人体実験 2
音はここに居る全員に聞こえたみたい。
まあ、あれだけ大きな音だったからね。なんとなく、重い物が勢い良くぶつかる音、普通に聞くものじゃない。
何事か気になっている様子はあるんだけど、誰も動こうとはしない。
これは私達のせいだね。
貴族との会談中、席を立てる理由なんて、ほとんど存在しない。下手すると不敬罪となりかねないからね。
だから、私の方から助け舟を出してあげなきゃいけない。
「理事長、院長、話し合いの途中ですが、状況を確認しに行ってくださってもかまいませんよ。もしかしたら、患者さんに何かあったのかもしれません。せめて、緊急性の有無だけでも、確認なさってください」
「は、はい! ありがとうございます」
「し、失礼します!」
院長さんと、他何人かの医師が、慌てて部屋を出ていこうとする。
でも、扉を開けるとすぐそこに、報告に来たらしい看護師さんが控えていた。私達がいるから、部屋に入るのは躊躇っていたんだろうね。今も、この場で口を開いていいものか、判断しかねてる。
「構わん、緊急ならば、ここで報告してくれ」
私に確認を取ってから、理事長さんが許可を出して、看護師さんは漸く話し始めた。
「病院の敷地内で交通事故です。重傷者がいるのですが、車を所有されている貴族様が大変お怒りで、話を聞いていただけません。……その、事故を起こしたのは当病院の路面管理が悪かったからなので、せ、責任者を出せ、と」
敷地内であんな音がする事故が起きるってどういう状況だろうって思ってたら、貴族が話に出てきて納得してしまった。きっと、身分差を笠に着て無茶な運転させてたんだろうね。
貴族と聞いて、理事長さん達の顔も青い。
憲兵が来れば、話を聞いてくれるだろうけど、その前に散々脅されて、事実を捻じ曲げさせられてしまう可能性が高い。貴族側も、それを狙って責任者を呼んでるんだろうし。
「貴族と揉めているなら、私が立ち合いましょう。会議は一旦中断します。他の方も、重傷者を受け入れられるよう、準備をお願いします」
相手貴族が誰であっても、私が証言すれば、事実を覆せない。
理事長達は、あからさまにホッとした顔になった。これからお世話になるんだから、このくらいは力になるよ。
事故現場は私達の車が止めてある近くだった。
状況的に、侯爵家の車両を避けた結果、事故を起こしてしまったみたい。すぐそばの壁に突き刺さっているよ。
確かに、事故車両は貴族所有の豪華仕様で、家の紋章もしっかり入ってる。二つ団子の盾に丸模様、うん、きちんと確認したから、言い逃れなんてさせない。
車のそばでは、貴族らしい青年が、騎士を率いて病院関係者を脅している。
問題はその近く、病院関係者に介抱される女性と、血だまりに倒れて動かない5歳くらいの女の子がいた。
一刻の猶予もないみたい。
それに、貴族も、一切気を使ってあげる必要のない相手だね。
「オーレリア、問答無用で、騎士を制圧して。できる?」
「ええ、簡単です」
怪我人を放って騒ぐ青年を見て頭に来たのか、彼女の声は冷たい。
返事と同時に、オーレリアは私の隣から消えた。
本格的に強化魔法を習得した彼女の疾走は、視力強化に魔力を回していない今、目で追う事も難しい。
暴風が駆け抜けた。
そう表現するしかない。
8人の子爵騎士は、一斉に舞い上がって、折り重なるよう倒れた。間違いなく、何が起こったのか、理解できていない。
「な、何が!? くっ、な、何者だ! 俺を誰だと思って……」
「勿論、存じていますよ。意外なところでお会いしますね、アイディオ・ガーベイジ様」
突然の出来事に、怯えながらも強気を崩さない子爵令息の言葉尻を、私が掴まえる。
私が王都に着いた際、同じように事故を起こしたガーベイジ子爵の、その息子。自分達の方からぶつかっておいて、権力と暴力で黙らせようとする手口もそっくりで、まるで反省していないみたい。
「そう言えば、何度か顔を合わせていますが、名乗っていませんでしたね。スカーレット・ノースマークです」
礼なんかしないで、代わりに睨みつけてあげると、真っ青になった。ボソボソ名乗り返したみたいだけど、聞こえない。
そう言えば、私達との一件で、ガーベイジ家は車の新規購入ができなくなってる筈だけど、どういう事だろう?
少し気になったけど、今はそれどころじゃない。
オーレリアに、その件も締め上げるよう頼んで、被害者の方を確認する。
母親らしい女性には、私がバカ息子を抑えた間に医療スタッフが駆け寄って、応急処置を始めている。
「私はいい!! 私はいいから、あの子を、あの子を助けてあげてください! お願い! 私より、あの子を! お願いします……!」
母親の悲痛な叫びの通り、娘さんの処置は行われていない。
付いている医師は一人だけ。
カンバー先生が回復魔法をかけているけど、多分、それも助ける為じゃない。
素人の私から見ても、あまりに酷い。
専門家の皆さんは、一目で手の施しようがないと判断して、母親の処置を優先させたんだと思う。
カンバー先生の回復魔法も、きっと痛みを和らげる為だけのもの。先生のやりきれなさそうな顔が証明してる。
「……お願い、お願いします。……お願いですから……」
慟哭だけが辺りに響く。
多分、私が少し本気で回復魔法を使ったら、助ける事はできると思う。
でもその場合、この親子は貴族に助けられたという負債を負ってしまう。
貴族の善意だなんて、世間は信じない。きっと、様々な憶測が飛び交ってしまう。
隠されていた侯爵家の縁者なんじゃないか。
何か特別な献金をしたのではないか。
侯爵令嬢の弱みを握ったのではないか。
ある者は侯爵家とのつながりを狙って、ある者は親子の財産を狙って、ある者は自分もあやかろうと目論んで、多くの人達が親子と接触を望んで、生活を壊してしまう。もしかすると、命を狙われる事もあるかもしれない。
そう言った人の悪意からも守るなら、侯爵家に取り込むしかないけれど、不幸な人をそうやって助けていたらきりがない。だから一時の感情で動いてはいけないと教えられている。
それでも助けたいと願うなら、相応の建前が要る。
「お母さん」
確実に話が伝わるよう、私は膝を折って声をかける。
ほとんど錯乱状態のお母さんだったけれど、貴族に間近で話しかけられて、ビクリとたじろいだ。
対応を間違えると、娘さんもろとも無礼打ちもあり得るから無理もないけど、話を聞く体勢になってくれるなら、今は都合がいい。
「ここに、娘さんを助けられるかも、しれない薬があります」
「―――!」
ウォズから受け取った、回復薬の試供品を見せると、縋るような顔になった。
何か言おうとした医師もいたけれど、キャシー達がそっと黙らせた。意図を汲んでくれて、助かるよ。
「お、お願いします! お金なら払います。娘を助けてくれるなら、何でもします! ですから、薬を譲ってください!」
「落ち着いてください。薬を譲るのは構いません。けれど、その前に知っていただかなければならない事があります」
私は母親をなるべく興奮させないよう、言葉をゆっくり切りながら説明を続ける。
急いだ方がいいのは確かだけど、カンバー先生が回復魔法をかけてくれてるから、まだ少しは余裕がある。それなら、薬の問題点も知っておいてもらわないといけない。
何より、私が女の子を人体実験に使うんだって事、周囲に印象付けないといけない。
「この薬は、私が開発したばかりで、まだ動物実験しか行っていません。私は娘さんを助けられるだけの力があると期待していますが、その証明はできません。人に使うのは初めてですから、効果が無いかもしれません。むしろ毒になって、娘さんを余計に苦しめてしまうかもしれません。もし助かっても、強い副作用があるかもしれません」
それでも、この薬を望みますか?
私の問いに、お母さんは娘さんの方をちらりと見てから、はっきりと頷いた。
「お願いします、少しでも可能性があるなら、娘を助けてください」
「……分かりました」
私が女の子の方を振り返ると、少しでも薬を飲ませやすいよう、カンバー先生が口と喉へ重点的に回復魔法を使ってくれていた。
薬の投与もそのまま任せる。
動けない患者に薬を飲ませるなんて、素人には難易度高いからね。
この回復薬は特別製。
これまでの実験で、注ぎ込む魔力が多いほど、効果が高まる事が分かってる。魔法を使う側のイメージより、含有魔力量の方が大事と知って、効果を3段階に分ける事にしたのだけれど、その内訳を超えて魔力を込めたのがこの特級品。
平均的な成人魔力量の10倍はある。私を除けば、これに相当するだけの回復魔法を使える人なんていない。
だから、効果は劇的だった。
細かった呼吸はみるみる安定し、痛々しく歪んでいた手足も元に戻る。頬は赤みを取り戻して、誰の目にも危機を脱したのが分かった。
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