監察官
私の発破が効いたのか、リンイリドさんの姿勢に変化が見られたのはすぐの事だった。それはつまり、皇国貴族がまた馬鹿な真似を働いたって事でもある。
聳え立つ魔塔を目の当たりにして、しばらくは大人しくしているだろうって私の想定は甘かった。本当に面倒この上ない。
事が起こったのは講義初日、それなりに埋まる筈の講堂がガラガラだった。
あらかじめ貰っていた受講者一覧と照らし合わせると半数以上がいない。
どうも、示し合わせてボイコットしたっぽい。私なんかに学ぶことはないって意思表示かな。人によっては、こうもあからさまに拒絶の姿勢を示されるとショックかもね。もっとも私の場合、どんな思惑があろうと興味はないけれど。
と言うか、受講者が少ない事で私にとって不都合は何もない。
私の仕事は、私が新規に開拓した基礎知識を皇国に伝える事であって、習得人数についての取り決めはなかった。講義が下手でうまく伝わらないなら私の責任であっても、学ぶ意思がない相手にまで関知しない。なるべく多くの研究者に学ばせておきたいのは皇国側の都合だからね。私が虚栄心を発揮して、大勢を集めさせた訳じゃない。
何を勘違いしたんだろうね。
私は何の痛痒も感じていないので放置する方針だったところ、リンイリドさんの対応は早かった。
ボイコットした全員に途中参加不可を通達した。皇族の指示を仰ぐでもなく彼女の権限で。
その効果が表れ始めたのは一週間ほど経ってから。
「スライムで命を救い、スライムで文化を作る……、素晴らしいです!」
魔漿液について講義してから、ペテルス皇子から向けられる視線は信仰に近い。それだけ衝撃だったらしい。実技の時間には魔漿液に溺れる勢いで付与魔法を試している。
「属性の誘因性……。どうして儂はその可能性に思い至らなかったのか……」
「異なる属性を混在させられるなら、諦めずに済んだ魔道具がもっとあったものを……!」
「嘆くのはまだ早いぞ、キャス、メル! 儂等の身体も頭もまだ動く。悔やんでいる暇があるなら、新しい魔道具の十や二十くらい作ってやろうではないか!」
更に勢いのあるお爺さんズが、キャスプ老、メルヒ老、バルト老。皇国で魔道具の権威と言えば、この三人を差すらしい。
揃いも揃って歳に見合わない筋骨隆々で、どうしてヘルムス皇子の親戚みたいなのが講義に混じっているのかと不思議に思っていたら、その内の一人、キャスプ老は本当に血縁者だった。かつては公爵の地位にいた人で、早々に皇位継承の辞退を宣言して、類友の二人を誘って私設研究所を作ったのが始まりなんだとか。公爵や上級貴族として得る筈だった莫大な資産のほとんどを研究に注ぎ込んで、次々と成果を生んだ。魔力圧で物体を縮小する方法みたいに、王国でも実用化されている技術もある。
ちなみに、一見すると研究者に思えない立派な体格は、豊かな発想は健全な肉体から生まれる……って信念からのものらしい。まるで理解できない。
彼等にも、はじめから柔軟に受け入れられたって訳じゃない。
皇族がわざわざ招聘した小娘の手腕を確認して、内容が稚拙なら嗤ってやろうってくらいの参加だったらしい。けれど、そんな思惑はあっという間に消え失せた。新しい可能性の前には矜持だなんて塵芥に等しい。
「先生、虚属性によって従来とは異なる特性が得られると言うことは、他属性を模倣する事も可能なのではないですかな?」
「そもそも、熱であったり湿気であったり、干渉できる属性が曖昧なものは存在していました。これらに魔法で介入できていたこと自体が虚属性の作用と考えてよろしいのでしょうか、スカーレット先生」
「物体に虚属性を押し込める方法を早く教えてくだされ。先生の推論を早く試してみたいのです」
長年の研究で辿り着けなかった境地を先取りした私に感銘を受けたらしく、先生と呼んで慕ってくれている。正直、暑苦しい。
皇族と三権威が早々に陥落したことは話題を呼び、後追いで参加希望者が殺到した。学ぶ意思を阻む理由も特にない。全面的に受け入れた。
当初より受講者人数が多くなりそうだから、活動場所も今より大きな二十番講堂へ変更となった。滞在場所の第十四魔塔からは少し離れたものの、飛んで移動するなら不便はない。
ただし、はじめにボイコットした連中の受け入れは一切行っていない。
謝罪もたくさん届いたけれど、その全てをリンイリドさんは跳ね除けた。文書は皇族に回して賓客に無礼を働いた罪を問う。直接苦情を告げに来た貴族は騎士団に取り囲まれて拘束された。
これまでのように、強気で捲し立てれば相手の顔を立てて落としどころを見つけてくれたリンイリドさんは何処にもいない。
私としては、特に不思議はない。
そもそも、リンイリドさんの監察官って立場を考えればずっと前からこのくらいはできた。彼女が監督、査察して取り締まる対象は王侯貴族になる。皇王陛下より特権を保証された者達が良識を損なって暴走することがないよう、皇王に代わって監督するのが職務なんだよね。
近年では形骸化して機能していなかった役職に、彼女を就けた。
皇族らしくなさが目立つヘルムス皇子を正しく誘導するためと言うのが表向きの理由ではある。けれどその気になったなら、対象を全ての皇族貴族に適用させるのに障害なんてない。監察官と言うのは皇国で正式に定められた役職で、その権限も明確に定義してある。
リンイリドさんの素性が不確かな点を責め立てて皇国貴族として相応しくないのだと非難すれば横暴がまかり通ってきた状況は、ほとんどの貴族の甘えと、彼女自身の自覚の足りなさに他ならない。
その証拠に、処分を事後報告として動く彼女を、フェリックス皇王もロシュワート皇太子も止める様子を見せなかった。脳筋は口を挟む筈もない。リンイリドさんはこの役目を最初から期待されてきた。
綱紀粛正の為に私が皇国貴族を刺激する役目を負うなら、不徳貴族を取り締まるのは彼女の担当って事になる。明言された訳じゃなくとも、そう外れていないんじゃないかな。私が彼女を奮い立たせるところまで想定していたのかどうかは知らないけども。
「彼女は皇国の要となれる人物です。今後の両国関係を考えるなら、なるべく影響力を削いでおくよう通達されていませんでしたか?」
講義を終えて魔塔からウェルキンに上り、転移鏡でコキオに帰ろうってタイミングでウォズが問いかけてきた。
国外へ出る以上、今後の外交を有利に運ぶための注意喚起も貰っている。その意味では、今回の私の行動は王国の利に反していると言えた。リンイリドさんには、素性を引け目に一線を退いてもらった方が都合のいい人達も大勢いる。
「やはり、スカーレット様はこう言った工作を好まれませんか?」
「そこまでは言わないよ。意義は理解できるし、必要だと判断したなら私も躊躇わない」
それだけの教育は受けている。
私の最優先は領地で、次いで国。それらの平穏を守るためなら誰かを陥れる手段も考える。
「では、何故リンイリド監察官の背を押すような真似を?」
そうは言っても、ウォズはそんな私を非難しようって態度じゃない。顛末を報告することで私の立場が悪くなるんじゃないかと心配している様子だった。
「一つは、この間説明した通りだよ。中途半端に技術を得た貴族が暴走した際に対処できる人材は確保しておくべきだと思う」
「他には?」
「………………私が彼女を嫌いじゃないから、かな」
とても個人的な事情ではある。
それでも裁量が現場の判断に任せられている部分はあるし、滞在期間中に行動を共にするなら気持ちのいい間柄でありたい。彼女と縁を繋いでおけば、手段を択ばず王国へ不利益をもたらすような画策はしてこないんじゃないかって下心もあった。
「ウォズは私の選択を間違えてると思う?」
「いいえ、俺はスカーレット様の方針を全面的に支持します。技術を伝達する以上、その悪影響に備えるのは当然のことでしょう。念の為、後悔がないものか確認しておきたかっただけです」
「そっか……。今のリンイリドさんの方が見てて清々しいよね」
「俺もそうして掬い上げられた側ですので、リンイリド監察官を放っておけなかったスカーレット様をとても好ましく思います。それに彼女は女性ですから、安心して見ていられました」
え。
一番の心配事がそれ?
私なんかに引っ掛かる奇特な人、そうそういないと思うよ?
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