レティだって時には悩む
人工魔石の製法が判明して2週間、片っ端から無機塩の結晶化を試行した。塩化ナトリウムみたいに身近なものから、硝酸アンモニウムセリウムなんて一般の生活ではまず手にする事のない試薬まで、とにかく魔漿液へ溶かしてみる。
幸い、コキオには化学を専門とする研究者も招聘してあるので、金属塩の入手環境も整えてある。ウォズにお使いを頼まなくても、人工魔石研究へそのまま活用できた。
ただ、画期的な成果は上げられなかったのだけども。
「残念ながら、残念ながら高品質の魔石は得られませんでしたからね。単一物の結晶化だけでは限界があるのでしょう」
「ゴブリンの魔石だって、金属が複雑に組み合わさった結晶だって判明してるじゃないですか。無機塩と魔漿液だけで再現するのは無理がありましたよ」
魔漿液中で再結晶する際に魔力が結合に干渉するんだろうってまでは推測できた。水溶性の無機塩なのに、魔石化した時点でその性質を失う。別の結晶構造になっているのは間違いない。中には魔石化の前後で色や光沢が変わるものもあった。
そうでなければ、躯体のほとんどを魔漿液で構成したスライムは体内に魔石を保持できない。魔漿液で体中に魔力を循環させる魔物も、生命活動に支障が出るんじゃないかな。
そして、複数の金属塩を溶解させても新しい結晶が生まれる事はなかった。魔漿液中に魔力が満ちているからって、特殊な化学反応は発生しないらしい。魔物の体内で起こっているような、取り込んだ金属成分が凝集するような不思議現象は再現しようがない。
考えてみれば宝石も、マグマの中で金属やガスが化合するもの、地中深くで高圧高温にさらされて結晶構造を変質させるもの、風化した岩石が雨に溶け込んで地中で結晶化するもの、複雑な過程を経て生成している。当然、宝石とならない岩石の方がずっと多い。
そんな奇跡を再現しようって試みなんだから、魔漿液中で再結晶させるだけなんてのは単純過ぎた。
前世では人工宝石なんてのもあったけど、物理的な性質は同一でも生産コストが見合わなかったり、結晶構造が揃い過ぎていて天然物ほどの美しさはなかったりと課題を抱えていた。
それよりずっと簡易的な方法で、魔石なんてファンタジーの代表格を模倣しようって試み自体が大分無茶だった気もする。
「スライムの魔石こそナトリウムとカリウム、それから少量の鉄と亜鉛で構成した比較的簡素なものでしたけれど、その生成過程を観察したからと言って他の魔物に当て嵌めるには身体構造が違い過ぎましたわ」
「かと言って、スライム以外の生成過程を観察するって訳にもいかないし……」
「魔石の周辺は魔物の急所ですから、解体した時点で絶命してしまいますからね」
血液以上に魔力の循環が重要な生命体なので、魔石自体を傷つけなくてもその周辺を損壊させれば魔力異常で死に至る。魔物の中でも最も観察が難しい部位って事実が、魔石の研究を遅らせてきた原因でもあった。
魔法で再現しようにも、原理を理解しないとイメージが組み立てられない。
魔力の流れを追うならともかく、魔物の体内で金属元素がどう変遷するのか把握できるほど、ノーラの魔眼も万能じゃない。いつも頼りにしてる分、当てにできないとなると手詰まり感があった。
それに魔石が欲しいだけならキミア巨樹に実るので、品質を向上させられない研究を続ける意義は薄い。再結晶より、巨樹から収穫する方が手間も少ない。ウォズなんて早々に興味をなくしていた。
「でも、何か見落としてる気がするんだよね」
「まだ言っているのですか、レティ。気持ちの切り替えも大切ですよ」
「分かってはいるんだよ? ただ、なにかモヤモヤすると言うか……」
「レティ様が温泉を堪能するより頭を悩ませるのを優先するなんて、よっぽどですね」
キャシーはそう言うけれど、思考の果てに迷子になる事なんて珍しくない。
理論が筋道立てられていないのに何かを生み出せそうな気がするのは、不足している部分を直感で埋めたからだと思う。上手くいく予感だけがあって、どうしてそう考えたのかを思い出せない。直感であっても私の中から湧き出てきたものだから、知っている中に根拠がある筈なんだよね。
こうして自問を繰り返して閃きを導き出すのは、魔導変換機を作った時にも人工ダンジョンを完成させた時にも乗り越えてきた。魔法籠手を考案した時だって、魔導織で水中適応の魔道具を作った時だって、いくつもの試行錯誤を重ねている。思い付きが必ずいい結果を呼ぶだなんて己惚れていない。寝食が疎かになって、フランにお小言をもらう方が日常だよね。
悩んだ分だけ、閃きが上手く嵌まった時の喜びも一入だって知っている。そのせいで思考の沼から逃れられない。今回みたいな成果を生まない試行錯誤も当然で、トライアンドエラーを繰り返しているから発想も磨かれていくんだと思う。
だから、私は直感を疑わない。
何かを見落としていると思ったなら、その課題さえ乗り越えられれば成果に繋がるって信じている。
とは言え、あくまで私の中で整合性が取れているだけなので、発想と実際の現象が合致するとも限らない。勿論、悩むだけで何もいいアイディアなんて浮かんでこない事だって普通にある。
ただ、まあ、折角の温泉を楽しみ切れていないって言うのは勿体ないかな。
人工手法では高品質の魔石は得られないって結論が出たから研究をひと段落にして、今は後回しになっていた慰安旅行にオクスタイゼン領を訪れている。
残念ながらチロルやドウチに比べると紅葉の彩に欠けてしまう。王国西方は魔素濃度が高いから、辺境伯領は景観を楽しむのに向いていない。でも、温泉は炭酸泉で疲れた体を癒してくれる。身体に張り付く微細な泡も心地いい。
折角の紅葉期に見どころの温泉を外したのは、ダンジョンの視察を兼ねているからだった。人工魔石の研究で時間が押したから、慰安のついでに業務もこなさないといけない。
それと、私はこのまま皇国へ一旦飛ぶ予定で、立地的に都合がいいってのもあった。
「うーん、思いつく限り試した筈なんだけどね……」
「まだ言っていますわよ」
引っ掛かりを覚えた時点では一緒に可能性を探してくれたノーラ達も、成果のないまま実験を繰り返したせいで今ではすっかり対応が冷たい。
そもそも水に溶けるって前提があるので、金属塩の種類は多くても対象は限られる。魔力含有量に影響を与えるのは金属元素と言うのも実験中に判明してしまったから、陰イオン側を変動させても急激な性能向上は望めない。ますます検討の幅は狭まっていた。
ついでにオリハルコンは当然として、ダンジョン産の特殊鉱石はほとんど化学反応を起こさないので、初めから候補に入らない。試せるものなら試したかったけどね。
そうなると、一体私が何に悩んでいるのか余計に分からない。
「硫黄、塩素、ナトリウム、鉄……」
「温泉成分を魔漿液に溶かしても、温泉っぽい香りの魔石ができるだけだと思いますよ」
しかも水溶性でなくなってしまうものだから、温泉の素としても使えない。
「レティがこうして悩んでいると、まとわりついてこないのでいいかもしれません」
「あ、それは言えてますね」
オーレリアとキャシーが安心した様子で言うけど、いつもの接触を控えている理由は少し違う。
「ゆっくり…、ゆっくりお風呂に浸かれると言うのもいいですね。子供がいるとどうしても気が急いてしまって、入浴を楽しむ時間を作れませんでしたから。来て良かったです。誘ってくれてありがとうございます、レティ様」
「あ、うん。気晴らしになってるなら良かったよ……」
母親としての貫禄と、圧倒的な胸囲力を身に付けたマーシャがいると、オーレリアやキャシーに抱き着いて胸が膨らむご利益を貰おうって行為があさましく思えたんだよね……。母親って強い。
ケインとソーニャ、双子ちゃん達は温泉の匂いを嫌がったので、シッターさんと一緒にウェルキンでクロと戯れてもらっている。クロも情が移ってきたのか、最近では怪我をさせないように配慮しながら2人を背に乗せて駆けるようになってきた。マルはまだ逃げるばかりなので、魔物としての性質の違いかな。
「で、私は何に引っ掛かってるんだと思う?」
「知りませんよ。レティが分からないのに、私達に答えられる筈がないでしょう?」
「あたしが教えてほしいくらいです」
素気無い……。
「うーん、絶対何かに活用できる筈なんだよね……」
よく分からないけど確信がある。
前世の知識でこれ以上の水溶性に心当たりはない。つまり、今世の経験?
でも、ミスリルやアダマンタイト、ファンタジー金属は真っ先に除外した。アイテール水銀は液体だけど、魔漿液と混和しない。オリハルコンだけ溶けるみたいな特殊例もなかった。
魔力が溶けるのは既知の事。含有の濃淡が変わるだけで、飽和させても結晶化することはない。魔漿液を発見した初期の時点で試してる。
魔素も同じ。私的には真っ黒の液体になるから生理的に受け付けない。掌握魔法を思いつく切っ掛けになっただけで活用方法は特になかった。
他に……何?
結局、私はもどかしさから目を逸らせなくて、オーレリア達が呆れて上がった後も1人お風呂で検討を続けていた。
湯船に浸かったり涼んだりを繰り返していたからのぼせる事はなかったものの、気付くと3時間以上が経過したものだから、夕食が遅くなってノーラの機嫌が悪かった。ごめんね……。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、評価をいただけるとやる気が漲ってきますので、応援よろしくお願いします。