気に入らない現場
人間、ある程度の集団を形成すると、その中の誰かにフラストレーションをぶつけたがる。ぶつけてもいい人物を探す。誰かの自尊心を損なわせることで、自らの虚栄心や嗜虐心を満たす。面白半分で他人の人生を滅茶苦茶にする。
そんな話は何処にでも転がっている。
特に、身分制度はその傾向を助長する。周囲の人間がかしずくものだから、自分は特別なのだと慢心する。下位者は人間ではないのだと錯覚させる。
「……スカーレット様」
少し前は自身も虐げられる側だったウォズが、縋るような視線を私へ向ける。虐められてる女の子とかつての自分を重ねたのかもしれない。
あの時の再現を私に期待しているのだと分かる。その記憶に残る私は、義憤より下心に塗れていた訳だけど。
皇国貴族が尊大だと耳にした時から、こんなこともあるんじゃないかとは思っていた。
とは言え、実際にその場に立ち会うとまでは考え難かった。
なにしろ、貴族は体面を重んじる。
「人目のある場所で堂々恥を晒すなんて、皇国の貴族は何とも品がないのですね」
良識を学ぶのは貴族にとって嗜みで、順守するならそれでいいし、そうでなくても体面を守る指標にできる。自覚的にそこから外れた行動をとる場合は、隠れて行うか、完全に揉み消すのが前提になる。貴族は相手の弱みを突くべく常に目を光らせているので、公序良俗を逸脱しているなら格好の攻撃材料になってしまう。
だから、散歩で通るような往来で女の子を堂々虐げるだなんて、私の常識ではちょっと考えられなかった。ウォズの時も、あくまで陰口だったからね。そうしたやり取りを好まない私に聞こえてしまっただけで。彼等には、貴族の中にも自分達の行為を非難する人物もいるって想像力が欠けていた。
ここの令嬢達の場合、公序を盛大に踏み外している自覚さえないように思える。
あんまり呆れて、批判の言葉が自然と口から洩れていた。
当然、令嬢達の鋭い視線がすぐに私へ向く。
「あら、誰かと思えば田舎から出てきた優等生さんではありませんか。お勉強以外の事もできたのですね。貴女は皇族の方々が招かれたお客様なのですから、皇国の事情に口を挟まないで大人しくしていてくださいません?」
これまで黙っていた一人が私への苛立ちを露わにする。その様子は、邪魔をされたって以上に、私に対する不満を燻らせているように見えた。
もっとも、その原因には心当たりがある。初対面ではあったものの、彼女の顔を私は知っていた。映写晶の画像で、だけど。
ローザリア・アンハルト侯爵令嬢。
私の講義に参加する予定だった生徒で、今はその資格を失くしている。皇国入りする時点で警戒するべき家の一員として顔を覚えたし、リンイリドさんからも警告を貰っている。
女の子への加害は人任せで、私に対しては前に出る様子を見れば、彼女達の関係はおおよそ察せられた。我儘な侯爵令嬢とその取り巻きって構図だろうね。
田舎者と罵っているみたいだけど、皇国人が王国を貶す定型文みたいなものだから、今更私は動じない。飛行列車が走って、構築の魔法陣でどんどん大型施設を増築している現状を理解しての発言でないなら尚更だね。
おまけに、私がお勉強だけの優等生だなんて、下調べが足りないにもほどがある。
「思わず口を出さなくてはならないくらい、見苦しかったと言うだけですよ。ところ構わず喚き散らすなんて、子供ですか?」
「聞き分けの悪いその子供を躾けていただけでしてよ。あんまり言う事を聞かないものですから、少し熱が入ってしまったかもしれません」
見れば、周囲には髪が散乱して酷い有様だった。服もところどころ破られている。元々質のいい服ではなかったようだけれど、自然に破れたか破ったかの違いくらいは分かる。おまけに雑巾で顔を拭われて、すっかり汚れてしまっている。
しかも、私が知った顔だった。講義である意味目立っていたから覚えがある。
外傷が見られないのが幸いで、流血沙汰になっていたなら問答無用で制圧していたかもしれない。
けれど、王国人の私が彼女達を害すると、正当な理由があったとしても非難の材料となる。魔導士である私が一方的に危害を加えたとなると、王国に責任を問う声も生まれてしまう。
皇族やリンイリドさん、国元の皆、大勢に迷惑をかけてしまうよね。
立場的には、リンイリドさんを呼んで対処を任せるべきだったと思う。私自ら介入する行為自体が面倒事を生む。
それでも、黙っていられなかった。
リンイリドさんの到着まで、彼女がどんな目に合わせられるか分からない。その状況を、指を咥えて見ているだけだなんて気分が悪い。知った顔だったから、余計にだった。
「そうです。私達の命令に従わなかったから、躾けていただけです」
「みすぼらしい平民のくせに、ローザリア様に従わなかったこの女が悪いのですわ」
「ローザリア様に背いて、自分だけ良い顔しようだなんてあさましい……!」
侯爵令嬢が開き直ったものだから問題ないと判断したのか、取り巻き達も口々に嚙みついてくる。
聞けば、以前のボイコット事件が発端らしい。あれを主導した一人がこのローザリアって令嬢で、取り巻きは勿論、立場の弱い女の子にも出席を控えるように命じていた。
ところが、女の子はその命令に背いて講義へ出ていた。今も真面目に通ってくれている。
一方で、令嬢達は講義から排除された。ペテルス皇子や三権威達のおかげで人気を集め、そこから爪弾きにされた現状を家から叱責されたのだと思う。どうも、その鬱憤を彼女にぶつけに来た様子だった。
「それのどこに問題が?」
「「「え?」」」
私が疑問を呈すると、取り巻きは訳が分からないと怯む態度を見せた。
「今回の講義は皇族の厚意で機会が設けられ、希望者には広く受講を勧めています。その判断は個人が行うものであって、貴族だからと介入できるものではありませんよ」
「ですが、ローザリア様がお命じになったのですよ? 平民なら従うものでしょう?」
「いつから、侯爵令嬢の発言力は皇族の許可を覆せるものになったのですか?」
「そ、それは……」
「機会を設けたヘルムス皇子の顔を潰したと叱責されておいて、まだ反省できていないようですね」
特に彼女は、講義を理解できる学力を持っているかの確認のために実施した試験を突破している。しかも、12歳って最年少で。貧民層出身って話だったけれど、リンイリドさん期待の受講者だった。当然、ヘルムス皇子の期待も乗る。
侯爵令嬢だからと妨げられる対象じゃなかった。
「……講義への参加が正当なものであることは分かりました。しかし、貴族の命令を無視したことは別の話でしょう?」
「そうです! 貴族に歯向かったものを罰したからと、非難される謂れはありませんわ」
「はぁ……」
あんまり馬鹿な事を言うものだから、盛大にため息を吐いてあげた。余程お気に召さなかったらしく、取り巻き令嬢達の顔は揃って猿みたいに赤くなる。キーキー言ってる点も似てるね。
「個人の権利は明確に定義してあります。貴族だからとなんでも命じられるものではありません」
例えば、侯爵Aと男爵Bがいたとする。Aが平民に急いで来いと命じたとして、引き留めるBの命令にその人物が背いたからって罰する権利が生まれるかと言うと、当然そんな事態は発生しない。
他にも、貴族の命令に従ったせいで起きた失敗の責任を押し付けられる。既定の税額以上の納金を強要される。飛べだとか死ねだとか、実行不可能な命令を下される。そんな理不尽がまかり通らないように、貴族が平民に及ぼせる権利は細かく明文化されている。多少の差異はあれ、確保されてる人権の度合いは王国も皇国も変わらない。
「命じれば何でもまかり通るだなんて、いつの時代のお話でしょう。世間に混乱をきたさないよう、時代の流れに沿って何度も変革してきたと言うのに、肝心の貴族がその潮流に乗らないなら皇族の苦労が報われませんね。学園で何を学んでいるのです?」
鼻で嗤ってあげると、取り巻き令嬢達は顔を引きつらせた。
然るべき機関に申し立てればきちんと立場を保障してくれるのに、実際には平民側が折れることで貴族が幅を利かせているのが現状だった。
けれど、こうして現場を押さえたなら形骸化した権利も効力を発揮する。私って動かぬ証拠が、不条理を確認した。女の子を不当に害したって糾弾するだけの状況は十分に揃っている。容赦の必要性は感じない。
講義に参加する貴重な女の子。真面目が過ぎて瞬きする時間も惜しむのはどうかと思うけど、真剣に取り組んでいて私のお気に入りだった。そんな子を泣かせた責任、しっかりと向き合ってもらうからね。
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