書籍二巻発売記念 番外 貴族のお財布事情と元気な弟
お待たせしました。
一日以上遅れた書籍発売記念です……
「カミン様、オレあれが食べたいっス」
「……好きにしたら?」
花焼きのお店にしばらく張り付いた後、いい加減飽きたヴァンに促されて私達も移動した。王都にあるお店だし、新年祭限定の営業でもないみたいだから、見学したくなったらまた来ればいい。
そこから離れると、すぐにヘキシルがタコスっぽい料理をカミンへねだっていた。それへ、すっごい微妙な顔したカミンが許可を出す。
ヘキシルの行動が間違っている訳ではない。
お財布はカミンから預かっていても、当然彼が自由にできるお金じゃない。使うには主の了解を得る必要があった。いい歳した執事が声を大にする事じゃないけれど。
カミンの年齢ともなると、自分が自由にできる予算を預かっている。その中から側近の給与、服や装飾品の調達、勉強に必要な本や道具、教師の手配まで行わないといけない。つまり、お金を使う実習だね。
私の場合は前世でその経験があるものの、額の違いにぎょっとした。
で、職務中の側近に嗜好品や娯楽品を与えるかどうかも貴族の裁量の内となる。給金は与えているのだから自分で好きにすればいいって考え方もあるけれど、度量を示すのも貴族の仕事。あんまりお金を出し渋るのも上級貴族らしくないとお母様から躾けられている。
屋台の食事を奢るくらいは何でもないけれど、日頃の感謝を労う機会は逃しちゃいけない。
特にフランは自己主張しないので、僅かな表情の変化を察知してジャムをいっぱい乗せたクッキーとクレープを買った。私も食べると言ったら断れない。留守番してくれてるベネット達のお土産も考えないとだよね。
ヘキシルくらいに主張してくれれば楽ではある。
とは言え、普段への返礼と考えるか、経費と考えるかは当人の自由。カミンの機嫌からすると、今回のヘキシルの分は天引きになるんじゃないかな。
「お姉様、僕はあれが食べたい!」
「ええ、一緒に食べましょう」
続いたヴァンのおねだりには脊髄反射的に応える。
可愛い弟と一緒にアイスを食べられるなんて、最高のご褒美だよね! 季節感とか考えない。明日からは運動の時間を増やした方がいいかもだけど。
ヴァンはお金を持つ責任についてまだ学んでいないので、普通は自分の側近に声を掛ける。当然彼等はヴァンに関するお金を預かっているし、要求が度を越えたなら窘める権限も持っている。
そんな側近じゃなくて、私にねだったのはあの子の我儘。そんなの、全力に応えるに決まってる。お姉ちゃんに奢ってもらいたいなんて可愛いお願いを逃すなんてあり得ない。
私の分とヴァンの予算は別なので、あの子の側近に言って補填してもらう事もできる。でも、そんな手間をかけるには少額だし、それ以前にヴァンへ買ってあげたって事実は渡さない。
「うふふ、うふふふふ……」
「また笑い方がだらしなくなっていますよ、レティ」
おっと、危ない。
オーレリアの指摘に、慌てて表情を改めた。こんなところでお淑やかなお姉ちゃん像は崩せないよね。
「そんな調子で、よく何年も騙し通せてますね」
「ほっといて。カミンやヴァンが傍にいると、自動的に態度が改まるように頑張ったんだから」
「……頑張りの方向性が、明らかに間違っていると思います」
キャシーの呆れも分からないでもないけど、子供の頃の関係構築って大事だからね。思春期を迎えたからって、遠ざけられる姉にはなりたくない。
でもってそのヴァンは流石に体が冷えたのか、マーシャに温かいココアを買ってもらっていた。
うーん、あの様子だと、言い聞かせてほしいとあの子の側近から要望が回ってくるかもね。私が言って聞かせるのが一番効果があるからって。
あまり無遠慮に他所の人から施しを貰ってはいけない。
ヴァンからするとマーシャの場合は他人じゃなくて“お姉様のお友達”って枠に入ってしまっているのかもしれないけれど。
「気になるのは分かりますけど、マーシャはあれで楽しんでますから、少し放っておいてあげてください」
「そう? まあ、ヴァンってめちゃくちゃ可愛いしね」
「……否定はしません」
「もしかしてレティ、ご馳走する機会を取られたと怒ってません?」
「そこまで狭量じゃないつもりだよ。ヴァンが欲しいって言うなら、屋台ごとだって買ってあげる気はあるけど」
「わぁ~、とってもダメなお姉ちゃんがいます」
私って貴族だから、自分の装飾品を買うより安い。
「そもそも、よくそんなお金の余裕がありますね。あたしなんて、今日の散財をどこで補おうか頭がいっぱいですよ」
「キャシーの場合は、卵兎の毛皮を買ったせいじゃない?」
「……そうですけど!」
こうしたお祭りでは、冒険者がおこづかい稼ぎに露店を開く場合がある。
一般の人が魔物素材に興味を示す場合は少ないのだけれど、ギルドを通さない分安値で取引できると目を光らせている商人もいる。品揃え次第ではあるものの、私達が寄った露店は悪くなかった。
それから、卵兎は長毛種の兎で、森を駆けている様子はボールみたいに見える。魔物であっても人間への被害は微少なので討伐依頼が出る例は少なく、とっても素早い事から捕獲は困難なため、その毛皮は比較的高価で取引される。少なくとも、お祭り気分で買う代物じゃないね。キャシーの場合は服や防寒具にするでもなく、魔導線にする気満々だけど。
「そこまでお金を気にしてるって事は、もしかしてキャシーっておこづかい制?」
私の場合も近いけど、自分以外の経費も賄う場合は予算割り当て、自分が自由にできる分だけを貰っている場合はおこづかい制と呼ぶことが多い。当然、額も違う。
「おこづかいというか、あたしが自分で使えるのはレティ様に貰っている分だけです」
――と思ったら、キャシーの懐事情は更に深刻だった。
私の研究室に出入りしてくれているキャシー達には、きちんと給金を支払っている。未成年だからと貴族のお嬢様を長時間拘束して、無賃だなんて真似はしない。それで生活しているとも思わなかったけど。
そう言えば、キャシーが私のところに突撃してくる以前は魔道具の工房でアルバイトしてたみたいな話を聞いた覚えがある。
研究成果の利益も分配する気でいるから、換金を急いだほうがいいのかな。
「服や装飾品はどうするのです? 普段のキャシーが着飾っているところは見た事がありませんが……」
「そういうのは別に申請します。お父様がどうしようもなく必要だって理解してくれれば、ちゃんと購入の許可が下りますよ。何かの式典や社交の場合ですね」
「……そのあたりは私達と似ていますか。私の場合は遊興費も認められていますし、事後報告でも構いませんけれど」
「そういう場合が多いですよね。マーシャのところもそうだって聞いてます。あたしのところは、事前に申告しないと後でお説教ですね」
随分と世知辛い。
好き放題にドレスや宝石を購入して親に悲鳴を上げさせる令嬢も多い中、ウォルフ家の内情は深刻だった。侯爵令嬢との繋がりができたと聞いた男爵夫妻が王都へぶっ飛んできた訳だね。
「お貴族様にもいろいろあるのですね。私など、もう何年も両親からお金を貰った覚えはないですよ」
――なんて話していたら、もっと特殊な例がいた。
大商会の跡取りが、碌におこづかいも貰ってないとは思わない。
「ウォズ、それでどうやって生活してるの? 普段の格好も、貴族と並んで不自然じゃないくらい整っているのに」
「お金など、増やせばいいだけの話ではありませんか」
そう言って、さっきの露店での成果を示す。シビアに値段交渉していると思っていたら、あれもお金に換える気満々らしい。
一方でキャシーはしばらく卵兎の毛皮とにらめっこした後、あたしには無理ですと肩を落とした。うん、貴族令嬢的な考え方じゃないと思うよ。
「でも、それはスカーレット様も同じではありませんか? 光散の魔道具を売ってくださいましたよね」
「あ、うん。今日の出費はそこからだけど」
属性変換器はともかく、魔法でクラッカーみたいに光を撒き散らしたいって発想は私だった。試作も自分でしたので、権利も私にだけあった。
ノースマークの予算と比べると少額だけど、私の場合はそれの大部分を研究に突っ込んでいるから、自費を稼いでいると言われても間違っていない。
「そうか……、作った魔道具を売ればいいんですね。分かりました! あたし、この毛皮で売れそうな魔道具を作ってみせます!」
「その場合は是非ともご相談ください。出来次第では糸目をつけませんよ」
キャシーの境遇を考えると、後払いで研究室の資材を提供してもいいかもしれない。発想次第では、興味津々のウォズが先行投資するかもだけど。
まあ、どっちも損はしない。
「レティ様‼」
新しい金策にキャシーが意気を新たにしているところへ、慌てた様子のマーシャが駆け寄ってきた。
「すみません。ヴァン君が……、ヴァン君がお腹が痛いから帰ると……!」
「……⁉」
それ、どう考えても暴飲暴食に加えて、お腹を急に冷やしたからだよね。
声を掛けてくれたら対応してあげられたのだけど、おぼっちゃんのヴァンに近所でトイレを借りるって発想はない。
しかも、何故だか上空を見上げるマーシャに倣って視線を向けると、遠く跳躍中のヴァンが目に入った。
ヴァンはかなり高い水準で強化魔法を習得している。できて当たり前って子供らしい認識のまま、魔法を身体に馴染ませてしまった。呼吸するのと同じくらいの感覚で車並みに駆け、特別な自覚のないまま岩をも握り潰す。
「ごめん、姉様。ヴァンってば、家にいる時と同じ感覚で行動してしまったみたい」
カミンも青くなりながら合流した。
お腹が痛いから早く帰りたいってだけで、最短距離を選択してしまっている。この辺りの道にも詳しくないから、ヴァンとしてはああするしかなかったのも分かる。
ノースマークでなら、あの子の特異性も伝わっているので領都の人々にも理解がある。そもそも、お屋敷から出る事も少ないから家人以外の目にも触れにくい。
でも、ここは王都で、酷く目立ってしまっていた。
それも当然で、いくら魔法がある世界だからって、普通は人前で良識から外れた行動はしない。貴族でなければ、警備隊に拘束されても仕方ないレベルの突飛さだからね。
申し訳ないような、懇願するような視線がマーシャとヴァンの側近達から向いていた。あれだけの身体能力を追える人間は、彼女達の中にいない。
だからって、地理も知らないヴァンが事故を起こす危険を考えれば放っておけない。万が一の悪意だってある。大事なヴァンに、何かあったらなんて許せない。警備隊が追っているようなら、事情説明の必要もあった。
「ごめん、皆! 私はヴァンを追うから、また後で」
「姉様、僕も行きます!」
私がアーリーを取り出したのと同じタイミングで、カミンも飛んだ。
その高さも速さも、私やヴァンに並べるものだった。
「……ノースマークの人達って、あのくらいでないと務まらないんですかね?」
「話に聞いた……、話に聞いた練習着の成果でしょうか? 凄いですね」
「あれだけの距離となると、私でもちょっと無理そうですね。強化魔法を覚える楽しみが増えました!」
地上に残ったキャシー達の会話は気にしないでおく。きっと、また呆れられているに違いない。
それより、私はカミンに驚いた。
「凄いね! 短い間に、そこまで強化魔法を使いこなしているとは思わなかったよ! すっごく頑張ったんだね」
「うん。でも、僕はこれが限界みたい。このままだとヴァンに追いつけそうにはないかな……」
先行したヴァンを追う訳だから、速度はそれ以上を求められる。
カミンは落ち込む様子を見せたけれど、この子がそれだけ努力した事実が嬉しい。私みたいになりたいって憧れを抱いたまま、ゼロからこの数か月でここまでになったんだからね。
「大丈夫! お姉ちゃんに任せて!」
なら、理想であり続けられる姉でいよう。目標にできるところをもっと見せよう。
カミンを撫でまわしたい衝動を抑える代わりに、私は全身に魔力を込めた。遥か先を行くヴァンを捕まえる為には、さらなる強化が要る。このために、箒に乗る訳でもないのにアーリーを掴んだ。
イメージするのは強化外骨格、人の枠を超えた私を夢想する。
「――‼」
次の跳躍の為に降下した私は、ヴァンをめがけて全力で跳ねた。息を飲むカミンも置き去りにして、私は弾丸並みの速度で飛翔する。
風魔法で空気を引き裂きながら飛んだ私は、僅か一息で目標へ追いつき、マジックハンド魔法で優しく保護してからヴァンを胸に抱いた。無事に捕まえられてホッとする。
「わぁー、凄い! 凄い、姉様! どうやったの?」
まるで反省していないと言うか、叱られるような事をした自覚もないヴァンが興奮気味に私を見上げた。あんまり興味津々で、腹痛も一時的に忘れられたみたい。
あんまりな愛らしさに、私までお説教の必要性を忘れそうになる。
いや、ダメ、ダメ!
いくら苦手分野だろうと、この可愛いモンスターにきちんと言い聞かせないといけない事がある。
それに、強化外骨格魔法はヴァンには無理そうなんだよね。普通の強化魔法とラバースーツ魔法は違う点も多い。そのあたりをどう説明したものかな。
加えて、奔放なヴァンにこれ以上手が付けられなくなっても困る。側近を置き去りにしないくらいの良識を身に付けてからでないと、かえってヴァンの自由を奪ってしまう。お父様もお母様も、周囲に迷惑をかけ続けるなら閉じ込めるくらいの事はする。
そういった事情も、しっかり分からせないといけない。
うーん、お姉ちゃんも楽じゃないね……。
2000~3000字でさらっと書こう……
そう思ったつもりが何故だか倍近くのボリュームに……?
可愛いヴァンとカミンが登場させられたから、まあいいか。
書籍のキャラデザを貰って以来、可愛いこの二人を書きたくて仕方がなかったのです。残念ながら、その時点ではSSの内容も決まっており、おまけに本編には登場させにくい……。漸く渇望を吐き出せました。
私の願望に付き合っていただき、ありがとうございます。