定まらない心
想像には限界がある。
人は経験に基づいて先行きを推し量るものだから、まるで経験を伴わない想像には絵空事みたいな非現実さが付きまとう。
私にとって、まさに恋愛がそうだった。
前世の頃から恋愛したいと何度も願いながら、現実のものとは捉えられていなかったのだと今知った。私の恋への憧れと、目の前で心を吐き出すように言葉を紡ぐウォズの真剣さはまるで違う。
恋に恋するような未熟な感情は抱いてきたものの、いつからか恋愛は自分に縁ないものだと諦めていたのだと思う。特に前世では、恩人に償わなくちゃいけないって体のいい逃避理由があった。
今世だってオーレリア達を羨ましいと思っているのに初恋もまだなのは、本当の意味で自分の感情と向き合っていなかったからに他ならない。
私はずっと恋愛結婚に憧れながら、誰かに想いを向ける事も、向けられる事も、一度だって想像できてはいなかった。
「それって、その……、私と結婚すれば商機を広げられるからってこと?」
そんな状況だから、ウォズの告白に恋愛感情以外の何かを探してしまう。そうじゃないってウォズの態度を見れば分かるのに、逃げ場所を求めていた。
思い入れに差があり過ぎて居た堪れない。
「そんなものは些細な事です。俺はスカーレット様をずっとお慕いしています」
「あうあう……」
まっすぐ見つめてくれるけど、ウォズが真剣な分だけ私は恥ずかしさで彼の顔を見られない。
これ、全部夢って訳じゃないよね?
頭がまるで回っていない。とにかく頬が熱くて、一緒に頭も茹っている気がするよ。混乱の度合いは王城の比じゃなかった。
「でも、だって、そんな素振り、これまで一度も……」
「態度で示すのは爵位を得てからと決めていました。想いを秘めている間に誰かと婚約してしまうかもしれない。お茶会に出席して大勢の男性と交友を広げる様子が、歯痒くもありました。けれど、言えなかったのです。俺がスカーレット様の傍で利益を上げる一方で、その様子を揶揄した悪意ある噂については、知っているでしょう?」
身体を使って私を篭絡しただとか、慈悲で飼ってもらっているのだとか、嫌な噂は私のところにも伝わってきていた。聞いた端から締め上げていたら私の耳までは届かなくなっていたけれど、悪意が消えたとまでは思っていない。
「もし、スカーレット様が俺を選んでくれたとして、それであなたの評判を貶める訳にはいかなかったのです。俺が想いを伝えるときは、周囲に認めさせるだけの立場を得てからだと決めていました」
つ、つまり、ウォズが貴族入りしたかったのは私に告白する為って事? それだけの為に王国史に刻まれるだけの偉業を成し遂げたって言うの?
確かに、自力で叙爵の機会を得るだけの有能さなら、王家に婿入りしたって批判はし辛い。爵位を継いだだけの貴族とは評価が根本から違う。その優秀さを認めたのは国王陛下だってお墨付きがある。成り上がりに対する妬みは付きまとうし、悪意が完全に消えることはないにしても、私に重用されるウォズを非難する声が表立って上がることはもう決してないと言える。
でも、私なんかの為に? ウォズが!?
可愛い大型犬といるつもりで気安く頭を撫でてた私だよ?
そんなの、ホントにあり得るの? これ、現実?
「そんな、いつから……?」
「初めてお会いした時から。俺への蔑みと、俺の中にあった貴族への偏見を叩き壊してくれた時、俺の心は貴女に撃ち抜かれたのです!」
レティって、いろいろ狡いですよね……そんなオーレリアの言葉を思い出す。
まさか、あの時点でウォズを陥落させてたの!?
大商会の子息が恩に着てくれたなら、お買い物の時に融通を利かしてくれるかも……ってそんな事しか考えてなかったんだよ、私!?
ウォズはとても掛け替えのない思い出みたいに語るけど、私の記憶はちっとも奇麗じゃない!
その事実に泣きそうになった。
「初めからこんな大それた夢を抱いていた訳ではありません。貴女は貴族で、俺は平民。偶然再会して、魔道具開発に協力できるだけで嬉しかった。有象無象でなく、貴女に貢献できることが幸せでした」
「私、ウォズを有象無象だなんて思ったことないよ」
「はい。そんな貴女だったからこそ、貴女を慕う気持ちは日を追うごとに大きくなっていきました。一般入学枠初の講師資格取得者となって貴女の期待に応えよう。頼ってもらった分だけ貢献で返そう。……そう思っていられたのは本当に初めの内だけだったのです」
「あわわ、わわ、わわ……!」
「貴女が屈託なく笑いかけてくれるものですから、気兼ねなく信じてくれるものですから、俺が貴女に相応しい功績を上げたなら、もしかすると受け入れてもらえるのではないかと欲が出てしまいました」
いや、だって、友達に壁なんて作らないでしょう?
ウォズは頼りになるんだから、そりゃ信じるよ。無茶を言った分応えてくれるものだから、いっそ甘えてすらいた。それでウォズを翻弄していたとは露ほども思わなかったけど。
「でも、折角貴族になれるんだよ? それなのに内示のあったその日に投げ捨てるようなことを言うなんて……!」
私と結婚するなら、その時点でウォズの爵位は消える。新伯爵家の配偶者として貴族籍に名前は載っても、ストラタス男爵家は記録にしか残らない。
「微塵も未練はありません。言ったではありませんか、叙爵は望みを叶えるための手段だと」
「貴族の栄誉を天秤に乗せても、私に傾くって言うの?」
「当然ではありませんか。比較にもなりません。たとえ想いが届かなかったとしても、スカーレット様の今後へ貢献できるなら無駄な苦労だったなどと思いません」
「うぁ……!」
一切の迷いがない様子にたじろいでしまう。
ウォズってこんなに押し、強かったっけ?
「それに、俺が授かるのは官位です。土地を得ていたなら簡単に家を潰す訳には参りませんでしたが、役職なら俺達の子供に引き継ぐこともできます。次代の名がストラタスか、ノースマークかと言うだけの話です。後継者を用意できるなら、お役目を任せてくださる陛下の面目を潰すことにはなりません」
「ま、まあ、王城の役職なら貴族であることが必須って訳じゃないからね」
そんな事より、“俺達の子供”って凄いパワーワードだね。
私が子供を産むところも、子供ができるような事をするところも、欠片も想像できないよ……。
「だ、だけどこうしてお屋敷の候補地を下見して回った訳だし……」
「すぐに結婚という訳にもいきませんから、どちらにせよお屋敷は必要だと思っています。ですから、決して無駄ではありませんでしたよ。貴族となってスカーレット様に並べる立場を手に入れたのだと誇示するためにも、不可欠の出費です」
それだけの為にお屋敷を建てて、数年暮らすだけのつもりって、とっても貴族らしいお金の使い方だね。一般の感覚だと浪費でも、貴族にとっては十分な価値がある。
無駄遣いは苦手だと思ってたけど、貴族的な金銭感覚も身に着けていたんだね。それもこの日の為に勉強してたの?
「スカーレット様を困らせたい訳ではありません。貴女がどんな答えをくれるとしても、俺は今後も協力を惜しまないとお約束します」
「それは助かるけど……」
「俺が貴女の結婚対象として見られていなかったことは知っています」
「う……、それはごめん」
「いいのですよ、仕方のない事です。俺も、立場も得ていないのに貴女を惑わせるつもりはありませんでしたから。ですが、俺といることが不快でないなら、共に生きることを検討していただけませんか?」
「……」
私にとって、ウォズってどういう存在だろう?
大切なのは間違いない。いなくなったら絶対困る。そのくらい、私はウォズを頼っている。
でも、オーレリア達との線引きは分からない……。
私にとってウォズとの始まりは、分割付与の開発だった。とても心強い協力者。誓約書を携えてきた時点の誠意で、私は随分彼を信用していた。
ウォズにとっては入学式典の激励が印象深いみたいだけど、私からするとちょっと励ましただけのつもりだった。それでもウォズと出会った大切な日でもある。
私が可能性を提示して、ウォズがそれに投資する。期待に応えて私が研究を実現すると、ウォズはそれをお金に換えてくれる。
ギブアンドテイクの関係。
でも、損得だけってほど軽くない。
実際、ウォズは私の為にって後継者の立場を捨ててくれた。その恩には報いないと、そう常々思っている。
とは言え、損得の境界は曖昧だった。私は次々と新しい事柄へ興味を持つし、ウォズはそれに応えて環境を整えてくれる。そんな彼についつい頼ってしまう。
思い付きで動いた結果、迷惑をかけてる自覚もあった。
どのくらい儲かっているのか、実は詳しいところを私は知らない。ウォズが忙しそうにしているなら、目をお金色にさせて生き生きとしているのなら、彼の要望を満たせているのだと解釈してきた。
だから私も無茶が言える。……言わせてもらえてた。
けれどそこに、彼の個人的な想いが関わっているとは考えたこともない。
好きか嫌いかと問われれば、嫌いじゃないと答える他ない。私はウォズがとてもいい男だと知っていて、自分の恋愛対象として見たことがなかった。
どうして?
……分からない。
ウォズと一緒にいるのは居心地が良くて、遊びに行くと楽しくて、それ以上は考えなかった。何故かウォズも一緒だと思い込んでいた。
私が女でウォズが男性だって事が、頭からすっぽり抜け落ちていた。
ウォズが結婚相手で困る理由は?
私にとってウォズの苦手なところは?
共に生きるならウォズに改善してほしいところは?
……不思議と何も思いつかない。
ウォズに想いを告げられて、素直に嬉しいと思う。好きだと言ってくれたことを光栄だと思う。彼に好意を寄せられる自分でいたことが誇らしい。
なら、私の答えは一つしかなかった。
「……考えさせてください」
意気地なしと言ってくれていい。
ウォズを弄んでいると責められても仕方ない。
彼が真剣だからこそ、今の私は答えを返せなかった。
「ええ、それで十分です。スカーレット様の候補に上がれるのなら、俺は満足ですから」
「いいの? 自分で言っておいてなんだけど」
「選択肢にも挙げられていなかった俺について、スカーレット様が悩んでくださるのですよ? 貴女は俺を決して軽んじないと知っています。きっと真剣に考えてもらえるのでしょう。それはとても幸せな事です」
「そういうもの……?」
私には考えがさっぱり及ばない。
「はい。ですから、ゆっくり悩まれてください。俺は返事を貰える日をいつまでもお待ちしています」
「……ごめん」
それしか言えなかった。
ずっと想いを寄せてくれていた友人に、同じ目線で答えが返せないことが情けない。でも私は本当にいっぱいいっぱいで、これ以上は無理だった。
流石にこのままウォズと歩くのは気まずくて、彼とはここで別れた。私に呆れた様子もなく、商業街の方へ消えていく。
私は何も言えていないのに、満足した様子の背中が眩しい。一世一代の告白は、私が狼狽えて終わるだろうって予想してたって事だよね。それだけ私を知ってくれていた。
私に、ウォズの本気に見合うだけの答えが返せる日なんてくるのかな……?
いつもお読みいただきありがとうございます。
予想されていた方も多かったかもしれませんが、この件が決着するのはもっと先になります。ポンコツが悩んでも、すぐに気持ちは定まりません。この章は学園編なので、こんな状態でそちらへ舵を切っていく予定です。気長に待っていただけると幸いです。
こんな作品ですが、応援よろしくお願いします。