01
キスト・フィルという男がいた。……否、その男はまだ生きているし現役の軍人なのだからそう言うのは失礼だろう。簡潔に言えば、キスト・フィルという名の英雄がいた。
今から約十年前、国々がまだ機密計画を開始・執行する前。銃や戦車が戦いの主流であった頃だ。人工龍や接木雑種達が英雄として示唆されず、人が英雄として掲げられていた時期があったのだ。今現在ではそれは信じられない事だが、その時代は確かに存在していた。
銃を巧みに扱い、一瞬にして敵陣を落とす軍隊。軍隊と言えど、隊の人数は五人という少数派。頭脳と肉体を用いて敵を捻じ伏せるその姿。子供達は皆口々にこう言うのだ。
「将来自分は勇衛士になる」
勇衛士になるためには二つの国家試験を通過し、器量・人徳に通ずる人間にならねばならなかったが、彼等の勇ましい背中を追う人間達はそれを拒まなかった。勇衛士である、とは国で最も気高く、名誉な事であったのだ。
話を戻すが、キスト・フィルという男も勇衛士であった。勇衛士として軍隊に配属された時、彼の周りの人間達は心の奥底から彼を褒め称えた。……しかしそれは数年のみの栄光であった……。
勇衛士が戦場を駆け抜けて早十年。アリストという、この世で最も強い軍事力と広大な土地を持つ国が、妙な生き物を戦争に出すようになった。という噂が立ち始める。「妙な生き物」はその名も「接木雑種」と言った。科学的に言うと、接木雑種、通称『キメラ』は、二種以上の胚や体の一部のたんぱく質・分子等から生まれた生き物である。アリストはそれを戦場に放したのだ。
接木雑種は物心を持たず、獣として地を這いずる。仲間・敵もろとも食い潰し、噛み千切っていく。逃げ出そうとする兵士がいても、豹の足を持つ接木雑種からは逃れられなかった。腕一本をなくしただけで生き延びる事が出来た兵士は、包帯だらけの己の足や、一本だけ残った腕を見ながら人語とは思えない言葉を発した。子供の喘ぎにも似たそれに部下は絶句し、精神が崩壊したせいで眼球が右・左へと忙しなく動く姿を見た上司は恐怖した。
脳や記憶について詳しい錬金術師(医者)はそんな彼の脳内を視た。町を舞台にして行われる戦争はおぞましいものだが、その中に異形の生き物が放り込まれているだけはある。錬金術師は男が接木雑種に襲われてから気絶するまでのたった一時間の戦争の様子を、丸々一日掛けてやっと見る事が出来た。人の精神を崩壊させるまでに酷い戦場だった。と錬金術師は語る。
仲間だった生き物の肉片が、まだ整備されていない土道の隅に飛び散り、壁には血がはねた跡がいくつも残っている。いや、そこまでならばまだ普通の戦争だ。そこに放り出されている生き物が赤黒い息を吐き出しながら獲物を探している。人一人よりやや高いその身長は猫背のように背中から折り曲げられ、長い手足はずりずりと地面を這うばかりだ。しかしふと、足が止まる。立った。そして走る。人間よりも何倍も速い。誰かが見つかった。見つかった『それ』は男の上司にあたる人物で、名はアーロニーと言った。アーロニーは恐怖に染まった奇声を上げながら機関銃を接木雑種に打ち込むのに夢中だ。鮫のような頭に体はゴリラといったその姿は正に異型なものだが、回復力や回避能力の方が凄まじい。弾丸が打ち込まれた箇所からは青色の血が飛ぶが、すぐにその血と一緒に弾丸が飛び、穴が開いた部位はむくむくと肉が立ち上がり、いつの間にかに治っている。アーロニーの機関銃に弾が無くなり、カチ、カチという乾いた音がしたかと思えば、鮫の頭をした接木雑種が瞬く間に彼の頭に齧り付いた。鮫の歯を持つのだから彼が食い千切られるのは一瞬。一気に噴出した赤い血液は接木雑種を更に興奮させた。気付けば彼の死肉を漁っている接木雑種は二匹に増えており、死体の惨さも感じられぬ程に彼の体は滅茶苦茶になっていた。手足は既に引き剥がされ、目玉が血の水溜りに浮かび、抉られた腹からは腸が覗いている。上司の死骸を見詰めている男の指先はこれでもかと言う程に震えている。手に持っている機関銃がついに地面に落ちた。二匹いた接木雑種の内一匹が音に気付き、こちらを向いた。顔は兎で足は蛙。胴体は毛むくじゃらで……これは犬だろうか……? 体の大きさは鮫の顔の接木雑種より小さく、身長も半分くらいだった。白い兎の顔は血でぐしょぐしょになっており、目は何故か血が固まったような茶色だった。視線がだんだん後ろ後ろへと下がっていく。どうやら男が座りながら後ずさりをしているようだ。次の瞬間、兎がにたあと笑った。いつのまにかに目の前にいる。大きく開けられた口には血で濡れた前歯と、人間の肉片が残っている舌先。
意識(映像)はそこで途絶えた。
接木雑種の脅威を知らしめられた軍人は恐れおののき、アリストという国との戦をしようとしなくなった。どの国も腰を低くし、戦争が始まりそうになったら、国中の金を掻き集めてアリストに収める。ただ、あえてアリストに対抗しようとする国も少なくなかった。
勇衛士を前例として多くの優秀な軍団を持つ国、メディアル。目覚しいほどの速さで科学の進歩を遂げた国、カリディア。その他にも国はあるが、どの国もこの二つと同盟を組んでいる国ばかりで、いざとなったらメディアルかカルディアを盾にしようと企むような国ばかりであった。
大体の国を吸収したアリストは一旦戦争を止め、接木雑種の増殖作業に勤しんだ。カリディアは別の方法で新しい生物を生産、配合し『人工龍』を創った。蛇や魚、獅子などの生き物を使い、見た目まで龍を完璧に再現。攻撃力の強い動物の分子から出来た最強種族という。しかし今現在実際にそれを戦場に放していない所を見れば、単なる脅しなのかもしれない。一方メディアルはそんな生き物の力を借りず、戦争機械を作る事に勤しんでいる。勇衛士はこの頃から廃れ始め、メンバーである五人……キスト、ルディア、カモール、アーン、エリダ達は軍を解散。各国へと飛ばされた。
これは単なる現状報告であるが、戦争はまだ始まったばかりなのである。
今回は世界観についての話なので、キャラクターは出ませんでした。次話からキャラクターがざっくざっく出る……予定です。