ヒーローとして
翔子ちゃんとのデートを終えて、彼女と結ばれたことに大きな達成感や幸福感を得ると同時に、自宅で一人になってからはモヤモヤとした小さな葛藤も湧いていた。
俺は彼女が間違いなく好きだ…と思っている。
だがそれを愛情と呼んでいいのかは自信が持てないでいる。
好意を向けられたから、その期待に応えたくてそう思ったのでは? 彼女の境遇を知って庇護欲が掻き立てられたからでは? 彼女と肌を重ねたいという肉欲では?
それらの感情は、どれも少なからずその通りではあると思う。
一方で彼女を想う気持ちにも偽りは無い…はずだ。
可愛らしい、愛しい、大事にしたい、俺にできることなら、なんだってしてあげたいと思う。そしてその逆に彼女からも愛されたい、与えられたいとも思っている。
…だけどそんな風に考えていながらも、俺はこれから先少なくとも10人と結婚しなければならないということに……大きな抵抗がない。
元の世界基準で考えれば、それは浮気や不倫といった倫理観に悖る行為であり許されないことだ。
罪悪感は確かにある。
だけど出来る…出来てしまうのが俺という人間だ。
ちっぽけな罪悪感よりも、国からの期待や何よりも自分に好意を向けてくれる人達への期待に応えたいという思いが強い。
何にでもラベルを貼って定義付けできる今の世の中では、それが何故なのか自己分析もできる。
"アダルトチルドレン"という言葉がある。
今では割と有名な言葉だが、俺はその言葉を施設に引き取られた後のカウンセリングで知った。
元々はアルコール依存症の親の元に生まれた、ある種共通の生きづらさを抱える人々をそう呼んでいたのが始まりだが、今ではアルコール依存症のみならず虐待や育児放棄、その他様々な機能不全家庭で育ち大人になってしまった人達をそう呼んでいる。
いわゆる普通の幸せな家庭で育てられた人たちからすると理解は難しいかも知れないが、幼少期からの家庭環境というものは一人の人間を大いに歪めてしまう可能性を孕んでいる。
アダルトチルドレンの定義は複雑だが、よく見られる特徴として「自分の判断に自信が持てない」「常に他者の称賛や肯定を必要とする」「自分は他人とは違うと思い込みやすい」などがある。
…なるほど、その通りだろう。
そしてアダルトチルドレンの振る舞いは五つないし六つのタイプに分類される。
中でも自分に大きくあてはまるのは二つ、期待に応えることこそが自分の価値であると考える「優等生」タイプと、常に周囲を伺い、争いを避けおどけて振る舞う「道化師」タイプだろう。
ただし、そうやって自分を客観視して分析できた気になったところで、それを克服できるかは別の話であるし、自分としては積極的に克服するつもりもない…というかできないというのが今まで生きてきた上での結論だ。
結局、そんな自分を認識した上でどう向き合って生きて行くかでしかないのだ。
今日も今日とて、無駄に長々と考えこんでしまったが、とにかく彼女たちを悲しませないように…幸せだと思って貰えるように、英雄としてありたいと、そう思う。
手始めに、今回のデートの目撃情報がネット上で既に拡散されており、デートの相手がショータくん(メスの姿)ではないかと議論されている件について、どうにかするかと考えを巡らせ始めた。




