閑話 竜事変 1
異変の始まりは兵士からの報告だった。
突然竜種が現れた――と。
しかし、その時点でイーノック・アモントンは緊急事態だとは思えなかった。
帝国東部の特有種、ヘテロコンダについてはイーノックも知っている。いきなり地中より姿を現す竜種。兵士達が危機感を覚えても当然に思えた。
コーフックス伯爵拘束に反感が予想されることから、今回の征伐に東部出身者はあまり組み込んでいない。固有種について情報が少なく、突然地中から飛び出てきたとなれば尚更だろう。
けれど、ヘテロコンダにそれほどの戦闘力はない。
その威容で運転を誤らせて玉突き事故を誘発させる事はあっても、装甲車の防護を敗れる牙も、銃弾を弾く硬鱗も持ち合わせていない。警戒するべきは五メートルから十メートルに及ぶ巨体で圧し掛かられる事態だが、装甲車の中で待機しているなら脅威にはならない。
コーフックス領の騎士と交戦する事も想定して装備を整えた征伐軍なら、冷静に対処すれば十分討伐可能な魔物である。
兵士が自発的に魔物を討伐したなら、作戦とは別の活動として取得した魔石を自由にできる。イーノックやモレキュラー将軍が指示を出して軍の功績にするより彼らのためだろう。
――その、筈だった。
一向に討伐報告が届かないことから、すぐに状況把握を改めざるを得なくなる。
加えて、いつまでも鳴り響く銃声、魔法の炸裂音、装甲車が衝突したような轟音、そして兵士達の悲鳴。伝え聞くヘテロコンダの脅威度判定では考えにくい鳴動にイーノックも車から降り、想定とはまるで異なるモノと対峙しているのだと知った。
まず、大きさが違う。
十メートルどころか、百メートルを超えるのではないかと思う巨体が地面から伸びている。それだけの長躯ともなれば地上を睥睨するのに不便なためか、長い躰を中空で大きくくねらせて、まるで大樹のように太陽を遮っている。
その周辺には圧潰した装甲車がいくつか転がる。装甲車程度では防御にならない重量らしい。
悲壮な形相で銃を乱射する兵士達を前に無傷でこそなかったが、致命傷が与えられているようには見えない。数十の弾丸を集中させれば僅かに出血させられている様子だったが、躰を捻るとすぐに鱗が再生していた。
時折、物凄い勢いで頭部を降下させたかと思えば、抵抗していた兵士の一人が口の中へ消えた。一度に複数人の命が奪われないのは幸いであるが、不可避の犠牲が出た事に違いはない。
「化け物から距離をとれ! 後退に装甲車が邪魔なら、乗り捨てても構わない!」
イーノックと同時に事態を知ったモレキュラー将軍が慌てて指示を飛ばす。遅きに失した事に違いはないが、これ以上無策で兵士を減らせない。
「銃は効果が薄い! 牽制に頭部を狙いつつ、連携魔法部隊を前へ!」
明らかに未知の魔物ではあるが、尾の一部は地面に埋没していた。地面を這わず直立する生態も、ヘテロコンダとの共通点を想像させる。無関係とは考えにくい。
――実のところ、イーノックの予感は当たっていた。
この竜種はヘテロコンダが変貌した姿である。
原因は、ユラート・コーフックス伯爵令息が用意した悪魔の心臓にあった。
あれを以って超常的な魔力を手に入れる目論見も、防衛用のダンジョンを作り上げる副案も潰えた後、悪魔の心臓は無用なものとして廃棄された。
ユラートには不思議な構造へ向ける関心も、原理の解明を求める好奇心も存在しない。不要となったなら捨てるだけである。
本来なら神殿へ届け出なければならないのだが、彼にはそんな知識も義理もない。
世界が作り出した超常存在なので、人の手では無害化も破壊も叶わない。そのため封印するしかなかった事実も、危険物であるという認識とともに世間から失われている。悪魔の心臓は一般ゴミとして処理された。
廃棄物を魔物が漁る事は珍しくない。
普段は大鼠やゴブリン、下等な魔物の行動であったが、不運な事にヘテロコンダが摂取してしまったのである。
その結果、脆弱な竜種がその威容に見合った強靭さを手に入れてしまった。
勿論、イーノック達がそんな事実を知る由もない。
どうしてこんな事態になったのか、検証する余裕もなかった。
万能タイプではあるが、属性魔法を苦手とするイーノックは戦力になれないと自覚している。非戦闘員が討伐の邪魔をしてはならないと負傷者を担いで後方へ駆けた。
幸い、魔法攻撃は一定の効果が見られた。特に、表面を覆う粘液はよく燃える。躰を焼かれるのを嫌ってか、距離を保ったまま隙を窺う様子が見て取れた。
凶悪化したといっても、災害種や壊滅種のような人の手に負えない脅威とまではならないらしい。
そこを突かないなどあり得ない。
「戦闘車を前に出せ! 炎上弾装填!」
今回の征伐はコーフックス一族の捕縛を想定して対人装備が中心であったが、伯爵が屋敷に立て籠もった場合に備えて威嚇手段も講じてあった。あくまで投降を呼びかけるための用意で弾数も多くないのだが、ここで出し渋ってはいられない。
「……ってぇー!」
――‼
『KEEEEEEEEEEEEEEEEE~~‼』
モレキュラー将軍が号令を発した直後、轟音が耳をつんざき、少し遅れて甲高い悲鳴が響いた。
頭にこそ命中させられなかったが、砲弾は竜の腹部を大きくえぐり、致命部を庇う動作を取らせた。蹂躙するだけの餌などではなく、脅威でもあるのだと警戒の色が浮かぶ。
短い時間、膠着した状態が続いたが、優勢なのは帝国軍である。
巨躯自体が脅威であっても、それを生かして暴れる様子がないなら過剰に恐れる必要はない。
「火属性部隊は攻撃を継続! それ以外の術師は戦闘車の周辺に防護障壁を展開、次弾装填を急げ! 次で決める……ぞ?」
大型兵器なら通じる。
このまま討伐できる――誰もがそう思った時だった。
負傷した竜種の隣に、まったく同じに見える個体がヌルリと姿を現した。
「……え⁉」
しかも、凶事はそれだけで終わらない。
進行予定だった道路上に一体、道を挟んで反対側……つまり、部隊の後方にも一体が前触れもなく現れ、合計四体の巨大な竜種がイーノック達を囲む。
正直、生きた心地がしなかった。
「総員、退避! コーナン砦まで撤退する!」
四体を討伐しきるだけの用意はない。おまけに、竜種が四体だけとも限らない。
今度の決断は早かった。
ここで全滅しては、竜種の脅威を周囲に伝えられない。どれほど困難であろうと、竜の猛攻をしのぎつつ、情報を持ち帰る必要があった。
竜からすると、征伐軍は餌である。密集して行動していたので捕食しやすいと寄ってきたに過ぎない。群体としての脅威は認めても、伝令部隊を分散させてしまえば警戒の必要がなくなってしまう。優先的に襲われるのは予想できた。
後続の三体含めて、戦闘車が最大の脅威だと認識しているくらいに竜の知能は高いのである。
――悪夢のような撤退戦が始まった。




