余話 夢の中で 3
三方を海が囲み、湯船の先は切り立った崖となっているので余計なものは視界に入らない。南には水平線が広がって、海に浮かんでいるような錯覚を引き起こす絶景、強い風がお湯の温かさを際立たせる。崖下で叩きつけられる波の音も心地よかった。
間違いなく、かつての私の記憶。交通の便が悪いことに辟易しながら旅館まで辿り着いて、温泉の雄大さで全てが報われた事を覚えている。
けれど、前世の温泉を疑似体験できるといつもなら楽しみな夢も、今回ばかりは私の心を動かさなかった。
「――やっちゃったね」
言わないで……。
かつての自分の顔で追及されるまでもない。あの事件については、私の頭から離れてくれなかった。
ロシュワート殿下やキャスプ老、落下の犠牲になった人々を助けられなかったからと責められた訳じゃない。王国からカムランデを訪れているだけの私に救助義務はない。でも、それはあくまで立場の話、道義的な話じゃない。
呆然とした時間がなければ、間違いなく助けられた。
マジックハンド魔法を伸ばせば、機体を落とさずに済んだ。そのまま掌握魔法で搭乗者の治療もできた。助けられる手段があったって現実が私を苛む。
ただし、搭乗者全員を救出できたかどうかは怪しい。後で分かった話になるけれど、襲撃に使った武器はかなり凶悪な代物だった。
二重貫通弾頭。
役割の異なる二種類の炸薬を備えた構造で、着弾時に先駆弾頭が起爆して穿孔衝角が対象を深く抉る。更に後続の主弾頭が炸裂する事で、構造物の内部へ衝撃を与えられる。主に魔法防御を突破することを想定した兵器だった。お守り程度の防護しか持たない対象へ向ける危険物じゃない。
二度目の爆発が起こった時点で、機体内部は悲惨な状態だった可能性が高い。それでも、即死さえ免れていたなら、救出できる可能性はあった。どれほど深刻な容態であろうと、私なら命を繋げた。全員でなくても、救えた命があったかもしれない。
なのに、一瞬の戸惑いがその機会を奪い去った。
咄嗟に動けなかった事で、一縷の望みを手放した。
「でも、今回は奇跡を起こせなかった」
そうだね。誰に責められなかったとしても、私自身が許せそうにない。
「しかも、事件の切っ掛けを作ったのが、貴女自身だった訳だしね」
……そう。
事件を引き起こしたのは、私が知る人物だった。
あの時、ロシュワート殿下を助けるのは絶望的だと判断したヘルムス皇子は、犯人捕縛を優先した。皇太子を殺害するなんて暴挙を犯した大罪人を取り逃がしたのでは、皇国の威信が揺らぐ。そうでなくても、兄を殺した人物を許せる筈がない。
確実に捕縛し、背後関係を徹底的に洗い、関わった全ての人物、あるいは組織を厳罰に処す必要があった。あの事件にどこかの国が関与していたなら、戦争だって躊躇わなかったに違いない。たとえ、その対象が王国だったとしても。
ヘルムス殿下は、射線から推測できる凶手の方向へ全力で駆けた。騎士に指示を出しておきながら、その全員を置き去りにしたくらいに。
その身体能力は、Aランクの冒険者として実績を上げているだけあった。決して冷静ではいられなかったんだと思う。あの時の勢いは、私へ向けられたら身が竦んでしまいそうなほどの迫力に満ちていた。
そうして引っ立てられたのが、ローザリア・アンハルト侯爵令嬢だった。即日、侯爵家の解体が決まったから、既に元令嬢だけど。
「驚いたよね、あれには」
どう考えても、令嬢が引き起こす事件じゃなかったからね。
「うん。でも、その動機はもっと衝撃だったけど」
肉親を殺された皇子に捕縛されて、無傷で引き立てられる筈もない。犯人を連行したヘルムス殿下は、髪を掴んで引き摺りながら現れた。四肢は折れ、何度も殴打された痕跡を確認できた。
子供が熊に襲われたようなものだから、あれで随分手加減できた方だと思う。誰も同情しない。
そんな状態だったにもかかわらず、ローザリアから生気は失われていなかった。反省も後悔も一切垣間見せず、ただひたすらに私を睨む。
『お前だ、お前のせいで皇太子は死んだ! お前なんかに尻尾を振って、空飛ぶおもちゃを作って得意気だったから死ぬ羽目になった! こんな女を呼んだのが悪い! こんな女にいいように従うなんて間違っていた。だから、私が証明してやった。殺されて当然だ! だから、汚い花火になった。惨たらしく死んでいった! 国に仕える私を蔑ろにして、余所者に甘い顔した報いだ! どう? 悔しい? 怒った? お前がくだらない倫理観で皇族に取り入ろうとしたから、皇太子が死んだ。お前が殺した! 折角のおもちゃもゴミになった! 全部、全部、全部、全部、全部……、お前のせいだ! 出しゃばったお前が悪い! 私を虚仮にしたお前が悪い! ねえ、どんな気持ち? この国に、皇太子はもういない。兄弟は無駄に多いから、これから王座を巡って争い合う。お前のせいで国が荒れる! 中途半端な善意を振りかざして大勢を不幸にするって、どんな気持ち? 罵られればいい、非難されればいい、お前のせいだって糾弾されればいい! 大勢から拒絶されて、不満をぶつけられて、吊し上げられて、泣いて悔やんで苦しんで、惨めに国へ逃げ帰ればいい! あはは、あはははははは、なんていい気味、ざまあみろ! お前が悪い。お前がいなければ、私もこんなことをしないで済んだ! あはははははは、あーっはっはっはっはっはっはっはっ……! 虚無へ落ちろ……』
彼女の狂気は、今でも耳に残っている。
彼女を追い込んだ事を反省しているとか、後悔しているって話じゃない。彼女の理屈はまるで理解できなかったから、ちょっと忘れられそうにない。
思い出すだけで憂鬱になる。現実じゃないとはいえ、折角の温泉も楽しめないくらいに。
「まったくの他人事って訳でもないんじゃない? 人死も出ているんだし」
嫌ってくらいに繰り返していた私のせいだって話? 私が関わりを持ったから、ロシュワート様が死んだって?
そんなの、こじつけが過ぎるよ。悪いのはあの女、そこを履き違えて罪悪感を背負い込む気はないかな。私を直接狙ったならともかく、私には敵いそうにないからって明後日の方を標的にした訳だしね。
私の後悔は、あくまで助けられたかもしれない命を取りこぼした件について。
私が背を押したのだとしても、あの女の異常性と混同する気はない。
反省する点があるなら、彼女の気位と執念深さを甘く見たところだろうね。恥を重ねさせた恨みは簡単に消えない。自業自得だなんて考える筈もないし、自身が尊貴な生まれだと盲信していればいるほどその執着は酷くなる。
とは言え、あれだけの事を仕出かせば、当人の極刑は勿論、お家取り潰しどころか一族郎党が処刑台へ上るってくらいは子供でも分かる。それでも歪んだ報復を目論むなんて、想定できる筈もない。そこまで自制が利かないとか、家族だって把握できてなかったんじゃないかな。
どう考えても私と相性が悪いから、関わらないのが最善だったんだろうね。
「それって可能? リコリスちゃんを見捨ててたって事だけど、そんなのできた?」
勿論、無理に決まってる。
屁理屈で頭を下げさせた事も、請求書を突き付けて笑い者にした事も、間違っていたとは思っていない。
でも、こんな事になると知っていたなら、もっと徹底的に叩いておくべきだった。皇家とアンハルト侯爵家を巻き込んで、貴族籍からあの女を排除して、決して公の場に現れないように幽閉させる。そのくらいの苛烈さは必要だった。
対処が甘かった点は私の失敗だと思っている。今更、どうしようもない事だけど。
「でも、それをしなかった結果、皇太子達は死んだ。そこを反省しないのは傲慢じゃない?」
それは無茶だよ。今だからこそ言える事で、私は未来を見通せてる訳じゃない。私の魔眼って、モヤモヤさんが見えるだけなんだから。
とは言え、今回の件で何の学びを得られなかったなら、私もいつか傲慢を拗らせてしまうかもしれない。権力って便利ではあるけど、自分を過大評価してしまいそうな誘惑もある。自戒は常に必要だと思う。
彼女の場合は理解が及ばなくて反面教師にするのも難しいけど、そういった相手、私と決して相いれない人間もいるって教訓くらいにはなった。助けられなかったのがもっと身近な人間だったなら、後悔は今の比じゃない。それを思えば、もっと警戒は必要だった。
「………………」
…………
………
……
心の整理がついたからなのか、これ以降、もう一人が話しかけてくる事もなくなった。もともと存在が希薄な相手なので、私も気に留めることなく今回の夢は更けていった……。
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