閑話 男爵令嬢の想い 3
キャシー視点、ラストです。
「……グリットさんは、貴族になりたいと思った事、ありませんか?」
精一杯の勇気を込めた私の問いかけに、グリットさんの表情は、ただ驚きの一色で染まる。
「あ、いや……俺なんかが、叙爵されるような活躍ができるなんて、とても……」
「いえ、もっと簡単な方法です。あたしと結婚すれば、貴族になれます」
「は!? ……あ、いえ……」
今度は驚き6割、困惑4割といったところかな?
突然結婚なんて持ち出して、困らせるに決まっている。申し訳ないとは思うけれど、あたしにも事情がある。
あたしには兄と、少し年の離れた妹がいる。
昔から本を読むか、魔道具を分解するかと遊んでいたあたしは、領地経営の勉強からも、淑女教育からも逃げてきた。
だから、ずっと前にウォルフ家の後継者候補から外れた。
そんな事情で、あたしの家での扱いはあまり良くない。貴族令嬢として家に居るだけで、お金がかかる。学院に行く前に籍を抜く話もあった。興味のある分野についてのみ、勉強は優秀だったから、何か領地の為になる知識を得て来いと、学院に通う事は何とか許された。
次期当主候補は兄で、万一の場合には妹が婿を取って家を継ぐと、ずっと前から決まっていた。
―――その、筈だった。
状況が大きく変わったのは、去年の秋。
考え無しのあたしが、レティ様とのつながりを作ってしまった。
すぐに手紙で知らせたけれど、最初は信じてもらえなかった。出来損ないの長女が、また訳の分からない事を言っていると流された。
けれど実際に研究室に出入りしているものだから、その噂は領地まで伝わった。あたしの手紙から1ヶ月遅れて知った両親は、慌てて飛んできた。ニュースナカへの遠征直前、散々問い詰められた。
ウォルフ男爵家のような、派閥争いからも干された矮小貴族が、ノースマークの御令嬢と友誼を結ぶなんて、本来あり得ない事が起きた。
この影響は大きい。
周辺貴族はノースマーク派閥入りしたものと見做すし、侯爵家への便宜を求めて擦り寄ってくる家も増える。これまでは足元を見られる側だった我が家が、優位に立って交渉できるだけの立場を得た。
しかも、レティ様本人が活躍を続けているものだから、恩恵は止まるところを知らない。
ただし、あたしとレティ様の個人的なつながりだから、兄も妹も代わりにならない。絶対にこの機会を逃さない為、あたしが次期当主の最有力候補に繰り上がった。その方面の才能が無いとか、教育が足りていないとか、何の問題にもならない。実務を任せられる補佐を置けばいい。
「あたし、貴族として、レティ様と研究を続けたいんです」
貴族の立場を失ったとしても、レティ様達との友情は変わらないって事くらい信じられる。
でも、貴族かどうかで、やれる事の幅が変わる。人を動かせる権力がある。実験に提供できる領地がある。少しでもレティ様の力になりたいと思うなら、今の立場を失ってはいけない。
例えレティ様が領地に帰るとしても、あたしが当主でいるなら、家同士の共同研究として、つながりは続く。研究職員として、ノースマークまでついて行くつもりのマーシャとは、別の道を進みたい。
「それに、あたし、ウォルフ領も好きなんです。田舎で、何もないところですけど、その分肩を寄せ合って絆が深くて、困難には領民一丸となれる……そんなところが」
元々、ウォルフ家を離れたとしても、ウォルフ領の為に働きたいと思っていた。出来損ないのあたしでも、男爵家のお嬢様として接してくれる皆に、あたしが何を返せるか知ろうと、学院に来た。ビーゲール商会みたいな大物は無理でも、興味つながりで魔道具を扱う商会とか誘致できないか、なんて考えていた。
それが、レティ様の技術であの土地を豊かにできるかもって状況になったら、当主の責任を負う事も、今から領地経営について学び直す事も、迷わなかった。そう決意して授業を増やしたあたしより、レティ様の方が忙しそうな訳だから、怯んでなんていられない。
突然、立場を失う形となった兄との折り合いは、少し悪いけれど。
「あたしは将来、男爵籍から離れるものとして、生きてきました。でも、レティ様と出会って欲が出てしまいました。魔道具に携わる仕事に就くだけでは、満足できません。新しい魔道具を作る場所に居たいんです」
「……俺も、スカーレット様に希望を見せてもらいましたから、気持ちは何となく分かります。しかし、そこに……その、結婚は、どう繋がるんでしょう?」
「家を継ぐことは、家を未来に繋げる事でもありますから、結婚は必須なんです」
「そ、そうだとしても、普通は貴族の中から相手を見つけるものじゃないんですかい?」
「結婚は当人だけでなく、家同士のつながりです。そのつながりが、レティ様に不利益をもたらすものであってはいけないんです」
開発に噛ませろと言われても、応じられるかどうか分からない。むしろ、甘い汁だけ求められそうだけれど、そんな都合の良い話は無い。聖女の名前を利用して、他からお金を巻き上げようとか、論外。
冗談みたいに、甘やかされて当然と考える貴族は、この国に多い。
「だから、貴族でない方があたしにとって都合がいいんです。国の為に尽くせる方を婿として招いたと言えば、反発する人はいません。あたしの家くらいの下級貴族では、珍しくない話ですから。高位の冒険者ってだけで問題ないですし、レティ様の専属となったグリットさん達なら、すぐに実績を重ねるでしょうし」
「それなら―――あ、いえ、何でもありません」
じっと見つめるあたしに気付いて、多分、グリットさんは続く言葉を飲み込んでくれた。
それなら、自分でなくても構わない筈―――
そう言われてしまっても、仕方ないくらいの事を、あたしは彼に求めている。
父、ウォルフ男爵から、家を継ぐ条件を言い渡された時、あたしは途方に暮れた。
当主に配偶者が必要なんて、当たり前。
でも、あたしは結婚なんて考えた事もない。ひとまず婚約でいいから相手を見つけろとは言われたけれど、条件が緩んだ気はしなかった。
学院で既に2年。
年頃の男の子と顔を会わせても、ピンと来た事がない。
貴族でいたいなら、在学中に嫁入り先を見つけろと父に言われた時も、諦める選択肢へ、あたしの針はあっさり振れていた。
必要になったからと言って、今になって見つけられるとは思えなかった。レティ様に迷惑をかけられないって前提があるから尚更に。
いい考えは浮かばないままニュースナカへ実験に向かったあたしは、盗賊4人をひと太刀で斬り捨てたグリットさんを見て、これだ!! と心の中で叫んでいた。
あたしの恋は、半分打算で出来ている。
貴族とのつながりが薄い、レティ様にも気に入られた高位の冒険者。今のあたしにはとても都合がいい。
グリットさんの活躍を見た時に感じた胸の高鳴りも、嘘ではないけれど。
あたしと結婚してくれれば、貴族一員として認められる。
提示できる利点は、たったこれだけ。
既にレティとのつながりは自力で掴んでいるし、少しばかりの名声が手に入るだけで、財産だって大した事ない。
女性として、売り込むほどの魅力も持っていない。
これまで話を聞いた限り、グリットさんが貴族の生活に憧れる様子はない。レティの家なんて別格を知ってしまったからか、別の世界の出来事くらいに捉えている節がある。
彼にもっと出世欲や自己顕示欲があるなら、交渉材料として活用できたかもしれない。話に飛びついてもらえたかもしれない。
そうだったとして、同じように今日を迎えられたかは別だけれども。
「冒険者は、将来が不透明と聞いています。考えたくはありませんけど、怪我で引退する場合もあれば、活動時期が若い間に限定されるとも。ですから、将来の可能性の一つとして考えてもらえませんか?」
あたしにできるのは、条件を示す事だけ。
好きだとか。
愛していますとか。
情に訴える事はできない。
だって、想いの半分は決して言えないから。
「勿論、今すぐだなんて言いません。正式な婚約じゃなくても、約束さえしてもらえるなら、冒険者を続けてもらっても構いません。あたしが行き遅れるなんて、気にしなくていいです。あたしとしても、グリットさんには長く活躍していてほしいですし」
「その……念の為聞かせてもらいたいんですが、俺が断ったなら、どうされるおつもりですか?」
実は何も考えていない。
誰でもいいとは思えないので、困ってしまう。
「はっきりしているのは、家を継ぐ事を諦めないってだけです。……もしかしたら、兄と結婚するかもしれません」
「え!?」
最終手段を口にしたら、絶句されてしまった。
「いえ、あたしの家みたいな結婚するだけの価値を見出してもらえない貴族では、よくある話なんですよ。書類上、配偶者側を他家の養子に出してから、結婚するんです。子供も養子を探します。貴族が一番大事なのは、家を存続させる事ですから」
身近では、祖父の代がそれにあたる。祖母とは姉弟だったらしい。
他にも、書類上だけの叔母もいる。
今の兄には婚約者がいるけれど、あたしと妹が候補だった時期もある。
ほんの一例のつもりだったけれど、グリットさんの眉間に、深い皺が刻まれてしまった。理解し難い貴族の因習を知って、引かれてしまったかな?
貴族に対する悪い印象を与えてしまったかもしれない。
「当主の役目はあたしが務めますから、グリットさんには好きな役職を用意します。騎士団の監督役になってくれても構いませんし、領地でならギルド長を任せても良いです。冒険者を続けたままでも構いません。名目上だけの役職だって用意できます」
「……俺に都合の良い条件ばかり並べてませんか?」
「そんな事ないですよ?」
私の我儘を叶えてくれるなら、ちょっと職権を乱用するくらい、何でもないです。
「……もし、将来を約束した女性がいるなら、別邸だって、用意、します、よ……」
きっと、あたしが近付かない場所になるでしょうけれど。
「あー! 分かりました! キャスリーン様の覚悟は分かりましたから、俺を何が何でも懐柔しようとしないでください!」
何でも、なんてできない。
あたしが持っているものは限られるから、彼が頷いてくれそうな条件を示すだけ。
「あたしとの結婚、考えて、もらえますか?」
問いかけながら、心臓が跳ねる。
答えを聞いてしまうのは怖い。
私から動かなければ、何も始まらないと知っていたけれど、分が悪い事も理解していた。
応と言ってもらえなければ、この想いはここで終わってしまう。
「……時間を、もらえませんか?」
え?
「情けないとは自覚してますが、貴族になるかもだなんて、考えた事もありませんし、すぐに答えが出せません。キャスリーン様の心構えは伝わりましたから、受け入れる為の時間をください。……あ、いえ、良い返事をできるとは、約束できませんが……」
応か、否か、答えは二種類しかないと思っていた。
「……可能性があるかもって、思っていいんですか?」
「それは、現時点では何とも言えません。ただ、レティ様を見て、キャスリーン様を知って、貴族のお嬢様ってのは、子供扱いできないんだって知りました。……だから、貴族についてもっと知る時間を、真剣に考える時間をください」
「あたし、はっきり断ってくれるまで、諦めたりしませんよ?」
「……はい」
「時間を引き延ばしたからって、忘れたりしませんよ?」
「はい」
「待っている間、こうして誘ったら、また来てくれますか?」
「え、ええ」
「レティ様達は応援してくれてますから、あんまり長引かせると断り難くなりますよ?」
「それは……まあ、仕方ないです」
「答えが決まったら、グリットさんの方から誘ってくれますか?」
「はい、約束します」
保留を狡いとは思わない。
曖昧な時間も悪くない。
その間、彼があたしの事を考えてくれるなら、それは幸せな時間だと思う。
「あー、確か、学院には夏に長期の休みがありましたよね?」
「? ええ、まだ先の話ですし、研究室の予定はレティ様次第ですから、どう過ごすか決まってませんけど。でも多分、報告もありますし、一度は実家に帰ると思います」
「その時、その、良かったらでいいんですが、領地を案内してもらえませんか?」
「え?」
「いや、キャスリーン様が好きだという領地を、見てみたいと思いました。あ、でも、仕事のついでになると思いますから、余計なのもくっ付いてきますが……」
グリットさんは真横を向いて、視線を合わせようとはしてくれないけれど、代わりに真っ赤になった耳は見えている。
「はい、喜んで! 領地には温泉地もありますから、レティ様もご一緒するかもしれませんし、そしたら護衛をお願いしますね」
あたしの想いが、最良の形で叶う事はなかった。
その代わり、次に繋がる約束は貰えた。
うん、やっぱり悪くない。
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