もう一つの裁定
ベネットがずっと私に仕えると決めたのは、フランと同じ頃だと思っている。
古参の全員がその可能性も含めて打診された筈だから、覚悟がなかった訳じゃない。カミンが生まれた時点で私が侯爵家を継ぐ可能性はほとんどなくなったのに、他領へ嫁ぐ私と共にノースマークを離れる前提で私付きを選んでくれた。それでも、最終的に決めるのは私になる。私が認めるだけの活躍を示さなくてはいけない。
私が三歳になって貴族としての勉強が本格化した頃、フレンダを除いた古参の全員が、仕事ぶりをアピールするようになった。
でも、ベネットに選任を請われた覚えはあまりない。
縁の下の力持ち。
前世のことわざではあるけれど、彼女にはその表現がよく似合う。フランが今みたいに成長する前、目立たないけど一番頼れる側近はベネットだった。私の状況を把握して、何かを頼む前に準備を終わらせている。図書室に行かなくても読みたい本を用意してくれていたし、喉が渇いた時にはお茶が淹れてあった。当時、フランが目標にしていたのも知っている。
それでいて、成果を殊更に主張しない。
だから、私も気を遣わなくて済む。気兼ねなく頼み事もできる。
叙爵してすぐに領地の仕事を任せられたのも、いつか必要になるだろうと勉強してくれていたから。そんな備えをいつ進めていたのかも知らなかった。
彼女抜きで領地の仕事は回らない。フランとベネット、どちらがいなくなって困るかって質問には、正直なところ答えを出せない。
違いがあるとするなら、小言も役目の内と捉えるフランに対して、ベネットは私の意向に反対しないところかな。
だから、経験豊富なフレンダを差し置いて、フランを補佐する次席侍女長を任せてきた。
傍にいないだなんて考えられない。何かあったら頼るのは当たり前。私にとって彼女はそんな存在だった。
転移鏡で領地に戻った私は、執務室でベネットと向かい合う。
他にいるのはフランだけで、身内の進退に関わる話だからオーレリアやウォズにも遠慮してもらった。彼女達が口を滑らせるとは思ってないけど、土下座したベネットの不名誉は友達であっても拡散したくない。
処分内容については随分と悩んだ。普通に考えれば、解雇が妥当だと思う。優秀な彼女を遊ばせておくなんて勿体ないから、侯爵家に戻してお母様に預けるか、適性を活かして役人として働いてもらう。
でも、私は罰したい訳じゃない。
領地のお金を管理しきれなかった事に責任を感じたベネットが誠意を示しただけ。土下座しないといけないほどの失態とは思っていない。
紹介状が揃っていて、疑い難い状況にあった。これで罰していたのでは領地の仕事が立ち行かない。失敗の度に厳罰が待つ職場なんて、モチベーションが下がって効率が著しく低下する。
とは言え、土下座したベネットの覚悟も蔑ろにできない。ここで曖昧な処断を下せば、慣習を等閑にして、彼女自身も軽んじる事になる。少なくとも、彼女が明確に罰だと思える制裁が必要だった。他の侍女や友人からも信用を失う。
それに、必要な決断が下せない貴族なんて、貴族と呼べない。
今の立場から解任した上で、後進を育てる役目を負ってもらうのが落としどころじゃないかと思えた。
でも、それだとフランの負担が大きくなる。本来の侍女の役目から外れる領地の業務なんて、彼女達にしか任せられない。特に、私が領地から離れなくてはいけない今の状況では、領地の仕事が滞ってしまう。
そこで、私はフランに相談した。ベネットはフランにとっても頼れる部下。私が関わると評価が辛くなるフランがベネットの失敗を許せないとしても、放逐するべきだとまでは思っていない。
おかげで、何とか落としどころは見つけられたと思う。
「スカーレット・ノースマークが、ベネット・ヒューゼンに裁定を下します。その内容について、一切の異議を認めません。いいですね?」
「はい、お嬢様。覚悟はできております」
長年仕えてくれた部下の進退を決める場で、流石に気安い口調のままでいられない。自然と背筋が伸びた。私の一言が、忠臣の人生を左右する。
私の傍に控えている状態でフランは感情を表に出さないし、私と向かい合ったベネットも神妙な顔つきだった。
どんな決定を下そうと、受け入れる覚悟が垣間見える。
「ベネットは私の侍女を正式に解雇。今後は、南ノースマークの領主代行に就任してもらいます」
「…………」
「………はぇ?」
ベネットは、何を言われたのか分からないと言った様子の間の抜けた声を出した。
「え? 侯爵領に帰すとかではないのですか?」
「そんな勿体ない事はできないよ。私にはベネットが必要なんだから、まだまだ働いてもらわないと」
「いや、しかし……、それが罰ですか?」
微妙なところではある。
でも今回の事件を傍目から見ると、公共事業の裏で進行していた悪事をいち早く看破し、被害を最小限にとどめてお金の流れを追跡、犯行に関わったと思われる貴族まで突き止めた。ベネットがいなければ、事態はもっと深刻な状況にまで陥っていた。
実際、私は後始末しかしていない。
それにコンフート男爵家からもアルドール伯爵家からも残ったリングス工業からも、賠償金をたっぷり巻き上げるから、労力以外の損も見当たらない。コンフート男爵が個人的に使い込んだ分も、次期男爵がきちんと補填してくれる。工期が少し遅れるって点も、これだけお金があるなら解決できる。
終わってみると、ベネットの土下座の後始末に一番頭を悩ませられた。
これで彼女を罰したなら、他の家人が私を恐れてしまう。大した理由もないのに忠臣を処断する当主に映る。土下座したって事実は易々と明かせないから弁明も難しい。
で、相談してみたところ、フランが妙案を提示してくれた。
「これからは私個人じゃなくて、この領地に仕えてもらうよ」
むしろ、これまでがおかしかった。
南ノースマークの家臣団は大勢いるものの、侯爵家から私についてきたフラン達は命令系統が違う。それぞれが優秀で家臣団をゼロから鍛えたのもあって、私の下にフラン達古参の六人がいて、彼女達が仕事を分配していた。
特にフランとベネットは万能なものだから、いろんな役割を同時に担っていた。
これまではそれで上手くいっていたものの、体制の歪みは後々大きな機能不全を生む。この機会に改革しておくのは悪くない。
その一歩として、私のお世話係と領地の政治を切り離す。公私ともに補佐として働くフランはどうしようもないけれど、フレンダにはお屋敷の取り回しを、エステル達には私の生活面に集中してもらう。
そして、信頼するベネットになら、政治のトップを任せられる。
他所の家では分家から人を出すのが一般的らしいけど、私のところにはまだいない。だから、頼れるベネットに代行してもらう。能力的にも不足はないし、私との意思疎通も申し分ない。
これがどうして罰になるのか分からない点を除けば、とても都合が良かった。
「そ、そんな……」
けれどベネットにはフランの意図が正確に伝わったみたいで、覿面に表情が変わった。絶望って言葉がよく似合う。
「そ、それでは、今後私はお嬢様のお世話に関われないのですか?」
「そうなるね。時機を見て、執務棟に引っ越しもしてもらうよ」
「――‼」
何がそんなにショックなのか分からないけど、言葉を失うほどだったらしい。
「せ、せめて引っ越しだけはご容赦願えませんか?」
「無理。役職で生活の場を分けるのは普通の事でしょう? 今後は身内としてでなく、私の副官として支えてもらえる?」
「それは、とても光栄なのですが……」
嬉しさより戸惑いが勝つのか、歯切れが悪い。罰を受ける側としては正しい反応なのかもしれないけど、罰になっていないって戸惑いじゃないよね。それにしては、随分と慌てて見える。
「侯爵領に戻りたかった?」
「いいえ! そうなっても仕方がないとの覚悟はありましたが、お嬢様の傍を離れたいと望んだ事などございません」
かなり強めの否定が来た。
「じゃあ、何が不満?」
「不満と言いますか……、今の私は処遇に注文を付けられる立場ではございませんし……」
どうにも要領を得ない。
だから、私は聞いてしまった――
「何が問題なの? 何かあるなら言ってくれないと、私には分からないよ」
「……だって! 少し眠そうな様子のお嬢様におはようございますも、パジャマ姿のお嬢様におやすみなさいも、お嬢様の艶やかな髪に触れる事も、お嬢様を可愛らしく着飾らせる喜びも、美味しそうに食事を頬張るお嬢様をこっそり楽しむ事も、苦手な食材に顔をしかめるお嬢様を微笑ましく見守る事も、うろ覚えの鼻歌を口遊むお嬢様に癒される事も、お風呂上がりでご機嫌のお嬢様にほっこりする事も、濡れた髪のお嬢様の色気にときめく事も、成長しない胸を見下ろして毎日肩を落とすお嬢様をいじらしく思う事も、研究に集中して真剣なお嬢様の様子に心打たれる事も、考えがまとまって口元を吊り上げるお嬢様を誇らしく思う事も、研究が結実して満面の笑顔になるお嬢様を愛でる事も、失敗にあたふたするお嬢様の可愛らしさに心揺さぶられる事も、強がるお嬢様を頼もしく思う事も、日に日に美しくなっていくお嬢様について神様へ感謝を捧げる事も、時々私達のメイド服を見て顔を緩ませるお嬢様に嬉しくなってしまう事も……全てできなくなってしまうのですよ!」
「…………」
とんでもない本音が飛び出してきて、私の心は一気に冷えた。
ベネットの忠誠の根幹ってこれ?
正直、知りたくなかったよ……。
「フラン、ベネットの罰ってこれの事?」
「はい。私達は多かれ少なかれ、お嬢様をよりどころにしているところがございますから」
つまり、ベネットだけじゃないって事だよね。
彼女もエステルも未だ未婚で、その意思も見られない。結婚も諦めて付き従ってくれている事に感謝してたら、推し活の側面もあったらしい。彼女達を見る目が変わりそうだよね。
私がドン引きしている事にも気付かないまま、酔って頬を赤く染めるお嬢様も楽しみにしていたのに……などとベネットは妄言を垂れ流している。
それで、彼女を気遣う気持ちは完全に消えた。
「一週間あげるから、執務棟への引っ越しを終わらせてね」
「期間が短くなってませんか⁉」
ベネットの悲鳴は、勿論取り合わない。
「侯爵家に戻される覚悟があったなら、どちらにせよ私と離れる筈だったんじゃないの?」
「もう決して叶わないと諦めるのと、近くにいるのに私だけ関われない生殺しでは、渇望の度合いが違うではありませんか!」
「……あっそ」
まるで共感できなかった。考慮する必要性も感じない。
前世でいろんなキャラに萌えていた私だから理解できないとまでは言わないけど、自分がその対象になってみると微妙な気持ちになるよね。
「ベネット、異論は口に出さないと約束した筈ですよ。更に恥を上塗りするつもりですか?」
「……‼」
何とか譲歩を迫ろうとするベネットは、フランにバッサリ切って落とされた。私が悩んでいたのを知っているだけあって容赦がない。
私としても、同情する気持ちは霧散したからね。
侍女を解雇されたとなれば外聞が悪いので、対外的にも罰と見えなくはないのかな。本人的には拷問にも等しい厳罰みたいだし。
とは言え、領地のために働いてもらうのにあんまりモチベーションが下がるのも困る。
「頑張って働いてくれたなら、会食の時間くらいは作るよ。もう私の使用人じゃなくなる訳だし、一緒にテーブルを囲もうか」
「お任せください。お嬢様の代わりを立派に勤めてみせます!」
餌になりそうな提案をしてみると、物凄い手の平返しを見せた。新しい楽しみ方を見つけたらしい。
今回の人事で本当に良かったのか、ちょっと疑いたくなってしまう。
ところで、私はこれから王都邸の建設を予定している。ウェルキンに加えて転移鏡まであるから、折角建てても使用頻度が高くないってくらいは予想できる。だからって、王都邸を預かる人間を置かない訳にはいかない。
そうなると、能力的にも私との繋がり的にも、私の侍女を移動させる必要があった。
フランは私の傍から外せないし、フレンダにはこのお屋敷を任せてある。そして、ベネットはもう私の侍女じゃない。そうなるとエステル、アルテ、ケイトの誰か。彼女達もベネットの同類なら、私があんまり滞在しないお屋敷行きをすんなり頷くとも思えない。
もしかして、また本音の暴露に付き合わないといけないのかな……。
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