夢の記憶と羞恥映像
視界に入ったのは見慣れた天井。
学院に入って以来事あるごとに使っている部屋で、叙爵以降は一応間借りしている事になっている自室だった。活動の場を移した後もいつでも使えるように整えてくれていて、コキオ滞在の方が長くなったとしても、居心地の良さは変わらない。
「うーん、逃げられた……」
目を覚ました私は、装着していた魔道具を外しながら呟いた。
いつの間にか夢に現れるようになった何者か。
外見は前世の私の姿をしているけれど、言動には違和感が目立つ。
偽物だって気付いていると突き付ければ動揺するかと思ったのに、反応を見た限りではまだ余裕がありそうだった。偽物と暴かれた事自体は、それほど困る展開ではないのだと思う。
第一、正体は依然として謎のまま。
そもそも目的はおろか、どんな手段で私の夢に干渉しているのかも、私の記憶にしか存在しない前世の事情にどうして通じているのかも分かっていない。こちらから接触する方法すら明らかになっていない状態で、主導権は未だあちら側にある。
今のところ悪意は感じていないけど、彼女? の意図を明らかにするのは難航しそうだね。
夢の中では記憶が繋がっているのに、起きると何も覚えていないとか気味が悪くて仕方なかった。一度きりで再発の気配はなくとも、起きるといきなり魔力が枯渇しているのも困る。
以前に調べた事がある。この世界に夢魔や獏みたいな魔物は存在しない。
精神に干渉する魔法はあるけれど、対象に接触して発動する場合がほとんどとなる。人の心みたいに複雑なものへ介入するのだから、その方面に特化した才能も必要とする。遠隔から魔道具で……なんてお手軽に行なえる技術じゃない。
つまり、誰かの攻撃、或いは嫌がらせって線は低い。
これがただの夢なら、私は相当おかしな人って事になっていた。
何も覚えていないのに、夢を見たって確信だけが付きまとう。
いきなり魔力が枯渇したと思ったら、突然お父様の過去の記憶が生えてきた。
そこで、鉱化スライム片を使ってみた。
意思を伝える結晶を映写晶に繋いで、眠っている間の思考を記録する。夢を映像として残せるかと期待したけれど、意味不明に記憶や虚構が張り合わせてあった。夢の中にいる間はストーリーとして完成していても、あくまで外的刺激から隔絶された状態での脳の運動で、理解を必要とするものではないらしい。
けれど、魔道具を装着してから眠るようになって三日、つまり今日。
鉱化スライム片が通常とは異なる挙動を受信した。
記憶の整理だとか、無意識化の願望とは明らかに違う意識の表層化だった。
確かに私は温泉の快適さを体感し、誰だか分からない相手と皇王陛下の後継について会話した。実際に起きた現象として、映写晶には記録されているのだと思う。
そして、私には映像を確認するまでもなく確信があった。
何しろこれまでの記憶が繋がっている。事あるごとに前世の温泉を満喫して、芙蓉舞衣の姿をした誰かと対話し、お父様の過去を垣間見た。その後、何故だか魔漿液に浸かっていた事まで覚えてる。
あれは夢じゃない。
身体はここで寝ていたけれど、私の意識は間違いなくあの現象を体験した。復元された記憶が明晰夢だった可能性も否定する。温度や香り、細部まで思い出せる現実感を記憶の再現だけでは説明できない。
おそらくだけど、映写晶に記録を残した事で、私の中だけで完結していた事象が現実と繋がった。外部からの刺激によって生まれた精神世界の出来事だったとしても、夢と違って記憶がしっかりと残っている。これまでは引き出し方の分からないそれに違和感を抱いていたけれど、存在が明らかになったなら回顧も可能となる。
昨晩の出来事だけでなく、一連のあれこれを全て思い出せた。
いつも正体不明の誰かと話していた訳じゃない。一人で温泉を楽しむだけの場合もあった。お父様の過去を追体験したって例外もある。その後、脈絡なく場面が聖地に移った訳だから、何か関わりがある気はしてる。
とは言え、私にできるのはここまでだった。
あの現象に引っ張られるのを防ぐ方法はない。今後は忘れてしまう事態は避けられるだろうけど、眠った状態で温泉に誘われるのは間違いない。
「とりあえずは情報を集めるしかないのかな」
思い出せもしないまま、一方的に何かをされる事態は回避できた。今後も接触が続くなら、反抗の手掛かりを探しておく必要がある。
まずは映像を確認しておくべきかな。
夢想世界で私が体験したことを伝達しただけなので、記憶の通りだとは思う。それでも、客観的に見る事で気付ける何かがあるかもしれない。
「おはようございます、お嬢様。本日はもうお目覚めだったのですね」
映写晶の記録は鏡面なら何にだって投射できるけど、専用の大型スクリーンは自室に持ち込んでいない。
姿見で間に合わせようと配線を繋いだところへ、フランがやって来た。
いつもの習慣なので驚きはない。
けれど、タイミングは悪かった。
私の右手は、既に映写ボタンを押している。
そして、温泉を楽しむ私が映っている筈の姿見には、気持ちよさそうに聖地で魔漿液に浸かる私が映し出されていた。しかも、登場するのは私だけで、私は誰もいない空間へ話しかけている。
なんで?
どうして?
深緑を眺めながら温泉を楽しんだ覚えはあるのに、記憶と映像が一致しない。主観的にはつい先ほどの出来事なのに、既に齟齬が生じてしまっている。
あの温泉って幻想だった?
芙蓉舞衣の姿をした誰かは存在しない?
私がそう認識していただけで、この目に映っていたのは虚像だった?
いや、それより、今はもっと大切な事がある。
睡眠中で視覚が働いている訳じゃないので、映像は私の視界で進行しない。魔道具自体、夢を映像化したいと組み上げたのもあって、使用者の認識をもとに全体像を映すように調整してあった。それが、今は悪い方向へ働く。
つまり、映っているのが私だと分かってしまう。
「失礼しました、お嬢様。私は出直してまいります」
「待って! その必要はないから、どうか私の話を聞いて‼」
空気を読んで退出しようとするフランを慌てて止めた。
今はその気遣いが痛い。誤解したまま行かせてしまったら、私への印象は大変な事になる。
当然、皇国への侵攻で単独行動してたからって、聖地へ寄り道して変態趣味に興じていた訳じゃない。
この映像は寝ている間に起こった不思議体験を記録しただけで、私の願望だとか現実の出来事とは何の関係もないのだと切々と説明した。
こんなに真剣に語った事は初めての経験だったかもしれない。
「そう……ですか。そんな異常な事態? が、お嬢様の眠っている間に……」
いくら言葉を重ねてもおかしな映像が実際にある訳で、説得は恐ろしく難航した。
相手がフランなので私を信じる前提で耳を傾けてくれているけれど、返答の端々には疑問が浮かんでいた。
普通に考えて、私の特殊趣味の記録って可能性は捨てきれない。
「先日作った魔道具で得た記録だとは理解しました。……本当に夢の記録という訳ではないのですよね?」
鉱化スライム片で夢を記録できるんじゃないかって言いだしたのは皇国からの帰路の事なので、フランは魔道具を組み立てる場に立ち会っている。
「うん、フランも見たでしょう。睡眠状態だから夢として認識できるだけで、外部からそれを読み取れるほど作り込まれていないって」
「そう、でしたね。お嬢様の夢でなかったのは、それはそれで安心できました。いえ、問題はそこではないのでしょうけれど」
聖地デルヌーベンの魔漿液に全裸で浸かるだなんて、夢だったとしても精神状態は大丈夫かと心配になるよね。
加えて、何処の誰かも分からない相手に前世の自分を重ねて温泉で語らうのも相当だと思う。
とは言え、前世云々は話を複雑化するので説明できない。
「私の認識であそこは確かに温泉だった。お湯の温かさも、強い硫黄臭だって覚えてる。まさか聖地だなんて思わなかったよ」
「それは間違いないと思います。表情が温泉でくつろぐお嬢様と同じですから」
私への理解が深いフランは言い切った。
それだけだらしなく緩んでるって事だよね? 信じてもらえた事を喜んでいいのか、そんな事で確信された日頃の自分を省みるべきなのか、どっちだろうね。
少なくとも、冷たい魔漿液に浸かってあの幸福感は得られない。
「つまり、あそこが温泉だと誤認する催眠状態だったって事だよね」
精神への干渉は二種類あった。
私と対話した事実を忘れさせるものと、聖地にいる事実を隠すものと。もしかすると、他にもあるかもしれない。そういった魔法には心当たりがないから、かなり面倒な相手に目をつけられた。
記録は残っていないけど、今回以外の温泉も幻だったと思っていい。
そうなると、聖地に移動して見えた一回が気にかかる。あの時だけ温泉の絵がなくて、お父様の過去を追体験したり、直後に魔力が枯渇したりと特殊な状況が重なる。
何かの不具合だったのかな?
「お嬢様、映写晶を増やしませんか? 精神世界を記録するだけでなく、寝ているお嬢様も確認しておきましょう。お嬢様が夢遊病のように移動したり、侵入者がいる危険も警戒したいと思います」
「可能性は低いと思うけどね」
「それでも、確認しておかなければゼロにはなりませんから」
「知ってる。そのあたりは任せるよ」
かなり特殊な状況なんだから、あり得ないなんて思い込みは役に立たない。
お屋敷に不寝番や夜間担当の騎士がいても、存在を隠す魔道具や転移鏡、人目を忍ぶ魔道具を開発してしまっている。
「干渉を阻害する魔道具は作れないのでしょうか?」
「ちょっと無理そうかな。どんな方法か、見当もつかないからね」
「当事者でない私の希望的観測ですが、干渉に気付いていると告げた事で接触を控えると言った事には……?」
「多分だけど、そう都合よくは運ばないと思う」
彼女? からはそんな余裕が察せられた。
「少なくとも、向こうの絶対優位を覆すか、目的を明らかにしてそれを終わらせるまでは続くんじゃないかな」
「ただの夢でないと分かったのですから、詰問するくらいはできるのではありませんか?」
「それで応えてくれるなら、ね」
「お嬢様にそれと気づかせないほど精神魔法に長けているなら、意に介さない可能性もあり得ますか……」
「とりあえず、向こうで魔法が使えるか試すところからかな。それができるなら、こちらも反抗が可能かもしれないし」
不思議と、あの世界の中では魔法を使おうって意識が湧いてこなかった。案外、そういった行動制限を受けている可能性もあり得た。先日作った使役の魔道具に近いのかもしれない。
「危険が少ないのが救いかな。私を害するのが目的なら、機会はいくらでもあっただろうし」
「だからと言って、安心はできません。魔力の枯渇など、実害もあったではありませんか。それに、相手に警戒されたならこれからは分かりませんよ」
そうだとしても、現時点では対抗手段すら存在しない。
裸で異常行動中の映像はオーレリア達にも見せられないから、しばらくはフランと二人で対策を練るしかないと思う。そうなると、ますます選択肢は狭まる。
そして解決の為には、改めて聖地を訪れる必要性も感じていた。
皇国の件が片付いたばかりなのに、また面倒な事案が降って来たものだね。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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