スライム皇子
皇族との話し合いを終えた後は、一緒に昼食をいただいた。席を外していた皇族やその家族も何人かやって来る。政治に関わっていなくても、私に興味があるらしい。
その筆頭がペテルス皇子。脳筋皇子の同母弟だった。
「詳しい情報は入っていませんが、スカーレット殿がスライムを治療に使ったと聞いた時からお会いしてみたかったのです!」
懐かしい活用方法を随分前のめりに称えてくれた。
ちなみに私の聖女扱いを加速させた治療スライムは、火傷は勿論、皮膚病や炎症の治療、傷痕の緩和と様々な方面で利用されている。聞いたところによると、脱毛症にも効果があるのではと研究が進められているのだとか。
切創や裂創の治療もできるから、常備している冒険者も多い。特に新人冒険者にとっては、重症時の効果は期待できなくても軽傷には繰り返し使えることから、回復薬よりコスパがよくて人気なのだと聞いた。
今のところ国外には拡散させていないけど、魔漿液について講義したなら誰かが思い至ると思う。
「スライムは構造が単純な分、外的な干渉で活動を阻害しません。ですから、多くの分野で活用できると思っています」
「その通りです! あの単純さで生命活動を維持できていることが奇跡と言っていい。あの構造を解明することは、生命の神秘を解き明かすのと同義でしょう!」
私の魔物への興味は素材としてのもので、生態への関心は微妙に嚙み合わない。他の魔物について語るには知識が追い付かないから、どうしても話題はスライムに偏った。
そのせいで話に割って入る人は誰もいない。実兄はパン齧るのに忙しそうだしね。
「それにしても、スライムについて関心があるのは珍しいですね。他の魔物との共通点が少な過ぎて、王国ではスライムについて調べたところで役には立たないと捨て置かれていたのですけれど」
「恥ずかしながら、僕もそうだった。しかし、スライム使って回復薬を開発したと聞いて、衝撃を受けたのです。聞けば、竜を撃退するのにスライムを活用したこともあるのでしょう? それほどの可能性があるとは知らなかった。まるで思い至らなかった。最も身近な魔物について何も知らないまま、竜だの鬼だのに関心を向けていた自分が恥ずかしい……!」
あ、切っ掛けは私だった。
おかげで、皇子なのにすっかり政治の道を踏み外してしまっている。ペテルス皇子の選択だから、私のせいって訳じゃないよね? きっと、同母兄二人から強く影響を受けたに違いない。
「以来、僕はスライムの虜です。調べれば調べる程に興味深い。積極的に餌を求める様子もないのに生きているかと思えば、環境の違いで分裂の頻度も違う。その原因が魔力にあるのだろうと分かった時、原初生物であると言う仮説に確信が持てました」
「そこまで独力で辿り着けたなら凄い事だと思います」
私の場合はモヤモヤさんを目視できた事と、ノーラの協力あってとチート気味だからね。
「単純であるからこそ、難解な現象もあります。王国のスライム研究者も、苦難を重ねていました。あんまり生物としての要件を満たしていないものですから、一時は自然発生した魔道具のような存在ではないかと悩んでいたくらいです」
「王国でスライムの権威と言うと、リッター・アーキル殿ですね? その仮説は僕も読んだ覚えがあります。スライムに関心を向けて以来、彼の論文は手に入る限りかき集めましたから。今では僕の、心の師匠と言っていいでしょう」
不遇時期の長かったリッター先生、こんなところにファンがいたよ。
需要が見直された今では、忙しそうにスライム関連の施設を飛び回っている。スライムの養殖は先生の指導なしには成り立たないと言っていい。回復薬の生産が軌道に乗るまでは私も随分お世話になったしね。
ちなみに冷遇されていた頃の論文は、役に立たないと秘匿扱いしてもらえなかったから他国でも手に入りやすい。中には自費出版した論説本とかもある。
「最近では、魔物の細胞はスライムが縮小したものではないかと様々な魔物の体組織を調べておられると聞いて、僕も思いつく限りの個体を調査してみました。残念ながら、成果は上げられていませんが……」
「リッター先生も苦戦していると聞いています。難解な進化を遂げた魔物より、古代生物の特徴を残した個体にこそ痕跡が残っているのではないかと、検討を重ねているそうです」
「僕はゴブリンに注目しています。亜種が発生しやすいと言う事は、それだけ変質しやすい特徴を備えている事でもあります。あれだけ種類豊富に派生した魔物の原点ですから、それこそが原初の痕跡ではないか、と……」
「なるほど」
「それに、身体の一部分だけの可能性もあると思うのです。生殖器官や消化器、生命活動に密接している部分ならもしかして……と思っています」
「それは面白い発想ですね」
今の私の知見なら、魔石を生み出す器官とか怪しいと思える。残念ながら教えてあげられないけども。
「最初に疑ったのは呼吸器でした。生命活動のためは必須の器官ですからね。しかし、光合成する魔物もいますし、嫌気呼吸なんて例もあります。生態ごと発達していますから、既に原初の痕跡は残っていないかもしれないと思い直しました」
「そうして柔軟に考えを改められるのはいい事だと思いますよ。必要なら基本に立ち返って見識を広げることは大事です。私も先日、それで新しい技術を思いついたところですから」
「スライムでか!?」
実例を少し話したら皇王陛下が食いついた。具体的な成果を欲しているらしい。
「それは一体、どのような……。いや、詳細を話せる訳がないか」
「まだ、どう成果を結ぶか分からない段階ですし、王国にも報告していません。ですから、この場で明かせる情報ではありませんね」
「すまない。スカーレット殿ならスライムからでも更に新しい技術を生み出せるのだと知って、焦ってしまった。どうか、忘れてほしい。ペテルスときたら、口を開けばスライムにはこんな性質がある。こんな特異な点が見つかったと、新しい知識をひけらかすばかりなのだ。スカーレット殿のように有用な研究をしてくれればいいのだが……」
「父上、お言葉ですが僕はきちんと成果を上げています。スライムの分裂には魔力を蓄える環境が必要だと突き止めて、養殖の為の環境を整えたではありませんか!」
「王国のようにスライムを活用する技術もないのに養殖の場だけ設えても仕方がないではないか……」
多分、箱ごとに環境を変えて、スライムと魔力の関係性を突き止めたんじゃないかな。モヤモヤさんが見える訳でもないし、魔漿液について知っている訳でもないのに観察でそこまで辿り着いたペテルス皇子は結構凄い。
なのにこの評価って言うのは、基礎研究への無理解を象徴しているように思えた。
王国の技術力に追いつくためには基礎の浸透が必要だって実感したフェリックス皇王でこれだからね。重要度を理解したつもりで、分かりやすい成果が出ない状況に長く耐えられない。皇子が身内だから余計に結果を欲してしまうのかもしれないけど、無自覚に基礎を軽んじてしまっているのは間違いない。
皇王でこれなら、状況を深く把握していない貴族や役人はもっと危機感に欠けるとも考えられる。
基礎研究の下地がない。
私の講義で一時的には解消しても、起点に立ち返る習慣がないなら皇国の発展は停滞するとも考えられる。
これはなかなか面倒な状況かもしれないね。
「こうしてスカーレット殿が来てくれたのです。スライムの量産はすぐにでも必要になるに決まっています!」
「その為に城の三分の一をスライムで埋め尽くしたのか!? 最近ではスライム城などと呼ばれているのを知らない訳でもあるまい。城で働く者たちもすっかり北側へ近づかなくなってしまったではないか!」
……いくら研究のためだからって、何事にも限度があるのは間違いないけどね。
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