二条セツナ─任務遂行
雨の降る山の中、小さな山小屋に春樹様と二人きりで泊まることになった。
──これは……任務遂行のチャンスだ。
護衛という立場上、影に徹することが多い私としては、この絶好のチャンスを逃すわけには行かない。
はっきり言って勝算はある。否、勝算しかない。
これまで春樹様を間近で観察してきた結果、分かった事がある。
──彼は普通の男性ではない。
何を当たり前のことをという話だが、そう単純な話ではない。彼がSランク認定された時からその特異性は充分に分かっていたつもりだったが、まだ足りなかった。
例えば、橘花祥子とホテルに泊まった時。あるいは彩葉伯亜とネットカフェに入った時。
隠形中の私は存在を忘れられていたのか、特に追い出されなかったためその一部始終を見ることになっていた。
……もしかしたら外で待っていると思われていたのかもしれないが、藪蛇になることは間違いないので聞いていない。
彼は一般的な男性像とは全く違った。なんなら正反対とすら言っても良いくらいの一般的な女性を軽く上回るほどの積極性を持っていて、それを特等席でまざまざと見せつけられたのだ。
何度隠形を解いて乱入しようと思ったことか…
そんな彼と私が一つの布団に同衾することになれば、もうそれは間違いなく何かが起きるはずだ。
悶々と今夜のことを考えていたところで春樹様から声がかかる。
「セツナー、これ、お風呂の入れ方わかる?」
こういう小さな山小屋では水道も無ければ電気もない、初めてでは戸惑っても無理はないだろう。
山の中という環境は、水は意外と豊富なもので沢や湧水から引き込むことができるが、一方で湯を温めるには薪を使う必要があり、そちらはそれなりに時間がかかる。
交代で火の番をしながら風呂を済ませて居間に戻ると、春樹様は手持ち無沙汰になっているようだった。
普段の春樹様はこの時間は何をしていただろうと思い返すと、配信をしているかみんなとゲームで遊んだり、もしくは婚約者とイチャついたり……
ふむ…ここは代わりに私とイチャイチャして過ごすのはどうだろうか。何か良い口実はないだろうかと考えたところで名案が浮かぶ。
「春樹様、今日は普段使わない筋肉も使ったことですし、マッサージをしておいた方がよいかと」
「ん? そうなの?」
「はい、翌日に疲れや痛みを残さないためにも必要です。私にお任せください」
彼と触れ合う口実だけというわけではなくて、実際にやった方がいいのは確かだ。さすが私。
うつ伏せになってもらい、まずは首・肩・背中を重点的にほぐす。コツとしては肉体の表面では無く、その中の筋肉や関節を意識して、時には腕を持ち上げて肩の関節を伸ばしながら揉みほぐしたりする必要がある。
春樹様の腰に跨がって、グッと体重をかけて押していく。
「くっ…ぅ、──はぁ…気持ちいいよ、セツナ…」
これはただのマッサージ…いたって健全な行為のはずなのに、そんな声を出されてしまうと私も妙な気分になってしまう。
こちらが力を入れるのに合わせて、彼が声や息を漏らす様子を見ていると、かつて隠れて見た光景が脳裏に浮かぶ。
そんなことを考えながら、たっぷり三十分以上かけてマッサージを終えた頃には、余計に悶々としてしまっていた。
「ふぅ……いやー、すげーよかったよ、なんかもう体が軽くなった気がする。じゃあ、次は交代しよっか」
「え? い、いや私は大丈夫です、それほど疲れてはいませんし…」
思ってもみなかった交代の申し入れに、つい反射的に断ってしまったが日頃のお礼も兼ねてだと押し切られる。
ドキドキしながら横になってみれば、私のやったマッサージの見よう見まねか、探るような手つきで触れてくる。
「どう? こんな感じでいいのかな? 力加減とか弱かったり強かったりしたら教えてね」
「んっ……あっ、大丈夫、です…」
マッサージとしては抜群に上手いというわけでは無いが、その優しい手つきから私のためにしてくれているのだという想いが伝わってくる。
春樹様の指で強く押されたところが次第に熱を帯びて広がっていく。
頭のてっぺんから足のつま先まで余すところなく揉みほぐされて、私の身体はまるで焦らされているように、じわりじわりと高められていく。
「よし、こんなとこかな。どうだった?」
「…………よかったです」
辛うじて言葉を返すが、このままではダメだ。
いくら私が鉄の自制心を持っているとしても、ここまで物理的に高められてしまったら、不意に襲いかかってしまうかもしれない。
「少し夜風に当たってきます」
それだけを告げて振り向かずに小屋の外に出る。
灯ひとつない夜の山の中、ぱらついていた小雨はもう止んだようで風が揺らす木々の音と虫の声だけが響いている。
「ふぅ……」
それにしても、いざ二人きりになった時には今夜こそと思ったものだが、こんなことで上手くいくのだろうか……
そもそも私だけが盛り上がってもどうしようもないというのに、どうしたらいいのか分からない。
そんなことを考えていると、春樹様が小屋の中で動き出した気配を感じてそちらを振り向けば、ランプを持った春樹様が追いかけてきたようだった。
「えーと……なんか気ぃ悪くしちゃったかな…?」
「へ?」
春樹様の問いに、冷静にさっきの自分の振る舞いを思い返してみれば、ぶっきらぼうに外へ出ると告げて振り向きもせずに小屋を飛び出したのは、そう思われても仕方なかった。
否定しなきゃいけないけど、なんと言えばいいか分からない……そんな風に考えている間にも春樹様を誤解させてしまっていると思うと正直に話すしかなかった。
春樹様のマッサージで体が火照ってしまって、理性を抑えきれそうに無かったから外に出たのだと。
「お、おぅ……なんか、ごめんね。っていうか、セツナでも、そういう風になっちゃうんだね」
いったい私をなんだと思っているのか。
確かに私はあらゆる訓練を修め、あらゆる技術を磨いてきたが、春樹様から与えられるものにはこれまでの経験が全く通用しないのだ。
どうすればいいか分からない。
だから、教えて欲しい。
「春樹様……以前私に料理を教えてくれましたよね。あれから私、楽しいんですよ、料理をするのが」
「ん? あぁ、そうだね。最近は一人でも作れるようになって凄く上達したと思うよ」
努力して、出来ることが増えて、褒められるのはやっぱり嬉しい。
「そんな春樹様にもう一つ教えてほしいことがあるんです」
「おう、俺に教えられることがあるならなんでも言ってよ。いつもセツナには助けられてるしね」
そう言って微笑む春樹様に私は……
「春樹様の得意なことです」
それだけを告げて二人で小屋へ戻り、敷いてあった布団に向かい、着物をはだけた。
「さぁ、春樹様……私にあなたを教えてください」
◇◇◇
春樹様からの教えを受けた私は、心身共に満たされていた。これまでの人生では到底感じたことのない幸福に包まれている。
「あー…セツナ、流されちゃった俺が言うのもなんだけど、こういうのって順序が逆だと思うんだよね」
「順序ですか?」
なんのことだろうと首を傾げると、苦笑した春樹様が私に顔を寄せる。さっきまでとは違う、軽く触れるような口付けを交わして春樹様が言った。
「俺と、結婚を前提にして交際して欲しい」
あぁ、そうだ。確かに今までも皆とはそういう順序を大切にしていたように思う。春樹様と体を重ねることばかり考えていた自分が恥ずかしい。
「それは…願ってもないことです。不束者ですがよろしくお願いします」
心地の良い倦怠感に身を任せて、二人で眠りについた。




