橘花翔子─ボクのこと
「ふぅー…お疲れ様。うまくいってよかったね」
「やっぱり春樹さん上手すぎですよ、今日はありがとうございました」
配信を終えると、集中していたせいかいつもよりどっと疲れた気分がしたが心地よい疲れだった。
春樹さんとのコラボ配信は楽しかったし、正直かなり役得だった。
でも、距離感がバグってるのかやたらベタベタとくっついてくるのはボクを女として見てないからだろうかと考えると、ちょっと悔しい。
「あの…ちょっと洋服着替えてきたいんですけど、いいですか…?」
「ん? あぁもちろん。配信の男装もやっぱり似合ってるけど、オフの女の子らしい服装もよかったよね」
春樹さんは簡単に人を褒めるけど、その言葉がどれだけ嬉しいか分かってるのかな…
「答えづらかったらいいんだけど、翔子ちゃんはどうして男装で配信しようと思ったの?」
雑談の延長線、きっとたいした意味は無い質問だけど、ボクのあまり触れられたくない部分を侵す質問。
別に珍しい質問でもない、配信活動を始めてから知り合った友人からもよくされた質問だから、そんなことでいちいち心を閉ざしたりはしない。
いつも通り心を動かさずにただ答えればいいだけ。
「…元々クセになってたんですよ、生まれた時から。母は男の子が欲しかったそうで、ボクを男の子として育てたんです。喋り方も、格好も、名前さえも、全部──」
絶縁した母親のことを話すのはいまだに苦しい。
春樹さんから女の子として見てもらえてないんじゃないかって気持ちから、いつもより棘のある話し方になってしまった。
「それは…随分なクソ親じゃねえか…」
ボソリと絞り出すような春樹さんの声は普段よりも低くて、ボクの心にゆっくり浸透していく。
親に対する暴言。普通の人なら怒るところかもしれないけど、ボクにとってはそうじゃない。
『子を愛さない親はいない』だとか『子が親を敬うのは当たり前』とか、そんな聞き飽きた陳腐な言葉がボクは嫌いだ。嘘だと知っているから。
だから、どこか嬉しかったんだと思う。
いつもは得られなかった、初めての共感の言葉が。
気づいたら涙が溢れていた。
「…あれ? あ、ごめんなさいなんか泣いちゃって。おかしいな…こんなはずじゃなかったんですけど」
止まらない。
「あ…ご、ごめんね。ちょっと言葉が悪かったよね、クソ親とか言っちゃってごめん。…俺もさ、なんていうか親から虐待とか受けてたからつい変な感情がオンになっちゃったっていうか──」
慌てて取り乱す春樹さんに、違うそうじゃないと言いたかったけど言葉が出なかった。
──春樹さんが虐待を受けていた。
ポロっとこぼれた言葉が、雷のように頭に響いた。
男性が受ける虐待と言うものは、話としては聞いたことがある。いわゆる…性的虐待というものだ。
見えていなかったピースがカチリと嵌った気がした。
どうして春樹さんは性に対して明け透けで、女性とも距離が近いのだろうか──幼い頃からそんな風に育てられたから?
どうして春樹さんは男性なのに体を鍛えているんだろうか──力でねじ伏せられた過去への抵抗?
いつかのテレビで、配信者になったのはチヤホヤされたいからと言っていたのは──愛されたかった?
思い返せば、男性ランクの測定結果もずいぶん信じられない数値だった。それらも全部、全部、想像もできないような、壮絶な虐待の産物なのではないか。
ぐるぐると考えが巡る。
思い返してしまった自分の過去。
初めて共感してくれた嬉しさ。
きっと春樹さんの方がボクよりも辛い過去を送ってきたんだという罪悪感。
それなのに、浅ましくも自分と同じなんだと考えてしまう愚かさ。
感情がぐちゃぐちゃになってしまったボクは、涙を止めることも忘れ、春樹さんに縋り付くように泣き続けた。
「ごめんね…つらいことを思い出しちゃったかな」
優しく抱き止めて、ボクの背中に手を回してくれる春樹さんの暖かさにますます罪悪感は強くなる。
違う、こんなんじゃダメだ、春樹さんの方が大変なのに、そう思ってもどうしようもなく乱れたボクの心はなかなか落ち着いてくれない。
背中に回された春樹さんの手が、幼子をあやすようにトントンと優しく背を叩く。
少しずつ心が満たされていく。
ボクは春樹さんのことを何も知らない。
もっと春樹さんのことを知りたい。
そして…ボクのことを知って欲しい。
しどろもどろになりながらもそんなことを言って、ボクは泣きながら自分のことを話した。
今とは違う男の子としての名前を与えられて生まれてきたこと。
格好も、喋り方も全部男の子のような振る舞いしか許されなかったこと。
それが原因で学校で虐められても、やめさせてもらえなかったこと。
本当は、女の子として生きたかったこと。
18歳で家を出て、正式な手続きで改名して母と絶縁したこと。
自分が一人で生きていくためにお金を稼ぐスキルは、男装くらいしかなかったこと。
ずっと言葉を挟まずに、でも力強くボクのことを抱きしめて話を聞いてくれた春樹さんは「よく頑張ったね」と、ただ一言それだけを告げた。
そんな春樹さんの言葉と強く抱きしめてくれた暖かさに、今までの全てが報われた気がした。




