閑話 苛立ち
今回は三人称視点で、ローザリア・アンハルト侯爵令嬢のお話です。
あの日以来、ローザリア・アンハルトは荒れていた。
力尽くで顔を地面へ擦り付けられたのだ。許せる訳がない。
あれが大魔導士。
あれが王国の英雄姫。
睨まれただけで心臓が凍る。魔法で押さえつけられて、指一本自由にならなかった。
けれど、畏怖するより前に怒りが勝った。王国の狗、僅か千年ほどの歴史しか持たない辺境国家の小娘の分際で、皇国貴族である自分を恥で塗れさせた。大勢の前で笑い者にした。
思い出す度、腸が煮えくり返る。
どれだけ暴れようと、どんなに当たり散らかそうと、まるで収まる様子がなかった。巻き添えを恐れて使用人達も近付かなくなっているのだが、それがまた腹立たしい。あの日、侯爵令嬢の彼女を守ろうともしなかった役立たずの護衛共は全員クビにした。当然、紹介状など書かなかったので路頭に迷うだろう。もしかすると、冒険者なんて卑賤の生業に身をやつすかもしれない。ローザリアに斟酌するつもりはなかった。
聞けば、滞在場所として空地へ案内された腹いせに、あの女は物々しい塔を現出させて得意げに居座っているらしい。その建造物は王国の尖鋭を象徴するもので、皇国を侮辱するのに等しいのだとか。
しかしその一方で、瞬く間に長塔を出現させた技能が注目を集めている。これまでの建築文化を一新させるものだ、と。
――馬鹿馬鹿しい。
平民娘に掃除を申し付けた時も、どんな手品かあの場所をまるで新品みたいに磨き上げてみせた。多少の驚きはある。大魔道士だなどと嘯いているだけあって、なるほど小細工には長けているのだろう。
けれど、それが何だと言うのか。
不全を埋めようと自ら動くのは平民の所業だ。貴族なら、誰かに命じて満たさせればいい。それが権力というものだし、貴い血を継承しているなら当然の行いだろう。むしろ、貴族に貢献する機会を与えてやるのだから慈悲と言える。
あの女がそれをしないと言う事は、周囲に敬われていないか、人員に恵まれていないかのどちらかなのだと分かる。そのせいで小技を磨く機会があったのか、貴族らしく無さを称えられていい気になっている。
金銭ですぐに行動を変える下級貴族や浅ましい商人達にとっては都合のいい傀儡なのかもしれない。
「……もしかすると、これがあの女の隙と言えるかもしれませんわね」
ふとした気付きに、ローザリアは考えを改める。
商機に群がる者達をあの女が拠り所としているなら、それを潰してしまえばいい。あの女がひけらかした見世物など大したものではないと知らしめれば、簡単に鼻を明かせる。おだてて利用していた者達も評価を翻すだろう。自慢げに皇国までやって来たあの女の面目を潰せるに違いない。
着想を得たローザリアは、すぐに学園から人を呼んだ。
皇都の拡張計画にも携わっている一人で、建築関係についてそれなりに知られている人物でもあった。
「敷地内に突然現れた忌々しい建物については知っているわね?」
「え、ええ、私もあの場に立ち会いましたから」
説明が省けるなら都合がいい。
「手段は問わないわ。何でもいいから、あれより早く建物を作る方法を考えなさい」
「は? 無理です」
男は、考える時間も挟まず否定の言葉を返す。国に少し貢献して思い上がっているのか、立場を忘れたらしい。
「ノースマーク卿のあの技術は、おいそれと真似できるものではありません。彼女の手ほどきを受けているバルト前侯爵にも確認しましたが、現時点では理解の及ぶ技術ではないそうです。建材を加工するでもなく、魔力を流す事で設計図に忠実な形へ変容していく様子は、どのような理論が働いているのか、見当もつきません」
「訳の分からない理屈は結構。私はお前の意見など聞いていません。ただ、やれと命じているのです」
「いえ、ですから、無理だと申し上げて……」
次の否定は最後まで続かなかった。
貴族の命令を、言い訳を並び立てた程度で拒否できる筈もない。そんな当たり前も理解していない様子だったので、ローザリアは手近にあった壺を顔面へ投げつけた。罰としては手緩いくらいと言える。
苛立ちをぶつけてしまったせいで応接室が汚れてしまった為、使用人に片付けを命じた。汚らしい下賤の血など残さないように言いつける。
しかし、血の汚れは簡単に落ちないなどとメイド風情に泣き言を聞かされてしまう。最近は使用人の入れ替えが多いため、侯爵家の質はこうも落ちてしまったのかとローザリアは落胆した。あの田舎女がくたびれた休憩所を新品同然に磨き上げたのに、その真似もできないのかと苛立ちが募る。
結局、無能を言い訳にするメイドを立て続けに二人叩き伏せたところ、少し頭の回るメイドが一通りの家具を新品と入れ替えて落着となった。
ローザリアの望みは不快な血を残さない事なので、不可能と安易に結論を出す無能も、この程度のことに魔法だ魔道具だと小細工に走る不適貴族も理解できない。望みを満たせたなら手段を問うつもりはないので、ローザリアは自身を寛容だと思っている。
その後、同様の専門家を三人ほど呼んだものの、結果は変わらなかった。役立たずの自称専門家は勿論、この程度の人材しか呼べなかった家人も処分している。侯爵家に仕えている自覚が足りない。
「嘆かわしいこと。私の身近な者達も無能揃いですのね」
そうは言っても嘆くばかりで計画は進展しない。
そこで、少し方針を変えてみた。愚かで糸口さえ見つけられないと言うのなら、ローザリア自身が少しだけ後押ししてやればいい。ローザリアは皇都邸にある建築関係の書物に目を通し始めた。
どうして自分がこんな手間を費やさないといけないのか。憤る気持ちもあるけれど、将来、嫁ぎ先で自分の理想のお屋敷を設計するためと思えばなんとか耐えられた。
改めて調べてみると、建築は随分と面倒な労働なのだと分かった。どう考えても貴族が関わるようなものではない。
しかし、ローザリアは無理だとも考えていなかった。あの田舎貴族が実現できたものを、誇り高い皇国貴族の自分が達成できない訳がない。
「工程を分けるなら、設計と施工と言ったところでしょうか。あの女も、建物の構造や意匠を考えるところまで公開した訳ではないのですから、後者をどれだけ短縮できるか考えるべきよね? でも、元々全てを詳らかにするのでないなら、見せない部分の比重を増やせばいいのではないかしら」
「それなら……、何とかなるかもしれません」
素人故の柔軟な発想か、世間を知らないが故の無責任な発案か、次に呼ばれた相談役は漸く肯定の言葉を返した。
彼はアンハルト侯爵邸の設計も手掛ける建築家で、無闇に壊すなと父である現侯爵から強く言い含められている。苛立たしい反応を見せられずに済んで、ローザリアも安心できた。どれだけきつく釘を刺されたのだとしても、カッとなったなら自分を抑える自信がなかったのだ。
命令を受諾したならローザリアにできる事はない。侯爵家お抱えの建築家に施工時間をとにかく縮めるよう命じて、スカーレット・ノースマークを見返せる日を待った。
準備が整ったとの報告がなかなか来ない事に苛立ちは覚えたものの、準備の時間が延びる分には構わないと命じたのは彼女自身だったので、何とか自制した。幸運にも、彼女の待機中にスカーレットが新しい何かを発表する事もなく、表面上は平穏に時間が過ぎた。
そして、命令から一か月近くが過ぎて苛々が頂点に達しかけた頃、ローザリアにとって待望の報告が届いた。建材の加工ばかりか、集めた人員の割り振りや予行演習まで済んでいると言う。
侯爵家のお抱えだけはあるとローザリアは満足して、久方振りの笑顔を浮かべて招待状をしたためるのだった。
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