真実の愛食堂
昼食はなるべく外で摂ることにしている。朝食は南ノースマークで軽く済ませて、昼は皇国でお店を探す。ノーラに食文化調査を頼まれてるのもあるけれど、折角なので他国料理に触れておきたかった。
皇国の料理は塩でシンプルに味付けする場合が多い。スパイスであったりソースを使う場合は、お皿に添えて個人の好みで足す形式をとる。突飛な味付けが出てこない分、親しみやすいかもしれない。
素材の味を生かすとも言えるから、仕入れの環境が大きく影響する。ある程度値が張るお店の方が、外れは少なかった。
昼はお店選びを含めて楽しんで、夜はその日の予定次第で調整する。会食に呼ばれることもあれば、仕事の合間に軽くつまむ日もあった。研究にのめり込んでる場合じゃないので、食べるのを忘れるって状況は回避できているかな。
皇国でも料理人を雇っているから、自分で会食をセッティングすることだってできるのだけど、昼は活用しない。常に貴族向けの食事を用意されるより、その日の気分で店を決めたいからね。皇国の典型を外れたお店もあれば、他国の料理が皇国で独自進化した一皿だってある。街が大きいだけあって選択肢も多かった。
リンイリドさんからオススメを紹介してもらったり、ウォズが商人ネットワークで評判のいい店を聞きつけてこない限りは、車を走らせて目についた店へ入る。
学園周辺に偏るのは避けられないかな。
それでも皇国への通勤が一月を過ぎると、ある程度お気に入りの店も増えてきた。
この日向かったのもその内の一軒で、学園からは少し離れたところにある。けれど、足を延ばすくらいの価値は感じていた。
「おや、スカーレット殿。偶然ですな」
今日はかなり意外な人物と遭遇した。
ロシュワート皇太子が碌に供も連れずに行列へ並んでいる。彼と皇城以外で会うのは想定していない。
とは言え、この店に限ってはあり得ないって事もない。
真実の愛食堂。
ここは彼の兄、元皇太子が経営している。皇位と食堂で働く恋人を天秤に乗せて、後者を選択した元第一皇子が10年の修業期間を経て立ち上げた店となる。臣籍降下した今でも貴族籍は残っているのだけども、最低限の責務以外は厨房で腕を振るっているらしい。
皇王の椅子より真実の愛を選択した。皇都ばかりか、皇国の全ての人間がその顛末を知っている。皇族の義務を放棄したって揶揄を含めて蔓延した噂の筈が、真実の愛って響きを気に入って屋号にしているあたり、脳筋の兄だなぁ…と思う。お店の名前を秘密にしたまま開店を迎えて奥さんにドン引きされたってエピソードまで含めて、皇国で一番有名なお店じゃないかな。真実の愛は開店と同時に壊れかけたのだとか。
冗談みたいな逸話が尽きないお店ではあるけれど、味は間違いなく信用できる。
お昼には少し遅い時間なのに店の外へ行列が続いている状況でも、待つだけの価値はある。皇太子と一緒になるのは想定外だったものの、避けるほどでもないので一緒に並んだ。このお店の卵料理気分を曲げるってまでの面倒事じゃない。
なお、皇太子が行列に並んでいることから分かるように、この店はお客が皇族であっても貴族であっても対応を変えない。奥さんのご実家で、元皇子の修業場所でもあった大衆食堂の空気をそのまま引き継いでいる。
その対応に苦情を言うと、問答無用で叩き出されるらしい。実際、ロシュワート皇太子が並んでいたところで、忖度を利かせる様子はない。
「開店の当初は、貴族との諍いも多かったのですがね。今では貴族の道理が通用しないのだとすっかり知れ渡って、兄の店の方針を受け入れられない貴族は寄り付かなくなりました」
「皇族然とした雰囲気は残っていませんから、元皇子だと気付かずに騒ぎを起こした貴族もいたのでしょうね」
店の中で見たのは、料理へ一生懸命な大柄のおっちゃんだった。
「調べればすぐに分かる手間を疎かにして、思いついたままに騒ぎを起こす貴族に同情する気持ちは湧きませんな。中には皇族でなくなったからと、それまでの鬱憤をぶつけた愚かな貴族もおりましたが」
「ヘルムス皇子も足繁く通っていると聞きます。家族の縁が切れていないと気付かない程度なら、処分されても仕方ありませんね」
案外、馬鹿な貴族ホイホイとして機能していたのかもしれない。
皇族としての立場を放棄したとは言え、放置できる存在じゃない。血統は間違いなく皇国の歴史を引き継いでいるから、担ぎ上げれば旗頭にもなりうる。なので、今でも国の監視は張り付いている。
しかも、店の向かいは騎士の詰め所となっていて、トラブルが起きたならすぐに飛んで来られる。営業中は食事を摂っている騎士も多い。貴族が権威を振りかざしたところで、それが正当なものでない限りは通用する筈もなかった。
なお、トラブルに備えて詰め所の前に店を構えた訳ではなく、開店の直後に詰め所が引っ越してきたのだと言う。皇王陛下の気遣いが窺えた。
十分ほど待つと店内へ案内されたので、チーズ入りのサラダとオムレツっぽい卵料理を注文する。野菜がゴロゴロ入って味付けは薄い塩だけで、七種類のソースで味変しながら楽しむ。野菜もソースも日によって変わると聞いたので、二度目の挑戦となる。
ロシュワート皇太子は、パスタをスープに浸しながら食べるつけ麺っぽい料理を注文していた。
「お、ロシュか。珍しいな」
「何かと忙しいものでな。ヘルムスほど頻繁には来られんよ」
「あいつの場合、走るついでに立ち寄るからな。まあ、ゆっくりしていけ」
皇太子殿下が来ているとは伝わっていたみたいで、注文後に店主がちらりとだけ顔を見せた。普段は料理が優先と聞くから、少しだけ特別扱いらしい。
ヘルムス皇子より、ロシュワート皇太子に似てるかな。鍛えていると言うより、料理に全力を注いだ結果として引き締まっている。厨房を覗くと、スープのお鍋をコンロから降ろしているのが見えた。元皇族で経営者だからって、雑務を他人任せにしている様子はない。それでも小奇麗に容姿を整えたなら、貴族として紹介されても不自然ないくらいの貫禄はあった。
高級品とは言わないまでも確かな品質の素材をふんだんに使っていて、人気店ではあるものの、お値段はそれなりに張っていた。お店の雰囲気と価格帯が若干乖離していて、庶民が普段通いするには少し無理がある。常連にとってもご褒美的な立ち位置らしい。
そのせいもあって、いつまで経っても順番が回ってこないほどに長蛇の列は発生しない。
お金に余裕があるからと再三通っていると、店主に立ち入りを止められるのだとか。その代わり、貧民だろうと荒んだ冒険者だろうと拒絶しない。なるべくいろいろな人に味わってほしいって信念があるみたい。つくづくお客を選ぶ店だね。
「機会があったなら、ノースマーク子爵にはお礼を言いたいと思っていたのです。偶然でしたが、ここでお会いできてよかった」
離れて座るほど席が空いていないので、皇太子殿下とテーブルを共にする。料理が運ばれてくるまでの雑談は、お礼から始まった。
ちなみに、主人と従者の食事を別ける……なんて我儘はこのお店で通用しないので、フランやグラーさん達も同じテーブルに座って思い思いのメニューを注文する。皇太子の連れも、慣れた様子で料理を選んでいた。
「改めてお礼を言われるような何かがありましたか?」
「ええ、キャスプ殿が早速、彼なりの飛行車両試作に取り組むそうです。すぐに王国と肩を並べるとはいかないでしょうが、皇国の未来は明るいですな」
「そう言えば、御三方に取り囲まれて質問攻めにされましたね。できる範囲で応えた甲斐があったなら、良かったです」
「そうして手間を惜しまない子爵の姿勢に、助けられているよ」
折角時間を割いている訳だから、無駄なものにはしたくない。
当然ながら、飛行列車の詳細については語っていない。影で物体の質量を支えるって基幹技術に気付いた様子も見られなかった。おそらく、彼ら自身の知見から風属性で乗り物を浮かせようって試みだと思う。
分割付与と虚属性について何度か講義しただけで新しい魔道具の可能性に辿り着いたって事は、実現のための技術が不足していただけで、素案はいくつもあったんだろうね。三権威なんて呼ばれるだけあって、それに見合う経験を重ねている。
「御三方やペテルス皇子が優秀なのは勿論、見どころのある方々が揃っていて羨ましい限りです」
講義を重ねていると、参加者の個性も少しずつ見えてきた。教科書を読み、ノートをとって終わりにするより、自身で噛み砕いて理解しようとする受講生は目を引く。そういった人物からの質問は、私もハッとさせられるものがあって刺激になった。
講義中は瞬きも忘れて私を凝視していたり、教科書から顔も上げずにぶつぶつ独り言を続けていたり、何故だか奇行も目立つのだけれど。
「王国でも同じではないですかな? 魔塔の活躍はこちらまで聞こえますよ」
「それが、立場的に上長と面会するばかりで、研究者個人と交流する機会はなかったのですよ。個人それぞれに独創性があるものだと再確認させていただきました」
「なるほど、スカーレット殿の華々しい活躍に、周囲が委縮してしまっているのかもしれませんな」
魔塔との協調を深めるには、私から機会を設けないといけないと学習した。コキオに研究地区を作ったのは魔塔を軽んじたからだ、なんて噂は払拭しないとだからね。
そうこう話していると、料理が運ばれてくる。
今日のスープは洋風っぽい味噌汁だった。皇国風? パンよりライスがよかったかもしれない。
「やあ、今日も美味しそうだ。今日はこれを励みに半日を乗り越えたのだからね」
「いい香りです。そのくらいの価値はありますね」
「……こっちのちっこいのは?」
料理を運んできた店主が、皇太子と自然に話す私へ関心を向ける。
彼は皇国貴族でもあるから、皇城での顔合わせの際に参列していた筈なんだけどね。もしかして、仕込みを優先して不在だった?
それから、私が小さいみたいに言うのはやめてほしい。ヘルムス皇子を筆頭に二メートル越えばかりが揃う皇族が大きいのであって、そこを基準にされると、王国なんて小人の国になるからね。
「彼女がスカーレット・ノースマーク子爵だよ。失礼がないように……と今更兄さんに言っても意味がないから、彼女を怒らせるような態度は避けてほしい」
「心配するな、面倒事はこちらもご免だ。営業に差し障るからな」
それだけ言い捨てると、店主は厨房の奥へ消える。皇太子の対面にいるから気になっただけで、いつまでも料理の手を止めるほどの興味はないらしい。
……と思ったら、明らかに手作りっぽいプリンを持って戻ってきた。
「サービスだ」
仕方ないから、ちっこい扱いした無礼は忘れてあげよう。
子ども扱いされた訳じゃないよね?
挨拶を済ませたなら料理に関心を戻す。これを前に雑談を続けるとか、冒涜に違いない。
バター香るソースと柑橘っぽいジュレソース、どちらから試すべきかと悩んでいると、騎士のグループが店内へ入ってくる。きちんと順番待ちしてたあたり、騒ぎを起こす意図は察せられない。
なのに、騎士の視線はメニューでも皇太子殿下でもなく、私で止まった。
ここの店主はプリン一つで回避した面倒事、私は逃げられそうにないね。ここの料理を前に、席を立つって選択肢は私に存在しない。
「大魔導士として知られる、スカーレット・ノースマーク様とお見受けします。どうか私と、一戦交えていただけませんか?」
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