歪んだ認知
大変お待たせしました…。
やっと書き上げたので投稿しておきます。
聞けば、一瞬の出来事だったと言う。
事件現場を取り押さえたので冤罪の余地はないものの、経緯を細かく聞き取る必要があると連行中だった暴行犯と、開校手続きの為に領主館を訪れていたエリーゼ様が偶然すれ違った。間が悪かったとも言える。
暴行犯の往生際は悪く、騎士団に拘束された状態でも口汚く暴言を繰り返していたらしい。
曰く、自分は悪くない。
曰く、女の方から誘ってきたも同然だった。
曰く、普段から我慢を強いられている自分がむしろ被害者だ。
曰く、社会が悪い。
正直、聞く価値もない戯言でしかなかった。ほとんどの男性も、一緒にしないでほしいと不快感を抱くに違いない。
こうした犯罪者の多くは、認知が歪んでいるのだと言う。犯罪を正当化しようとしているのではなく、本気で間違った事をしていないと思い込んでいる。事件を起こす前から認識がおかしい。自分に都合よく現実を歪曲してしまい、周囲の説得も届かない。罪を犯した自覚がないから、反省しようもない。
たとえ野垂れ死ぬのが確実だとしても、追放は確実だった。
ちなみに最後のは、女性の私が領主なので、男の気持ちが分かってないとか、そのせいで生き辛いとか、そういう話らしい。勝手に言い訳に使わないでほしい。性犯罪抑止には必要だからと、性的な書籍や風俗営業の許可も出している。一部では、ヴィム・クルチウスが経営するグレーな店舗も黙認してあった。
自分では理解できないまでも、為政者が執るべき政策は実行してある。
そんな身勝手な発言に耳を貸す人間はいない――筈だったのだけれど、エリーゼ様は違った。
暴行犯の妄言を聞いた瞬間、風魔法で男の首を切り裂いた。
切断とまでは言わないまでも、頸動脈から血が噴き出すような深手を癒せる回復魔法術師なんて私以外に存在しない。特級回復薬も、経口摂取できないなら効果を十全に発揮しない。そもそも、規制の厳しい特級薬を使ってまで犯罪者を助ける必要があるのか、騎士達にも迷いが生じたらしい。突然の凶行を、冷静に判断できる人間もいなかった。
そうこうしている間に、暴行犯は絶命した。
「噂の大樹はなかなかの見応えだった。前々から足を運ぼうとは思っていたが、こんな機会になるとは思わなかったよ」
「飛行列車で移動時間が短縮されたとは言え、私達の忙しさまで軽減される訳ではありませんからね。いつか行こうと考えながら、いつまでも機会を逃がしてしまう気持ちは分かります」
「忙しいと言っても、皇国まで招かれた子爵ほどではない。単に私が引き籠りがちなだけだろう。どうにも外出が面倒でね」
コールシュミット侯爵は事件の翌日にはやって来た。根回しと準備に時間を取られる貴族の行動としては素早い。
侯爵は文官肌そのままの印象で、眼鏡の似合う切れ者って感じの人となる。実際、その印象は間違っていない。交通機関の大改革が行われても、着実に時流へ乗っている様子からも窺えた。
事件を起こした後、エリーゼ様に監視を付けはしたものの、行動までは制限していない。私と侯爵の話し合いで処分の如何が決まるので、それまで南ノースマークにとどまってもらっただけだった。少し前までなら、書面で事件についてコールシュミット領へ知らせて、侯爵がやって来るまで十日くらいは拘束する必要があっただろうけれど、そういった不自由も短縮されている。
その彼女は、侯爵が運んできた正装に着替えて私の対面に座る。私はこれから、侯爵が庇護する令嬢に裁定を下さないといけない。
コールシュミット侯爵の意図するところは明白だった。
侯爵令嬢と一般人、どちらに重きを置くかなんて決まっている。憲法で人権が保障されていると言っても、貴族と平民の間には優先順位が働く。
エリーゼ様の未来のために事件自体を揉み消せと、侯爵の要求は明快だった。彼女の醜聞はコールシュミット侯の瑕疵にもなり得るから無理もない。世間話に見せかけて、そんな自分が出向いたのだから分かっているねとちゃっかり念も押していた。
ベネットがあくまで暴行事件として私を呼び戻したのも、それが理由。
貴族の起こした事件を、私の判断なしに表面化させられなかった。エリーゼ様の上司にあたるオーレリアがここにいないのも同様で、この件に騎士学校は関わりがなく、あくまで南ノースマークとコールシュミットの問題にとどめてあった。
コールシュミット侯爵の要求を受け入れる事にメリットがない訳じゃない。
南ノースマークへ有利に働くよう要望のいくつかは飲んでくれるだろうし、寄付って名目の賠償金だって発生する。ついでに、今後もエリーゼ様が騎士学校で教鞭をとれるように働きかけたなら、侯爵に対して恩も売れる。事件を表沙汰にしない事で、私にも十分な利益が見込めた。
――うん、面白くない。
「エリーゼが暴走した事実は遺憾に思う。しかし、それでエリーゼの未来が閉ざされるようでは困る。子爵としても、我々の関係が拗れる事態は望んでいないと思うのだが、どうだろう?」
「そうですね。エリーゼ様がきちんと謝罪していただけるなら、詳細を公にすることはやめておきましょう」
「――」
事件の隠蔽は当然受け入れられるだろうと考えていた筈の流れを笑顔でぶった切ると、コールシュミット侯は絶句した。隣でエリーゼ様も目を丸くしている。
私の後ろに控えていたベネットも驚く様子を見せたけれど、すぐに覚悟を決めた様子だった。私が侯爵にケンカを売るとか聞いてなかったとしても、一瞬のタイムラグで受け入れるあたりは頼もしい。
ちなみに、フランは顔色一つ変えなかった。この子の場合、私が世界の敵になると言ったところで当然みたいな顔して従いそうで怖い。
私が隠蔽に同意しても、エリーゼ様の謝罪をコールシュミット侯が受け入れたとしても、実はあまり今後に影響しない。
事件について積極的に言いふらせばコールシュミット侯の怒りに触れるから、どちらにせよ内々に処理する必要がある。賠償そのものか、名目上は寄付とするか、支払いが発生する点も同じ。エリーゼ様の評判にしても、暴行犯を害した事実を世間がそれほど気にするとも思えないから、大きな違いは生まれない。せいぜいお茶会などに招待される機会が減って、弁明の機会を設ける必要が生じるくらいかな。
それでも、謝罪した事実は残る。
エリーゼ様の経歴に傷がつくのも間違いない。
代償としてコールシュミット侯の印象が悪くなると考えれば、私のデメリットは大きかった。
「相手は平民、しかも犯罪者だったと聞いているが?」
「それは間違いありません。しかし、私の領地の犯罪者を、他領の人間が裁いていいとは知りませんでした。領地の主権を軽んじてもいいと?」
「む……」
「それに、事件の時点で私は沙汰を下していませんでした。つまり、エリーゼ様による私刑です。コールシュミットに属するエリーゼ様が南ノースマークの司法の執行を妨げたのですから、非難されて当然だと思いませんか?」
身分差があったのは間違いないので、領地の独立性を盾にする。
別に、暴行犯の為って訳じゃない。
男が生きていたなら、隠蔽に加担するのも悪くなかった。交流の少ない貴族や敵対している家ならともかく、これからも連携していこうってコールシュミット家と諍いを起こそうとは思わない。それで、コールシュミット侯爵に貸しを作れる。魔導契約で暴行犯の口を封じて、後は司法に則って追放すればいい。暴行犯が不満を覚えたところで取り合う義理はないし、魔法で回復させるなら殺害未遂の証拠も残らない。
現場にいた騎士達は、手段を選ばず暴行犯を助けるべきだった。
だからって、咄嗟に助けられなかった事実も責められない。
元国家騎士で経験豊富なウィードさんならともかく、一般の騎士にこんな対処まで教えていない。領地の歴史が浅いのもあって、臨機応変は求められなかった。南ノースマークの欠点とも言える。特に今回みたいなケースは想定していない。他領の貴族から向けられる悪意は警戒していても、こんな突発的な事件は私も想像できていない。
強いて言うなら教訓にはなった。今後、あらゆる事態を想定した研修の機会を増やしていかないとだね。
「子爵が怒っているのは分かった。しかし、それは領地を巻き込む事をよしとするほどのものかね? 子爵はこの件で、我が領地と争いになっても構わないと?」
「ええ。やってみますか?」
「……本気か?」
かなり不機嫌に睨んでくるけど、それで私は下がらない。
侯爵家と抗争なんて、普通の貴族は全力で避ける。この件に関して、私は実家も頼れない。
実際、コールシュミット侯の言い分に頷いておいた方が賢いのだと思う。
過去には侯爵家と対立して家格を落とした貴族もいた。この国で侯爵家と争うって事は、そういう悲惨な未来が待つとも知っている。
一族の誰かが殺されたならそうもいかないけれど、死んだのはあくまで一般人。侯爵家と争うだけのメリットはない。お父様やお母様でも止めると思う。領地の不利益を考えたなら、意地を張る場面じゃない。我儘で領民へ損害を与えるのは間違っている。
それでも、譲れない一線はある。
領民の命を軽く扱う貴族にはなりたくないし、領民の人権を守れないなら領主でいる資格もない。歴史が浅いからこそ、領民の信頼を裏切れない。性犯罪の処罰を追放刑と決めた以上、犯罪者だから殺していいって道理は認められない。
「この国で侯爵家に歯向かう貴族などいないと思ったが?」
「そうでしょうね。けれど、それは絶対服従という意味ではありません。家格が劣っているからと、理不尽に対して抗う権利まで奪われる謂れもありません」
「もっともだ。そこまで言ったからには、通行を絶たれる覚悟もできているのだろう?」
「ご随意に。都市間交通網が機能する状況で、そんな前時代的な制裁に効果があると思っているなら、ですが。それとも、飛行列車を止めるように王家と交渉してみます?」
そんな事、できる訳がない。
既に都市間交通網は流通の中心になったので、王家であっても簡単に止められない。他の下位領地なら停車を制限して打撃を与えられたかもだけど、コントレイルを整備、供給している南ノースマークにその手は使えない。
「私が南ノースマークとの交流を絶つと宣言した時点で、多くの商会はここでの商売を見合わせるだろうな」
「そうでしょうね。けれどストラタス商会がその意向に沿うとは思えませんから、それほど打撃はないですね。最近、皇国との伝手を強化したので、手に入らないものはあまりないのですよ」
勿論、口にするほど有利な立場にない。今はコールシュミット侯の脅しだと分かっているから強気な姿勢も見せられるけど、実際に制裁に踏み切られれば深刻な状況となる。人と物の流れが滞れば経済に負担がかかるし、その余波が向かう周辺領地からも非難される。
貴族の常識からすれば正しいのはコールシュミット侯爵で、諍いの原因は私にあるとされてしまう。
「エリーゼの教師就任には、殿下も骨を折ってくれている。王家の厚意を無下にする気かな?」
「それは教師として受け入れた時点で義理は果たしていると思います。私は騎士学校の人事に口を出している訳でなく、問題を起こした人物に謝罪を求めているだけですから」
貴族が謝罪したからと、それで元通りって筈もない。今後の立ち入りを拒否しているのも同然だから、教師は続けられないだろうけどね。
王家の推薦ともなれば強制と同義ではある。それでも問題ある人物を排除できないってほどじゃない。本来なら推薦者の責任を追及するところを本人の謝罪で済ませようって訳だから、配慮しているつもりもあった。
女性騎士の増員は王家のメリットもあるからの推薦なので、このくらいで顔を潰されたと苦情を言ってくるとは思わない。最悪、オリハルコンを積み上げればアドラクシア殿下くらいは黙らせられる。
「なかなかに強情だな。本気で私と対立したい訳ではないだろう?」
「私相手に恫喝で交渉が進められるなど、侯爵の想定が甘かっただけでは?」
想定していなかったのは、隠蔽に同意しない貴族がいるって点かもだけど。
「……そこまでして犯罪者を庇う義理がどこにある?」
死んだのは犯罪者で、心情的に憐憫もない。詳細を知れば容赦なく追放したに違いない。皇国滞在中だったから、事後報告を聞くだけだった可能性もある。当然、ベネットの裁定に異論を唱える筈ない。
それでも、私には退けない理由がまだあった。
「それでは私も聞きます。エリーゼ様は、どうしてあの暴行犯を殺害したのでしょう?」
「……え?」
気になったのはその動機。
少なくとも、彼女個人を侮辱する発言はなかったと聞いている。それがあったなら、他領の貴族の対面を傷つけた人間として、暴行犯を差し出す必要が生まれる。けれど、ベネットからの報告にもエリーゼ様の要求にもそんな事実はない。
そうなると、暴行犯の発言のどれが勘気に触れたのかも分からない。
エリーゼ様は虚を突かれたような顔になったけれど、この質問はどう答えても問題がある。
女性への暴行が許せなかったと言うなら、意図的に南ノースマークの司法を侵害した事実を認めてしまう。暴言に反応したと言うなら、一方的に私の領民を襲った事になる。身分に違いはあっても領地を隔てているのだから、発言が気に障ったなら私へ処分を願い出る必要があった。
「それを明らかにする事に、どんな意味がある?」
エリーゼ様から答えは返らず、反応したのは不可解そうなコールシュミット侯だった。それでも、そこが落としどころになるのかと興味は示す。
「決断を下すために全ての事実を詳らかにしておきたいと考えるのはそれほどおかしな事でしょうか? それとも、侯爵はそんな権利も許さないほど私を格下に扱うと?」
「む、そこまでは……」
下級貴族相手にそういう態度で臨む場合はあった。
でも私相手にそれをすると、完全に関係が拗れる。周囲の賛同を得るのも難しくなる。
「暴行犯に対して義憤に駆られたとか、同じ女性として暴行自体を正当化しようとする男の姿勢が許せなかったとか、そういったものが動機だったと侯爵は考えているのではありませんか?」
「それは……、うむ。違うのか?」
「エリーゼ様はその肝心な部分について口を閉ざしたままなのですよ。私は、それを明らかにしておきたいのです。犯罪者の身勝手な言い分に対して突発的に激情を抱いたのなら、理解はできます。個人的な感情で領民を殺害した事への謝罪は求めたいところですが、事実を公表しようとまでは思いません」
聞き取りを行なったのはベネットで、強引な取り調べなんてできなかった。けれど、それをいい事に黙秘した可能性がある。まるで都合の悪い部分を意図的に隠しているようにしか思えなかった。
そんな状態で隠蔽に同意できないって主張は、侯爵にも伝わった様子だった。彼としては、エリーゼ様の隠し事を領地の方針だと捉えられては困るだろうし。
無条件に娘を庇う態度は親として正しいけれど、犯行の動機は一切知らないままなのは最初の時点から明白だった。
つまり私は、貴族としての理不尽を許容できなかっただけでなく、彼女の行動に疑いを抱いたからこそ強硬な態度を選択したのだった。
殺人を躊躇わなかった情動の根源を、知っておかなくてはいけない。
王族からの推薦まである以上、明確に不審を問えないなら排斥は難しい。監視をつける、領内での行動を制限する程度で教職を続ける可能性があった。でもそれだと、男性に対して過剰なまでの不信を見せるエリーゼ様の影響を残す事になる。
「ふむ。それで子爵の態度が軟化するなら、エリーゼの意思を明らかにする事に異論はない」
「ありがとうございます。それで、エリーゼ様の動機はどんなものだったのでしょう?」
コールシュミット侯爵が同意した事で、エリーゼ様が答えないって選択はなくなった。
その場にいたかどうかって違いはあるにしても、報告書を見る限りでは聞く価値のある発言は見当たらない。言い訳ですらない妄言に、どうして反応したのか知る必要があった。
「……だって、あの男はスカーレット様を馬鹿にしたのですよ⁉」
「は?」
案の定、訳の分からない動機が飛び出した。彼女を庇っていた筈の侯爵も、可哀相なくらい呆けた顔を晒している。
「女性を都合のいい道具くらいにしか考えない男に、どうしてスカーレット様を貶す権利があると言うのです? しかも、あの男はこの領地でのうのうと暮らしていたのですよ? 男でありながらスカーレット様の恩恵に浴していたのですから、領地の端でひっそりと暮らしていればよかったのです。存在するだけで害悪なのですから、排斥されないスカーレット様の慈悲へ感謝すべきだったのです。そもそも、私がこの領地で暮らしたいと何年も願いを募らせてきたのに、偶々この土地に暮らしていたというだけで領民として迎えられるなど間違っています。男など、労働力と割り切って隔離して置けばよかったのです!」
一度口にした事で勢いがついたのか、エリーゼ様は思いの丈を叫び散らし始めた。
それで、私はいろいろと合点がいった。
彼女の境遇についてはベネットが調べた。侯爵令嬢が領地に出入りするんだから、過去くらいは洗う。瑕疵を見つける為じゃなくて、不快感を覚えさせないもてなしが目的だった訳だけど。
これまで端々に見え隠れしていた男性不信。それは男性蔑視とも言えた。そして、妙に私を持ち上げる姿勢も気になった。そうなると当然、今回の事件にも疑念を残す。
彼女の元婚約者、アロイシン伯爵令息は二面性のある人物だったと言う。
表側は誰もが好感を抱く好青年。その将来性から、コールシュミット侯爵が例外の結婚を認めたほどだった。けれど裏側の隠し具合は徹底していて、友人、両親含めて、彼の本質を誰も理解していなかった。
その令息、既に貴族籍にない。
エリーゼ様との結婚話が立ち消えた一年後、新たに迎えた伯爵令嬢を廃人同然にまで追い込んだらしい。
快活で才能あふれる青年はその実、身近な人間を見下して人格否定まで行うDV男だった。外面の信用を利用して外圧で行動を制限させて孤立するよう誘導し、配偶者を細かく監視しながらその行動に細かく非難して、二人きりになると暴力まで振るった。貴族の義務と夜を共にしながら、執拗にお腹を蹴りつけたのだとか。
当然、伯爵家の元令嬢にそんな仕打ちを行なえば激しい怒りを買う。発覚には時間がかかったものの、令息の所業は夫人の実家に伝わった。息子がそんな人間だと知らなかったアロイシン伯爵も激怒して縁を切っている。現在は元配偶者の領地で幽閉生活中だそうだから、しっかりと報いを受けているに違いない。その宣告が行われた際、任を解かれた側近達は、やっと地獄が終わった……と揃って涙したらしい。
そんな相手との結婚を迫られていたので、エリーゼ様の男性不信もある程度は想像できる。伯爵令息にとって身分が上の令嬢が傍にいる状態は許容できるものではなかったらしくて、婚約すぐから言葉の暴力を内々に繰り返していた。そんな行状を訴えても、周囲に取り合ってもらえなかった境遇は辛かったと思う。
そのせいで、コールシュミット領で性犯罪者を過剰に嫌悪するような傾向は確認できなかった。それでコールシュミット侯が彼女の異常に気付けなかったのだろうけれど、今回の事件に関しては疑問が生じた。
今回だけ、殺害にまで及んだのは何故だろう、と。
「お優しいスカーレット様は躊躇われるかもしれませんが、この機会に男共を一掃しませんか? 騎士は女性だけがなるものと決断されたのですから、もっと徹底するべきです。男など、スカーレット様の傍に置くべきではありません。以前から女性の側近のみを重用し、結婚など考えずに領地を運営しているのですから、そろそろあの商人とも距離を置くべきです」
妙に私を持ち上げると思ったら、私に依存していたらしい。
アロイシン伯爵家長男の元配偶者ほどでないにしても、彼女も壊れていたのだと思う。間接的に婚約を破談とした私が、そこへ最後のひと押しをしてしまった。
第三王子との婚約を跳ね除けたり、傲慢だったエノクをやり込めたり、男社会で凛然と奮闘する私を、都合よく偶像化したらしい。彼女にとって私は、男を駆逐して理想郷を作る救世主だったんだろうね。
「エリーゼ様」
「はい、何でしょう」
「つまり貴女は、南ノースマークの住人を殺害した事について、何の呵責も感じていないのですね?」
「……人を殺す行為が悪行だとは分かっています。けれど私が殺したのは男でしたから、スカーレット様は許してくださるでしょう?」
正直、ゾッとした。
彼女は本気で言っている。殺人が罪だと分かっていながら、その対象が男であるなら私は許容すると、そのおかしな理論展開に疑問を持っていない。私が肯定するなら、誰に批判されようと気にも留めないのだと思う。
動機について黙っていたのも不都合を覚えていた訳じゃなくて、明かすなら私にだけだと口を閉ざしていた事になる。褒めてもらえるとでも思っていたのかもしれない。
庇っていた筈のコールシュミット侯爵も、その身体を震わせていた。
人間、理解できない相手は誰であろうと恐ろしい。
認知を歪ませていたのは、暴行犯だけじゃなかった。
彼の命を奪ったエリーゼ様もまた、罪悪感のないまま犯行に及んでいた。何か目論見があるのではって疑いが、とんだ展開に着地した。
一種の異常者ではあるものの、その奇怪性が常に表面化している訳じゃない。暴行犯が日頃から暴力を振るって問題を起こしていたなんて報告はなかったし、勤勉に働いて税金を納めてもいた。エリーゼ様は教師として招くほどの優秀さを示し、コールシュミット領の観光業を発展させてもいる。歪んでいるのは一部分だけなので、そこさえ関わらなければ普通に社会生活を送れてしまう。
特にエリーゼ様は単なる男嫌いと誤認されていたおかげで、周囲が気を遣って男性と関わる機会を排除してきた。そのせいで、父親すらたった今まで彼女の異常性に気付かなかった。
「コールシュミット侯爵……」
「すまない。娘の代わりに私が謝罪する。全ては、この子の状態に気付かないまま放置した私の責任だ。このような事態になってしまい、……本当に申し訳ない」
「その謝罪は受け入れておきます。今の彼女の謝罪には、何の意味もありそうにありませんから」
結局、エリーゼ様の事件は隠蔽する運びとなる。
こんな状態のエリーゼ様について世間に公表するなら、本気でコールシュミット侯爵と対立してしまう。そんな誰も幸せにならない未来は望んでいない。既に誰も得する状況にないのだから、少しはマシな方向を選ぶべきだと思う。
「彼女も被害者です。どうか、しっかりと療養できる環境を整えてあげてください」
「勿論だ。そもそもの原因は、娘がこんな状況になるまで放置していた私にあるのだから……」
私もこんな結末になると思っていた訳ではないけれど、侯爵の後悔は色濃い。辛抱強く向き合う事が必要で、カウンセリングも長期に亘るのだと思う。それでも、元に戻るか分からない。
「……伝わるか分かりませんが、今の貴女を私は否定します。女尊男卑を望んでいるのは、私ではありません。エリーゼ様、貴女の願いです。貴女が盲信する私は、現実の私とは違うものです」
「え?」
「その虚像が、いつか貴女の中から消える日を願っています」
私の言葉には耳を貸す気になるのか、エリーゼ様は戸惑う様子を見せた。
スカーレット様はそんな事言いません! ……って偽物扱いされる事も覚悟していたから、そこまで歪んではいないのだと信じたい。ここでの否定が、彼女の闇を晴らす一助になればと思う。
そして、言っておかなければならない事はもう一つあった。
「私は、結婚を諦めている訳ではありません! 現時点で結婚の具体的な話がないからと、独身を貫く覚悟ができたみたいな誤解はしないでください!」
とても切実だった。
万が一にも、コールシュミット侯爵に勘違いされたら困る。そこだけは、はっきりさせてからでないと帰せない。
もしもそんな噂が拡散されたら、私本気で泣くからね!
今週の木曜日、コロナEX及びピッコマにてコミカライズ第5話が公開予定です。
どうぞよろしく!