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余話 夢の中で 4

あれ? 気が付くと日付が……。

ゴメンナサイ

 目の前には新緑が広がる。今回の温泉は盆地の外縁部分に位置していて、湯船は山側へ向けて作られて斜面を一望できた。生い茂った緑葉を強い日差しが輝かせる。

 日差しは暑いくらいだけど、吹き出る汗を洗い流すお湯が気持ちいい。

 木造の浴場には趣があって、檜製の浴槽が素肌に優しい。そこに満たされたお湯は青白く濁っていて、自然色の浴場に映えていた。天然の源泉であっても、ケイ酸塩を多く含む泉質は景色と調和しない。その不思議なチグハグさも好きだった。


 夢だと分かっていても、保湿による美肌効果を期待して肩まで浸かってしまう。

 白く濁ったお湯には硫黄化合物も多く含まれていて、温泉独特の香りに満たされている。pHが低めの酸性泉は殺菌効果が高くて皮膚炎にも効果があり、お肌の角質を溶かしてツルツルにしてくれるとなれば、その独特な色味も相まって霊泉なんて呼ばれた歴史も納得できる。当時の人々が神様の奇跡だと信じた背景も当然に思えた。


 王国にも温泉はあるけれど、やっぱり文化は違う。

 お湯や効能に差はなくても、浴場の造りは大きく異なる。コキオのお屋敷には檜風呂を導入したりと随分無茶を通したけれど、それでも景観をまるきり無視できる訳じゃない。

 技術的に突飛なのは今更だとしても、文化的に際立つのは外聞が悪い。お風呂みたいに人目に触れる場所でなくても、珍奇な趣味があるのだと噂になってしまえば以降の社交に差し障る。ある程度の自制は必要だった。


 その点、夢であるなら気兼ねなく堪能できる。

 前世で体験した温泉にしか行けないのは欠点だけど。


「皇都の有名温泉を楽しめばよかったのに」


 あー……、泉質はともかく、石造りで薄暗い浴場はあんまり好みじゃなかったんだよね。


 カムランデのカミーリドゥゴ温泉については以前から知っていた。

 建国前から存在するとされる大陸でも屈指の歴史を誇る。白鷺が傷を癒す目的で湯船に足を浸しているのを見かけた事から注目され、湯治や美容に大勢が利用するようになった。お湯は源泉掛け流しのアルカリ性単純泉で、お肌への刺激も少ないから長風呂にも向いている。


 期待はしていたのに、光源が古い魔石灯しかないので仄暗かった。

 歴史ある浴場の雰囲気に合わせてあるのだと理解できても、窓一つない石室には息苦しさを覚えてしまう。その風情を否定するって訳じゃないけど、あの荘厳さは私の趣味と一致しない。


 魔石灯とか、魔道具が一般化する前の照明器具だからね。

 光属性の魔石に術師が魔力を込めて、光を発する間だけ容器に入れて吊るしておく。光量増幅の機構もなければ、消費魔力低減の工夫もない。火より安全に使えるってだけの原始的な投光手段だった。


 そんな薄暗い湯船にフランと二人でいると、気が滅入ってしまいそうになる。

 貴族向けで他にお客さんがいないのも後押ししていたかもしれない。


 私にとって温泉は、身体を清めるだけの場所じゃない。嗜好を満たすのも目的だから、景観にもこだわりたかった。心地いいのは当然として、趣向も一緒に楽しみたい。内風呂なら内風呂で、意匠に凝っている方が好きだよね。


 だからたとえ夢だとしても、前世の温泉が追体験できるこの機会が貴重な訳だし。

 あくまで気分を味わうもので、お湯の効能には期待できそうにないけど。


「……と言うか、随分と浮かれてない?」


 そうかな?

 実はあんまり自覚がない。普通に振舞ってるつもりなんだけどな。

 ……いや、つもりって時点でいつも通りは難しいのかも。


「人生二度目で漸く婚約できたと思えば、無理もないのかな」


 普通にディスられた。

 今のスカーレット(わたし)しか知らないオーレリア達に呆れられるならともかく、前の芙蓉舞衣(わたし)を知っている相手からの辛辣な言葉は結構効く。


 今になって思い返せば、アプローチされてたのかもって記憶もいくつかは出てきた。当時は本当に鈍感で、無自覚に傷付けていたのだと思う。お誘いの真意や言葉の裏を読もうともしなかった。あれだけはっきりとウォズから想いを告げられてもウダウダしていたくらいだから、前世の私に内心を察しろっていうのはかなり無茶だったんじゃないかな。

 後年は自分から拒絶する生き方をしてきたし、今更勿体ないと思う訳ではないのだけれど。


「とりあえず、おめでとう……でいいのかな?」


 うん、ありがと。

 慶事には違いないから、祝福は素直に受け取っておく。黒髪セミショートでまな板の外見は覚えがあり過ぎて違和感凄いけど。


「これも、暴走してくれた皇国貴族のおかげ? 随分と都合のいい方向に転がったよね」


 ……。

 その考え方はしたくない。

 散々な目に遭わせた自覚もあるけれど、ウォズへの仕打ちを許そうとは思わない。


 それに私もウォズを大切に想っていた訳だし、今回の事がなくても何処かで気付けたとは思うんだよね。きっと、あの実直さが教えてくれた。


 皇国が私に逆らえない状況になったのは好都合ではあるものの、それで何かしようとは思っていない。


「そうなの? 折角屈服させたのに?」


 だって。国を裏から支配だなんて面倒そうだし。


「あー、まあ、そうかも。傍観者くらいの方が気楽かな」


 それに、調子に乗って横柄に振舞っていると何処かで綻びを生む。

 独裁的な振る舞いに不快さを覚えない人間は少ないだろうし、無茶な押し付けには誰だって反発する。積もり積もった不満がいつか必ず暴発すると分かってまで、あの国に関わろうとは思えない。

 何より、自分を過信して傲慢を拗らせるような、皇国貴族の真似はしたくない。


 私は王国の人間なんだから、ここからは皇国人だけで変革していけばいい。

 あのままなら存続が危うい現実は嫌ってほど実感しただろうし。


「どう考えても、帝国と小国家群が機会を窺っているよね」


 内戦と竜の襲撃で間違いなく国力は衰えた。そこに統治能力のない貴族の専横まで加わったなら、こんなに大きな隙もない。すかさず侵攻するに決まってる。


「皇国の影響力を削いで国土を得るチャンスだからね」


 南の鉱山、東の辺境伯領、北のバリータオール港、狙う場所ならいくらでもある。王国だって、国土拡大政策が続いていたなら絶対参戦しただろうし。


「そうしないための休戦でもあったのかな。大陸の勢力図が塗り替わると混乱が大きいだろうから」


 まあね。

 多額の賠償金を請求したり、必要以上の処刑を求めたなら、その懸念が実現する可能性があった。今の王国なら盤石だとしても、将来的な不安は残せない。あちこちで戦乱が起きるなら王国も無関係でいられないかもしれないし、その隙を外大陸から狙われる危険もある。

 私が切っ掛けで混乱が助長するような事態にはできなかった。


「でも、後継の指名くらいは良かったんじゃない? その方が強く影響力を残せたと思うけど?」


 必要ないよ。

 私が口を挟まなくても、そこで揉める心配は必要ないだろうから。


「……そうなの?」


 残念ながら、ウィラード皇子はない。

 本人は皇位を望んでいても、彼は婚約希望と事件の不阻止で私の不興を買った。皇国中が何より私を恐れる状況で、ウィラード皇子を担ごうって人間はいないと思う。ザイーゾ伯爵の暴走を許した時点で、彼の望みが叶う機会は失われた。

 改革に失敗すれば私が乗り込んでくると考えているだろうから、本人的にもその恐怖と向き合おうとは思えないんじゃないかな。


 有力なのはヘルムス皇子。

 軍部は掌握しているし、国民人気も高い。私に敗北したって瑕疵はあるけど、それを責める人間がいるとも思えない。

 脳筋である点なら周りが補える。リンイリドさんは特に頼りにできた。

 直感に優れて決断力もある。行動力については言うまでもなくて、無限の体力も秘めている。誰かを頼る事に躊躇いがないのも美点だと思う。脳筋だったことが勿体ないくらいの資質なんだよね。


「ロシュワート皇太子がいたから声高にならなかっただけで、ヘルムス皇子の即位を望む声は以前からあったって話だよね。なら、彼で決まりかな?」


 どうだろ?


「あれ? 何か他に不安要素ってある? 脳筋には違いないけど」


 王様が天才である必要はないから、脳筋はそこまでの欠点にはならないよ。まだフォローできる範囲だと思う。


 けれど不安要素として、皇位を渇望するほどの熱意はない。

 国に尽くすのは当然で、皇王を支える立場だと決めてしまっている。


「でもそれって、ロシュワート皇太子がいたからじゃない?」


 それはある。

 周囲から請われて彼自身が必要だと判断したなら、全てを国の為に捧げられる人ではあると思う。きっと、皇族としての責任は果たす。


 だけど同時に、熱意ある人間に任せるべきだとも思うんだよね。

 勿論、ウィラード皇子じゃない。

 今の時点では脳筋以上に欠点だらけで不安も多い。皇位を望む資格なんてないと思い込んでいるかもしれない。まずはその殻を破って、人並み以上の努力を重ねる必要がある。


 それでも自身の才覚を正しく把握して、周囲を頼る事を覚えられたなら――面白いんじゃないかな。


「なるほど……。成長を待つための時間稼ぎでもあった訳だね。もしかして、前から期待してた?」


 そんな訳はない。

 世話を焼いた時点では皇太子が存命で、こんな事態は想像できていなかった。


 そもそも、彼の死を切っ掛けにこの状況へ陥った。

 そうでなければ決してあり得なかったくらいに、あの国の王威は強い。不満があっても皇王の意向なら呑み込んで、それでも暴発した貴族達は制圧されてきた。それだけの武力がある事で、また統制を生む。

 王国との協調路線を進むと発表して、なのに王国貴族(ウォズ)を害す愚か者がいるなんて無い――筈だった。


 ロシュワート皇太子の継承が当確過ぎて、他の継承者達が育たなかった事。

 その皇太子が前触れなく殺害されてしまった事。

 第三皇子が内戦に加担して皇族の信頼が揺らいだ事。

 フェリックス皇王が臥せって君主不在期間を作ってしまった事。

 そのせいで彼の治世は長くないと知られてしまった事。

 自分達が望む皇太子を擁立すれば国政への影響力を強められると貴族達に思わせてしまった事。


 そうした要素が絡まって、ザイーゾ伯爵の暴走へ繋がった。

 ウィラード皇子が予想できなかったように、どうして皇王の意向に逆らったのかと伯爵を糾弾する声も大きかった。


「それに加えて、皇国貴族の王国に対する反発心を読み違えていたよね」


 うん。

 これは私も皇国へ行って知った事。自国を誇り、他を見下す傾向は私が思っていた以上に酷かった。特に貴族に顕著で、それがない皇族が意外なくらい。


「王国の発展を讃えて進歩を楽しむヘルムス皇子が特殊なのかと思っていたら、驕りがないのは皇族に共通する特徴だった。無理もないよ」


 でもそのせいで、皇族と貴族の認識に溝ができていた。貴族の傲慢を理屈で分かっていても、感情で国家間の軋轢すら考慮できなくなるとは想像できなかった。フェリックス皇王が公で告げた以上、内心はどうであろうと表面上は不満を呑み込めると信じてしまった。

 けれど、皇国の一部貴族は自分達が常に大陸の頂点でなければ気が済まないほど増長していた。得られる情報の差もあったのかもしれない。

 理性的である事で理解できなくなってしまうものもある。


「こうして考えてみると、あの国が問題を起こさなかった可能性はほとんどないね」


 でしょう?

 アンハルト侯爵令嬢の凶行もその一環だし、貴族の在り方を正さないとあの国に未来はない。並行して皇族の教育かな。皇太子一人が優秀な状態は非常時に対応できない。


 納得してもらえたなら、こっちの質問に答えてもらっていい?


「うん? 何?」


 今更聞くのも変な話だけど、貴女、誰?

 少なくとも、芙蓉舞衣(わたし)じゃないよね。


「…………」


 質問への回答はない。

 だからと言って慌てる様子も見せず、面白そうにこちらへ微笑みを向ける。その表情は、私に覚えのないものだった。


 スカーレット・ノースマークと芙蓉舞衣、今世と前世の違いはあっても、本質的な考え方に差は生じていない。私が貴族としての振る舞いを自分に課す事はあっても、行動原理を理解しないなんてあり得ない。

 なのに、彼女は私の心情へ説明を求めた。

 これが芙蓉舞衣(わたし)である訳がない。

どんどん更新が遅くなっている中で申し訳ありませんが、7/12の更新は休みます。

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― 新着の感想 ―
ずっと自分の内面と話してるもんだと思ってた。 なんか父親の記憶にもアクセスしたことあったよね? レティをこの世界に送った神ならフランクすぎる。
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