桜木涼子─地獄の一日
その日は朝から地獄だった。
男性管理局に勤める私─桜木涼子─は、34歳の若さで副局長の地位まで昇りつめたものの、まだまだ地盤を固めたとは言えず、面倒な案件を局長直々に指名されてしまうこともしばしばあった。
今日もそう。
自分は暇そうにしている癖に、またしても厄介な案件の責任者にされてしまった。
「じゃあ、この件はあなたに任せたわよ」
「はい、お任せください」
か〜っ、この腐れババアが!
内心では悪態を突きつつも、表面上は上司に媚びへつらいながら局長室を後にする私は、公務員でありながらも社畜そのものであった。
そしてこの面倒な案件がまた、曲者であった。
ネット配信者のハルとかいう男が、配信で男性管理局の検査漏れを仄めかしたとかなんとかで、朝からマスコミやら一般人から問い合わせが殺到している。
そもそもが動画配信者のネット上の活動名だけで管理できているかどうかなんて、うちのシステムでは探しようがなく、朝から総当たりでデータをひっくり返してそれっぽいのを探すしかない。
それに一般人の問い合わせというのもまた度し難い。
仮に検査漏れがあったとしても無かったとしても、一般人相手に何も教えられるわけがないのだ。
だというのに引っ切り無しに電話をかけてくる。この国の女はバカばっかりなの?
確かに参考に見た動画の男性は見目麗しく、態度も優しげで、この件さえなければ私もファンになっていただろう。
薄い手がかりから、手ごたえのないデータを探す作業は暗中模索そのもので霧を掴むような話だ。
自然と当の男性に腹が立ってきて、よもや愉快犯で言ったのではないかと思い始めた時、私の内線がなった。
「桜木さん、お疲れ様です。今回の件の当事者と思われる男性から電話が入りました」
部下から齎された福音によって、ようやく事態の進展が見込めそうだと心底安堵し、電話をかわってもらう。
「お電話代わりました。副局長の桜木です」
◇◇◇
電話で会話したハルさん改め高梨春樹さんは、物腰は丁寧でいて理知的で、非常に話しやすい方だった。
さっきまで内心ムカムカしていた気持ちは一瞬で吹き飛んで、声が1オクターブ高くなってしまったのも仕方のない話である。
ところが伝えられた個人情報から、局内のデータベースを検索しても本当に該当者が見当たらず、検査漏れが濃厚になってきたところで血の気が引いた。
即座に担当区役所に連絡して戸籍を送ってもらい照会してみれば、確かに戸籍上は存在する。
にも関わらず男性管理局には存在しない。
一縷の望みをかけて検査の案内状の発送記録や訪問記録までひっくり返したが、何も出てこない。
完全に検査漏れだったのだ。
検査漏れ…過去に3回ほどあったそれは、はっきり言って大スキャンダルだ。
男性の存在は国力にも少なくない影響を与えている、誤解を恐れずに悪い言い方をすれば重要な資源だ。
例え男性の人権侵害と罵られようと、管理局が徹底して管理して義務と権利を課さなければ出生率は落ち、国は衰退するのだ。だからこそ、管理に粗があってはならない。
今回の件も、ワイドショーの格好の餌食だろう。
それも過去にないほどの長期間、15歳から数えて5年もの間明らかになっていなかったことと、彼のスター性から考えればかなりの大問題として騒がれることになるだろう。
もしかしたら、責任問題でクビを切られることも覚悟しなければならないかもしれないわね…
否応なく気落ちする心を抑えつけ、すぐに高梨さんに再び連絡を取り直す。
幸い彼は非常に協力的で、今日これからの検査にも応じてくれるとのことで、検査センターに超特急で準備させ、送迎の車を手配した。