第三皇子
書籍2巻、本日発売です!
どうぞよろしくお願いします。
ウォーズの戦場からレゾナンスの領都までは三日で辿り着いた。
当然、その間戦闘は起きなかった。連合軍に戦う意思だなんて残っていない。指揮官や貴族の類縁者は全て捕縛し、一般兵は私達と行動を共にしている。上からの命令がなくなってしまえば、ほとんどが徴用兵で構成された連合軍に戦う理由もなかった。
ただ、楽な行軍かというと、そうでもなかった。
何しろレゾナンス出身者の反感が酷い。これまでの豊かな生活は乱され、突然の重税に一部魔道具の販売停止、そして家族を人質に取られる形で戦場へ出された。おまけに行き着いた先が禁忌への関与となれば、抑えていた不満も噴出する。
流石に一般人への略奪は行わないものの、公的施設を見れば襲いかかろうとした。占拠側の皇国軍が統制されていて、地元出身者達が半ば暴徒化するのもおかしな話ではあるものの、今後の統治を考えれば彼等の好きにはさせられない。皇国軍の兵士が必死で止める状況となった。
勿論私も、そんな暴挙は看過できない。
戦争が起こす悲劇を止めたくて、無茶な介入を実現したんだから。
とは言え信仰を利用した私も、自分達は正しいのだから何をしてもいいと、鬱憤の発散を正当化する様子は恐ろしくもあった。
これは、私の信仰が自分の中から湧いてこないからだね。
神様が実在しているらしいこの世界が興味深くはあるものの、敬うべき存在だとは思えない。この世界や人間を本当に造ったと実証できたなら平伏するかもだけど、今のところは超常的な何かでしかない。できるなら解明したい命題の一つってところかな。
その程度の認識で神様利用したのはちょっと浅慮だったかもと反省している。
以前に領主を慕う発言をしていたお前は神様の敵だ、お前の親族は領主館に出入りしているから禁忌の製造に協力したに違いない……時々根も葉もない誹謗も聞こえてきた。連合軍内部で度々暴力沙汰が発生する。
こうなってしまうと、周囲の制止も聞こえない。暴言を吐いた側が正当性を信じているから始末が悪い。あんまり目に余る暴走が起きた場合には、天罰模倣魔法を騒ぎの近くへ落とす場合もあった。言葉を重ねるより効果が高い。
勿論、そんな私へ疑いの目を向ける者もいた。特に勘の鋭い脳筋殿下は確信に近い不審を抱いている様子だった。理路整然と追及できる人じゃないから問題にはならなかったけれど。
私が肯定しない限り、どんな疑念も真相には辿り着かない。
ウィラード皇子?
ザカルト・ハーロックに落ちた天裁現象が余程怖かったみたいで、皇族車両に引き籠っていたから知らない。レゾナンス占拠の功績は欲しいみたいで、帰る様子は見せなかったけれど。
――♪
上空では、フェアライナ皇女が祝福の歌を奏でる。
おかげでささくれ立つ連合軍の感情もいくらかは抑えられていて、彼女は天翔歌姫だなんて呼ばれるようになった。恭順を示した連合軍の治療も積極的に行なっていて、その姿勢に涙を流す人もいた。もうすっかり皇国の象徴だね。
そのキャスプ型航空機の隣にはウェルキンが並ぶ。公的には剛盾討伐に協力しただけとは言え、戦闘に参加した私は車で移動。ノーラやウォズは空を行く。あっちが気楽でいいって本音は伏せた。
今後の両国関係を思えば、暴走した魔導士鎮圧に協力したって活躍はしっかりアピールしておかないといけない。レゾナンスでの道中でも、存在を認知してもらうために窓から手を振り笑顔を見せる。これも貴族の責務と、つりそうになる表情筋を時々ほぐす必要にも迫られた。
「ヘルムス様―!」
「第五皇子ばんざーい……!」
「ありがとうございます!」
「ダイポール皇国、万歳!」
辿り着いた領都では、民達からの大歓迎を受けた。まるで、理不尽な圧政から漸く解放されたみたい。歓喜と感激に沸き、領主邸まで誘導するように人垣が開けていた。町を取り囲む十万以上の兵を恐れているようにも見えない。
あの人達、ロシュワート皇太子殺害の疑惑はレゾナンスの発展を快く思わない皇族派の一部に押し付けられた冤罪だって侯爵側からの声明を信じて疑わなかったんだけどね。
レゾナンスのお屋敷は、小高い丘から町を見下ろす形で建っていた。町の中心に広い敷地がぽかりと開ける。
皇城と同様に造りは平屋、なのに屋根は三層仕立てと無駄が多い。こっちは窓が見当たらないから、展望スペースは作っていない。高所に建築したので、見晴らしには困らなかったんだと思う。
入り口から長く続いていた廊下を、侯爵確保に来たヘルムス皇子は案内される。私は見物ついでにそこへ付き合う。広いお屋敷はガランとしていた。
「こちらでございます」
ここまで案内してくれた年嵩の執事さんが恭しく扉を開く。その態度から、今でも忠誠を失っていないのだと窺えた。
「ジェノ兄!」
部屋の中には男性が二人。椅子にもたれかかって力なく天井を見つめる姿を捉えた途端、ヘルムス皇子が駆け寄った。敵対したからと扱いを変えるような情の薄い人じゃない。
「…………ヘルムスか、遅かったな。お爺様はつい先ほど、静かになってしまったよ」
ぼそぼそと語る第三皇子の視線の先には、血の気を失った老体があった。顔を知らなくても、それがレゾナンス侯爵なのだと格好で分かる。
その傍には、空になった銀杯が二つあった。
「極刑毒……」
「この国の法に裁かれるつもりはない。先に刑を執行させてもらったよ……」
「ジェノ兄……!」
この大陸の死刑は斬首が多い。残酷だって意見もあるけど、見せしめの意味もあった。魔物が蔓延るこの世界では、住人が強く団結しなければ生きていけない。そこから大きく外れて秩序を乱す犯罪者は、厳しく罰する必要があった。
けれど、国家への反逆や度を越えた凶悪犯罪にはそれ以上の罰が下る。
それが、この極刑毒。
毒性は極めて高く、服用した時点で死が確定する。けれど、その結末は容易く訪れない。体温を低下させ、全身を蝕み、想像を絶する痛みと苦しみを与えるものの、すぐに命は奪わない。あらゆる臓器を破壊し、呼吸も満足に許さず、身体は麻痺するのに痛覚と意識だけは活性化させて、三日三晩に亘って服毒者を苦しめる。
魔物が持つ特殊成分をいくつも抽出して生み出した人類史上最悪の毒、死罪すら生ぬるいと判断された極悪人を苦しめ抜いて死に至らしめる。
これを飲む判決が下された犯罪者でも、殺してくれと最後まで服用を拒むと言う。発狂されても困るから、判決が決まった時点で全身を拘束してすぐに執行するのが一般的とされている。
それを、この二人は自ら飲んだ。
意味もなくこんな恐ろしいものを飲む人間はいない。
あまりに悲惨な結末を迎える事から、これによる自決を選択した者には一つの慈悲が与えられる。その為に、彼等はここで死を選んだ。
つまり、連座の回避。
疑わしい人間は罰するのが当然の封建社会で、親族は無関係でいられない。これほどの反逆となると、一族郎党は勿論、家人やお屋敷に出入りしていた取引先の人間にまで疑いが及ぶ。明確に関与が否定できない限りは全員が死罪となってしまう。恨みつらみも更なる反乱の芽になるから残しておけない。
それを、極刑毒を飲む覚悟で退けられる。
無罪放免、完全な自由は約束できないけれど、皇子と侯爵の親族や関係者に及ぶ被害を引き受けた。
「ジェノ兄……」
「家探しは、存分に行なってくれて構わない。できる限りの記録は残してある筈だ。残念ながら、南大陸の連中は最後の開戦前に逃げたがね……」
銃型の魔道具やゴーレムの製法を持ち込んだ連中は、随分と危機察知能力が働くらしい。
「準備がいいですね。敗北を予見していた訳でもないのでしょう?」
「無駄なあがきをするつもりはないと言うだけだよ……。それに、私がいなくなった後で疑惑が残ったのでは、毒を飲んだ甲斐もなくなってしまう」
「ああ、なるほど。一理あります」
外大陸と彼等の繋がりを、曖昧にはしておけない。徹底的な調査が行われる中で、情報の不足があったならその追及は残った親族や使用人へ向く。満足いく情報が集まるまで苛烈な尋問や恫喝が行われるなら、ここで服毒した意義がなくなってしまう。
「ジェノ兄、どうして……」
ここでの疑問は、どうして毒を飲んだのかって話では多分ない。罪を背負う覚悟は察した上で、どうして国から離反したのかと訊いている。
「私は、ロシュワート兄上を敬愛していた……」
「知っている。ならば何故、その兄上を害した侯爵に与した⁉」
「私は、ロシュワート兄上を尊敬していた……だから、国を背負うと決めたあの人を支えようと思った。その為に様々な政策を考え、貴族共との化かし合いに臨んだ……」
「ああ、吾輩も同じだ。ジェノ兄ほどでないにしろ、国に尽くすと決めた。兄上の力になると決めた。だから、吾輩は……」
「……だから亡き兄上に代わって国に尽くすと? それこそ何故、だな」
「え?」
繰り返し死んだ皇太子に向ける思慕の念と、第三皇子が貴族へ向ける感情には明らかな違いが察せられた。後者には憎悪すら滲む。
「どうして、兄上もいないのにあの貴族共に媚びなければならない? 国を食い尽くそうとする馬鹿どもの為に、未だ危機感を抱かない間抜けの為に、どうして私が身を粉にしなければならない?」
「え? え……?」
「私はな、ヘルムス。兄上の為に皇族であろうとしていた。兄上が作る治世を支えようと思った。なのに、どうして兄上がいない皇国に未練があると思うのだ?」
「……つまり、貴方は皇国を見限ったのですね?」
「ああ、その通りさ。……残念ながら、愚かな貴族共を駆逐すると言う目的は貴女に止められてしまったがね」
「ジェノ兄……」
「第三皇子だからと、兄上の代わりに祭り上げられるのはごめんだ。皇位なら、欲しがっているウィラードにでもくれてやればいい。貴族共が変わらないなら、どうせこの国に先はない」
その第四皇子、未だ車で蹲っているけどね。
要するに、貴族嫌いを拗らせた。
彼は貴族との折衝役だったと聞いているから無理もない。
ロシュワート皇太子が死んだ時、黒幕へ怒りを向けたほとんどと違って、彼だけはその憎悪をアンハルトの令嬢や他の貴族へ向けた。この国の貴族がもっと真面だったなら、あの悲劇は起こらなかったと――
そこまで語ったジェノフィン皇子は、無理をしたのか大きく咳き込んだ。けれど、吐いた血は既にどす黒く粘り気があった。ほとんど死んでいると言っていい。
身体は死体同然なのに意識は生かされるとか、改めて極刑毒の恐ろしさを知った。
「貴族に仕える者まで罰そうとは思わない。……だが、お爺様に与した貴族共は決して許すな。先に……、虚無へ、行っている……」
「ジェノ兄っ……!」
せめて彼等だけでも道連れにするのだと恨み言を残して、ジェノフィン第三皇子は呼吸を止めた。看取ったヘルムス皇子は憤りを潰すように拳を握り、歯を食いしばる。兄弟なのに分かり合えなかったと全身を震わせた。
反乱に与した時点で極刑は免れなかったとは言え、恨み言を残されると心が重い。フェアライナ様は連れてこなかった訳だね。
しばらく顔を伏せた後、ヘルムス皇子は部下達を引き連れてお屋敷の入口まで戻った。そして、敷地を占拠する軍人達や門の外で状況を見守る住人達を見渡すと、強く握ったままだった拳を振り上げて叫ぶ。
「レゾナンスの首都は、我々が占拠した! 首謀者たる侯爵も、我が兄も、自ら命を絶った! 連合軍に加担した貴族のいくつかからも、降伏を望む書状が届いている。もはや、抵抗の意思はないと言っていいだろう。――戦いは終わった! 我々の勝ちだ‼」
「「「「おおおおおお……‼」」」」
皇族として、総司令官として、感情を殺して声を張り上げる。
拡声魔法も使わないこの勝鬨によって、皇太子殺害から始まった内乱は終結したのだった。
2巻発売記念SSを公開したいところではありますが、定期更新と重なったので今日は本編を優先しました。
明日には更新できる予定です。