逸材
翌日、リコリスちゃんへの集中講義をリンイリドさんへ報告した。将来的な皇国の技術者を育てようって話だから、反対意見が出る筈もない。出自が少し特殊ではあるけれど、リンイリドさんと比べれば珍しいとまでは思えなくなってしまう。
おまけに、基礎知識の補填をリンイリドさん自ら買って出てくれた。講義の受講資格を得たリコリスちゃんの学力には独学や伝聞が混じっているので、誤認識を見つけて正す必要がある。教師経験のあるリンイリドさんの協力はありがたい。深刻ではなくとも王国と皇国の文化に差異があるから、リコリスちゃんの常識を私が王国風に染めてしまうのには抵抗があった。
「集中力が切れたからと言って走り込みに行ったり、考えを整理するためにと腕立て伏せを始める奇行の恐れがないのですから、私にとっては楽な仕事です」
そういって遠い目をする彼女からは、過去の苦労が窺えた。落第皇子を人並み程度まで引き上げるには、並々ならない奮闘があったんだろうね。
当然、学歴もないのに試験を突破してみせたリコリスちゃんへ向ける期待もあるんだと思う。筋肉お爺さんズが新しい知識を身に付けるより、余程将来の展望が明るい。
「工程は三つに分けようと思ってる。汚れを取り除く段階、それから物体の表面を補修する段階……」
「補修?」
「うん。あそこのタイルや建物は酷く劣化していた。掃いて拭くだけだと、あのお嬢様達は納得しないと思うんだよね。そうした無茶を含めての嫌がらせだったんじゃないかな」
「……そうかもしれませんね」
「汚れが残っているのは担当者の怠慢で、拭けばどんな汚れも落ちると思っている可能性がある。何しろ、相手は世間知らずのお嬢様達だからね」
「あはは……」
真面目に聞いてくれるから教え甲斐もある。集中すると瞬きを止めてしまう癖には私が慣れる必要があるけれど。
「色がくすんだり手触りが悪くなるのは、物体の表面が劣化することで元の状態が失われてしまうからだよね。原因は摩耗であったり腐食であったりと様々だけど、その変化は内部にまでは伝わり辛い。だから、表面を削り取って新しく露出した面と同じ物質で対象を補修できたなら、劣化前の光沢を取り戻せるよ。ついでに、表面にこびりついた油脂成分やカビなんかも落とせるね」
「なるほど……、こういう事ですね!」
納得した反応を見せたりコリスちゃんは、彼女の私物である古い鉛筆を取り出すと魔力を集中させ始めた。
私の前で古い鉛筆にあった細かい疵やシミが消え、更に消費した芯や木製軸まで再生してゆく。僅かな時間の後、そこにあったのは新品同然の鉛筆だった。
「先生、どうですか?」
リコリスちゃんは私の評価を求めて成果の鉛筆を掲げてくれるけれど、私は驚きですぐに返事を声に出せなかった。
今、彼女は何したの?
理屈は私が説明した通りで、それを魔法で忠実に実行したのは分かる。ここは異世界で、エネルギー保存則は通用しないって大前提があるから、魔力があるなら鉛筆を使用前に戻せる道理も通る。
でも、実際にそれを魔法で実現するにはいくつかの手順を踏む必要があった。どの程度を削ぎ落すのか推量して、材質次第で再構築に使う魔力を調整、劣化前の状態を想像しながら表面を埋める。それらの過程を頭の中に思い描いて、順を追いながら魔力で現実を改変していく。
その作業は言うほど簡単なものじゃない。
そうでなかったら、この世界はもっと魔法で溢れている。
魔法の開発には、新しい現象を構築する想像力と、現実と想像の齟齬を埋める論理性と、何より魔力で現実を覆すだけの特殊な感性を必要とする。
火属性の魔法使いが炎を作り出すまでは容易に実行できても、それを維持するには酸素であったり燃料であったり、燃焼の原理を理解して魔力を適切に運用する必要がある。魔力を無理矢理維持に使うと、ほとんどの術師はあっという間に魔力が尽きてしまう。
そこには、炎の維持に燃料が必要って論理と、魔力を燃料として代替できると言う想像、それらを実現可能だと確信する感性が介在する。
未知の魔法ともなればもっと複雑で、開発者は工程を細分化させて個々のイメージを繋げていく。火魔法の例に倣うなら、発火、助燃性物質の確保、魔力の性質変化、魔力量調整と言った感じだね。
複雑な魔法を、しかも魔力出力を調整した状態でいきなり発動させるなんて、常人の成せる業じゃない。
彼女が地属性だとは聞いていた。
だから魔法の構築は任せるつもりでも、しばらくは試行錯誤する経験を積ませる予定だった。トライアンドエラーが未熟な彼女の発想を鍛える。いきなり実現してしまうなんて、想定外にもほどがあるよ。
「………………スカーレット様」
「うん。私達、とんでもない才能を引き当てたかもしれないね」
フランやグラーさん達は勿論、リンイリドさんも驚愕で硬直していた。魔法の基礎を知っている人間なら、誰でもこうなるよね。
私も鳥肌が立った。
一方で、この魔法があるなら家の古い家具も新品同然に補修できると無邪気に喜ぶリコリスちゃんから、自分が何を成し遂げたのか自覚している様子は窺えなかった。彼女が渇望していた魔法だったのは間違いない。意外と需要のある魔法かもしれないね。
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