隔絶都市の胎動
「待て! 待て! 待て! 待て……!」
不穏な気配を察知したのか、アドラクシア殿下が慌てて止めた。勘は働くらしい。
どうでもいいけど、咄嗟に立ち塞がろうとした近衛騎士半数はともかく、腰が引けていた残りの騎士は進退を考え直した方がいい気がする。前騎士団長の襲撃以来、一部の騎士に私への恐怖が根付いているらしい。そんなの、適性を疑うレベルだよね。
煌剣を騎士団に譲る選択肢を、初めから外しておいてやはり正解だった。
「話は最後まで聞け! 其方に研究を止めろとまでは言っていない」
「……そうなのですか?」
「当然だ。国が大きく飛躍する機会を無駄にする訳がなかろう。秘匿するのは、オリハルコンが自在に生成可能になった件だけだ。其方はこれまで通り、オリハルコンを使って研究を続ければいい。ただし、成果を公表する際にもオリハルコンを使っている事実は伏せてもらう」
「世間を騙すのですか? 見る人が見れば、桁外れの魔力容量や他にない特性に気付くと思いますよ」
研究は続けられると聞いて、怒りのボルテージが少し下がった。
それでも、オリハルコンを使いながらその事実を明らかにしないというのは、詐欺の片棒を担がされているみたいで居心地が悪い。おそらく、オリハルコンを導入した魔道具は従来のものと一線を画す性能になる。従来品を扱う業者とストラタス商会の差が取り返しのつかないものになるんじゃないかな。
そうなると当然、性能に差が開いた理由を探そうとする。誤魔化せる時間はそれほど多くないように思える。
けれど、アドラクシア殿下は気にしていない様子だった。
「心配は要らん」
「……何を、そんなに自信満々に?」
「其方、これまでにどれほど非常識な魔道具を作ってきたと思っている? 其方が開発に携わったと知った時点で、多少の違和感もそんなものだろうと吞み込める筈だ。理屈が通っていなかったところで、其方ならば何か新技術でも確立したのだろうと勝手に解釈してくれるに違いない」
「まさか、そんな……」
「魔力供給事情を塗り替えた魔道変換器に、医者の存在意義を揺るがした回復薬、交通事情を一変させた飛行列車、枚挙すれば遑がない。心当たりがないとは言わせんぞ。そこへ来て、転移鏡はダメ押しだった。そろそろ、別の事象世界を生きているのではないかと言われているくらいだ」
なかなか酷い事を言う。
基礎理論が全く異なる世界を生きた経験があるのは事実だけれど、その知識は研究にそれほど活用できていない。実際、代替が難しいものが多いからね。今回の事だって、この世界の現象だけで組み立てた。
なのに、ズルしているみたいな言い様は納得がいかない。
「それはつまり、どこか知らない世界の技術を使って確立した理論ですから、他と共有する必要はないという意味でしょうか?」
「待て、短絡的に解釈してくれるな。今のは、口さがない貴族共から上った噂だ。私が真に受けているなどといった話ではないぞ」
「では殿下は、オリハルコンが神の金属だからと、人の手で加工するのを恐れ多いと思っている訳ではないのですね?」
「無論だ。信仰を軽んじるつもりはないが、学術的な根拠を伴わない教義を盲信もしない。だが、そう考えられる者ばかりでないのは知っていよう?」
物理法則や人体の神秘のほとんどを解き明かして、奇跡に神様の御力が介在できる余地を残していなかった前世とは事情が違う。この世界でも多くの理論を解明しているものの、決定的な違いとして魔法の存在がある。
あれも超常的な現象ではなく、理論に則った技術なのだけれど、その詳細を学んだ者でもなければ、奇跡の一端に思えてしまう。発動する魔法によっては心象が物理法則をも超越してしまうものだから、神秘的な現象を引き起こしているような誤解が生じる。
回復薬で女の子を助けたら、聖女と呼ばれてしまったのがいい例だね。魔漿液に魔法を付与した仕組みを理解するより、奇跡に縋った方が受け入れやすかった。
「根付いた認識を更新するには時間がかかる。それが、オリハルコンの生成技術の秘匿を望む理由だ。魔道具の機能に目を向けるのではなく、神の意向に縋って買い求められるのは其方も本意ではなかろう? 国としても、時間が欲しい」
「……良識や道徳が追い付いていないという話なら、理解できます」
「その通りだ。分割付与や魔導織なら受け入れられても、今回は事情が違う。人工ダンジョンですら、一部の不信を抑えている段階だ。その神秘性も、潜在能力も桁外れのオリハルコンともなれば尚更だ」
「で、オリハルコンの特殊性については私の存在で覆い隠すと? 上手くいきますか?」
「そんな心配をするのは其方くらいだ。ワーフェル山や元ラミナ伯爵邸を消滅させ、三日で帝国を叩き潰し、ダンジョンを再現してみせた其方を、常識の範囲で語ろうとする者は存在しない。実は神から遣わされたのだと自称すれば、喜んで神殿が迎えてくれると思うぞ」
「次に殿下が私の機嫌を損ねたなら、真剣に検討してみることにします」
「おい……」
俗世のことは全部周囲に押しつけて、関心事だけに没頭する日々は悪くないかもしれない。当然、神聖側である私は民衆の前に出ない。転移鏡があるならお出かけは自由な訳だし。
十日もすれば飽きる気がしないでもないけど。
「それに、確立した理論を他と共有しないと言うのも、一つの選択肢だ。其方は研究の成果を国へ貢献させようと律義に報告してくれるが、目的は名声を得ることではない筈だ。そうであるならば、領地のみの成果としても問題はないであろう?」
「私は、それが許される立場なのですか? 私の能力は国が利用するものだと思っていたのですが」
「それは魔導士の誓いか? 確かに全てを国に捧げるといった文言ではあるが、非常時の戦力であるなら十分だ。危険な平民を管理する建前と、貴族の常識を知る其方では事情が違う。そもそも、領地を栄えさせて巨額の税金を国へ納めるのは貢献と言わないか?」
言われてみれば、そうだね。
貴族なんて、人生を国に捧げているようなものだった。だからこそ、国の一部を治める代行を国王陛下から任せられて、代償に特権を得ている。
「オリハルコンを利用した魔道具に関しても、国外へ広めるならその影響を判断するために詳細の報告義務が生じるが、領地だけで活用するなら文書の提出くらいで構わん」
「つまり、キミア巨樹の隣に天を貫くオリハルコン塔を建てるのも私の自由だと?」
「……何の為にそんなことを?」
「いえ、物の例えですけど」
「そこまでの規模となると貴族共が騒ぐであろうから許可を出せんが、総オリハルコン製の車を作ったり、音速で飛ぶ飛行列車を領内で運用するくらいなら好きにしろ。それで起こる混乱には対処する義務を申し付けてあるし、領地の発展に手段を選ばないだけの権限も与えている筈だ」
「周辺領地や王都と足並みを揃える必要はないと?」
「それこそ今更だ。転移鏡や専用列車を好きに使っているではないか。魔法陣で次々と建物が仕上がる領地など、他にないぞ。キミア巨樹など、極めつけだ。そんな其方へ向かう不満に対して盾とするためにも、其方が自由にできる領地を与えたつもりだったのだが?」
確かに、領地の内情には国王陛下であってもおいそれと口が出せない。そこに引き籠っているなら、ほとんどの批判をシャットアウトもできる。
そもそも、オーレリアと出会ってなければ強化魔法練習着だってノースマークだけのものとするつもりだった。領内の発見を、領地の発展のためだけに使うのは普通の事だった。外部へ知らせるのは利益や恩を得るため、その前提が私の頭から抜け落ちていた。
「……そう、だったのですね」
「そうか。妙に遠慮を感じると思っていたが、そこまで伝わってなかったのだな。あれは、真意を説明する前にいなくなってしまっていた訳だ……」
あ。
その未来図を描いたのはジローシア様だったんだ。人工ダンジョンやオリハルコン量産なんて予想できた筈はないけれど、私がどんな奇跡を引き起こそうと対処できるように備えてくれていた。
お伽話すら超えるような都市、多くの人の夢が現実となる領地。
ふと、あの人が願ってくれた未来を思い出す。領主になって、貴族との付き合い方を学んで、いつの間にか遠慮を覚えていた。あの人が語ってくれた夢から、無自覚に遠ざかっていた。私達を隠す代わりに表舞台に立ってくれようとした覚悟に、背を向けてしまっていた。あの日、技術の最先端を行く町を私より楽しみにしてくれていた。……そんな事実を、今更になって知った。
「ジローシア様に代わって、殿下に確認しておきます。外へ広げることを考慮せず、自領の発展だけを突き詰めて、本当によろしいのですね? 人工ダンジョンにオリハルコン、その礎を手に入れた以上、決して自重はしませんよ?」
「これまでは自重できていたような言い回しはよせ。キミア巨樹が現出した時点で、私の手に負える範囲は飛び越えた。だが、こちらにとっても悪い話ばかりではない。其方の領地での成功は我々にとっても指針になる。失敗があったなら対策も考えられる。教義や迷信で耳目を閉ざしている者達の意識を変化させる一助にもなろう」
「後になって、話が違うなんて泣き言は聞きませんよ?」
「そんな心配は必要ない。覚悟はとっくに決めている。其方が変に慎重になっていただけだ。それでも不安に思うなら、敢えてこう言おう。――私が、ジローシアとの約束を違える事は決してない」
その宣言には、ひどく説得力があった。
技術の粋を結集した都市へ視察に来たいって約束は、ジローシア様とだけのものじゃなかったね。
「分かりました。オリハルコン生成の秘匿は遵守します。その代わり、オリハルコンを使った高性能魔道具は私が引き起こした奇跡として領内に行き渡らせます。未使用の魔道具なんてすぐに時代遅れになるでしょう」
「ああ、それで問題ない。技術が漏洩しないよう、管理を徹底してくれるならな」
「そうですね。入出領の検査は厳しく行います。コントレイルの売り出し、建造の魔法陣の提供、ダンジョン開発の協力など他領への助力も行ってきましたが、今後は検討する必要もないのですよね?」
「構わん。外へ売る場合に限り、その詳細を報告しろ」
「でもそうなると、用意したお土産は持って帰る他なさそうですね」
「何?」
オリハルコンの生成に成功したって報告に来る訳だから、お土産もオリハルコンで用意した。
「待て、聞いていないぞ? 説明しろ」
「武器としては聖剣がありますから、防具として王冠を用意したのです。私の臨界魔法やオーレリアの煌剣とまでは言えませんが、ほとんどの悪意ある攻撃を自動で防ぎます。お守りの最上位版といったところでしょうか。でも、外観がオリハルコンそのままですから、公に出せませんよね?」
「待て! 待て! 待て! 待ってくれ……! 見た目を偽る方法を考えればいい。せっかく作った魔道具を、簡単に廃棄しようとするんじゃない!」
世間への影響を配慮した傍からこうしてオリハルコン冠を惜しんでいるのを見ると、人の欲は制御できないのだと実感する。そして、信教側にとっては行き過ぎた物欲も否定の対象となる。発端はオリハルコンを騙った私にあるとか、面倒な宗教戦争まで発展してもおかしくないね。
結局、王冠は金鍍金でオリハルコン地を隠して運用することになった。
あの王冠は単純な付与魔法でなく、魔道具として防護効果が発生する新型で、キャシーが頑張って作製していた。魔力を充填しなくても百回以上は使える壊れ性能でもあるから、鋳潰して廃棄するのは勿体ない気持ちもあった。
「ところで、先ほどはとてつもなく危機感を刺激されたのだが、いったい何を考えた?」
「え? 殿下を陛下のところまで引き摺って行って二人の真意を確かめるつもりでしたよ? その内容次第では、譲位と廃嫡を迫ったかもしれませんが」
「……思った以上に危ないところだったのだな。しかし、それで国を乗っ取るような面倒事を目論む其方でもないだろう。空位になった王座を争う貴族を放置するとも、混乱する国を捨てるとも思えん。どうするつもりだったのだ?」
まあ、国の運営なんて特大の面倒事、ご免被る。
「直系の王族は、もう一人いらっしゃるではありませんか」
「まさか、ガントか? 王族としてどころか、人としての良識も備わっていないと、監視無しでは外にも出していない弟に、私と父を排除した国を譲り渡すと?」
あの三番目が未だその状態なのは、陛下と殿下が甘やかしている結果でもあるからね。当然、容赦しない。
「そんなもの、教育し直せばいいだけではありませんか。四大侯爵家の方々にお願いすれば、すぐにでも矯正してくださると思いますよ? 何しろ、私やジローシア様を育てた方々です。むしろ、どうしてその決断が出てこないのか、不思議に思っていたくらいなのですけど」
「……その場合、ガントの人格は残るのか?」
さあ? 矯正するのは王族として相応しくない部分だから、それで消えてなくなるなら要らないものって事だよね。
その上でエルグランデ侯とお父様が監督するなら、あの王子でも傀儡くらいは務まるんじゃない?
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