閑話 いなくなったスライムと可能性の話
門の前で思った通り、屋敷の中は世界が違った。
塵一つ落ちてないし、踏んでいいのか不安になるくらい綺麗な絨毯が敷いてある。俺には新品にしか見えなかった。メイドには何も言われなかったけれど、外で靴を磨いてきた方が良かったかもしれない。
あれの維持費だけで、間違いなく今回の俺達の報酬が飛ぶ。
冒険者ランクが上がって、昔と比べれば随分いい暮らしをしているつもりだったが、比べてはいけない。贅沢の極みのようだったニュースナカでの暮らしとすら比較にならない。
「貴族って、凄いんスね……」
思わずと言った様子で零れたグラーの言葉に全力で同意する。
あと、あんまり凄過ぎると羨ましいなんて思えないのだと知った。こんなところでは息が詰まって生活できない。
考えてみると、スカーレット様の柔らかな所作、あの歳で新しいものを生み出せる知識、的確に人を動かせる経験など、どう考えても一朝一夕で身に付くものじゃない。俺達の知るような、子供らしい幼少期なんて無かったんだろう。
自分と仲間の事くらい考えてれば済む、冒険者暮らしの方が俺には合ってるな。
「皆さん、長きに渡ってお疲れ様です。おかげさまで、興味深い結果が得られました。今後の研究も進みそうです。ありがとうございました」
世話になったら誰であっても礼を言うのが当たり前、なんて貴族らしからぬ事を考えてそうなスカーレット様が笑顔で迎えてくれる。角度を測ったみたいに綺麗な礼は、身分をきちんと意識したものだったが、嘘のなさそうな感謝が胸をほっこりさせてくれる。
帰ってみたら聖女なんて呼ばれるようになっていて驚いたが、知っていた通りのスカーレット様らしい。何でもないように新しいポーションを支給してくれたみたいに、研究成果を惜しみなく披露するなら、そんなふうに呼ばれるのも分かる気がする。
今回の呼び出しは、労いと、報告内容の細部を確認する為だったらしい。
お茶でも飲みながらゆっくり話しましょうと、お伽話に出てくるような庭園に案内してくれた。妖精が暮らす常春の楽園がこんな感じだと思う。
勿論、緊張がほぐれたりしない。
豪華な食事を期待していたグラーはあからさまにがっかりしているが、昼を大きく回った時間を考えると、そんなものが出てくる訳がない。
もっとも、紅茶なんて洒落たものは口にした事がない。薬や酒以外の飲み物に金をかけようなんて思わない。
だが、出されたものに口を付けないのも悪い気がして、一杯だけは飲み干そうと決める。
「旨っ!」
気が付くと感想を叫んでいた。
仲間達の視線が痛い。
「そんなに美味しいんスか? ―――こりゃ凄いっス!」
「……これは、至福」
「あぁ……、こりゃスゲーな。砂糖も入れてないのに、甘いんだな」
「こんなの知っちゃったら、他で飲めないわね!」
興味を持って後に続いたパーティーメンバー共が騒ぎ出す。
甘いものを食べに行った際、懐に余裕があったら頼むと言っていたヴァイオレットも初体験のレベルだったらしい。
「あー、俺が悪かった。恥ずかしいから、静かに楽しんでくれ」
「ふふふ、構いませんよ。お代わりもありますから、遠慮なさらないでくださいね。私のフランは、お茶を淹れるのがとっても上手なんですよ」
従者の腕を、自分の事みたいに誇らしく語るスカーレット様が眩しい。
全員の興奮が冷めるのを待ってから、報告会を再開した。菓子をがっついているグラーの馬鹿は視界に入れない。
「報告書は全て確認させてもらいましたが、いくつか確認させてください。強力な魔物との接触は最初のひと月だけだったんですよね」
「ええ、以前に少し話しましたロックパイソン、それから火吹き蜥蜴、複眼狼、刃角鹿あたりを見たのは初期だけです。3ヶ月が過ぎると、ゴブリンも見なくなりました」
「魔物ではなく、動物の様子に変化はありましたか?」
「……気が付いた範囲では、なかったと思います。猪や鹿、狸なんかはずっと見かけました。索敵を任せてるヴァイオレットは熊にも気付いたそうです」
あんまり魔物を見かけないものだから、村への土産に猪を狩っていたから間違いない。
「では、スライムはどうでしょう?」
「スライム、ですか……」
魔物には違いないが、無害なので気に留めていなかった。
「……言われてみれば、真っ先に居なくなったような気がします。一週間くらいした頃に、どこかしらで見かける筈のスライムが視界に入らなくて、珍しく思ったのを覚えてます」
「やっぱり……そうでしたか」
うちの索敵役は随分細かいところまで気を付けてくれていたらしい。おかげで報告に不備が出ないで済んだ。
それより、スカーレット様がその結果を見込んでいたようなのが気にかかる。
「スライムに、何かあるんですかい?」
問いかけにおっとりと首を傾げたスカーレット様は、まだ仮説ですけどと、前置いてから話してくれた。
「食物連鎖ってご存知ですか?」
「え……と、牛なんかは草を食べて、狼や熊はその牛を喰う、みたいな関係の事でしたっけ?」
なんとなくうろ覚えで恥ずかしい。
「はい、概ねその解釈で構いません。魔物という例外がいるので分かりにくいですが、基本的に自然界では、より小さく弱い生物は捕食対象になります。魔物は法則が異なるので多少歪ですが、強力な個体は含有魔力の多い獲物を狙いますから、似た関係性が構築されています。その枠内で、最も弱い種がスライムだという事は、専門家の皆さんの方が御存知だと思います」
まあ、駆け出しの子供なんかは、虫型の魔物を見分ける為に、スライムを捕食するかどうかで判断するくらいだからな。少し大きい鋏虫なんかでも、魔物でなければ、逆にスライムに喰われる対象になる。無駄に解体して、魔石がない、なんて事にならない為の知恵ってやつだ。
「皆さんがニュースナカで実験を進めてくださっている間に、私達はそのスライムについて少し調べました」
スライムで治療したとか、よく分からない噂の元はこれらしい。
「その結果、食物連鎖の最下層にいるスライムは、魔素を取り込んで身体を維持していると分かりました。虫や小動物の捕食も、その一環と考えています。けれど、魔物でない生物の含有魔力は多くありませんから、あらゆる場所を這って、地面や木々の表面に付着した魔素を集めているのだと思います」
つまり、何処にでもいる生態が、魔素を取り込む為の行動だった訳だ。
「私達の作った装置は周辺の魔素を吸収します。その結果、スライムにとって生活しにくい環境になるのではないでしょうか? 虫などを求めてその場所に留まるより、移動してしまった方が生きやすいのでしょう」
「スライムが真っ先に移動するって訳ですかい。……って事は、スライムを餌にしている小型の魔物はそれに続きますよね。そいつ等に釣られて、徐々に強力な魔物も流れていた、と……」
「その辺りはまだはっきり言えませんね。皆さんが巡回していましたから、それを避けて住処を移した可能性が否定できません。理由は何であれ、移動してしまえば、装置の有効範囲外は豊富な餌場の訳ですから」
あー、それで接敵した対象以外は無暗に狩らないよう言われてた訳か。
「後は、ゴブリンが最後まで残っていた点が気になりますね。ロックパイソンみたいにゴブリンをひと飲みできる強力な魔物なら、ゴブリンの巣があるだけで居付く理由として十分かもしれません」
「確かに、繁殖力の高いゴブリンは、多くの魔物が捕食する対象ですからね」
「しかもあいつ等、雑食でしょう? 鹿とか猪とか狩ってるだけでも生活できちゃうんじゃない?」
魔物や人間みたいな、豊富な魔力を持つ生物を主な捕食対象とする典型的な性質から、ゴブリンは外れているからな。魔物や動物肉に加えて、木の根や皮なんかも喰う。人里近くの群れは、畑を荒らしたりもすると聞く。
「それにゴブリンは社会性を持つ魔物です。拠点を移すリスクより、獲物を求めて活動範囲を広げる事を選ぶかもしれません。今回は最終的にいなくなったからと言って、次も同じ結果が得られるかどうかは、判断に迷うところです」
ふむ、個体としてあまり強力じゃないゴブリンは、他の魔物が減る事で却って居付きやすくなるかもしれない。人間の村の近くにわざわざ巣を作る事も珍しくないしな。
俺等にとっては雑魚だが、高位の魔物より人間の方が御しやすいと考えるあたり、厄介な奴等だ。
「でも、魔物が住みにくい環境を作れそうと分かっただけで、大きな成果です。今すぐは難しいですが、魔導変換器の吸収範囲を拡大できたなら、森の浅部に沿う形で装置を並べて、魔物の生息域を狭める事もできるかもしれません」
「「「「―――!」」」」
「……魔物、減らせる?」
「すぐに結果に繋がるとは思いませんが、生息範囲が狭くなれば、徐々にその数も減るのではないでしょうか?」
「そう、か。……多少強力な個体が残ったとしても、俺達みたいな冒険者が、蹴散らしてやりゃーいい! そしたら、その近くの町や村は安全になるかも、なんだよな?」
「ゴブリンくらいなら、ある程度の冒険者で対応できるわ。そしたら、ニュースナカみたいな村でも、安全に森へ入れるかもしれない。動物を狩っても良いし、山菜を採ってもいい。今よりずっと豊かになるかも!」
「それ、すげぇ事なんじゃないっスか!?」
指示通りに仕事をしただけのつもりだった。
それが、こんな大きな可能性に繋がるのか?
常識を揺るがしているみたいで、ワクワクが止められない。
ところで、グラーの馬鹿、お代わり自由と言われたからって、既に5皿目だ。しかも、大盛りで、なんてほざいてやがる。
「今はまだ可能性です。その為に皆さんの力を貸してほしいと思っています。でも、慌てずに一歩ずつ進めましょう。あんまり急いで魔物領域を狭めると、強力過ぎる個体を生み出してしまうかもしれません。食べるのに困った魔物達が溢れ出てしまうかもしれません」
森や山から狂乱した魔物が溢れ出る現象、魔物の暴走の可能性を聞いて、少し頭が冷えた。歴史に語られる中には、領地一つ消えてしまった例もある。
人為的な原因でそれを引き起こすなんて、あっちゃいけない。
うん、専門家より先に危険性も考えてくれるスカーレット様に従った方が、結果にも近そうだな。
「研究室の仲間達にも相談しますし、皆さんの意見を訊く事もあると思います。今後も協力していただけますか?」
「勿論です。俺の方からも、お願いします」
「どこまでだって、ついて行くっス!」
「是非、お手伝いさせてください」
「……俺達、頑張る」
「そーいう事なら、なんでもやりますよ!」
全員がやる気いっぱいで応える。
今更この人に報酬面で不安を抱いたりしない。その上で遣り甲斐を与えてくれる仕事を、逃すなんて無いよな。
俺達の返事に満足したスカーレット様は、研究室の正式な協力者として登録する書類を出してくれた。手続きを取っておけば、いつでも研究室に出入りしていいらしい。
俺達なんかが王立学院の建屋に入っていいものか、不安にも思ったが、スカーレット様が思い付いた端から新しい事を始めているので、既に協力者は綯い交ぜ状態だと笑っていた。
「ところで、グラーさん?」
正式に契約を交わして、全員興奮している。
無暗に口外できない事も増えるから、魔導契約にもサインしたが、そのくらいは何でもない。うっかりで口を滑らす事がない分、安心できるってもんだ。
で、ご機嫌で菓子を頬張るグラーに、スカーレット様が困った様子で声を掛けた。
「お茶とお菓子を気に入っていただけたのは嬉しいのですが、この後の夕食、まだ入りますか?」
「!!!」
この時のグラーの顔は見物だった。
烏木の牙はスカーレット様の専属に決まったんだから、これを教訓に、慎みってものを身に付けてもらうべきだな。
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