桜木涼子─ご利益
都心から離れ郊外を抜けて、今ではすれ違うのも難しそうな山道を走っている。
走り出してからかれこれ2時間以上は経っているがいったい何処へ向かっているのだろう。
そんな長時間のドライブだけど、会話が途切れることはなく退屈はしていなかった。
「ねぇ、もうそろそろ目的地を教えてくれてもいいんじゃない?」
「んー、もうそろそろ着くんだけど……そうだね、まぁいわゆるパワースポットってやつかなぁ」
パワースポット……正直そういうオカルトというかスピリチュアルな概念を今まで本気にしたことはない。
「春樹さんは、その、そういうパワースポットとかが好きなのかしら?」
「あはは、まぁ取り立ててそういうのが好きってわけでもないけどさ、観光にプラスしておまけに何か良い御利益があるかもって場所の方がお得じゃない?」
確かにそれは素敵な考えだなと思った。
私は今まで占いとかパワースポットだとかそういうものを、信じる信じないのようにゼロかイチでしか考えてなかった気がして視野の狭さに気付かされた。
せっかくこんな自然豊かな山の中に来ているのだから、息が詰まるような都会の喧騒を忘れて、もっと気楽に楽しんでみてもいいのかもしれない。
「さあ、着いたよ」
春樹さんに連れられて車を降りると、目の前には大きな鳥居があった。
しめ縄の巻かれた見上げるほどの大木、湿って苔むした岩、さらさらと流れる水の音。一見古びた廃神社にも見えるそこは人の気配が全く無くて、酷く幻想的に思えた。
「ここは?」
聞いてみればネットで調べたという、あまり知られていない秘境的なパワースポットの神社らしい。
二人で鳥居をくぐって参道を歩いていくが、神秘的な雰囲気に気圧されてか口数が少なくなる。
廃れてはいるものの、手水舎はちゃんと生きているようで手を清められた。
拝殿でお賽銭を投げ入れて二礼二拍手一礼。
本来神社でのお参りは願いを祈る場では無く、感謝や決意を伝える場だと聞いたことがある。
年に一度くらいしか祈らない不信心な身ではあるが、作法には則った方がいいだろう。
願いでは無く、決意を。
──私は、春樹さんに想いを伝えます……いつか。
決意という割には少しへたれてしまったが、神様ならそれくらい大目に見てくれるだろう。
境内をゆっくり見て回ってからまた車に乗り込む。
「涼子さんは何をお願いしたんですか?」
「お願いは……してないわ。」
嘘はついていない、私のは決意表明だから。
春樹さんは何かお願いごとをしたのかと聞いてみたけれど、秘密にして教えてくれなかった。
すっごく気になるけど私も話してないし、聞けないわね……。
それからお昼ご飯の話になり、少し行ったところに滝を眺められるうどん屋さんがあるそうで連れて行ってくれた。
パワースポットの神社の次に行くのが滝とは、今朝言っていた心の疲れを取るってことなんだろうか。
実際に滝の音を聞いていると心が澄んでいくような気がしてくるから不思議だ。
こういうところで食べるうどんも、余計に美味しく感じる。
「隣に土産物屋さんもあるみたいなんで、ちょっと寄って行きましょうよ」
春樹さんに手を引かれて雑多な土産屋を覗き込む。
みんなへのお土産はちょっとしたお菓子なんかでいいかなと考えながら見て回る。
「お、涼子さんこれ買いませんか?」
呼ばれて見てみると、色とりどりの天然石のアクセサリーが並んでいた。
「さっきの神社、お守りとか売ってなかったじゃないですか。だから…ほら、このアクセサリーも色々ご利益みたいなこと書いてあるからどうかなって」
言われて見てみると、確かに石の色だか種類だかによって何やら書いてあるようで、商売繁盛だの恋愛成就だの……恋愛成就?
「そ、そうね。せっかくだし買って行こうかしら」
春樹さんが真剣に選んでいる隙を見て、恋愛成就のアクセサリーをさっと手に取り、お土産と併せてレジへ向かう。
店員のお婆さんがニヤニヤしているのが妙に恥ずかしい。
車に乗り込んで帰路に着く。
「涼子さんは何のアクセサリーを選んだの?」
うっ……神社でのお参りも誤魔化したし、さすがにこれ以上誤魔化すのはよくないかも……。
「…これよ」
ブレスレットを付けながら見せるが、さすがにご利益は覚えてないんじゃないかな?
「んー…ピンクは恋愛成就、だったかな?」
運転しながらチラリと一瞬こちらを見た春樹さんが一発で答える。
なんで分かるの…。
「恋愛してるんですか?」
「うっ…まぁしてると言えばしてるかもしれないけど…私みたいな年齢で恋愛してたらおかしいかしら」
少しだけ棘のある言い方になってしまう。
「いやいや、全然おかしくないですよ。きっと叶いますよ、その恋愛」
あっさりと答えるこの人は、分かってて言ってるのだろうか…? 私が恋しているのが貴方だってことを。
「私には、娘だっているのよ」
「いいじゃないですか、娘さんがいても恋くらいしたって。それに葵ちゃんみたいな真っ直ぐな子を育てたっていうのは、立派なことだと思いますよ」
どうしてそんなに全部肯定してくれるんだろう。
……思い返すと、春樹さんが誰かを否定したり拒絶したりしているのを見た覚えがない。
伯亜さんが住所を調べて突撃してきた時も、葵ちゃんがシャワールームに突撃した時も、なんだかんだで受け入れている。
…葵ちゃんの件は後から話を聞いた私が叱ったけど。
いくらなんでもおかしいんじゃないかと考えれば考えるほどに、彼の歪な精神構造が垣間見えてくる気がしてきて、だけどそれと同時に私の中で暗い欲望も湧いてくる。
もしかしたら、そんな春樹さんなら私のことも拒絶せずに受け入れてくれるかもしれない。
一度そんな考えが浮かんでしまったら止められなかった。
「ねえ、だったらもし、私が恋してるのが春樹さんだったとしても……それは叶うって言ってくれるの?」
「もちろん、叶いますよ」
考えるまでもないとばかりに即答される。
望んでいた答えのはずなのに、どうしてだろう。
何故だか春樹さんの心を利用したような気がして惨めな気持ちになってくる。
私じゃなくても、誰でも受け入れるんじゃないかって。
私が言葉を返せずにいると、春樹さんは車を路肩に停めてシートベルトを外してこっちを向いた。
「どうして、そんな顔をしているんですか?」
心配そうな顔で問いかけてくる姿に、思わず不安を吐露してしまう。
どうして、私を拒絶しないのか。どうして、何でも受け入れてしまうのか。本当は私じゃなくてもいいんじゃないかって。
「涼子さんって……めんどくさいですね」
辛辣…!
でもその言葉は私を小馬鹿にするようなものなんかではなくて、むしろ不安を取り除くように苦笑しながら続けてくれた。
「涼子さんは考えすぎですよ。俺だって嫌なことは嫌だって断りますよ? 確かに人よりも少しばかり受け皿は大きいかもしれませんけど」
考えすぎ…なのかな? 春樹さんにそう言われると、それが真実なのだと思わされるような魔力がある。
「じゃあ、改めて聞くけど……こんな私でも恋人にしてくれるの?」
今度の答えは言葉じゃなかった。
春樹さんの伸ばした手が私の頬に添えられて、リードするように唇を重ねられる。
私の方が年上なのにだとか、女の私がリードされてしまうだなんてだとか、そんな考えが少しだけ浮かんだけれど、柔らかな唇の感触に全てが掻き消されていく。
「これで少しは分かった? 俺にとって涼子さんは充分魅力的な人ですよ」
さっきは手慣れているようにも思えた春樹さんも、よく見ると頬を薄く染めていて、私のためにしてくれたんだと分かると、愛おしさが込み上げてくる。
彼の態度に、言葉に、そして口付けに年甲斐もなく一喜一憂させられて、これが恋でなくて何だと言うのだろう。
確かに彼は一見何でも受け入れるように見えるほど器が大きいのかもしれない。
それなら私の愛が、この想いが、少しでも多くその器を満たすことができたらと、そう思えた。
気持ちが落ち着いたところで、また車を発進させて帰路に着き始めたが、確かに気分は上向いたけれどまだ一つ気がかりなことがあった。
「ねえ、春樹さん…私たちって、その、婚約したってことでいいのかしら」
「んー、俺はそのつもりだけど、どうして?」
「そのことは嬉しいんだけど……葵ちゃんになんて説明したらいいか分からなくて。というか、春樹さんは葵ちゃんの気持ちにも気づいてるでしょ?」
言外にどうしてなのかと問いかける。本来は私みたいな年増よりも若い娘を優先するものではないのだろうかと。
「うーん、葵ちゃんって、ほら、年がまだ……さすがに倫理的にどうかなって」
倫理? と彼の言いたいことが最初はよく分からなかったが、どうやら年齢がネックらしい。
「確かに結婚となると後一年は待たなきゃいけないけど、交際なら今からでも特に問題ないんじゃないかしら」
母としては、自分よりも葵ちゃんに幸せになって欲しい気持ちも強い。だからこそ推せる時に推しておきたい。
「そうかな、そうかも…。ちゃんと真剣に考えてみますね」
よしっ。葵ちゃんが上手くいったら、その時に私のことも話せばいいだろう。
春樹さんも年齢以外にはネガティブな感情は無いようで満更でもなさそうに見える。さすがの器だ。
「そういえば、私は見せたけど春樹さんは何のアクセサリーにしたの?」
気になって見せてもらうと、オレンジ色のブレスレット……なんだっただろうか。
「家庭円満、ですよ」
確かにこれから大家族を築く春樹さんには必要なお守りで、余りにぴったりなそのご利益に二人で笑い合う。
「そのご利益も、きっと叶いますね」
春樹さんが私に言ってくれたように、同じ言葉を返した。




