とんぼ返り
新年の休みは貴族の裁量次第ではある。休める時間を確保するのも貴族の手腕なので、仕事を詰めて長めの時間を捻出する貴族も珍しくない。貴族に限らずこの世界の習慣として、そのあたりの線引きは緩い。初日で切り上げる経営者もいれば、十日程度の特別休暇を出す領主もいる。新年はダンジョンで過ごすのだと言って、一か月以上も籠りっ放しだった伯爵一家もいたしね。
とは言え、組織に所属している場合は自由が利かない。上長の判断となる。
私は皇国に所属している訳じゃないけど、講師役を務めている以上は学園のスケジュールに左右される。そんな訳で、今年の新年休暇は四日で切り上げた。これでも例年と比べればゆっくりできた方で、領地の立ち上げ以来、新年に余暇ができた覚えはないね。
思ってもみないところで緑の魔法に関する新しい知見を得たから、放置状態だったフェアライナ様にはスライム草(仮称)の栽培を前倒しでお願いした。依頼しておけば、ペテルス皇子が経過を観察してくれると思う。あの不思議薬草も、まだまだ試験段階だからね。
詳しい説明は全ての薬草が育ってからでいい。最低限の進捗だけ確認してから、私は講師業に戻った。ウォズはこっちでも挨拶回りがあるらしくて、当分は別行動となる。
「おはようございます、先生。改めてご指導お頼み申します」
「おお、戻ってきてくれて良かった。先生の講義が楽しみで、休みが終わる事ばかり考えていましたからな!」
「キャスが新年に酒を一滴も飲まずに予習していたのだから、よっぽどですぞ」
………………。
どうして、こうむさ苦しいお爺ちゃん率が高いんだろうね。
私発信の基礎技術を皇国の発展に生かすのが講義の目的なので、受講者は学園生より実績のある研究者や商家の技師が多い。学生も年嵩の人間が占めた。興味本位で参加を希望した子女の多くはボイコットに賛同して除名になったから尚更に。
王国は良かった……。
カミンとゆっくりお茶を楽しめたし、ウォズ達とお祭りも回って、領地に戻ればロイアーの双子やシドからの留学生達に癒された。楽しそうに新年を過ごす家族を見るだけでも、彼等に貢献できているのだと嬉しくなる。お祭りで女神に扮した女性も奇麗だったなぁ……。
皇国に戻ってきたばかりなのに、もう王国へ帰りたくなっているよ。ホームシックとはちょっと違うけど。
「先生、帰ってきてくれて嬉しいです!」
でも、私を慕ってくれる生徒の中にはリコリスちゃんもいる。彼女の為を思えば、元気なお爺ちゃんズからのプレッシャーも跳ね除けられるよね。
新年最初の講義は、ダンジョンについてになる。
勿論、人工ダンジョンの内情を漏らす気はない。あれは当分の間、王国の独自技術でなければいけない。まだ研究し尽くしたともいえない訳だしね。
皇族なら存在くらいは掴んでいるかもだけど、実態を知るのはもっと先の話だろうね。ラマン人工ダンジョンへの立ち入りは厳重に管理してある。その基礎となる技術を教授している訳だから、その先の発展は皇国で頑張ってもらいたい。
講義で触れるのは、魔物の討伐量と採取鉱石の相関について。
ギルドを通じて検証の為のデータを皇国からも貰っているので、こればかりは公開する必要があった。
「まさか、ダンジョンの魔物と鉱石にそんな関係が……!」
三権威のお爺ちゃんズは素材が欲しいなら自らダンジョンへ潜る人達なので、この情報共有に対して食いつきがいい。為政者側でもあったから、ダンジョン探索を加速させることで経済も潤うところまで計算できているんだと思う。
「一見するとダンジョンは岩で構築された洞窟です。けれどその実、魔力の結晶とも言える高魔力体でした。だからこそ、何もないところから魔物が生まれる、死んだ魔物が尋常でない早さで風化して消えるといった不思議な現象が起き得る訳です。一部の魔物が特殊な能力を持つように、ダンジョン内でのみ働く魔法に酷似した現象と言えるでしょう」
「ダンジョンの壁が崩せない点も、その理屈を後押ししますな」
「ふむ。魔力塊であったなら、物理的な法則が通用せんのも頷ける」
「魔物の発生と討伐が繰り返されることで、ダンジョン壁内の魔力は大きく蠢きます。その際、魔力が不足しやすい箇所が顕在化するのです。表面は地属性が覆っていますから、ほとんどの場合は岩石となって壁面と一体化します。ただ、極一部は人間にとって有用な鉱石となって現出する訳で……」
……って、あれ?
解説しながら違和感を覚えた。
ダンジョン壁は物質と言えない。実体を持たない魔力の結晶、ダンジョンの制御下から外れることで鉱石化する。石ころは勿論、鉄や銅鉱石、ダイヤやルビーの原石、更にはセシウムやタングステンのような希少鉱石とその変化は幅広い。
そうは言っても、希少な鉱石ばかりが特筆して採取できる訳でもない。その産出比は、この世界の含有量に準拠しているのではないかと思っている。ただ、これらは比較的浅層で採取できる場合も多い。一獲千金を夢見て冒険者がダンジョンに挑む引き金で、人間にとってはお宝でも、ダンジョンからすると排出物でしかない。
そして、一部の鉱石には魔力が含有したままになるのが、ダンジョン最大の恩恵と言える。その魔力は金属結合にまで影響を与え、ダンジョン産独特の性質を生む。それが魔法鉱石、ミスリルであり、アダマンタイト。この世界では希少金属以上の価値を持ち、発展を支える。
――と、まあ、これから講義しようと思っていた内容は全て既知のものでしかない。人工ダンジョンを作る過程で散々見返した。
だから、この教材をまとめる時点では何の関心も抱かなかった。
でも、たった一つでも切っ掛けがあるなら、別の発見もあり得る。これまで点と点でしかなかったものが、私の中で一斉に繋がってゆく。
「あーーーーーーーーーーーーーーっ!」
私は一体何に引っ掛かっていたのか。
まるで心当たりがないのに、どうして何かを見落としている気になっていたのか。
何故、人工魔石の技術にもっと先があると確信していたのか。
どうしてモヤモヤしたまま思考の沼に嵌まっていたのか。
ふとした気付きでそれらの全てに答えが出た。閃きが懊悩の靄を晴らす。この件にどれだけ思考を割いていたのか、視界が広がってすら思えた。
「…………」
「…………」
「……先生?」
「……どうしたのかな?」
その視界に映るのは戸惑いと心配。講師が解説の最中にフリーズして、突然叫び声を上げたのだから無理はない。
でも、そんな反応を気にしている余裕は私になかった。奇行が始まったとでも、気が触れたとでも、好きに解釈してくれていい。思いついた以上は、こんなところにいられない。
「急いで検証しなければならない事ができました。しばらく休講とします。再開について現時点では答えられませんので、連絡を待ってください」
それだけ言うと、手元の資料だけ持って出口へ走る。
「待ちたまえ!」
けれど、想定以上に厳しい声が私を止めた。
声を荒らげたのはキャスプ老。私を先生と慕う暑苦しい笑顔は消え失せ、元皇族を思わせる厳しい視線が私を射抜く。勝手をしている自覚はあったから、一時的には私も静止に従った。
「君は、国同士の決定で派遣された講師の筈だ。それを、自分勝手な感情で投げ出すのか?」
「その約束は王国がかなり譲歩してのものです。私の自由意思を無視できるものではありません。あくまでも私の厚意で、この機会が設けられたのでしかないのですから」
「……察するに、急な着想を得たのだろう。その経験は私にもある。何もかも放り出したくなってしまう気持ちも、理解できるつもりだ。しかし、役割を放棄するなら少なからず反感を買う。実際、不満を燻らせている者はこの中にもいるだろう。貴族の反発はそれ以上の筈だ。今、君が自身の関心を優先すると言うなら、我々は戻った君をこれまで同様に迎えることなど到底できない。君の衝動は、我々の信用を反故にするだけの価値があるものなのかね?」
「ええ。世界を揺るがせてみせましょう」
私は、躊躇わずに告げた。
驚きとともに向けられる視線の中には、困惑、疑い、呆れも混じる。三権威は変わらず厳しい目を向けていて、ペテルス皇子とリコリスちゃんはオロオロしていた。
どんな感想でも抱けばいい。
これ以上妨害する気なら、力尽くも辞さない覚悟を私は宣言に籠めた。
「そうか。ならば仕方がない」
しかし、私の想定はこれまた外れた。
一転、破顔したキャスプ老がさらりと言う。三権威の雰囲気もすっかりいつもの好々爺に戻っていた。
「先生の言う通り、我々は教えを請う身。更なる発展が見込めると聞かされて、止める言葉は持ちませんな」
「ところで先生、その成果は我々と共有してもらえるんじゃろうか?」
「……え、ええ。詳細は伝えられないでしょうが、結果だけならおそらく」
「それは重畳。では、その間我々は予習に勤しんでいるとしましょう。報告を楽しみにしていますぞ」
「は、はあ……」
流石、貴族の本分を放り投げて研究に傾倒したってだけはある。その後の三人はと言うと、私が何を成し遂げるのか賭けようと夢を熱く語り合っていた。私の方が呆気に取られてしまったよ。
これでいいのかと思わなくもないけど、気を取り直して十四塔へ走る。皇国やウェルキンの設備ではいろいろと物足りないから、私はそのまま転移鏡をくぐった。ダンジョンへ採取にいかないといけない素材もある。
「キリト隊長。私の転移後、すぐにウェルキンを動かしてください。余計な干渉を避けるため、一旦皇国を離れます!」
「分かりました、我々は王都で待機しておきます。なに、まだ新年と言っていい期間ですから、ゆっくりと羽を伸ばさせていただきましょう」
「何ならウェルキンを貸しますから、急な休暇のついでに各地を巡ってもらっても構いませんよ。私はしばらく研究室に籠る予定ですから」
「……検討しておきます」
本来なら皇帝に許可をとらなければいけない案件かもだけど、あの様子ならキャスプ老が適当に言い含めてくれるんじゃないかな。失敗したとしても、一手で苦情をシャットアウトできる自信があるから大丈夫だよね。
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