無知の恥
素直に罪を認めて土下座している事から、悪意あっての散布だったとまでは疑わない。
けれど、冒険者や廃棄物取扱業者とは事情が違う。
全てのゴミを魔物領域へ投棄しないのにはしっかりとした理由がある。ただの魔物素材なら腐るか、魔物の餌になるだけだけれど、人の手が加わった変質物については、異常事態を引き起こした例が過去にもあった。
望む毒にならなかったからと魔物領域へ捨てた結果、周囲の土地を侵食して広域を毒沼化させた事がある。
自然治癒を阻む魔剣を冒険者が紛失した結果、それを亜竜が喰らって特性を継承し、猛威を振るった事がある。
魔道具工場の廃液を垂れ流しにした結果、それを餌に竜がそこを棲み家とした事がある。
特定の魔物にのみ作用する場合もあり、オーガばかりがやたらと筋肉質になって周辺の勢力図を塗り替えた事もあるという。
そうした悲劇を繰り返さないよう、含有魔力を排出させて無害化する装置が造られた。魔物領域への悪影響が否定されていない廃棄物は、その装置による処理を行なうよう義務付けられている。
“環境”ではなく安全確保が目的なのは前世ほどの倫理観に到達していないところではあるけれど、この世界では切実な点ではある。
何しろ、魔物領域への対応を間違えると簡単に国が滅ぶ。近年では危機感が徹底されてきているものの、過去を振り返ればそうした事例はいくらでもあった。
だから魔物領域の狭域化方法を確立する際には、慎重に実験を行なった訳だし。
にも関わらず、今回の犯人はその義務を怠った。
そんな義務云々以前に、彼等は罪を免れない。
法律に穴があるとか、この事態を想定できなかったとか関係ない。
何故なら、発端となった彼らが貴族だったから。
貴族は様々な特権を持つ。
それは同時に義務を背負う事でもあった。
関係者が事件を引き起こした際、責任を取る事もその中に含まれる。知らなかったは言い訳にならない。住民への被害が叱責で済むのは領内での事だけで、今回のように国中を混乱に陥れ、死者どころか壊滅した町村まで出した領主一族に情状酌量の余地はない。
「チャーリー・リジャ、ケームル、スペンス、三人とも顔を上げろ。お前達の謝罪に価値はない」
ディーデリック陛下が冷たく告げる。
事件の結末を見届けに駆け付けた貴族達も同情はしなかった。
既に極刑が当然な彼等に、命を差し出す覚悟で裁定を委ねるこの世界の土下座は適用されない。本人達は誠意のつもりでも、見苦しい命乞いとも受け取れる。立場の剝奪も確定だから、爵位で呼ばれる事もなかった。
「原因となった物質を作ったのはスペンス・リジャ、お前に相違ないな?」
「は、はい、間違いありません。ですが……」
「是非以外の発言を許した覚えはない」
「……! も、申し訳ありませんでした」
魔物の増殖を激化させる物質は生まれたけれど、目的はそれじゃない。
そう続く筈だったリジャ家次男の発言は封殺された。言い訳が聞き入れられる段階はとっくに過ぎている。
彼の研究題目については私も知っていた。
大容量の魔力充填装置を造る事。
どの段階で製作を目指したかは知らないけれど、南ノースマーク専属の研究員に応募してきた時には、魔導変換装置の導入による魔力消費量増加に対応する為とあった。
その目的自体は歓迎している。オリハルコンを使えば大容量化は容易であるものの、価格的にも、機密的にも問題があった。特に生産性、加工性については、大量の魔力を必要とする。私には容易でも、それ以外で量産を前提とする需要に対応できるかどうかはまだまだ課題も多い。
そもそも全てをオリハルコン頼りにする発展にも疑問が残る。
例えばダンジョン核がその働きを停止した場合、オリハルコンの供給も断たれてしまう。ダンジョンについては未解明な部分も多く、そうした事態も否定できない。そんな時、オリハルコンに依存して文明が崩壊するようでは困る。代替技術は常に用意しておく必要があった。
「そしてケームル・リジャ、その研究で出た廃棄物の処理について、トレハロ清浄を紹介したのはお前だったそうだな?」
「はい……」
「親切心ではない。研究費を抑えられれば……、そう考えての発案だった。間違いないな?」
「その……、通りです」
自分が戦える場を用意しろと、伯爵に願い出られるほど不遜な令息が、陛下にひと睨みされただけで小さくなってしまう。それだけ、今日の陛下には迫力があった。
この兄弟、仲が非常に悪かったらしい。
体育会系とインドア派でタイプが違ったのもあるけれど、決定的になったのはチャーリー・リジャ子爵が研究に巨額を投じた事だった。
私も関心を抱いた研究に希望を見出した先見性は間違っていない。完成したなら、消費魔力量増加社会に大きく貢献できる。そうなれば、リジャ子爵領が得る利益も大きい。期待を抱いた気持ちも理解できた。
これでスペンス・リジャが研究以外へ関心を向ける余裕があったなら、彼を後継候補にできた。私のように研究と領主業を両立させればいい。元々臣下に頼る部分が大きかったのだから、後者は最低限がこなせれば良かった。
けれど彼は典型的な一芸特化で、今更領主教育で成果を見せるだけの器用さを持たなかった。魔力の保持率計算はできるのに、お金の勘定には手間取る有様だった。さっき陛下の前で言い訳を口にしようとしたように、最低限の儀礼すら身に付けていない。
あんまりな二択を強いられた子爵には少し同情する。
それでも、対外的な交渉のできない人物が領主であってはならない。根回しまでなら臣下が整えられても、貴族同士で話し合わなければならない場面は存在する。そこで満足いく受け答えができなかったり、付け込まれる隙を晒すようでは侮られてしまう。事前準備が無駄になるだけならまだしも、不利な協定を一方的に押し付けられる恐れもあった。
結果として継承候補が変わる事態はなかったのだけれど、それで面白くないのはケームル・リジャだった。
評価されているのは弟の方。特別扱いされているのも弟の方。
騎士になりたいって夢を諦めて領地に戻ったというのに、スペンス・リジャは好きな研究を続けて、それを誰に咎められる事もない。鬱屈を募らせていったと言う。
執拗に戦果を求めたのも、弟への対抗心だったのかもしれない。
「廃棄物処理費用が削減できれば、その分の予算は自分に回ってくる。……そう考えての紹介だったそうだな?」
「は……い……!」
貴族の運営経費がそう単純な筈もない。
当たり前の話だけれど、この裁定の場を開くにあたって騎士団による聞き取りは終えている。だから、詳細を明らかにする必要もないのに不思議な理論展開をここで語られるのは恥でしかなかった。
ケームル・リジャは弟を疎ましく思うばかりで、研究の価値を理解していなかった。詳しく知ろうとする事もなく、爵位を継いだ後はスペンス氏を追い出すつもりでいたらしい。
その場合、ウォズが喜んで拾ってきただろうけど。
私としても、支援する家がなくなったなら専属研究者として迎えるくらいの期待はあった。
でも、ケームル氏はもっと安易に考えた。気に入らないものは放り出せばいい。分からないものは捨ててしまえばいい。それで自分が自由にできるお金ができる、と。
その一段階目として処理費用の削減を目論んだらしいけれど、これが大変な事態を引き起こしてしまう。
人為的加工が加えられた物質は、何を引き起こすか分からない。しっかり鑑定し、無害である事を証明しなければ危険で仕方ない。まさか、それを無視する貴族がいるとは思わなかった。悪影響は基本的に自分の領地で発生するし、他領で問題を引き起こしたなら明らかな敵対行為だと受け取られてしまう。
だから、そんな愚行は想像も難しい。
でも、ケームル氏はそんな常識すら知らなかった。学んでいない筈はないけど、他人事として自覚がなかったんだろうね。
その上で、委託と廃棄と拡散をそれぞれ別人が実行して実態を掴みにくくなってしまった。
スペンス氏が開発している充填装置の進捗は八割程度。
魔力貯蔵量は目標に近いのだけれど、反復限界が早いのだと言う。魔力の貯蔵、運搬が目的である以上、繰り返し使えなければ意味がない。
その克服の為に何度も行なった実験が、今回の事件を生んだ。
肝心の貯蔵装置となる部分は、複数の魔物素材を組み合わせて合成している。
魔物素材の添加によって能力を向上させる武器や鎧の製造からヒントを得たもので、魔導織の公表で飛躍的に貯蔵量を向上させられた。ミスリルやアダマンタイト、魔力保有量が多い魔鋼を用いた従来品とは根本から違う。全てを有機物のみで構成してあった。
言ってみれば、魔力を吸うスポンジ。
ヘチマたわしみたいな外観で、隙間に魔力を留める作用が働いている。更に虚属性が魔力を収縮するからかなりの貯蔵を可能にする。魔力を放出する機構がまた面白く、属性虚実の反転ではなく、レバーを引く事で魔力を絞り出す方式だった。
このスポンジ部分が問題で、有機物で構成してあるから魔物にとっては餌でしかなく、高魔力を含有するばかりか特殊な興奮状態を誘発する性質を備えていた。要するに、これが原因となって魔物の氾濫が起きた。
決して狙った作用ではない。
そもそも魔物が摂取する事なんて想定していない。外観を金属で構成する充填装置の内部に設置するのだから、輸送時に魔物に襲われたとしても、捕食される心配はない筈だった。
「変性物と廃棄素材の区別すらつかないままひとまとめに処分した結果、未曽有の事態を引き起こした訳だ。歴史に残る愚かさと悪行であろうな」
「…………!」
大雑把が許される場面と許されない場面は当然ながら存在する。けれど、ケームル氏にその判断はできなかった。分からないなら周りを頼れば良かった筈なのに、処分費を抑えられる時点で思考を止めてしまった。
次男は次男で、ゴミを処分してもらえるなら都合がいいと、それ以上関わるのをやめてしまった。正規の手続きで魔力除去処理を施すと思い込んだのですらなく、思考の放棄だったと言う。自分の作り出した変異物質に責任を持つ事もなかった。
「……返す言葉もございません」
失態の責任は、言わずもがな子爵へ向かう。
一連の事象は全てケームルの独断で、チャーリー・リジャは騎士が捜査に入って初めて知ったらしい。けれど、知らなかったでは済まされない。
既に彼が生へ執着する様子はなく、全てを諦めて見えた。後継候補への説明を怠り、兄弟の不仲を招いた彼は間接的に関わったとも言える。そうでなくても責任者、さっきの土下座もそのまま首を斬られる覚悟だったのかもしれない。
「処刑が当然……の筈だったのだがな、見逃す余地が生じた」
「え……?」
「スペンス・リジャが考案した新機構、あれを無駄にするのは惜しい」
空間に魔力を留める技術は勿論、圧搾で魔力を放出する性質も、核とする金属をオリハルコンに交換しただけのグレードアップとは発想が違う。貯蔵量の向上や代替素材の検討など、更なる発展も期待できた。
成果だけ接収してもいいのだけれど、未完成なのが問題となる。着想が独特で、開発を引き継いでも完成させられない不安があった。
これに関しては、私の提案って訳じゃない。私は意見を求められただけ、詳細を知った貴族の何人かが待ったをかけた。スポンジ機構にはそのくらいの価値がある。魔塔のアルドール導師も同じ意見だった。
開発継続が望まれた理由の一つには、魔物の異常繁殖を促す性質も含まれる。
こちらは魔力貯蔵装置とは別に、侵略兵器としての可能性を見出した者がいる。意図して氾濫を起こせるのなら、兵士を危険に晒さず他国の戦力を削げる。現時点で使用する対象国家がないとしても、将来的な備えとしては意義があった。
「故に、スペンス・リジャは徹底した監視の下で研究を継続させるものとする。その頭脳を国へ捧げよ」
「は、はい。ありがとうございま……す?」
何が起こったのか理解していない様子だった。
国中を混乱に陥れた罪状が覆る事態なんて、普通はない。
罪人を私に預ける筈がないし、発展の象徴である魔塔に所属する栄誉も与えられない。あくまでも贖罪なので、収容施設に研究棟を増設するのだと思う。装置を完成させたところで褒章はなく、国の都合で酷使される日々が続く。
「それに伴い、チャーリー、ケームルの両名も命だけは助けよう」
「本当ですか……⁉」
「望外なる寛恕、感謝いたします……!」
告げられた助命にケームル氏は空気を読まずに大声を上げ、元子爵は深く頭を下げた。
当然ながら慈悲じゃない。
国の都合で一人を生かすなら、同じ罪状で残りを処刑できないってだけだね。
身分は剝奪されるから、チャーリーはスペンスとは別の収容所で禁固刑、ケームルは国外追放が決まっている。おばちゃんの提案で、事件を主導した人物は隷属冒険者としてナイトロン戦士国へ引き渡す。
隷属冒険者は王国には存在しない境遇で、主に罪を犯した高位の冒険者がその身を堕とす。そして、ギルドの命令でダンジョンでの魔鋼採掘を延々強制される。一般の冒険者と行動する事もなく、主に鉱石運搬の労働力として求められているだけで、彼が望むような探索は存在しない。罪を清算できる余地はないから、労働力として期待できなくなったら独房行きだろうね。
チャーリーの罰が少し軽いのは、巻き込まれた側だから。それでも平民と横並びでの禁固刑となるので、貴族としては最大級の屈辱だった。死刑ほど凄惨な罰でないにしても、事件の関係者に不満を抱かせないだけの決定と言えた。
私は死刑に諸手を挙げて賛成するほどではないにしても、今回の事件に関してはそれも仕方ないと思えるだけの被害があった。
あの悲惨さを思えば、中途半端な裁定だった気がしなくもない。
とは言え、今回の私は軍の出動まで南部の防衛に協力したのと、異常繁殖の原因調査くらいで、貴族の義務以上の成果はない。おばちゃんとの中継をひけらかすつもりもないので、異を唱えなかった。
それと、今回の裁定には元第一王子派閥の意向が強く影響している事も否めない。彼等は元々戦争強硬派だったから、スポンジ機構の特殊性質に着目したのも頷ける。ワーフェル山での屍鬼氾濫以降、魔物の兵器化を望む声はあった。今回の発明でそれを実現した事になる。
アドラクシア殿下の即位が決まった時点でこの流れは止められるものじゃなかったし、今の第二王子派の有り様を思えば王位争いの決着が間違いだったとも思わない。
現時点で口を挟むつもりはなかった。
それより、言っておきたい事がある。
「つくづく勿体ない話です。新型の魔力充填装置を完成させられたなら、あらゆる望みが叶えられたでしょうに……」
「間違いないであろうな。その技術を求めて国中の貴族が接触を望み、迷いなく大金を支払う。国への貢献でもあるから、成果次第では陞爵もあり得た」
処刑は免れても弟に救われた形となった事へは不満そうなケームルにあてこすると、陛下も乗ってきた。
「それだけではありません。多大な魔力は軍事面でも活躍します。技術を売って得た巨万の富で軍備を充実させ、魔力に困る事のない運用も可能だった筈です。王国でも有数の強領地として発展させる事もできたでしょうね」
「……え?」
「そうした未来が現実味を帯びる中で、厚顔無恥にも僅かばかりの経費削減で得意になっていた訳だ。それで全てを失うのだから、歴史上でも類を見ない間抜けに違いなかろう」
「しかも、廃棄物について考える必要がなくなったと喜んでいたそうですから、嫌がらせにもなっていません。これほど無意味に墓穴を掘った例もないのではありませんか?」
そんな可能性は初めて知ったという反応を見せたけど、私も陛下も相手にしない。それでもどれだけ愚かだったか伝えておかないと、自覚する日は来なさそうだった。
何しろ、今回の事態を戦果を得る機会だと喜んでいたのだから救えない。
考えるのが苦手でも、大勢を頼って無知の知を体現していたヘルムス皇子とはあまりに違う。
「あの……、僕の成果は認めてくださるのでしょうか?」
兄をあまりに扱き下ろすものだから、自分は評価してもらっているのかとスペンス囚人が口を開いた。勿論、発言する許可なんて与えられていない。
「新機構自体は大したものだと思いましたよ? けれど、欠点に目を向けず、廃棄物についての責任を負わない人間など研究者ではありません。せいぜい都合のいい労働力として酷使されれば良いのではありませんか?」
「そんな……」
「間違えるな。お前達に与えたのは恩赦ではない。国の都合で生かすだけだ。利用価値があるから貴族達の要望を聞き入れはしたが、民を無残に死なせたお前に同情も称賛もしない。お前が得たかもしれない栄誉は、魔物共の腹に消えた。責任と一緒にお前が魔物領域へ捨てたのだ」
求められているのはスポンジ方式を完成させる事だけ。
自由に好奇心を満たす事なんて許されず、役目を終えた後は雑用係としての罰が待つ。魔物の氾濫を起こした彼が人間扱いされる筈もないから、存分に報いを受ければいい。
兄弟どちらも当事者で、死刑にならなかったからと許す気は起きない。
今回の処遇に納得していない貴族も多いから、私的な制裁を止める声も上がらない。
こんな非難くらいで溜飲が下がる事もないけれど、散々振り回された分くらいは罵倒しておきたかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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