簒奪騒動
「エープレイ子爵家は知っていますね?」
「パリメーゼ辺境伯領に隣接する領地ですよね。私のところからも比較的近いです」
元々は特筆すべきところのなかった田舎の領地。魔物対策に力を注ぐ辺境伯領に庇護される形で安寧を保ってきた。利便性に欠け、魔物の脅威に晒されるとなると、配偶者探しも難しい。世代交代の度に厳しい選択を迫られてきたのだと聞く。
状況が変わったのはこの数年、都市間交通網の敷設によって各地への移動が容易になった。魔物間伐部隊や冒険者を受け入れる目的で、辺境伯領間を結ぶ幹線道路を整備していた子爵領はその恩恵を強く受けた。
山岳地帯に立地するだけあって良質な木材や高位の魔物素材は豊富で、しかし、運送上の負担のせいで見合う利益を上げられていなかった。折角の産業も、顧客が限定されてしまっては生かせない。辺境部で共通する状況に漏れず、領地は常に厳しい状況にあった。
それが、利便性の改善によって一変した。
領地を開拓するにあたって大量の資源が必要だった私も取引させてもらっているし、今ではストラタス商会の重要な仕入れ先の一つでもある。マーシャのところの運送会社の顧客でもあるね。
急に湧いて出た好景気。けれど、あの領地は今、それどころじゃない筈なんだよね。
「先月でしたね、爵位を継いだばかりのマーラー様が亡くなったのは」
「ええ、視察中の事故だったそうです。とても残念な事ですわね」
マーラー・エープレイ様は女子爵。旧態依然とした領地しか知らない先代では好転した状況を生かせないと、若くして家を継いだ。学院の期間が少し重なっているから、話したこともある。まだ私が飛行列車の開発に着手する前の話だけど、温泉があって魔物資源が豊富だからと領地見学に誘われた。私が有名になる前から好みを調べてノースマークとの縁を繋ごうとしていたのだから、やっぱり遣り手だったのだと思う。
結局、実現しないままになっていたね。
視察で険道を通行中に崖下へ転落したのだと言う。お忍びに近い視察だったらしく、車に乗っていたのは最低限で、マーラー様の他は側近が一人と運転手だけだった。大勢が犠牲にならなかったのは幸いだけど、領主を失って窮地に立たされる領民には何の慰めにもならない。
「エープレイ子爵家は、夫のスクロフ殿が継ぐそうですわよ?」
「はぁ⁉」
私は皇国に滞在している設定になっていたので、勿論葬儀には参加していない。この国のお葬式って親しい人間だけ集めて、仕事上の付き合いで臨席する事って少ないから、皇国行きの件がなくても弔慰金で済ませた可能性が高いかな。
友人とまでは言えない関係なのでその後の状況について疎かったのだけれど、訳の分からない情報が出てきて変な声が出た。
「スクロフ様って……、確かバーグル男爵家の五男でしたか? 一体、どんな根拠があって継承を?」
「さあ? けれど、領地の変革についていけていない子爵家の親族には任せておけない、妻の遺志は自分が継ぐと、葬儀の席で涙ながらに力説したそうよ」
とても胡散臭い。
「マーラー様とスクロフって男、政略結婚でしたよね。どこからそんな情動が?」
「家同士の都合であっても、生活を共にしているうちに恋情を抱く事もありますけれど……、今回の場合は当て嵌まらないでしょうね。子爵家の状況が変わる前、貴族と見做していいものか微妙な五男が爵位に飛びついた結果でしょう? マーラー様が爵位を継ぐために早めた結婚から一年足らず、夫が領地に貢献していただなんて噂も耳にしません。マーラー様の趣味が余程悪かったのでなければ、立場を失いたくない一心から口にした出まかせでしょう」
流石ロバータ様、なかなか辛辣だね。
でも、この件に関してはそれも仕方がない。何しろ、この国の世襲は血統主義、配偶者でしかないスクロフは継承権を持たない。子供がいたなら後見人としてエープレイ子爵家に残れるけれど、そうでない今回の場合は実家へ送り返される。男爵家の五男が貴族籍にあった事自体が驚異的なのに、出戻りが歓迎される筈もない。身一つで放り出されるのが普通だろうね。
遺留金くらいは子爵家から出るだろうから、すぐさま生活に困る事はないと思う。
ここまで聞いた印象としては、愚かな男が立場惜しさに悪足搔きしているようにしか聞こえない。
けれど、これがロバータ様から切り出された話となると前提が違う。この人は貴族の醜聞を笑いの種にする人じゃない。親族の結束を高めようって今回の目的にもそぐわない。皮肉くらいは口にしても、無意味にお茶会の空気を壊す筈もないね。
「……もしかして、ハミック伯爵家の件から端を発していますか?」
「スクロフ・エープレイが継承の根拠として掲げる一つが、それになるわね」
「つまり、王家に喧嘩を売っている訳ですか」
「本人にその自覚がどこまであるのかは分かりませんけれど」
どうも、私は無関係だと突っぱねられない話になってきた。
ハミック伯爵家は既に返上した爵位で、私の友人でもあるデイジー・ハミック元伯爵が歴史を閉じた。
伯爵家に嫁入りした立場にも関わらず、夫の死後、家を傾けるしか知らない無能な親族を締め出して、外様なのに伯爵に収まった人。その目的は出世欲じゃなくて、夫の悲願だった家の立て直し。後を託せる後継者を育てるまでの中継ぎとして伯爵位を簒奪した。
最終的には彼女の冤罪事件で国が領地を管理する体制を整えてしまったから、役目を終えて爵位を返上したのだけれど。
この時、デイジーさんの真意を知っていた王家は彼女の行為を黙認している。あくまで例外だから、追従を王家が許す筈がない。むしろ徹底して潰そうとするのは間違いない。
「彼女の件を悪例としようって話なら、私も放っておけませんね」
「簒奪自体が目的じゃなかったから、王家も例外として様子見としたのですもの。彼等も容認する訳がありません。……とは言え、王家派閥のエープレイ子爵家を切り崩す機会でもありますから、困ったことに一部の貴族が抗戦の構えを見せてしまっているのです」
かつての第一王子派は、アドラクシア殿下の立太子を切っ掛けに、現在では王家派閥と称されている。王位争いには不干渉だった一部貴族も合流した。そして、そのパリメーゼ辺境伯と結びつきの強かったエープレイ子爵家も当然王家派閥に属していて、それが話を余計にややこしくしている。
エープレイ子爵家がかつては弱小貴族で、婚約者の選定で派閥の違いを拒否の理由にできなかった弊害だね。当時は婿入りを希望した男爵家五男を受け入れる他なかった。
それでも、マーラー様の事故が起きなければ問題は表面化しなかった筈なんだけどね。
「その争いを、ロバータ様は止めたい訳ですね?」
「ええ、スクロフ殿の言い分には正当性がありませんもの。それで王家と争えば、少なくない被害を負うでしょう。保身のために貴族位に縋った男のせいで派閥を削られたくはありません」
「バーグル男爵家は反スカーレット派の所属でしたね」
「末端にしがみついている程度ですわね。守るほどの意義は感じていません」
その評価で、今回の件に関するロバータ様の不快さが伝わる。
「それでも、シャピロ家が五男を後押ししたなら、無理を押し通せたのではないですか? ハミック伯爵家の件で悪例を作ってしまったのは王家側です。その弱みを突いて王家に借りを作る選択肢もあったのではありませんか?」
「言ったでしょう? 正当性がないと。領地を盛り立てるために派閥を利用するのは貴族として当然の権利ですが、それは国法に反しない範囲での話です。利があるからと貴族の矜持を投げ捨てるようでは、人々の信奉を得る資格がないでしょう?」
「……申し訳ありません。少し捻れた捉え方をしてしまっていたようです」
「仕方ありませんよ。そのように思われても当然と言えるくらいには、手段を選んでいないのも事実ですから」
つまり、ルールのギリギリは攻めても、良識から逸脱する行為は自ら禁じている、と。
こういう人だから、苦手ではあっても嫌いにはなれないんだよね……。
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