書籍一巻発売記念 番外 ここからはじまる
書籍一巻本日発売!
記念に短編を書かせていただきました。できるなら、二巻、三巻と恒例にしたいですね。
「本当に、申し訳ありませんでした!」
男爵令嬢が勢いよく頭を下げる。あんまり姿勢が良くないのもあって、マーシャが頭を押さえつけながらの謝罪礼となった。
国中の貴族について覚えさせられた私は、ウォルフ男爵家についても概要くらいは知っている。次代か、その次くらいには没落するだろうって言われている弱小貴族。侯爵令嬢の気分次第で消えてなくなる事態だって考えられた。そういった事情を考えれば、青い顔で懸命に謝罪するのも無理はない。
名門キッシュナー伯爵家のご息女であるマーシャが一緒に謝罪しているのは、親戚だから。そして、この事態の発端となってしまったからだね。
事の始まりは数分前。
ウォズに続いてマーシャの加入で新体制となった素材活用研究室に、何の前触れもなくキャスリーン・ウォルフ男爵令嬢が飛び込んできた。
「マーシャばっかりズルい。あたしも混ぜてください!」
六歳くらいまでの女の子だったら、微笑ましく迎えてあげられたかもしれないね。
でも、学院で貴族の常識を学んだ令嬢の行動としてはあり得ない。しかも、ノースマーク侯爵家にカロネイア伯爵家、そしてキッシュナー伯爵家と、ここには錚々たるメンバーが集う。安全優先のためにこの場で射殺されても、苦情一つ上げられないくらい非常識な行為だったと思う。
私に無礼打ちする気はなくても、フランが動く危険はあった。彼女は私を守る目的で、最低限の武装を常に所持しているから。
「キャシー!」
でも、その前にマーシャの悲鳴みたいな叱責がフランを止めた。二人の顔がそっくりだったおかげで、関係者だと一目で分かる。それを注視しないほど、フランも無情じゃなかった。
「怖い声を出してもダメだからね! あたしが魔道具いじりを大好きだって知ってるのに、どうして誘ってくれなかったの? 聞いたよ、新しい魔道具を作るんでしょう? そんなの、あたしだって参加したいに決まってるじゃない!」
それでも構わず捲し立てる様子から、碌に下調べもせずに、マーシャがいるって情報だけで突貫してきたのだと分かった。どうも、私のことも知らないっぽい。確かに、入学歓迎の式典で挨拶を交わした覚えがないね。
「あたしだけ除け者にして意地悪するつもり? マーシャってばズルい! ズルい! ズルい! ズルい……!」
「いい加減にしなさい! ここは…、ここは侯爵令嬢であるスカーレット・ノースマーク様の私的な研究室よ。許可も得ず、貴女が立ち入っていい場所ではありません!」
マーシャの一喝で、おさわがせ令嬢の動きがピタリと止まった。
学院の教師が開設する研究室は、学生の選択肢を広げる目的で基本的に開放されている。でも、私は教師じゃない。領地の秘匿技術を扱っている場合もあるから、講師資格取得生の研究室には制限がある。面会依頼を前もって出して、許可を得てから訪問するのが普通。実際、ビーゲール商会との契約があるから研究内容をみだりに洩らせない。
マーシャから突き付けられた情報で、今の不味さが分からないほど頭の回転は悪くなかったみたい。随分と手遅れ気味だけど。
で、懸命の謝罪を受けているのが今って訳。
「ええ……と、キャスリーンさん? 礼儀云々の話は後に置いておくとして、できるなら研究の協力者として参加したいという意向でいいのかしら?」
「レティ様⁉」
私が面談モードに切り替えると、マーシャは信じられないといった様子で私を非難する姿勢を見せた。貴族としてはマーシャが正しい。普通に考えれば、彼女みたいな貴族不適格者を傍に置くだけで私の名前に傷がつく。
でも、研究の概要を聞いても関心すら湧かない様子なのに、侯爵家とのつながりだけ求めて面会を申し込んでくる人達よりよっぽど期待が持てる。
それに、熱意だけで研究室の門を叩いたのはマーシャも同じだしね。キャスリーンさんほど考え無しじゃなかったとは言え、生家の派閥が異なることで警戒心を抱かせないようにって、研究室の前で待ち伏せていた。望む進路を掴み取るために手段を選んでいない。マーシャってば、家の意向を無視して私に接触してる訳だし。
その後いくつかの質問をしてみたところ、好奇心を暴走させてここへ突撃してきただけあって魔道具に関する知見の深さはかなりのものだった。部分的には私より造詣が深い。貴族のご令嬢としては珍しく、実際に魔道具を修理した経験もあるらしい。
一方で話が魔道具関係から逸れると、分かりやすく勉強不足を露呈した。知識の偏りが酷い。関心事なら貪欲に知識を得る行動力があるのに、それ以外は敬遠する傾向すらあった。
まだ学院の二年目だって話だけど、このままだと卒業も怪しそうだよ?
「分かりました。研究に付いて来られるだけの能力はあると判断します。最終的な判断はしばらくの様子見の後としますが、ここへ通ってもらって構いません」
「ホ、ホントですか……?」
マーシャを追っては来ても、私に受け入れられるとは思えなかったみたいで、喜びより戸惑いのほうが大きそうだった。とても信じられないと目を丸くする。
それでもすぐに歓喜の感情が追い付いて、やったーっ! と飛び上がる様子をマーシャに叱られていた。でも、その貴族らしくなさが私に興味を抱かせたんだよね。
「ただし、一つ条件があります」
「はい、何でしょう!」
「最低限の教養は学んでください。優秀な成績を修めろとまでは言いません。せめて、学院の必修単位くらいは揃えてください」
「え、え~……」
研究室に迎えてもらえるなら何でもすると意気を漲らせたキャスリーンさんだったけど、私の提示した課題を聞いて不満を滲ませた。でも、私も譲る気はない。さっきの無礼を不問にするとも言ってないしね。
「ここに…、ここに出入りするなら必要なことです。協力者として認めた貴女が他の場所で無礼を働いたとしたら、恥をかくのはレティ様です。貴女の意気込みに応えてくださろうとしているレティ様の顔へ泥を塗る行為を、良しとするつもり?」
「そ、それは……」
「もしも…、もしも貴女がたったこれだけの条件が飲めないと言うなら、これ以上の話を聞く資格はありません。今すぐに去りなさい」
普段の彼女を知っているだけあって、マーシャの言い分は厳しい。だからと言って、それを止めるつもりにはなれなかった。自分の好奇心を満たすために苦手を呑むことすらできないなら、期待を向ける甲斐がない。
「分かり……ました。長い間忌避していたのでしばらく不快な思いをさせてしまうかもしれませんけど、必ず克服して見せます」
「うん。それなら歓迎するよ、よろしく」
「え? え? え?」
身内に迎えると決めたのでモードを戻して言葉を崩すと、キャスリーンさんは混乱する様子を見せた。ここまで落差のある貴族も珍しい。たった今まで礼儀について諭していたから尚更かな。
「外部の誰かがいない時間なら目溢しするよ。私も、あんまり窮屈なのは好きじゃないしね」
「は、はあ……」
「マーシャとは面識がありそうだから、他の友人だけ紹介しておくよ。こっちがオーレリアで、彼がウォズ。よろしくね、キャスリーンさん」
「あ、あたしのことはキャシーと呼んでください」
「そう? じゃあ、私もレティでいいよ」
「は、はい。レティ…………様?」
さっきの今で呼び捨ては難易度が高かったかな。まあ、ゆっくり打ち解けてくればいいよ。
オーレリアの素性にも気付いてなかったみたいで、もう一度硬直してるけど。
外部の協力者の紹介はまたの機会にするとして、私達は作業に戻った。キャスリーンさん……キャシーの力量も知っておきたい。
「マーシャ、基板の品質を変えながら一定に付与ってできる?」
「はい。付与魔法は…、付与魔法は得意です」
「じゃあ、お願い。できれば基板の属性も変えてみて……って、ウォズ。氷珪板の在庫を切らしてるって言ってなかった?」
「あ、はい。でも、冒険者ギルドに採取を依頼済みですよ。進捗の確認に行ってきましょうか?」
「お願いできる? 数が揃ってなくても、あるだけ貰ってきて。オーレリアは、強度計算を手伝ってくれると助かるよ」
「分かりました。本当に計算するだけになりますけど、お手伝いします」
「それでは、スカーレット様。行ってまいります」
「うん。気を付けてね、ウォズ」
「…………」
「キャシーはオーレリアと一緒に……って、どうかした?」
ウォズを送り出して私も基板の組み立てに戻ろうとすると、不思議そうに固まるキャシーに気が付いた。いつものノリに付いて来られなかったかな?
「あ、いえ、大したことではないんですけど、オーレリア様だけ愛称がないのはどうしてかなって……?」
そんなことを私に聞かれても困る。
偶々そうなったとしか言えない。そもそも愛称なんて、ないといけないって決まりはないよね。
「特に理由はないよ。好きに呼べばいいんじゃない?」
「そ、そうなんですか?」
強いて挙げるなら、キャシー同様に私とマーシャは自薦。オーレリアはそれがなかったってくらいかな。短く呼びかける方が口に馴染むから、ウォズは私が提案したけど。……犬チックだったからって理由じゃないよ。
オーレリアとマーシャは私に倣ってるんじゃないかって気がしてる。前世でも、友達を真似してあだ名で呼んでいたら、本名を知らなかったとかあったしね。それに、ウォズとか頑なにレティ呼びしようとしないし、だからって強制するのも違う気がしてる。
「折角なら、何か考えませんか?」
「それは…、それはいいですね。オーレリア様、ご不快ではありませんか?」
「え、ええ、特に不都合はありませんから」
ちょっと展開が突飛な気もしたけど、キャシーなりに距離を詰めようとしているのかもしれないね。オーレリアがちょっと恥ずかしそうなのは、この際考慮しないでおく。
「オーレリア…、オーレリアですから、オリア、レリア……といったところでしょうか?」
「オリーなんて、可愛くないですか?」
「すみません、オリーはちょっと……。幼い頃の呼ばれ方で、少し恥ずかしいです」
「へぇ~、オリーだったんだ?」
「レティ、からかわないでください!」
私はずっとレティだったけど、今でも特に抵抗はない。レティちゃんとか呼ばれていたなら、違ったかもね。
「そういう事情なら、仕方ないですね。あたしも、苦手な兄が使うキャス呼びはちょっと嫌です」
「他には…、他には何があるでしょう? レリィ……となるとレティ様と被りますよね」
「うーん……。私は、オーレリアって響きが一番綺麗だと思うんだけど」
「…………」
「…………」
「…………」
ぽつりと本音をこぼすと、部屋に沈黙が降りた。
あれ? 愛称を考えてる最中に、ちょっと空気読めてなかった?
「……もしかして、レティ様って普段からこうですか?」
「まあ、その認識で概ね合っているのではないでしょうか」
「私の…、私の時は“私が守るから、いつまでだってここにいてほしい”でした……」
「うわぁ……」
確かに言った覚えはあった。マーシャみたいに優秀な子、手放すのは惜しいから、私との接触を控えるようにキッシュナー伯爵が強制してきたとしても盾になってみせるって宣言した。侯爵家の権限をフル活用してでも跳ね除けてみせる。
でも、そのことって今関係ある?
「ええっと……、作業に戻りましょうか。オーレリア様、あたしはこれを計算すればいいですか?」
「はい、お願いします。説明は必要ですか?」
「いえ、この内容なら大丈夫そうです」
分かってないのは私だけみたいで、オーレリア達は結論を放置したまま話し合いを終えてしまった。
以降、オーレリアの愛称を考えようって話題が再燃したことはない。なんで?
実のところ、オーレリアにだけ愛称を設定しなかったことを後悔していました。最初は”レリア”を考えていたのですが、字面がレティと似ていることから除外して、そのままになってしまったのです。
そのあたりの言い訳を凡作にしてみました。
オーレリアという響きを気に入って名付けたのは作中の通りです。
ちなみに、レティはスカーレットの愛称として可愛いと思ったことから設定しています。赤い服好きは後付けでした。
キャシーとマーシャは賑やかし要員だったので”かしましい”から。ウォズは某有名企業の創業者からいただきました。