りをしてマルガレーテを追った。いちいち足止めされるよりそちらのほうが早いと思ったのだろう。実際どうだったのかは分からない。ただ結果として、彼女は一瞬遅れた。
「……っ」
神子が手を伸ばした先で、マルガレーテの姿がかき消える。彼女がいなくなったその場所を、神子の残像が通過した。彼女は急ブレーキをかけて振り返る。陽菜の位置から彼女の顔は見えない。だが数秒、彼女はそこで立ち尽くした。
やがて神子はまた動き始めた。彼女は残っている混沌獣を一体ずつ処理していった。淡々と、まるで害虫でも駆除するかのように。「残敵掃討」という言葉は似合わない。敵に対する憎悪やリスペクトはなく、ただただ煩わしさだけがあった。
そう時間もかからず、最後の一体が散る。陽菜を含む魔法士たちは何もしていない。下手に動けば巻き込まれる。それがあまりにも明白だったのだ。
静かになった戦場で、彼女たちはどうしたら良いのか分からないまま神子を見上げた。そんな彼女たちに一瞥もくれず、神子はその場を去ろうとする。その背中に焦った様子で声をかけたのはユーグだった。
「アンジェ!」
「その名前でわたしを呼ぶなっ!」
神子の反応は激烈だった。目尻をつり上げ、憎悪が溢れる視線でユーグを睨む。身体ごと振り返ると、彼女はさらにこう言った。
「アンジェは死んだわ。お前たちが殺した。そうでしょう?」
「それは……!」
「いまさら言い訳なんて聞きたくない。見逃してあげるから、関わらないで」
「……っ」
ユーグが黙り込む。彼を黙らせた神子が立ち去ろうとし、それからふと何か思い出したように立ち止まった。そしてもう一度振り振り返る。彼女の目にあった憎悪は薄れていて、陽菜はそれがちょっと意外だった。
「そこの、白い服のあなた」
「は、はいぃ!?」
突然声をかけられ、陽菜がテンパる。そんな彼女に微笑みかけることもなく、神子はやや面倒くさそうな口調でこう言った。
「そのイタチ、そんなナリだけど、成人男性だから」
「え、ええ!?」
投下される爆弾発言。陽菜の混乱はさらに加速した。ユーグはイタチでアーヴル人でお腹を撫でてあげると腰砕けになってオスだとは知っていたけど成人男性!?
頭の中の引き出しの全部から情報が飛び出してきたみたいで、新しい情報を収められない。そんな陽菜に神子はさらにこう言った。
「あんまり油断しない方が良いわよ。ま、わたしには関係ないけど」
「え、ちょ、ちょっと……!?」
言うだけ言うと、引き留める声も聞かず、神子はその場を去った。何とも微妙な空気の中、陽菜は肩に乗るユーグを両手で掴んで目の前に持ってくる。そしてこう言った。
「……あとで、お話があります」
「ああ、うん、そうだね……」
気まずそうにしながらユーグがそう答える。その後、事務局長から通信が入り、魔法士達は帰還した。
「……ふう」
オペレーション:パルクダトラクションの大まかな報告書を書き上げ、ペルシャ猫の姿をしたラ・ロシェルのフランス事務局ミレーヌは一つ息を吐いた。今作戦における戦死者は二名。ヴィンセントと、彼の相棒だったアーヴル人。
マルガレーテに敗れた後、しかしヴィンセントはまだ生きていた。重傷の彼を救うべく、相棒だったアーヴル人は人の姿に戻って彼に回復魔法をかけていたのだ。しかしそこへ混沌獣の咆吼が響いた。
混沌獣の咆吼はアーヴル人の魔力をかき乱す。そして近い距離でその咆吼を浴びてしまったアーヴル人は混沌獣へと成り果ててしまうのだ。彼も混沌獣に堕ち、そして神子に討たれて死んだ。もっとも、討たれたことに恨みはない。混沌獣に堕ちた時点で彼は死んだも同然なのだから。
損害について言えば、重傷を負った魔法士は長期の入院が避けられない。つまり短期的に見れば魔法士二名分の戦力ダウンだ。他の魔法士も全員負傷しており、今作戦の魔法士隊は良いところがなかったと言って良い。
「これ以上なく、弱点を晒してしまいましたね」
事務局長の口調は苦い。いくら魔力量が多くても、正規の訓練を受けていない魔法士達は、特に対人魔法戦闘に粗が目立つ。ならば訓練を受けさせれば良いのだが、現状その余裕もない。つまりまたズィーラーの精鋭が送り込まれてきたら、同じ結果になりかねない。
「それを考えれば、過程はどうあれ敵を殲滅できたのは僥倖でしたか……」
ズィーラーにとっても、マルガレーテ率いるあの部隊は虎の子の精鋭部隊だったはず。それを失ったのは痛手だろう。ならば短期間のうちに同じ手を使ってくることはないはず、と思いたい。
ただそれを抜きにしても、問題は山積みだ。ズィーラーの側で何か大きな作戦が動いているようだが、その内容についてはまったく不明。混沌獣の問題についても後手後手だし、今回の損害でやり繰りはさらに辛くなるだろう。
「なにか……」
なにか一手欲しい。主導権を取り戻せるような、そんな一手が。だがそんな作戦をすぐに思いつけるはずもなく、ミレーヌは「はあ」とため息を吐いた。その瞬間、室内にふわりと夜風が流れる。そして彼女はこう言った。
「こんばんわ、ネコさん」
聖樹の神子が、そこにいた。
陽菜「O・HA・NA・SIがあります」
ユーグ「はいぃ」