第5皇子
大国の要人を迎えるにあたって、私も多少の緊張くらいはする。こういった事態を想定した教育は受けてきても、実体験は少なかった。
しかも、私を交えた会談を希望しているという。私の一挙手一投足が王国の今後に影響するかもしれない、そう考えると心が張り詰めていた。私の研究が大陸中を巻き込んでいるのだと、改めて痛感する。
なお、対面時に敵認定したエノクと、礼儀を払う必要性を感じなかった元教国上層部は経験にカウントしない。
謁見の間に召集されたのは私だけでなく、王都に滞在していた貴族は全員顔を揃えていた。お父様をはじめとした四大侯爵も駆けつけている。皇子を迎えるなら最低限の礼儀と言えた。収穫祭を控えているので普段より貴族の数は少ないけれど。
同時に、緊迫した空気をまとっているのも私だけじゃなかった。
皇国の要人がどういった目的で来国したのか、様々な見通しを張り巡らせながら来場を待つ。
その緊張状態も、皇子が姿を現した時点で霧散した。
「あ、筋肉だ」
「おお、久しいなノースマーク子爵。貴殿が察した通り、吾輩の筋肉は今日も絶好調だ!」
私の失言で場が一瞬だけ凍る。けれど、それを咎めるどころか喜んで受け入れる皇子と私は面識があった。
ダイポール皇国ヘルムス第5皇子。教国を陥落させるために兵を率いた皇国側の指揮官が彼だった。皇子でありながらAランク冒険者って実績を持っていて、政治より己を鍛える事や強者との対峙に関心が向く。カロネイアの一族と話が合うに違いない。
その素行に見合った猛々しい容姿で、身の丈も2メートルを超えている。窮屈そうに皇子らしい煌びやかなコートに身を包んでいなければ、グランドマスターが連れてきた冒険者としか見えなかっただろうね。
皇子らしくなさを脳筋、筋肉皇子と周囲から揶揄されていた筈が、その陰口を皇子自身が気に入ってしまい、いつの間にか通称として定着したのだとか。
自覚の乏しさは本人も認めるところで、鍛え抜いた肉体美は皇子の自慢らしい。いろいろ考えが足りないところも、鍛錬に時間を費やした結果と恥じていない。教国でも、突撃以外の戦略を提示しなかった。
コンフート男爵令息とは、決して会わせてはいけない人物だと思う。
皇国からやってきたのがヘルムス皇子だと知って、今回の突発的な召還にも納得できてしまった。
ダイポール皇国から王国へ向かうには、海路を使うのが一般的となる。最短距離なら皇国の東端から南下してオクスタイゼン辺境伯領入りするルートがあるけれど、国境が隣接していないから魔物領域を越える必要がある。高位の冒険者ならともかく、普通の貴族が選ぶ道じゃない。
そもそも道路とか整備されていないしね。
他に陸路となると、小国家群を抜けてノースマークを経由する方法がない事もない。とは言え、道中での外交予定を組んだ使節団や、現地の売買で品揃えを充実させながら旅する商人でもなければ、いくつもの国境を越えて王国を目指すのは現実的じゃない。
それにも関わらず、皇国からの船を捕捉できなかったらしい。
皇子が入国する日程は知らされていた筈なのに、その道程が確認できないせいで通達の真偽を疑ってしまったのだと言う。
皇国を発ったからって、まっすぐ王都港へ向かう訳じゃない。途中でいくつかの港に立ち寄りながら目的地を目指す。補給も必要となるし、戦時でもないのに外海を迂回する必要もない筈だった。
その想定で足跡を追うのに、航行の様子は確認できなかった。皇子と迎えるとなれば相応の支度が必要となる。当然、出費も労力も軽くない。それを不確かな状況で進めてよいものか、迷ってしまったのだと聞いた。
そして実際の皇子は、魔物領域を越えてオクスタイゼン領に現れた。
しかも辺境伯の歓待もそこそこに、コントレイルに乗って王都まで来たらしい。魔物の脅威って障害さえ考えなければ、皇都と王都を結ぶ最短ルートではある。猛鬼賢者までいるから、あり得ないほどの難易度でもなかったと思う。
それでもヘルムス皇子以外は決して選択する手段じゃないし、噂の第5皇子が国を代表して訪れると誰も予想できなかった……と言うのが火急の招集に至った背景だった。
「噂の飛行列車は快適だったな。あれはいいものだ」
来賓用の臨時車両でなく、一般客に交じって冒険者達と談笑しながら来たのだとか。その時点では普段着だった筈なので、冒険者達も皇子だなんて気付かなかったに違いない。ついでに、おばちゃんって絶妙なカモフラージュも同行している。
こんな皇子、この人しかいない。普通のお役人さんに脳筋の行動原理を予想しろって時点で無茶だった。
「まさか、竜も出没する厳酷地域を1人で越えてきた訳ではないですよね。お連れの方々はどうされたのです?」
「おお、我が国が誇る精鋭達と一緒だ。とは言え、彼等にとっても決して楽な挑戦ではなかったからな。今はオクスタイゼン領で存分に英気を養ってもらっている。魔境越えの猛者達は、皇国に戻った後でたっぷり称えてやらんといかんからな!」
つまり、帰りは海路を使うなんて考えは欠片もなく、来た道を戻る気満々らしい。皇子に付き従うのが冒険者って事はないだろうから、騎士か軍人か、振り回される人達に少し同情する。
しかも、翻弄されているのは皇国の精鋭だけじゃない。
今回の件で、皇国は魔物領域を越えての奇襲が可能なのだと実証してしまった。ヒエミ大戦の時だって、皇国は帝国側へ軍を進めただけで王国内には踏み込めていない。魔物の脅威に備えるだけの筈だった北西部国境は、皇国の進軍も見据えて防衛計画を練り直さなければいけなくなった。
今頃、収穫祭へ向けて忙しい筈の辺境伯は体制変更の為に頭を悩ませていると思う。
脳筋であっても第5皇子、面倒な人なのは間違いない。本人がどこまで意図しているかは不明だけれど。
当然、皇族が皆こうだと思ってはいけない。
「リンイリド監察官もご苦労様です。魔境越えは大変だったのではありませんか?」
「戦闘を専門としない私としては、得難い経験でした。それでも皇子が私の安全を確保してくださいましたから、普段の無茶と比べると楽な方だったでしょうか。それより、飛行列車であちこち行きたがるヘルムス様を止めるのが大変でした」
皇子の同行者はおばちゃんの他にもう1人いる。
と言うか、あの皇子が国外で野放しになる事態は決してない。今日もお目付け役はきちんと職務を果たしてくれていた。彼女は、身分ある脳筋を制御すると言う稀有な才能を持っている。
「様々な領地を結んだ王国の新技術、短時間でどこへでも行けてしまうと目移りしてしまうのは仕方のない事だと思います。きちんと王城へ連れてきてくれる貴女が同行していてくれて助かりました」
「皇国とは時期が異なるため失念していたのですが、もうすぐ収穫祭なのですね。皇子がお祭りの匂いを察してしまって、これ以上抑える自信がありません」
「今から皇子を迎えるだけの準備を整えられる貴族は少ないですから、王都の収穫祭を楽しまれてはいかがでしょう?」
私のところを訪ねたいと切り出される前に止めておく。ただでさえ忙しい時間を割いているのに、皇子の歓待だとか勘弁してほしい。
「飛行ボードの体験や夜を彩る魔道具の実演、魔法籠手を使った射的なども催されますから、きっと楽しんでいただけると思いますよ」
「それはそれで面白そうだが、吾輩の目的は貴殿だ。ノースマーク子爵、貴殿を迎えに来た。さあ、共に皇国へ行くぞ!」
「はい?」
世間話をしながら目的を引き出そうとしていた流れを、皇子が派手にぶった切る。知りたい情報が拾えたのはいいけど、そこまでの背景は分からない。王国貴族は警戒をあらわにして、おばちゃんは遠慮なく爆笑している。リンイリド監察官はいろいろと諦めた顔になっていた。
この思考回路と発言が直結した脳筋皇子、どう相手にしたものかな?