建国祭
聖地へ向かう必要性が生じたからって、すぐに実行できる訳じゃない。
あそこは宗教的に重要な場所であると同時に、政治的な配慮が必要な場所でもある。景観を破壊したり、立ち入りを制限する工作を行なったりと神様を冒涜するような真似をしなくても、気軽な出入りは許されていない。
貴族である私が訪問するだけで、何か国の意向が働いているのではないかと警戒される。占有する目的があるのではないかと疑われてしまったら、王国は周囲から孤立してしまう。
そうした疑念を向ける多くは一般人なので、国家間の上下関係も通用しない。
これまでは魔物領域に阻まれて到達できないのが普通で、辿り着くには徳を積む必要があると信じられてきた。そうした迷信は、技術が発達しても簡単に払拭できない。理屈より感情が優先されてしまうので、空からの往来は神様の意思に反しているって批判も多かった。
現状、魔物の脅威が大きくて私達くらいしか到達できていない事も影響している。
誰でも気軽に行き来できるようになれば風潮も変わるのだろうけれど、神聖な場所へ簡単に立ち入ってはいけないって信仰が根強い。
前回の訪問はクリスティナ様が一緒だった。
彼女……と言うか、神殿関係者に望まれてのデルヌーベン行きだった。
聖女であるクリスティナ様があの場所を訪れるのは神殿としても信者としても意義が大きい。
初挑戦だったのも許諾を後押ししてる。空路であっても魔物が障害になるのだと実証した。聖地到達の困難さを改めて周知したって役割があった。それで非難を免れている。
けれど改めての訪問となると、そこに何かの意図を勘繰られてしまう。私が貴族であることが更に疑いを強める方向へ働く。
まさか、あそこで魔漿液に浸かる夢を見たので調査に行きます……とは言えないし。
ついでに、夢じゃないって証明も難しい。鉱化スライム片による記録の違いでは、信者を説得するための証拠としては弱かった。
そんな訳で、しばらくは根回しに奔走する必要がある。
信仰は個人によるものでも、大勢の貴族が後ろ盾になってくれたなら支持を得られやすくなる。調査以上の意図はないと知らしめられる。
面倒であっても避けられない。
それと根本的な問題として、私の予定が空いていなかった。
建国祭。
王国のもっとも重要な祭事を前にして、ちょっと聖地に行ってきます……とは言えない。
代理は認められているものの、参加を託せるのは爵位の継承権を持った親族のみと厳格に定められている。つまり、私には交代できる人間がいない。出席を見合わせる方法が存在しなかった。
その状況で無駄に悪足搔きをしようとは思わない。参列して当然って空気なので、足並みを乱すと今後の社交に差し障る。当然、聖地行きの調整をしようってタイミングでそんな真似ができる筈もない。
建国祭は城の奥にある専用の広間で執り行われる。
年に一回、この日だけ開放されるホールに王国貴族がずらりと並ぶ。
最奥には祭壇が設置してあって、その壇上へアドラクシア殿下が上がった。
「――!」
声にならないざわめきが広がるけれど、貴族と同様に祭主の代理も認められている。だからと言って、流石に王太子以外に任せる事はない。
そして、去年まではディーデリック陛下が当然のように務めていた。
敢えてそこを変えたって事は、段階的に譲位を進めていくとの表明だと受け取れる。アドラクシア殿下は立太子が遅かったのもあって、あんまり継承を長引かせていると能力不足を疑う声が上がってしまう。
私としては納得のいく展開だったのだけれど、苦虫を噛み潰したような顔した貴族も多い。
ディーデリック陛下は次代の決定で貴族への対応を変える事をしなかったものの、殿下の即位となれば元第二王子派閥の冷遇が予想できた。アドラクシア殿下にそのつもりはなくとも、彼の支持者は元敵対派閥の排斥に動く。
次代の権力者達に取り入れなかった貴族としては、少しでも先送りにしたかった事態だろうね。
それと、今回の意思表明にはベリル君とフェリリナちゃんの件も大きく影響している気がした。
アノイアス様に復権の意思はない。
それを捻じ曲げる事は現実的でないとしても、子供達ならばと愚昧を望む勢力が生まれてしまっている。彼等の思想は貴族ばかりか役人や騎士、城に出入りする使用人にまで広く浸透してしまっていて、特定が完了したって話は聞かない。
そもそも、過剰な信奉者の捜索は楽じゃない。行動に移していない人間の思想なんて、簡単に調べられる方法もない。アノイアス様を過度に慕っていたから排除する……なんて訳にもいかないだろうし。
そうした事情も考慮したのかもしれない。
アドラクシア殿下が即位したなら、直系でない双子が王位に就ける可能性はほとんどなくなる。それで暴挙に出るなら処罰しやすいし、宿願が叶わないなら諦める者も出る。王太子ならともかく国王に不満を抱いた勢力なんて許容できないから、周囲の監視も厳しくなる。
潜んでいるアノイアス様の信奉者達は数を減らさざるを得ないだろうね。元々連携している訳でもないから、そうなると脆い。
それからもう一つ。
私達の陞爵と叙爵が影響しているように思う。
魔導士で、国の発展を牽引する私は誰にも無視できない。そこへ子爵となるキャシー、私に続いて未成年ながら叙爵の決まったノーラとウォズ、更にノースマークとの縁組が決まっているオーレリアを加えれば、周囲に多大な影響を与える一大勢力が生まれる。これまでの私には派閥の長となるだけの権威がなかったけれど、伯爵となるからその資格も得てしまう。
今日はヴァンデル王国としても転機と言っていい。
そんな私達と共に新時代を作っていくのだとアピールできれば、殿下の治世は盤石になるだろうって信頼を得られる。
(時機を見計らっているように思っていたら、これを狙っていたんだね)
(レティの内定から随分待たされましたものね。王位争いが長く続いた分、王権を補強できる機会は逃したくないのでしょう)
ちなみに、私達の会話はどこにも届いていない。
鉱化スライム片と魔力波通信機を組み合わせた新型で、声に出さなくても意思疎通が可能になった。
式典中にお行儀が悪いとは思うけれど、念話魔道具の実験くらいは許してほしい。
何しろこの祭事、ほぼ丸一日続くんだからね。
(……お腹が空きました)
大人しく座って半日以上、ノーラが涙目になっているくらいだった。休憩時に少量しかお腹に入れていない。そして式典では、初代国王への感謝と更なる発展への決意から始まって、各世代の国王への謝辞が延々と続いていた。
正直、祭事の内容をもっと見直すべきだと思う。
あんまり過酷なものだから、魔法を使って周囲に迷惑をかけない雑談程度は暗黙の了解で見逃されていた。
もっと大変なのは王太子殿下で、休憩も許されずに弁舌を続ける。当然、原稿を見ながら繁栄を寿ぐなんて許されない。〇〇を成した△△王、貴方のおかげで□□といった発展を遂げられました……と感謝の言葉が続く。ほとんどは丸暗記で済ませるとは言え、拡声の魔道具も使わず祭事場全体へ声を届かせ続けるのは苦行以外の何物でもない。
厳かな気持ちで耳を傾けられるのは五代目くらいまで。その後は苦難の時間がひたすら続く。
案外、今年から祭主を交代したのは陛下の体力的な限界が一番の理由かもしれない。
そうした催しの関係上、世代を重ねるごとに祝辞の数は増える。
アドラクシア殿下がお役目を引き継いだ訳だから、ディーデリック陛下へ向けた感謝と決意表明が必要になるのは当然の流れだった。
「戦後の傷痕残る苦難に即位を求められた数奇なる父王陛下、貴方の尽力によって我が国は見事に復興し、更なる発展を続けています!」
そこまで殿下が告げた直後、彼を中心とした白い光が祭場を照らした。
「「「――!」」」
ほとんどの貴族が驚嘆で迎える一方で、私達には見慣れた輝き。
殿下が掲げた右手には聖剣があった。鞘からその刀身を抜き放ち、そこから発せられる光で広間を満たす。
「そうして陛下が発展させてきた国は、更なる契機を迎えました! 各領地を空から結び、多くの傷病を克服し、魔物に支配された領域すら切り拓いて未来を明るく照らしています!」
途端に、祭場内を神々しさが支配した。
コキオでの収穫祭と同じで、オリハルコンを神事に導入すると高位存在の接触を実感できる。理屈は依然として分からないまま、その温かみと荘厳さには自然と敬服してしまう。
(レティ、あれって……)
(うん。煌剣を作った少し後で、光を発するように改造してほしいって作ったやつだね。こんなところで使うとは思わなかったけど)
建国への感謝を捧げる神事に相応しい演出だとは分かるものの、属性変換器と光属性の魔石を取り付けただけだと思うと微妙な気持ちになった。それだけで呼応する神聖存在にも少し呆れを抱いてしまう。
案外、世界の機構的に反応する定常現象なのかもしれない。
(今となってはオリハルコンのありがたみが薄れたと感じてしまうレティの気持ちも、少しは分かってしまいますね)
(何しろ、煌剣と違ってほとんど形を整えただけのものだし……)
総オリハルコン製で含有量は段違いだったけど、量産が可能になってしまうとそこに優位性はない。
(それでも世間的にはあの聖剣が唯一のものです。絶対不変の神の金属である事実も変わりませんし、その威容で貴族を圧倒するのが目的ではないですか?)
(まあ、祭主継承の印象は強く残るよね)
(それに何と言っても、“ヴァンデル王国を守護する聖剣”……ですから)
(ごめん。関心を引くために適当言っただけだから、その件については忘れてほしい……)
何の機能も持たせていない金属の塊について、それらしく語った過去の自分を叱りつけたい。
おかげで、周囲の貴族の羨望にまるで共感できないよ……。
「オリハルコンをダンジョンから持ち帰る精強なる軍隊を組織し、王国に聖剣をもたらす賢者達がその才能を発揮できる環境を整えた陛下の功績は、建国王にも劣るものではないと確信しております!」
「「「おおおおおお~~~っ!」」」
殿下の手放しの称賛に、歓声が応える。
神事の対応としては異例であったけれど、それだけの興奮が祭場を包んでいた。形ばかりの聖剣は、確かに政治的な役割を全うしている。
そもそも祭主の継承で世代交代を内示する以上、建国祭は政治利用とは切り離せない。父王陛下を絶賛して貴族に発展の継続を期待させるのも、独自の変革を高らかに宣言するのも、王太子の自由となる。
歴史を振り返れば、碌な功績のない先代を愚王呼ばわりして貴族との結束を高めた例もあったらしい。
「そして、我が国の賢者達は止まる事を知らなかったらしい!」
ここまで祭壇へ向かって感謝と決意を繰り返していたアドラクシア殿下だったけれど、今度は口調を戻してこちらへ振り返った。
賢者と称えられているのに、ちょっと馬鹿にされた気がする。
「既に多くの者が耳にしているだろう事実を、この機会に公式のものとしよう。我が国は、人工ダンジョンの開発に成功した!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおお~~~っ‼」」」
今度の歓喜は先ほどより大きかった。王城が揺れてるんじゃないかってほどの大音量が祭場に響く。それはそのまま、人工ダンジョンへ向けられた期待の大きさでもある。
「魔物共に阻まれ、限られた資源を分け合うしかなかった時代は終わりを告げた! 危険と隣り合わせのダンジョンへ冒険者を送り出し、無事と大発見を願わなければならなかった巌窟は変わっていく事だろう! これからの我々は魔物共を資源へと変えて、豊かな未来を創り出してゆくのだ‼」
「「「わあああああああああああああああ~~~っ‼」」」
「そんな希望にあふれた未来を創り出してくれた賢者に、私は応えたいと思う」
アドラクシア殿下のその宣言に、轟いていた歓声がピタリと止まる。
この展開は事前に聞いていた通りだった。建国祭の祝辞は思いの丈を心のままに語るって建前になっているので台本なんてなかったけれど、祖霊も集うこの場所で栄誉を賜る事は決まっていた。
褒賞を授与する数ある機会の中で、建国祭中に行なう陞爵、叙爵が最高の称賛だとされている。
祭主が全ての国王へ謝辞を告げた後、貴族がその役目の全うを宣言する展開が待っている。その機会に私達が陞爵や叙爵の決意を語る予定となっていた。
「スカーレット・ノースマーク卿、其方は我々の期待を遥かに超えてくれた。祖霊に発展を報告する身として、これほどまでに嬉しい事はない。其方がこの国の伯爵として、貴族の模範であってくれる未来を私も父も望んでいる。受けてくれるか?」
「謹んで拝命いたします。その期待に応えると同時に、発展の象徴としての役割に奮励を続けましょう!」
あれ?
厳かな式典を書いていた筈では……?