ノーラの焦燥
魔物が大量発生する原因の探索は難航していた。
何しろ、広い森林、山岳地帯を当てもなく探し回らなくてはいけない。人里の周辺は冒険者が巡回して何も見つかっていないのに、範囲を広げて易々と結果を出せる筈もない。
しかも、異常発見に長けているのはノーラと私の二人だけ……。
魔物領域の奥部となると、冒険者を散会させて広範囲を探索って訳にはいかない。凶悪な魔物がごろごろいるから、協力者の安全を保障できなくなってしまう。
金剛十字とか私と懇意にしているパーティなら、充実している装備で単体の竜くらいなら討伐可能ではある。
でも、それと探索速度の向上はまた別の話。
見通しの悪い山中で警戒を疎かにするなんてできないから、どうしたって移動は緩慢になる。弱肉強食が色濃く働く領域なのは紛れもない事実で、一瞬の気の緩みが死を招く。そんな場所で、命を落としてでも手掛かりを得てこいとは言えないし。
そうなると空から観察くらいしかできないんだけど、私もノーラも魔物領域の観察を苦手としていた。
もともと魔素濃度が高い上、強力な魔物が闊歩していて視界を乱される。人間の生活圏を基準としている私達からすれば、魔物領域なんて異様が常態化していて全てがおかしく思えてしまう。
黒いモヤモヤや光といった表徴化された状態で見えているのも枷になる。
魔素が蔓延した状態の森でモヤモヤさんの濃淡を把握するのは楽じゃないし、高魔力体をノーラが眩しく捉えるからって本当に光を発している訳でもない。あくまで体感的に光と判断しているだけなので、そのものを直視しなければその存在を察知できない。
どちらの魔眼も高度からの探索に向いていなかった。勿論、映写晶に録画したところでモヤモヤさんも魔力光も映らない。
「……疲れた」
「はい。わたくしもヘトヘトですわ……」
先日のリジャでの氾濫自体は人的被害無しで切り抜けられたものの、既に結構な人死にが出ている。探索が困難だからと匙を投げる訳にもいかなかった。
少なくとも、他の誰かに任せるよりは可能性が高い。
それでも、目を凝らしながら眼下へ集中し続けて、疲れない筈もない。
超常的な作用が働いている自覚がないくらいには自然に扱える魔眼ではあるけれど、酷使すれば普通に疲労は蓄積する。半日続けるのが限界だった。
そこで、午前中を探索に充てている。
私もノーラも領主なので、執務に時間を割かないといけないって事情もあった。私達は西の山間部を中心に探索しているものの、南ノースマークもエッケンシュタインも警戒中に違いない。対策の進捗や調査の経過を把握しておく必要がある。辺境部を除いた一般の領民は普通に生活しているので、そちらが疎かになるような事態があってもいけない。
特に私はオリハルコン線の敷設作業が継続中なので、そちらの状況確認も必要だった。そうなると山林部へ向かう事になるので、魔物の大量発生に怯える人々を慰撫する機会が作れる。
「ホフゴブリンや岩猪、進化種が多かった印象がありませんでしたか?」
「……言われてみればそうかも。魔力の異常が変異を促す、なんて事もあるのかな?」
「魔物の進化条件については本で読んだ程度の知識しかありませんけれど、十分に成長している事、他の個体に比べて体が大きい、或いは角や牙といった特徴的な部分が卓抜化しているなど、多岐に亘ると言いますわ。そうした条件を満たした上で、魔力が不足していたならあり得るのではないでしょうか……?」
「そうだね。魔物だって危険は避ける。上位種を襲って高魔力を得るような機会がそうそうあるとも思えない。そうなると、魔力が得られないまま進化の機会を逃す魔物は意外と多いのかもしれないね」
調査を終えた後はこうして意見を交わしつつ、お茶の時間にするのが恒例となっていた。ハイビスカスティーの酸味が疲れた頭に染みる。
「あの辺りにはカーギー男爵領の村が比較的近いから、巡回の冒険者に討伐を依頼しておいた方がいいかもしれないね」
「もしかすると、あそこに生息していたのがもっと下等種なら、異常増殖が起きていたのでしょうか?」
「うーん、どうだろ? 普通の進化種との違いは見えた?」
「いいえ。……けれど、進化に魔力を消費した後なら、既に違いはなくなってしまっているとも考えられますわ」
少なくとも、ホフゴブリンが過剰の魔力を蓄えているような事態はなかったらしい。
こうして意見を擦り合わせる事で気付ける発想も多い。調査中は観察に専念しているから、些細な発見でそれを切らす事がないよう配慮していた。その分、ここで考えを整理する。
魔物の大量発生には関係ないかもだけど、進化種となると村落の防衛力では心許ない。ゴブリンが一匹二匹迷い込んだくらいなら辺境の労働者が討伐できても、熊みたいな大きさのホフゴブリンは手に負えない。気付いた以上は対処が必要だった。
危険を見つけられただけでも成果と言える。目的は頻発する魔物災害の解明であっても、他の危険を放置できる訳じゃない。領地を跨いでの調査だから事態解決後の継続は無理だけど、危険の兆候を共有できていれば対策も立てられる。
『よおおおおおぉしっ! もう一本!』
……。
お茶の時間にはキャシーやマーシャも参加するのだけれど、今日は二人とも忙しいらしい。先日のリジャでの大発生のように移動の素早い虫型の魔物が襲ってきた場合に備えて、動きを止める罠型魔道具の量産に追われている。昨日までならお茶の余裕はあったのだけれど、改良の必要が生じたのかもしれない。
「スカーレット様、どういった原因で魔物が異常繁殖を起こすのか、研究した方が良いのではありませんか?」
「そっちは魔塔で調べているって話だけど、必要?」
「勿論信用していないというお話ではありませんけれど、わたくし達だからこそ発見できる事実もあるのではありませんか?」
漠然と高魔力を含有する何かを探している状態だから、取っ掛かりが欲しい気持ちも分かる。現状で有効な報告が届いていない事から、魔眼を研究に生かせるんじゃないかって期待も。
ただ、その思い付きは致命的な欠陥を抱えていた。
「この上で研究に費やす時間ってある?」
「…………ありませんわ」
魔眼所有者は貴重で、だからこそ調査を担当したって経緯がある。私達の代わりになれる人間は存在しないし、私達の手もこれ以上増やせない。
ウェルキンは調査終了地点に待機させて、転移鏡で戻っているくらいだからね。ノーラも、お茶の後は転移鏡でエッケンシュタインに戻る。移動に時間を割いている余裕はなかった。
『はっはっはっはっはぁあ! まだまだやれますぞぉ!』
……。
肝心の魔力源については、何も見つけられないまま何日も過ごしている。そのせいで、焦燥感が募る気持ちは私にも分かる。だからとノーラが無理を重ねて、事態が好転するとも思えなかった。
「研究に突破口を期待するなら、魔物が魔力を察知する機構について調査を依頼してみない? それを阻害できるなら、異常増殖した魔物が人里へ向かう危険を減らせるかもしれないよ」
「……そうですわね。要望書を出すくらいしかできないのがもどかしいですが」
魔物を解体して各部位の機能を鑑定するならノーラの得意分野ではある。けれど彼女に死体を解剖する技術はないし、魔道具方面に見識を広げてきたせいで生物分野の知識は不足している。
鑑定魔法って術師が理解できる範囲で情報を読み取るものだから、今回の場合はノーラも専門の鑑定士に劣る。魔塔に任せておくのが賢明だと思う。
「誰かに頼れる部分まで自分が背負い込もうとする必要はないよ。特に今回は国中が一丸となってあたる事態なんだから、大勢の力を借りておこう」
「そう……ですわね。キャシー様もマーシャ様も、ご自身が得意とする分野で奮闘されているのですものね」
キャシーは魔道具の整備と改良、マーシャは量産や運搬の手配で忙しい。ウォズは素材の用意に駆け回って、オーレリアは苦手な社交に精を出している。ウェルキンが領内を飛んでいると監視されているようで落ち着かないって貴族の態度を軟化させる必要があるし、寄付って形で協力を仰ぐ目的もある。本来なら防衛の中心として働く私が動くべきところを、調査を優先してオーレリアにお願いしている状況にあった。
「オーレリアとしては前線で剣を振りたいんだろうけど、彼女にしか討伐できない脅威じゃないから、支援役に徹した方が貢献できると判断したんだろうね。多分、状況が上手く伝わらないせいで焦れったさは感じていると思う。でも、防衛との両立は無理でしょう?」
「そう、ですわね。領主や奥様方と交流の一方で、討伐にも参加なんて無理ですもの。それを思えば、わたくしは領主の役目と調査に専念すべきなのですわね」
「私達が何かを見つければ、事態は解決に近づくかもしれない。でも、私達が何も見つけられなかったからってこの事態を乗り切れない訳じゃないよ」
「はい……」
かつてのエッケンシュタインは取り潰しとなって、新しく爵位を得たノーラは改めて旧エッケンシュタイン領の統治を任された。旧伯爵家との繋がりはないのだけれど、未だ同一視する貴族は多い。
そうした貴族の批判を封じるためにもと、成果を急いでいるのかもしれない。
彼女は元々、実績を重ねることで信用と自信を得てきたところがあるから、ここでも役に立たないといけないと自分を追い込んでしまったとも考えられた。
でも、ノーラ一人で抱え込まなくていい。
ディーデリック陛下も私も、彼女にそこまで重い責任を押し付けてはいない。
『よし! よし! よし‼ 今のは惜しかった! もっと続けましょう……!』
……うるさい。
「……今のはリジャの令息ですか?」
「うん。今日来るとは聞いてたけど、早速賑やかだね」
王国南部の警戒網を構築するにあたって、冒険者としても実績あるケームル・リジャを自領の防衛だけに専念させるのは勿体ないと、ミーティアの遊撃部隊に組み込む事となった。曲がりなりにも次期領主としての教育も受けているから、部隊の指揮も任せられる。
臨時編入は彼だけでなく、レオーネ従士隊やノースマークの有志も参加する予定だった。リジャ子爵は相当渋い顔で息子をお願いすると言っていたけれど。
「聞こえてくる声から察しますと、顔合わせに模擬戦でもしているのでしょうか?」
「多分ね。分かりやすく実力を示したなら、うちの兵士達にも受け入れやすくなるだろうってウィードさんが言ってたよ」
強さはイマイチでも、無尽蔵の体力もアピールポイントになるのかな。
「彼がいる間、防音の魔道具を増やした方がよさそうですわね」
「うん。キャシーに頼むと彼女が倒れそうだから、既製品をウォズに買ってきてもらおうか」
いっそ、声を抑制する魔道具を彼に装着させるって方法もある。
需要は聞いたことないけど、拡声の魔道具の機能を反転させるだけだから、弟さんに依頼してもいいかもしれない。
「エレオノーラ様、大変です!」
丁度話も脱線したのでお茶会を切り上げようとしたところへ、アシルちゃんとベネットが駆け込んできた。エッケンシュタインにいる彼女が転移鏡を使うほどの事態なんて、今は一つしか考えられない。
「ラキ村の北部で魔物の異常を発見したと連絡がありました! 防衛の準備は進めていますが、打って出るだけの余裕はないそうです。駐留している冒険者が援軍を要請しています!」
「――!」
いつかは自分の領地で起きるかもと覚悟していても、実際にもたらされた凶報がノーラの表情をこわばらせる。
ラキ村は南ノースマークとの境界に近いので、私にとても他人事じゃない。
「ミーティア、出撃準備! 合流組は待機、今回は拙速を優先するよ!」
いつもお読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、評価をいただけるとやる気が漲ってきますので、応援よろしくお願いします。