前編
大神殿の廊下を、金の縁取りをした真っ白い祭服を着た者が、せわしない靴音を立てて、進む。
平静を装おうとしてても、前方を凝視する顔は、僅かに眉が歪んでいた。
透けたアーチ型の高い天井からは木漏れ日のような陽光が射し、青白い石で作られた円錐形の柱に虹を映した。
金縁の祭服にも、虹が射し、揺らめいて、消えていく。
清浄な空気が流れる廊下はひんやりとした静寂に包まれる。
彼の慌ただしい足音だけが似つかわしくなく響き、霧散した。
前方から白い祭服を着た者がやってくると、彼らは一様に横に避け、両手を合わせ、頭を垂れる。彼らの衣装は、金縁の祭服より質素なものであった。
金縁の祭服を着た者は壁に寄った者たちに目もくれず、直進し続けた。目礼することもなく、まるで彼らがここにいないかのように通り過ぎる。
金縁の祭服を着た者の名は、フロリアン・シオレック。
真正賢者の直弟子である彼は、大神殿を統括する神官長に、四半期に一度行われる四季の祭礼に合わせて、真正賢者の言辞を伝えに来たのだった。
真正賢者は、神官見習いであったフロリアン一人を連れ、十数年前に山奥の小神殿に姿を隠した。
四季の祭礼への言辞奉納の他、預言書を大神殿に稀に納めるものの、隠遁して以来、誰とも会うことはなくなった。
大神殿の廊下を抜けると、数十段の階段が半円に広がっている。
青空が広がり、大門へとまっすぐに道が開ける。
大門前には、小神殿のふもとまで送ってくれる馬車が待機しており、真正賢者の世話全般を行うフロリアンは急ぎ階段を駆け下りようとした。その時、背後から、軽い足音が響いてきた。
足を止めたフロリアンは眉間に皺を寄せ、ため息を漏らす。
軽い足音はどんどん近づいてきた。
逃げきれないと思い、振り向いたフロリアンは、上気した頬を赤らめ、満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくる、淡い金髪の美しい少年を見た。
駆け寄ってくる少年はオスカー・バインと偽名を名乗る。以前から真正賢者に憧れる神官見習いであり、本名を生涯名乗ることを許されない王の堕とし子であった。
「お待ちください、真正賢者のお弟子様。フロリアン様。どうか、お待ちくださいませ」
駆け寄ってきた落胤の少年は立ち止まり、両手をぐっと握って、輝く瞳でフロリアンを見上げた。彼の衣装は艶やかな祭服であり、神殿長にも劣らない美しい布地で作られていた。その装いは、背後に王の気配を感じさせ、実際に彼の耳もとに輝く飾りには密かに王家の紋が彫られていた。
無垢な笑みを浮かべるオスカーに、フロリアンは恭しく頭を垂れた。
「オスカー様、お久しぶりでございます」
「頭をあげてくださいフロリアン様、お時間がないことは分かっております。ですので、単刀直入にお伺いいたします。
毎度お願いしております真正賢者様との謁見。いまだ承諾していただけないのでしょうか」
「申し訳ございません。オスカー様。
真正賢者は日々、修練に努められておられます」
「そうですか、残念です。
フロリアン様、いつか、必ずとりなししてくださいませ。私はここに長くいることになるでしょう。いつでも構いません。必ず、絶対に、お会いしたいのです」
無垢な少年の希望は強固だった。
真正賢者に対するあこがれが、両目からきらきらとこぼれ落ちている。
「もうしわけございません、オスカー様」
「いいのです。私はずっとここにいることになります。時間はいつまでもございます。
十数年前に隠れられた真正賢者様ともいつか会えると信じて待っております」
肩を落としながら左右に首を振り、気丈に顔をあげ、オスカーは笑った。
フロリアンは少年と別れ、小神殿へと戻った。
また四半期が過ぎ、大神殿に四季の祭礼への言辞奉納へ赴くと、フロリアンは神殿長に呼ばれた。
オスカーが真正賢者に会いたがっているということは神殿中に知られており、それがどこからかもれたのか知らないが、王の耳にも入ったのだった。
その王から、生涯神殿暮らしになる哀れな落胤の希望を叶えてあげられないものかと神殿長へ内密な相談があったのだ。
その場は、「真正賢者の許しがなければお答えしかねるため一度持ちかえさせていただきます」とフロリアンはやり過ごした。
神殿長からの手紙を受け取り、フロリアンは小神殿に戻った。
さらに四半期が過ぎた。
四季の祭礼への言辞奉納を終えると、フロリアンはオスカーとの面談を希望した。
大神殿を包む大気がざわめいた。
それは真正賢者が小神殿に入って以降、初めての外部者との接触である。神殿長でさえ、望んでも叶えられない夢であった。
オスカーは喜び勇んでフロリアンの元へやってきた。
面談室の応接セットで二人は向き合う。
「フロリアン様、この度はお計らい、ありがとうございます」
「いいえ。神殿長の手紙や王の意向もありますが、オスカー様の境遇に導師も同情なされたのです。悩まれておりましたが、一度、小一時間程度ならと許可なされました」
「ありがとうございます。ありがとうございます。夢がこんなに早く叶うとはおもいませんでした。
フロリアン様、心よりありがとうございます」
「ただし、一つだけ条件があります」
「条件とは」
「大神殿より小神殿のふもとに来られた時に、赤い丸薬を一つ、私の目の前で飲んでいただきたいのです」
フロリアンはオスカーに真っ赤な丸薬が入った小瓶を見せた。