中編
フロリアンと約束を交わした数日後。
真正賢者に会うために大神殿から馬車に乗ったオスカーは、そわそわしていた。
気持ちが昂るたびに、足をバタバタさせてしまう。
少年の無邪気に喜ぶ様を、御者は微笑ましく思い、馬車を走らせる。
半刻ほどで真正賢者が隠遁する小神殿のふもとに到着した。
そこには、フロリアンが待っていた。
両目をキラキラと輝かせ、オスカーは停車した馬車から飛び降りる。駆け寄り、フロリアンの前で止まる。
頬を紅色させ、気持ちを整えたオスカーは丁寧にお辞儀をした。フロリアンもそれに応える。
「おまたせしました、フロリアン様」
「いいえ、こちらこそ、ご足労戴きありがとうございます」
「私は会えるのですね」
「さようでございます」
感極まり、少年は身震いした。
「真正賢者様が大神殿の敷地内にお住まいで良かったです。私はここから出られない身です。もし敷地外にいらっしゃったら、真正賢者様と会うことは叶わなかったでしょう」
「これもご縁ですよ、オスカー様。
早速ですが、この丸薬をお飲みください」
フロリアンは、小瓶の赤い丸薬と筒状の植物で作られた水筒を出した。
オスカーは、フロリアンの目の前で、赤い丸薬を口に入れ、水筒に入った水で流し込んだ。
「甘い水ですね」
「湧き水です。きっと山の加護が備わっているのでしょう。
では、参りましょう。オスカー様」
道案内のフロリアンが踵を返し、小神殿につながる細道を歩き始めた。
しばし彼の背を見つめたオスカーが振り向く。
送迎のために待つ御者へ、はにかみながら軽く礼をし、再び前を向いた。
前を進むフロリアンからも、御者からもオスカーの顔は見えない。
笑顔を消したオスカーが、舌で口内をぐるりと回し、軽く下を向くと、ぺっと赤い丸薬を吐き出した。
それを足で踏みつけ、ぐりぐりと土のなかに埋めると、フロリアンを追いかけ、細道を登り始めた。
オスカーは王の落胤でありながら、王子とは認められない。
寵愛甚だしい妃との間に生まれながら、母である妃とその実家は正妃の策略で跡形もなく消された。
正妃に息子が産まれて直後に、母である妃が身ごもったため、産まれると同時に謀られたのだった。
(殺すなら、赤子の私だけで良かっただろうに)
親類すべて奪われたオスカーは名を変えさせられ、王の計らいで大神殿に預けられた。
正妃とその実家も、神殿までは手を伸ばせない。
生母がどんな人であったのか。
オスカーは出会う人々から無邪気を装い聞き集めた。日常はそんな母に擬態するようにふるまっている。
容姿も性格も亡き母そっくりの子どもを演じていた。
その素行は王にも伝わり、会いにこずとも、生かしておいて良かったと思っているにちがいないとオスカーは思っていた。
無垢で扱いやすい隠された王子。
王妃やその実家の政敵への無体な振る舞いは恨みとなって堆積している。いずれは吹き出すことだろう。そうなれば、掲げ上げる神輿がいる。
その神輿にのるのは、やはり王族しかいない。
実家や母を奪われたオスカーは選択肢の一つになる。
(私はこんなところで終わる者ではない)
政変後に牛耳りたい者たちにとって、世情を知らない王子など、ほどよい駒に見えるだろう。
オスカーはそこまで世情を見切っていた。内面はどこまでも父方に似たようだった。
(利用されるつもりはない。いずれは利用してやるのだ)
大神殿の書物を読み漁り、誰とでも気さくに話す。書物から知識を、大神殿に出入りする者からは世情を取り込んできた。
真正賢者に会うのもその一環である。
(真正賢者から直接薫陶を受けることができれば箔がつく。いずれは、私が賢者のような知性と器をもって、この国の上に立つのだ)
小道を抜け、小神殿についた。長い斜面を歩き、オスカーの額にもうっすらと汗がにじむ。
朱塗りの門の前で、フロリアンとオスカーは改めて向き合った。
「この門をくぐり、小神殿の最奥に導師はいらっしゃいます」
肩で息を繰り返しながらオスカーが頷く。額の汗が一筋頬を伝った。
門からはしばらく玉砂利が敷かれていた。こんな山間にありながら手入れが行き届いている様にオスカーは驚く。
小ぶりな神殿は、風雨に晒された痛みを感じさせない威厳を備えていた。
オスカーはフロリアンを不安げに見上げた。
フロリアンは表情を変えず、心持ちゆっくりと歩き始める。
その速度にオスカーは安堵し、ついていく。斜面をのぼってきたことで足腰がふらついていた。
オスカーはフロリアンに話しかける。
「これほど疲れるとは思いませんでした」
「ここは大神殿より標高も高く、空気が薄いのです。お疲れになるのも仕方ないことでしょう」
「フロリアン様は変わりないのに、ですか」
「私は慣れているのです」
二人は小神殿の廊下を進む。
すぐに奥に到着した。
本来、祭壇があるべき場所に、御簾がかかり、その奥に人影が見えた。
「あの方が、真正賢者様」
オスカーの声が感動で震えた。
フロリアンが振り向くと、オスカーの身体がぐらりと揺れた。
少年は白目を向いて前のめりに倒れこむ。
一歩前に出たフロリアンが彼の身体を支える。
微かな呼吸を繰り返しながら目を閉じたオスカーは、意識を失っていた。
「オスカー様、ここまで意識が保たれていたということは、丸薬、お飲みにならなかったのですね」
フロリアンは少年の腕を肩に回し、小神殿の最奥から連れ出す。
オスカーが丸薬を飲んでいれば、朱塗りの門あたりで、意識を失うよう調合しており、飲まなければ、水筒の水に溶かしこんだ丸薬の成分により、小神殿のなかで効果が得られる予定だった。
客間までオスカーを運んでいくフロリアンの背後で御簾に映る影がゆらゆらと揺れていた。