滝沢可奈─二人の関係
今日は春樹くんと水族館デートの日。
初めはイルカショーとかが見れるような普通の水族館がいいなーなんて思ったりもしたけれど、約束の日が近づくにつれて、深海魚水族館が楽しみに思えてくるのだから我ながら単純だ。
片道で2時間の道のりを富士山を横目に見ながら走り抜ける。
それにしても、マネージャーになってすぐに春樹くんに発破をかけたあたしが、一番出遅れることになるとは情けない。
マネージャーとしての業務もあって、誰よりも二人きりでいた時間は多かったはずなのに何故……と考えたところで、はたと気がついた。
いや、むしろ一緒の時間が多過ぎて、友人の様な距離感になってしまったのが敗因なのでは?
二人きりの時間は、いつも会話が弾んで雰囲気も悪く無いけれど、それが恋愛としての進展かと言えば全くそうではないような気がしてきた。
──くっ……完全に戦略ミスだったっス…
別に戦略なんて特に考えてなどいなかったが、ただただ喋るのが楽しすぎて関係構築ミスをしたのだとは認めたくなかった。
しかし今日はいつも通りの仕事ついでのドライブとは違って、明確にデートとしての外出だ。ここで上手く軌道修正して、友人カテゴリではなく恋愛のレールに乗せ替えるしかない。
「そろそろ着くみたいだね、おっ、アレかな?」
春樹くんの声で現実に引き戻され、ナビに従って駐車場に車を停める。
「なんか……思ってたよりちっちゃいっスね」
初めて訪れた深海魚水族館は、想像していたよりも少し小さくて俄かに不安がよぎったが、近づいてみれば観光客も多く賑わっている様子だった。
しかし何度見ても驚かされることだが、春樹くんのファンは本当に統制が取れている。
春樹くんを見つけると、それこそ深海魚のように目ん玉が飛び出るほど驚いた後で、すみやかに周囲を牽制するガードマンに早替わりするのだ。
おそらく彼女たちの心理としては、春樹くんに迷惑をかけたくない、嫌われたくないというのが根幹にあって、次点で他のファンに出し抜かれたくないとかの考えで、こういった振る舞いになっているのではないだろうかと推測する。
いや、もしかしたらシンプルに護衛のセツナちゃんが怖いだけかもしれないっスね……
「ほら、そろそろ入れるよ」
「あっはい……って、えぇっ、ちょ、手ぇ……いいんスか?」
突然手を取られて狼狽えてしまう。
「そりゃーデートなんだから手くらい繋ぐでしょ」
──マジっスか!? デートってすげえ!
手を繋ぐ、たったそれだけのことで二人の関係性が友人関係から恋愛に変化していくような気がして嬉しくなってくる。
確かめる様に何度かギュッと握り返してみれば、呆れた様にこちらを見た春樹くんが、手を滑らせるように動かして、指同士を絡めるような繋ぎ方に変えてくる。
──うわわわわ、さすがにこれはえっち過ぎないっスか……
羞恥を感じて周りを伺ってみるが、深海を再現したかのような薄暗い館内では周りの様子もよく分からず、その怪しげな雰囲気にますます淫靡さが際立つ思いだった。
そんな館内を歩いてみれば、所狭しと並んだ水槽は青い光でライトアップされており、見たこともないグロテスクなヘンテコ生物たちが息づいている。
──うへぇ……やっぱキモくないっスかねこれ。
同意を求めたくて春樹くんの表情を伺ってみると、まるで少年のように目を輝かせて興味深そうに水槽の説明を読んでいた。
たまに見せる彼のギャップある姿に胸がときめくと、水槽を泳ぐ奇怪な生き物たちもなんだか愛嬌があるように見えてくるから不思議だ。
「なかなかかわいいっスね、この子も」
「え? こいつはキモくない?」
不思議そうにこちらを見る春樹くんにハシゴを外されたような思いがして、ちょっとムッとして見せれば苦笑する春樹くん。
「ごめんごめん、あっ、ほらこっちのは結構かわいいかも」
ゆっくりと館内を歩きながら「こいつは可愛い」だの「いやキモい」だのと、深海魚からしてみれば失礼極まりない品評を二人で繰り返しながら見ていく。
時折説明のパネルなんかも読んでみれば、深くて暗い海の底では餌にありつくのはもちろん、更には繁殖のために同種の異性に出会うこともなかなか難しいとされていて、悲哀を感じさせる。
この男性が貴重な人間の社会でも繁殖相手を見つけるのは難しいことだなと、深海魚に対して妙なシンパシーを感じながらも、そんな社会の中で春樹くんに出会えた幸運を改めて噛み締める。
「ありゃ、もう出口か」
「お土産屋さん寄りたいっス!」
出口脇にあるお土産コーナーでは、深海魚をデフォルメしたようなグッズがたくさんあって、実物よりもかなりかわいい。
「可奈さん可奈さん、どう?」
あたしを呼ぶ声に振り向いてみれば、そこにはメンダコのぬいぐるみ型の帽子を頭に被った春樹くん。
「──ブハッ、全然似合ってねぇっス!」
ガタイがよくて、どちらかと言えばキリッとした雰囲気の春樹くんが、かわいらしいぬいぐるみを頭に被っているのはミスマッチで思わず笑ってしまう。
結局何故か気に入ってメンダコ帽子も買うことにしたみたいで、いくつものぬいぐるみやお菓子、マグカップなんかを買って車に詰め込んだ。
「いやー、思ってたより全然楽しめたっスねー深海魚水族館」
「そうでしょー、可奈さんにも深海魚の魅力が伝わったようで俺も嬉しいよ」
ホクホク顔で車に乗り込んだところで、ふと冷静になる。
──あれ? 結局友達みたいな距離感で楽しんでしまったのでは……?
手を繋いだとこまでは、なんだか進展しそうな気配があったはずなのにどうしてこうなったのか……
「どうしたの?」
運転席に座りながら考え込んでしまったあたしを心配するように春樹くんが問いかけてくる。
「うーん……春樹くんは、男女の友情と恋愛の違いってなんだと思うっスか?」
「ん? うーん、わかんないけどそれってあんまり違わないんじゃない? あっ、強いて言うなら、相手に性的な欲求を抱けるかどうか……とかなのかな?」
あんまり違わないって言うなら、今までの関係もあながち間違いではなかったのかと俄かに安堵する。
「ふむふむ、で、春樹くんはどうなんスか? あたしに性的欲求は抱けるんスか?」
「えっ!? あっ……俺たち二人の関係の話だったの? それは……うーん、まぁ、普通に」
「普通に? 普通に縛りたいとか、普通に鞭で打ちたいとか、普通に蝋燭垂らしたいとかっスか?」
「全部アブノーマルじゃねえか!」
ついはしゃいでしまったが、普通にというのは肯定的に捉えていいのではないだろうか。
「じゃあこのままホテルに行っても……?」
車のエンジンをかけながら問いかけてみれば、呆れた顔で空を指差す春樹くん。
「ん? なんスか?」
「いや、見ての通り真っ昼間なんだけど……。とりあえず昼飯が先じゃね?」
確かに言われてみれば時間はお昼を回ったくらいで、お腹も空いていた。
改めて行き先について話し合ってみれば、ここの水族館が港の近くということもあって、海産物系の食事処が多いようだ。
「じゃあ精のつくご飯食べに行くっスよー!」
春樹くんは苦笑しながらも異論は無いようで、カーナビを入れて出発する。
──お昼ご飯が先……つまりその後ならホテルもOKってコトっスよね!?
高鳴る気持ちを表現するようにアクセルをグッと踏み込んだ。




