閑話 俺は何も悪くない
トリス・ドライア伯爵令息視点です。
「侯爵令嬢への侮辱に、冤罪転嫁、虚偽証言、いくらでも罪状が挙げられそうですね。ただで済むとは思わない事です。叩けばいくらでも余罪が出てきそうですからね、きちんと手続きを踏んだ上で拘束して、洗いざらい吐いてもらうとしましょう」
アノイアス様の言葉が、斬首の刃が落ちる音に聞こえた。
訳が分からない。
何故、俺が殿下から、こんなに冷たい視線を向けられなければならないのだ?
全く理解できない。
確かに、今回俺は失敗した。
忌々しい女の罠に、まんまと嵌まってしまったらしい。
だが、それだけだ。
俺の計画は完璧だった。
王子だとおだてられている馬鹿に、導師などと祭り上げられている馬鹿に、俺をあんな女に売った馬鹿に、足を引っ張られたりしなければ上手くいっていた筈だ。
特に、俺の言った事を実行できなかった無能は許し難い。
あさましく今の地位にしがみつく5塔の2人を睨みつける。こいつらのせいで、俺がアノイアス様の前で恥をかく事になったのだ。
「愚図共が。俺が塔長になった後、貴様らの居場所が魔塔にあると思うなよ」
少し脅してやれば、恐れて謝ってくると思ったが、冷たい視線が返って来ただけだった。
なんだ?
何故、貴様等まで俺をそんな目で見る?
まさか、女だけでなく、こいつ等までノースマークに取り入ったのか? あり得ない、こんな無能をあの侯爵が受け入れる訳がない。せいぜい、忌々しい女に適当に使われているだけだろう。
ムカつくあの顔を、原形が残らないくらい殴ってやれば、少しはこの気分も晴れるだろうが、アノイアス殿下の前では叶わない。
発散できない分、余計に苛立ちが募る。
だと言うのに、最も忌々しい女が口を開きやがった。
「先程から不思議だったのですが、この方が第5塔長になると言うお話は、何処から出たのでしょうか?」
声を聞くだけで胸がムカムカする。
できる事ならこの場で組み敷いて、泣かせてやりたい。
何が気になるのか知らないが、貴様には関係のない事だろうが。
「確かに、採用試験の前から人事が決まっているなどあり得ませんね。導師、どういう事でしょう?」
「あ、いえ、それは……、正式に決まっている訳ではなく、……その、そうなるかも、知れないと言った話で、決して確定しているのではないのだ」
な!?
この馬鹿、殿下に睨まれたからと言って、あっさり掌を返しやがった。
「ふざけるなよ、爺!! 貴様にいくら注ぎ込んだと思っている? 今更取り消すなど、許されると思うな!」
胸ぐらを掴んで吊り上げてやろうと思ったが、騎士に取り押さえられてしまった。あの女の拘束は拒否したくせに、俺だけ阻みやがる。
暴れたが、強化を使える騎士なのか、全く動じなかった。
屈辱で頭が煮える。
だが、その顔は覚えた。平民に毛の生えた程度の身分のくせに、俺の思い通りに動かないような奴は、この城に居られなくしてやる。
だが、アノイアス殿下だけは、俺を見捨てないでくれるようだった。
「それでは、金銭を支払ったという証拠はあるのですか?」
「は、はい! 勿論です。言い逃れできないよう、しっかり記録してます」
「ほう…。ところで、契約無効化の薬を使うと決めたのは君ですか?」
ああ、計画は失敗こそしたが、殿下はその肝をきちんと分かってくれている。
そうだ、足手まといさえいなければ、俺は優秀なんだ。この機会に、それを知ってもらえばいい。
この場で側近に召し上げてもらえたなら、忌々しい女と立場が逆転する。何なら、研究成果を全て差し出すよう命じてもらえばいい。
「ええ、俺です! あの薬を使えば、この女に煮え湯を飲ませてやれると思ったんです。前回の導師選考の後、献金の礼に来た爺が、薬を使って対抗者を蹴落としたと、自慢げに話していたのを覚えていたんです」
「……なるほど、興味深い話ですね。それで、薬は導師に作らせたのですか?」
「はい。この女への襲撃も、研究室への侵入も、腹立たしい事に対策を取られて失敗したので、薬を使って思い知らせてやろうと思いました。薬を要求した時、少し渋られたけど、この爺が金を積まれて首を振らない訳がない。高くついたが、魔塔の席も用意させましたし、何でもありません」
「随分気前よく金を使うのですね。ドライア伯爵家は、そんなに羽振りが良かったでしょうか?」
「親父は、魔塔から流させた技術のいくつかを金に換えてますし、実態のない大規模実験を領地で行うよう手続きさせて、国から資金を引き出してるので。俺も、秘匿資料を商人共に売ってますから、資金には困りません」
金なんてものは、賢く立ち回ればいくらでも入ってくるからな。
「そう、ですか。では、ノースマーク令嬢を罠にかけようと計画したのは、君が主体となった事ですね」
「はい! ノースマークの技術を魔塔の成果にすればいいと言ってやったら、簡単に釣れましたよ。商人共にも同じ事を言って、金を出させました」
「その商会とのやり取りも記録を?」
「ええ、後で白を切られないよう、きちんと記録してあります」
「そうですか。素直に話してくれたおかげで、概要がはっきりしました。裏を取るのが楽で助かります」
よく分からないが、殿下の役に立ったらしい。
これは、相当気に入られたと思って間違いないな。
「観覧者含めて証人は多くいますし、自白を確認できたとしていいでしょう。―――拘束しなさい」
最後だけ、冷たく告げた殿下に応えて、騎士共が素早く動き、その腕で俺をギリギリと締め上げる。
「な、何故……?」
どうしてこんな目に遭わなくてはいけない?
先程まで、面白そうに話を聞いていた殿下とは思えないくらい、酷薄な視線が俺に向いている。
「何故、ですか。それが分からないほど、君が愚かだからでしょう」
え?
愚かと言ったか?
まさか、俺が?
「自らの不正を、公の場で堂々と語ってくれる者がいるとは思いませんでした。賄賂の授受に、領地ぐるみの虚偽申告、実に許し難い。そもそも、まるで功績のように語っていましたが、契約無効化薬、封印指定技術の悪用は、極刑にもなり得る背反行為だと知らなかったのですか?」
何を言っている?
知らない。そんな事、知る筈がない。導師は何も言っていなかった。
「無理もありません、殿下」
聞くだけで腹立たしい声がする。
黙れ!
これ以上、俺を苛立たせるな。
「何しろこの方、学院を卒業できる見込みがありませんから」
は!?
え?
何を、言って?
「少し調べただけで分かりましたが、この人、必修科目をほとんど履修していません」
「い、いや、そんな筈はない! 教師共にはしっかり金を握らせた。単位は全て買い揃えてある!」
「ああ、得心がいきました。それで貴女は疑問を呈したのですね。確かに、毎年いるのですよ。甘やかされて育って、学院でも金と身分で何とかなると思っている者達が。もっとも、あそこはそういった者を排除する、最低限の篩でもありますから、条件を満たさず卒業はあり得ませんがね」
そんな話は知らない。
俺が卒業できない? 貴族として最低限を満たせない?
「違う! 違う! 違う! 違うっ!! そんな事、ある筈がない。金で単位を買ったのはお前も同じだろうが! そうでなければ、講師資格など取れるはずが―――」
ガツン、と。
頬に、強い衝撃を受けた。
それが、アノイアス殿下に殴られたのだと気付くのには、しばらく時間が掛かった。
「どう、して?」
「それ以上の学院への侮辱は、私を侮辱するものと見做します」
ひいっ
睨まれている。
あのアノイアス殿下に、睨まれている。
敵を見る目だ。
あれは、己の敵対者を見る目だ。
敵対者には決して容赦しないと噂されるアノイアス殿下に、睨まれている。
そうだった。
この方も、在学中、講師資格を取られたのだった。
いや、そんなつもりは無かったのです。
「揶揄うと面白いように墓穴を掘るからと、少し遊んでみましたが、これ以上は不愉快ですね。近衛達、この馬鹿を勾留しておきなさい」
「「はっ!」」
馬鹿?
この俺を馬鹿と言ったのか?
殿下が、俺を、馬鹿と?
あり得ない。
「あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ないっ!! うわあぁぁぁぁーーーーーー!!!!!」
絶叫と共に、激しく発光する。
意識した訳ではなかったが、精神状態から魔力が暴走して、強い光を発した。
「―――!」
その一瞬、光に怯んだ騎士の締め付けが、僅かに緩んだ。
咄嗟に、自分でも驚くほどの力で拘束を振りほどき、その場を駆け出す。
はっきりした。
アノイアス殿下も、俺を認める事はない。
何が実力主義だ、何が結果主義だ。回復薬に釣られて、忌々しい女を持て囃すだけの間抜けではないか。あの男も、俺の主などではなかった。
この場に居てはいけない。
俺に全ての醜聞を擦り付けて、自分達の不正など無かったことにするつもりだろう。あんな奴らに捕まる訳にはいかない。
この場を離れて姿を消してしまえば、誰も俺を捕えられない。
そもそも、どうして俺が拘束されなくちゃいけない。
だから、走った。
走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。走った。
城を出て、空中球池を通り、学院の敷地を抜け、貴族街を駆け―――そして、何処へ?
俺は、何処へ行けばいい?
学院の寮?
すぐに追手がかかるに決まってる。
王都邸?
同じだ。既に騎士が向かっているかもしれない。家人達は喜んで俺を売るだろう。
領地?
あり得ない。あの保身しか頭にない親父達が、匿ってくれる筈がない。要請を受けた時点で、あっさり差し出されるだろう。むしろ、あいつ等の不正まで擦り付けられかねない。
なら―――どこに?
何も、無い。
信じられるものなど、無い。
行くところなど、残っていない。
気が付くと、当てもなく歩いていた。走る気力も残っていない。
だが、奴らに捕まるなど御免だ。
足は止めない。
ふと、河が見える。
いつの間にか、王都の端まで来ていたらしい。
よくよく考えてみると、人目に付くのも良くない。
小銭を提示されれば、平民など節操なく目撃情報を喋るだろう。
「あそこにでも、入ってみるか」
特に根拠があった訳ではない。
ただ、目についた倉庫のようなものが、人目が無くて都合よく思えただけだ。
魔法で姿を消す事はできるが、疲労が限界だった。ひとまず休まなければ、満足に魔法も使えそうにない。
落ち着いて考えれば、俺の言いなりになる奴はまだいる筈だ。
俺を拘束する?
そんな事、許されるものか。
第2王子が何だ、所詮は黒髪の王族もどきだ。
奴が駄目なら、王に取り入ればいい。
そうだ、20年近く国を従えてきた王なら、俺を正当に評価できる筈だ。
「そうなると、どうやって王に接触するか、だな」
問題は王は城から出てくる事がほぼないと言う事だ。機会が作れなければ、名案も空論で終わる。
城の中は、第2王子の息のかかった奴らで溢れているだろう。もしかしたら、第3王子まで、利用された事に気付いて同調しているかもしれない。
その警戒網をかいくぐって王のもとに辿り着かなければならない。
「適当な職員に金を握らせて―――」
そこまで考えて、何も持っていない事を思い出した。金は、寮か王都邸に戻らないと用意できない。
「くそっ! くそっ! くそっ! くそっ! くそっ……」
苛立ちのままに、周囲の棚を蹴る。
何を積んでいるのかは知らないが、物を倒したくらいでは、とても気が晴れそうにない。
いっその事、ここにあるがらくたを全て粉々にしてやろうか。
そう考えた瞬間―――
轟音が間近で聞こえた。
「……な、何、が……?」
声を出そうとして、掠れた音しか絞り出せず、俺が強い衝撃を受けて吹き飛ばされたのだと知った。
何が起こった?
身体は動かない。バラバラになったかと思うほど、全身が苦痛を訴えている。意識もチカチカして定まらない。
大き過ぎる音を聞いたせいか、さっきから耳は何も情報を拾おうとしない。キーンと雑音だけが鳴っている。
だが、まだ目は動く。
首は無理だが、眼球くらいは動かせる。
それに、さっきまで薄暗かった倉庫は、幸いにも、ゆらゆらと仄かな明かりが照らしている。
「あ―――」
僅かな光のおかげで、倉庫に陳列するものが分かって、言葉を失った。
聞いた事がある。
本来軍施設で管理している筈の花火が、民間業者の手で別の場所にこっそり保管されている、と。違法ではあるが、万が一のことを考えて水辺に一時待機させる倉庫を作るとか。
そんな場所で、火花が散るような衝撃を起こせばどうなるか、子供でも知っている。
必死で逃げようとするが、身体は動いてくれない。
明かりがあるなんて、とんでもない。1回目の爆発で、そこらの何かに引火しただけだ。この瞬間にも、次の爆発があっておかしくない。
どうして俺がこんな目に遭わなくちゃいけない?
俺はただ、苛つく女を泣かしてやりたかっただけだ。
なのに、何故俺は、こんなところにいるんだ?
「あ、待て、俺はまだ、死にたく―――」
次の轟音が響いた時、俺の視界は赤く染まった。
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