人体実験 1
スライムから搾った液体の名称は、魔漿液と決まった。
漿液っていうのは、塩類や酵素を含む粘性の少ない体液の事。これに溶け込んだもの違いで、涙とか、唾液とか、機能が分かれる。生物を構成する重要な液体。
魔物を構成する根幹の液体という訳で、そう名付けた。
スライム水の方が分かりやすいけど、経口薬になるかもだから、魔物の名前そのままは嫌厭する人がいるだろうって、反対された。
大した違いが無くても、建前は大事みたい。
魔漿液については、成分分析と性質調査をアルドール先生が、スライムの生態への関与と他の魔物との繋がりをリッター先生が、回復薬を始めとした魔法薬への利用を私達が、それぞれ分担して研究する事に決まった。
私の利益が大き過ぎる気はしたんだけれど、発見者である事と、影響が大きいからこそ侯爵家が管理すべきと言って押し切られた。
確かに私は一人で動いてないから、任せられる人、たくさんいるからね。
頼れるウォズも、その一人。
「私が別件で動いている間に、また凄い事を始めましたね」
そう言って、ビーゲール商会の専門とは外れるからと、製薬会社を買ってきた。
おやつ買って来たってくらい、気軽に聞こえたのは気のせいかな?
「人体に関わるなら専門家の意見は必要ですし、魔道具中心のビーゲール商会が新規参入しても、世間に受け入れられ難いでしょうからね」
「だからって、気が早くない? まだ実験も十分じゃないと思うけど」
「そのあたりも含めて、相手側へ説明いたしました。検証例は多いほどいいでしょう?」
確かに、今回の開発で問題となるのはそこだよね。
薬である以上、人体実験は避けられない。
新型ポーションの時は、液体魔素の摂取研究が過去にあった。私達はその成果に、アルコールに溶かして長期保管する方法と、魔素の大量収集方法を加えただけ。臨床実験の段階は済んでいた。
でも今回は、魔漿液も、そこへ魔法をかける事も、全くの新しい技術になる。
実のところ、経口薬と塗布薬、どちらに向いているかも分かっていない。
動物実験ではどちらも良い結果が出てるけどさ。
「実験を持ち掛けた病院側も困っていましたよ。魔法治療なのか、薬学治療なのか、判断しかねると」
「あー、うん、……どっちだろ?」
「今はレティ様が回復魔法をかけているんだから、魔法治療じゃないんですか?」
「でも、でもキャシー、魔漿液の影響もあるとすると、薬学知識は外せないんじゃないの?」
私達の間でも意見が分かれるくらいです。
とりあえず、試供品の提供から始める事になった。
特に病院側の反発が強いらしくて、効果の保証がないと、話を進められそうにないとか。医療現場からしたら、怪しい薬の押し売りとしか思えないのかもね。
今回向かったのは、東の商店街を抜けた先にある、割と大きめの総合病院。
未承認薬の実験は、平民へ行う事になる。あんまり気分のいい話じゃないけど、貴族と平民、命は平等じゃないんだよね。
侯爵令嬢の研究なので、身分を隠して行く訳にもいかない。
医療に大きな変革をもたらす可能性があるからこそ、貴族の威光をもって進めないといけない。
いつもの侯爵家専用車両で乗り付けたら、周りが騒然となったよ。
ウォズの推薦だけあって、病院側も、製薬会社側も、貴族の出迎えで礼を失するような事はしない。理事長、院長、事務長、各部門長に医師。会長、社長、部長に研究主任と、ずらりと並んで迎えてくれた。
もっとも、好意的な視線は少ない。
車から現れた私達が年若い娘と分かって、なおさら厳しい顔になった。
例外は、貴族との付き合いも多そうな理事長と会長、それから、病院事務長と製薬社長、研究主任くらいかな。多分、ウォズが話を持ち掛けた人達だよね。
逆に反感の強そうなのが、部門長と医師の方々。患者に近い人達で、研究の有用性を特に分かってほしい人達。
それから、貴族の都合で実験動物扱いされると思っているのか、遠巻きに見てる患者さん達の視線もきつい。
応接室に移動して、研究の概要を説明する。
今回、主に話をするのはウォズに任せた。
侯爵令嬢が話すと、提案じゃなくて、命令として受け取られるかもしれないからね。反発派を刺激するような事は避けるよ。
魔漿液発見の経緯から始まって、現在行っている動物実験の経過、始まったばかりの研究だから、説明する事は多くない。
意外だったのは、魔漿液への忌避感が無かった事。
スライム汁を口にするなんて! って言う拒否反応はなかった。
考えてみると、実用化されてる薬でも、魔物素材は普通に使われている。
昔みたいに、素材そのものを煎じて飲むって事はないけど、抽出した薬効成分を使ったからって、飲むのに抵抗はあんまり感じないよね。前世で、馬糞からバニラ成分を抽出したって話もあったから、何でも受け入れられる訳じゃないだろうけど。
「話は分かりました。ですが、治癒魔法を付与しただけなら、普通に回復魔法を使う場合と何が違うのでしょうか? 現場を混乱させてまで、治癒師がいれば済む薬を作る意味はありますか?」
発言したのはカンバーさん。魔法治療医師らしい。
この世界の回復魔法って万能だから、専門を持たないで、病気でも怪我でも総合的に対処するお医者さんだと聞いた。治癒師との違いは、医療知識を持って、患者の必要な個所に的確に魔法をかけて、副反応を最小限にできる役職だとか。上位職なのかな。
私達が作ろうとしてる回復薬と職域がぶつかる人でもあるけれど。
「私達が期待している事は2点です。一つは、常に携帯すれば緊急時の対処が可能になる事。もう一つは、口飲によって、身体の内から魔法を施す事で、これまでにない効果の有無の確認です」
実証実験に関わる部分だから私が代わったのだけど、これまでお地蔵さんみたいに座っていた侯爵令嬢が動いたものだから、周りは騒めいたし、カンバーさんもたじろいだよ。
「こ、これまでにない効果、ですか?」
「ええ、回復魔法は身体の外側からしか、かけられません。その為、外傷への効果は高いけれど、内部損傷や病気への効果はそれほど望めないと聞いています。それに、光魔法の場合は属性の反発もあるので、強い魔法は使えないとも」
「は、はい……」
「そう言った問題を解決できるとまでは申せません。けれど、打開の糸口になれればと思っています」
理屈は通っていたからか、視線の厳しさがいくらか和らいだよ。
「お忙しいのは分かっておりますが、医療の発展の為と思って協力していただけませんか? 被験者となっていただく患者さんに無理は言いません。悪影響が確認できた時点で投薬は取りやめますし、十分な補償も約束します。どうか、お願い致します」
私だけでなく、一緒に来たオーレリア達も頭を下げると、反発していた人達の目が泳ぎ始めた。
ズルいかもしれないけど、貴族が真摯にお願いすると、基本的に平民は断れないんだよね。無茶な内容だったり、言うだけ言って責任から逃げたりする場合は論外だけど、上位者からの“お願い”は、命令よりも拒否し難い。
十分な利は用意するし、人の為になる事だから、ちょっと強引ですけど協力してください。
反発意識は完全に摘んだので、この後はウォズが畳みかける通りに話が進んでいく。こういう時、平民同士の方が、スムーズだよね。
私達が頭を下げるシナリオ描いたの、ウォズだけども。
病気と怪我、用途を別けて適切な魔法付与条件を探していく事、効き目は上中下級の3段階くらいを考えている事、光魔法の付与も試していく事、長期的な投与実験も行いたい事などなど。
病院からも、製薬会社からも要望が出るので、やる事はどんどん積み上げられていく。私達では思いつかない知見もたくさんあるので、とてもありがたいよね。
話を聞き入れてくれる貴族だって、分かってくれたみたい。
うまく話が進みそう。
そう安心していたら、建物の外から大きな音がした。
まとまりそうな会談に、水差すの、誰よ?
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