アノイアス様の推論
王家に連絡しようなんて話をしたからでもない筈だけど、翌日にはアノイアス様がやってきた。
別に急ぐ案件でもなかったので、こちらから打診するような真似はしていない。彼はもう王族籍ではないものの、私が呼びつけられるほど気軽な相手でもない。それでも向こうからやってきたなら、王太子殿下の実弟として窓口の役割くらいは果たしてくれる。
「……お久しぶりです、お父様」
「今日は時間を割いていただいてありがとうございます」
森の調査に出る前には先触れが届いていたので、顔を合わせる機会を作ろうとベリル君とフェリリナちゃんにも声をかけておいた。なのに、反応が淡白で戸惑ってしまう。
「気を遣っていただいて、ありがとうございます。ですが十日に一度は面会の時間を作っていますので、私達家族への配慮は結構ですよ」
「それは失礼しました。日頃、周りが心配になるくらいお二人とも勉学に励んでいるという話だったので、ついお節介を焼いてしまいました」
私的には十日に一度の顔合わせが十分だとは思わない。しかもあくまで面会だから、団欒の時間が確保できているとも思えなかった。
けれどこうして気を回したところで、二人は揃って余所向きの姿勢を崩していないのだから失敗だったのだと分かる。定期面会以外の時間を作ってもらおうって私の判断は余計なお世話でしかなかった。
考えてみれば、家庭ごとに家族の形ってあるよね。
十四歳で叙爵して、碌に実家へ帰らなくなった娘もいるくらいだし。
結局、ベリル君とフェリリナちゃんは一緒にお茶を飲んだ後、いつもの実習に戻っていった。多少は父親と話せたものの、ほとんど勉強の進度報告でしかなかった。あれを見てると、普段の面会も家族の時間として機能しているものか心配になる。
ディーデリック陛下と噴炎龍ごっこしてたくらいだから、年頃に見合ったメンタルも持っている筈なんだけどね。
「申し訳ありません、伯爵。どうも、周囲に隙を見せてはいけないと警戒しているようで……」
「子供らしさを隙と捉えてしまっている訳ですか」
それだけ、大人の思惑に振り回されてきたって事でもある。
南ノースマークでの生活も、あの頑なさを解きほぐすには至っていないらしい。
「興味を表に出す事は、できるようになったようですけれどね。ベリル君は相手の魂胆を察するのに長けて、交渉事に期待が持てると聞いています」
「ベリルが、ですか……?」
「ええ、普段は寡黙ですが、周囲に関心がない訳ではないようです。今は商談の演習くらいですけれど、必要であるなら言葉を重ねる事に躊躇いはないようだと、ウォズから聞いています。理詰めで相手を負かす事を盤上遊戯のように楽しんでいるかもしれない、とも」
「交渉を遊興と捉えてしまうあたり、私の影響が強そうですね」
普通にボードゲームで競ったのでは、私含めて相手になる人材がいなかった。かなり幼い頃からアノイアス様を相手に遊んでたって話だから、ルールによる縛りの少ない心理戦に楽しみを見出したのかもしれない。
「フェリリナちゃんはキャシーが絶賛していました。特に魔導織に関して理解が深いそうです。魔道具の基礎をしっかり学んだなら、きっと優秀な技師になれるだろうと期待してくれています」
「機巧女子爵にそこまで言ってもらえるのは光栄ですね」
最近、キャシーにそんな異名ができたらしい。
先代まで没落寸前だったのに、陞爵するほどの富と栄誉を得たのだから注目が集まるのは当然と言える。可愛くないって本人的には不評だったけど。
「貴族のご令嬢としてはあまり歓迎されない技能だと思いますが、よろしいのですか?」
「確かにこれまではそうだったかもしれません。ですが、これからはどうでしょう? 伯爵やウォルフ新子爵が可能性を切り拓いてくれましたから、貴族の在り方も変わっていくのではないでしょうか」
「……あ」
「発展は旧エッケンシュタインと魔塔に任せる、その前提は完全に崩れました。これからは自領の環境を向上させる目的で人材の育成にも腐心する事でしょう。そうなれば、結婚ばかりが女性の使い道ではなくなる筈です」
「そんな未来が、来るといいですね」
切っ掛けは私らしいけど、貴族の意識改革を狙った訳じゃないので実感は乏しい。でも、変わっていく社会は見たいと思えた。
「それに、今はあの子達に生き方を強制するより、折角見つけた好奇心に忠実であってほしいと思います。あの子達が貴族として生きるかどうかは、まだ決まっていませんから」
「それは、ご自分が窮屈な思いをされたからですか?」
「どうでしょう?」
「え?」
「正直なところ、王子として生まれた現実に不満を抱いた事も、他の生き方をしたいと願った事もないのです。だから……、私は人生をやり直したとしても、同じ生き方しかできないと思います」
おそらくここがアドラクシア殿下と違う点。
結果、王族として生きたいと望んだアドラクシア様の周りには殿下の思想に共感した貴族が集い、王族である事に疑問を差し挟まなかったアノイアス様の下には自分達の願望を彼の優秀さへ押し付ける夢想家が集まった。
「ですから私は、あの子達が自分の欲求を見つけられた事が、あの子達が自分とは違う人間であった事が、嬉しいのですよ」
「もしかして、後悔されているのですか?」
「いいえ、後悔すらできないからこそです。私は自由を与えられてもやりたい事を見つけるなんてできませんでした。代わりに、周囲の望む自分であろうとしてしまいました。……そんな生き方しかできなかったのです」
その周囲の一人に、ファーミール元王子妃もいたのかもしれない。
我欲の強い彼女は、アノイアス様にとって憧れだったのかな。
「けれど今の私には、子供達が生きるための環境を整えるという生き甲斐があります。その第一歩である掃除も、もうすぐ終わりますからご安心ください」
……と、父親らしさと打って変わった笑顔で告げるアノイアス様からは、寒気を覚えた。自分の信奉者であろうと、ベリル君達にとって害悪なら排除に躊躇いはないらしい。
誰かに依存しないと自分を確立できないのかもしれないけれど、それを定めた場合の行動力は徹底している。
なのに、ベリル君達との交流が塩対応なのは謎だけど……。
「そんなアノイアス様は、どんな用向きでこちらへ?」
「子供達がどんな未来を選んでも対応できるように、ですね。ベリルが交渉相手に貴族を選ぶ可能性があるなら、尚更今の立場を守らなくてはなりません」
「えーと……?」
「兄の……、王太子殿下のお使いですよ。ベリルが望むならすぐにでも爵位を譲れるよう、実績を重ねておく一環ですね」
ロイアー準侯爵家の継承についてはまだ詳細が決まっていない。今は侯爵相当なので次代は伯爵家になるのだろうけれど、そのためには十分な功績を上げて、同時にベリル君が思想的に問題ない事を証明しなければならない。
それを随分と簡単そうに言い切るのは、見合うだけの自信があるって事なんだろうね。
「具体的には、魔物が異常繁殖を繰り返す原因となっているものについてです」
「それについて、先日報告した以上の進展はありませんが……」
「はい、それは把握しています。本日はその件に関して、私の推論をお伝えするために参りました」
そう言った瞬間、アノイアス様からあらゆる感情が消えた。目を薄く開いただけで、こちらを認識しているとは思えない。自分の内側へ没入しているように見えた。
「原因は不明。けれど最近になって加速度的に頻度が増加し、伯爵やエッケンシュタイン子爵、大勢の冒険者や兵士が調査に赴いていますが、成果は上げられていない。そうですね?」
「え、ええ。その認識で間違いありません」
今更確認する事でもない……とは切り捨てられなかった。
それだけ有無を言わさない迫力が、アノイアス様から伝わってくる。そしてこの状態について、聞いた事があった。
彼には特殊な思考方法があると言う。
あらゆる先入観を取り除き、感情による思い込みを排除し、事実のみを組み立てて方策を導き出す。アノイアス元殿下の優秀さの代名詞で、信奉者が彼へ期待を重ねる一因となった。
その異能を、今私は目の当たりにしている。
「現段階で原因の詳細は推定できません。けれど、実行犯となったのは冒険者でしょう」
「はぁ⁉ 冒険者に責任を押し付けるおつもりですか?」
非常に有用な一方で、多用はできなかったのだとも聞いていた。
なるほど、こんな突拍子もない事を告げるようでは混乱を生む。本人からも感情を排除した弊害として、この発言がどう受け止められるかまで配慮できていない。
「小村への冒険者の動員と増殖現象の増加、時期が一致しています。あくまで事態解決に尽力する伯爵達や兵士が何もしていないと仮定して、ですが……」
「冒険者だって同じです! これ以上の被害を出してはならないと駆けずり回る彼等が、悪意なんて抱く筈がありません‼」
「では、悪意など無かったとしたらどうです?」
「え……?」
「冒険者が貴女達と違う点、それは彼等が誰かの意思を代行して動くところです。兵士も上官の命令に従うところは同様ですが、指示者の特定は容易です。それ以前に、軍の投入は異常増殖の頻度が上がった後でした」
そんな事がある訳ない! ……と咄嗟の否定はできなかった。
少なくとも増殖頻発のタイミングは一致している。警戒を強固にして調査にも人手を必要とした分だけ、魔物の発生頻度も増えていった。
「……何かの依頼を受けていた?」
「そうですね。魔物領域の奥へ立ち入る機会に、そのついででこなせる依頼を受けていても責められません」
防衛や調査に協力した分の賃金については保証している。けれどそれは事態の収束後にまとめて支払われるから、その日のお酒や武器の整備に即金を必要としたとは十分に考えられた。並行して依頼を遂行する権利までは制限していない。
そして、ランフォリンクスの嘴が発見された件については、関連の度合いが不明な事から冒険者と情報を共有できていなかった。
「魔物の増殖は各地で続いている訳ですから、冒険者達にその一端を担っている自覚はないでしょう。つまり、依頼はありふれているものであり、一見すると不審を覚えるような内容ではない筈です」
「つまり、薬草の採取や特定の魔物の討伐、何かの運搬といった内容でしょうか? ……って、あ!」
「運搬……というよりは廃棄でしょうか? 魔物素材の中には含有魔力を消費させなければ燃やす事もできない厄介な代物もありますから、魔物領域へ投棄する場合もあると聞きます」
ゴブリンみたいに見境のない雑食の魔物がいるし、金属すら腐食させて喰らうウーズ粘虫なんて魔物も存在する。中には犯罪の証拠隠滅に使われるくらいに、この世界の秘境はディスポーザーみたいなところがあった。
私も廃棄物分解槽にウーズ粘虫を利用したくらいだし、処理を魔物に任せる考え方は間違っていない。狩った獲物の骨や皮を森に捨てたり、討伐証明部位を切り取った魔物の遺骸を放置したりするのと同じ感覚で、不要物も魔物領域へ投棄する。辺境の村では日常だった。当然、廃棄物処理への魔物利用を禁止する規制なんてない。
民家の近くへ捨てると魔物が活性化する危険があるから、ある程度奥地へ運ぶ必要は生じる。そうなると危険を伴うので、冒険者へ依頼する場合が多かった。
「冒険者からすれば、いつもの業務です。内容物を確認する事もないでしょう。そして、現象と依頼の因果関係に辿り着くのは困難だと思われます」
「悪い前例がある訳ではありませんからね。つまり、それだけ特別なゴミを捨てているのでしょうか?」
「……それは現段階で判断できません。おそらくは不審を抱かない程度の廃棄物なのでしょう。大量の何かを森へ運んでいるような報告はありませんでしたから、適当な大きさに分散させてばら撒いている可能性が高いです」
「一体、何のために……」
「それも今は分かりません。そして、悪意があるとも断定できません。魔力消尽の手間を省いて経費を削減したかっただけかもしれませんし、想定外に発生してしまった廃棄物をとにかく処分したかっただけかもしれません。しかし、依頼者の特定は可能です」
「ギルドに問い合わせる訳ですね」
それ以上は当人に直接聞けばいい。事態が事態だけに、その尋問は決して優しくないだろうけど。
ここまで聞いて、組み立てた推論を私のところまで持ってきた理由についても納得できた。
この異常事態を冒険者が引き起こしてしまったなんて醜聞、ギルドが快く受け入れる訳がない。私だって冒険者の関与は可能性から外していたくらいだから、状況証拠しかない現状での情報開示は拒否されるかもしれない。
たとえ無自覚だったとしても、冒険者が事件の一端に関わっていたならギルドは信用を失う。この状況で国が調査協力を要請すると、深い禍根を残すとも考えられた。責任を押し付けあって調査が進まない可能性もあり得る。依頼を受けた冒険者だけ切り捨てる状況は作りたくないし、おそらく被害者遺族が納得しない。
そうなると、立場ある人物を動かすしかない。そして彼女への伝手は、私にしかなかった。
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