リコリス・パーラム
アンハルト侯爵令嬢達から少女を保護した後、私達は第十四塔へ帰っていた。痛ましい状態の女の子を連れ回すなんて、できる筈もない。幸い、広い空き地だった場所にポツンと出現した魔塔周辺に人気はなかったおかげで、好奇の視線に晒さず済んだ。
前学園長の悪意で辺鄙な立地条件なので、人目から隠れて乱暴するにはちょうど良かったんだろうね。普通の貴族は往来を徒歩で移動しようとか考えない。ローザリア嬢達も、近くに車を待機させていた。おかげで助けられたとも言える。
「助けていただき、ありがとうございました、ノースマーク子爵」
「気持ちも落ち着いた?」
フランに任せてしばらく待つと、髪と服を奇麗に整えた女の子がやって来た。
移動の途中、感情の抑制に限界が訪れた彼女は泣き出してしまった。暴力から解放されたのもそうだけど、保護したのもお貴族様だったから不安が続いていたらしい。貴族に抑圧されるのが普通の皇国だと、一難去ってまた一難って感じだったのかもしれない。
身繕いは安静の為でもあった。
「はい、おかげさまで。それより、ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。リコリス・パーラムと申します」
「うん、講義で顔を合わせてるから知ってるよ」
「あ、覚えてくれて……、いえ、知ってくださっていたのですね。ありがとうございます」
たどたどしくもきちんと挨拶する様子を見て、やはり賢い子だと確信する。
貴族と対面して不快に思わせない作法を彼女なりに身に付けてあった。待っている間にウォズが収集してくれた情報によると、本格的に学ぶ機会があったとも思えないので独学なんだろうね。
学園に登録してある住所は貧民区と呼ばれる場所で、着られなくなった服はかなり質の低いものだった。講義中の服は少し無理して揃えたものかもしれない。
「庇っていただいた上、こうして身なりを整えていただいておいて心苦しいのですが、ご恩に報いられるだけのものを持ち合わせておりません。返礼の機会は改めて設けていただけると助かります」
貴族相手になんとか身を守ろうとへりくだってるのは分かるんだけど、小さな子に顔色を窺われるのは居心地が悪い。皇国では普通の事だとしても、私は馴染めそうにないね。
お貴族様的には、恩に対しておまけ付きで報いるのが常識でも、誰彼構わず適用しようとは思わない。
「まずはじめに、お互いの立場をはっきりしておこうか。私は講師で、貴女は生徒、それ以上の観点はこの場所では必要ない」
「え……⁉ でも……」
「私は皇国の人間じゃないから、皇国の慣習に倣う気はないんだ。畏まるのが苦手なら、言葉を崩しても構わないよ。この塔にいる間は、馴れ馴れしく話しても、礼を失していても、誰も怒らないし、暴力を振るったりもしない」
私なんて、とっくに貴族口調を投げ捨ててるし。
小さい女の子に恐縮されるのも、無駄に距離のある丁寧な言葉で話すのも落ち着かない。王国の出先機関ではあるものの、今の十四塔は私の別荘みたいなものだからね。私の気分を害する規律は必要ない。
「いきなり距離を縮めるのは難しいかもしれないけど、私の事は先生とでも呼んでくれたらいいよ。貴族だなんて意識しなくていいから」
「……せ、せんせ?」
「―――!!!」
舌足らずに呼ばれて、理性が崩壊するかと思った。
筋肉お爺さん達に呼ばれるのとは破壊力が違う。
「こんな妹、欲しかったなぁ……。勿論、カミンとヴァンが可愛くないなんて訳はないけど、女の子の可愛らしさとは方向性が違うよね。お揃いの服を着てお出かけしたり、お気に入りの髪飾りを交換っこしたりしたかったよ。どうしてお母様、女の子も生んでくれなかったんだろ? お父様とお母様、今でもあんなに仲がいいのに次の子が生まれる気配ってないよね。何か、制限を設けなきゃいけない理由でもあった?」
「お嬢様に散々振り回されたので、もう懲り懲りだったのではありませんか?」
「酷い!」
「今に限って言わせていただくなら、酷いのはお嬢様です。私どもはお嬢様の奇行に慣れていますが、突然お貴族様が見苦しい欲望を垂れ流しにし始めて、リコリスさんが戸惑っています」
あ。
完全に正気は行方不明だったらしい。それだけの衝撃だった。
改めてリコリスちゃんを見ると、回復薬で腫れも引いて、お風呂で汚れも落としてある。服が赤一色なのは、少し前まで私が着てた服だからだね。白に近い銀色の髪は赤に映える。酷い有様だった髪もきちんと切り揃えて、長さが足りなくなった部分も周囲にボリュームを持たせて上手く隠せてあった。
「うん、可愛い」
「―――!」
正直な感想を駄々洩れにすると、びくりと跳ねたリコリスちゃんが一歩離れた。
警戒度がすっかり上がってしまっている。
「小さな女の子を慰み者にする不届きな貴族は、皇国にも存在するそうです。中には、年端もいかない子なら性別も問わない者までいるのだとか。お嬢様も、そうした不逞の輩と同一視されたのでは?」
「とりあえず、その噂は集めておいて。端から磨り潰そう」
「今の問題はそこですか?」
「不埒な貴族を処分するなら、リンイリド監察官も文句は言わないでしょう。ただ、無断で実行すると迷惑をかけてしまいそうですから、事前に許可は貰っておきますね」
「ウォージス様も、お嬢様の脱線にまで全力で応えようとしないでくださいませ」
フランは、わざと私を軽く扱ったのだと思う。メイドに軽視される主人とか、彼女の知る貴族とは違うって証明になる。烏木の守も素で笑ってしまっているから、尚更だね。
もっともフランの場合、私の身の回りのお世話を譲らない為にメイド服を脱ごうとしないだけで、南ノースマークの家宰みたいな立ち位置なんだけどね。私の不在時には領主代行としての役目も果たしてくれる。コキオで彼女を使用人扱いする人なんていない。
その甲斐あってか、リコリスちゃんはポカンとしながらも緊張はほぐれた様子だった。
「あの、その……、前の服は着られなくなってしまったので、お借りした服を脱げと言われても困ります……」
その代わり、私との距離は開いたけど。
何を命令する人だと思われているんだろう……。私、泣くよ?
「恩を返したいと思うなら、しっかり学んで一人前の技術者になってくれたらいいよ。私の望みはそれだけ」
それで、私は役目を果たせる。可愛い女の子が私の知識を継いでくれるなら、気分良く王国へ帰れるし。
「リコリスちゃんも、そのために講義へ通っているんでしょう?」
「はい! リ……、私、どうしても勉強したいんです!」
「うん?」
一転して決意を漲らせる彼女によくよく聞いてみると、パーラムさん家の経済事情では、どうも学校に通う余裕はないらしかった。
幼年学校で読み書き計算くらいは教えてくれるものの、それ以上を望むなら高等学校へ進学するか、家庭教師を雇う必要がある。どちらにしてもお金が必要となるので、リコリスちゃんは諦める他なかった。勉強以前に、見習い仕事に出ないと生活が成り立たない状況だったのだと言う。
ところが、私の講義は国策による開催なので、受講料は求められなかった。しかも、受講中は生活も国が保障してくれる。学歴も不問だったので飛びついたらしい。幸い、見習いとして魔道具工房に出入りしていたから最低限の知識はあった。
「なるほど、皇国にはまだ浸透していない知識を身に付けられたなら、工房に恩返しができると思った訳だね」
「いえ、講義に出席するためのお休みが欲しいとお願いしたら、工房は解雇になりました」
その工房に怒鳴り込んでいいかな?
それとも、保障に隙のある政府を叱るべき?
「それでも、わ、私は勉強したかったんです。職人さん達に魔道具がどういった構造で機能しているのか教えてもらったから、その先を知りたいと思ってしまって……。どんな構造なら空を飛べるんだろう。どんな回路を組めば、異なる属性の魔法が使えるんだろうって思うと、自分を抑えられなかったんです。こんな機会、今を逃したら二度とないと思ったから……!」
「そっか、それなら都合がいいね」
「え?」
好奇心を押さえられない気持ちはよく分かる。と言うか、今世で我慢した記憶とかちょっと思い出せない。
彼女は遮二無二機会を掴んだ。そんなの、ボイコットの指示なんかに従っていられないよね。
「アンハルト令嬢に押し付けられた掃除、私がパパっと魔法で片付けてしまうつもりだったけど、リコリスちゃんに任せるよ。それを可能にする魔道具を作って、一緒にあのお嬢様を仰天させてあげよう!」
「え? え? え?」
「大丈夫、必要な事は全部教えるから。いくらでも頼ってくれていいよ」
困ったことに、この子の事を余計に気に入ってしまった。可愛らしいってだけじゃなくて、その姿勢に共感した。その情動を満たす為に、できる限りで協力してあげたい。
皇国での生活に、楽しみが増えたね。
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