ストラタス男爵
マーシャの名前を変更しました。マーシャリィ・“ベールマン”です。
貴族籍を外れると改名の必要があると言う設定を忘れてまして、カーレルさんの旧姓のままとなっていました。マーシャの夫、カーレルさんはエルプス男爵家出身で、現在はベールマンを名乗っています。過去話も修正しておきます。
経営している会社も“ベールマン運送”となります。
私は既に伯爵になると内定しているから、これで貴族組の褒賞は終わった。とは言え、呼ぶだけ呼んでおいてマーシャとウォズには何もなしだなんてあり得ない。
「マーシャリィ嬢、其方にも治めるべき土地を用意してある。再び貴族として国へ仕えてもらえぬか?」
「申し訳、申し訳ございません。私はキッシュナーを辞した時より夫と共に生きると決めています。貴族としての柵は、夫の事業の妨げとなるでしょう。それは私が望むものではありません」
マーシャの生き方を最大限尊重すると言ったカーレルさんなら、彼女が望んだ場合は貴族社会で生き方を探すんだと思う。彼も男爵家出身なので、貴族社会を知らない訳じゃない。
「いいの、マーシャ?」
「はい。夫と、夫との結婚を決めた時点で貴族の生活に未練はありません。彼は幼い頃から家を出る前提で育っていますから、貴族社会に息苦しさを感じてしまうのです。私が栄誉を欲するというだけで彼に負担を強いる訳にはまいりません」
なるほど、カーレルさんが彼女を自由にさせてくれるからこそ、マーシャからの配慮もあるんだね。
「ふむ……決意は固いか」
「研究の、研究の協力者として名前を連ねさせていただいた時点で栄誉は得ております。報奨は別の形でいただければと思います」
結局、マーシャは国の郵便事業の一部を肩代わりすることを望んだ。
ヴァンデル王国の郵便は国が営んでいる。魔力波通信機が漸く浸透してきたところなので、文書による伝達は重要度が高い。未だ主軸の通信手段であるサービスに地域次第で差が生じたなら、統治貴族を侮辱していると内戦の原因になりかねない。正確な伝達手段を確立するためにも、国家事業とする他なかった。
ちなみに、機密に触れる文書や速達、密書の場合は、貴族が信用できる人間に預ける。領地ごとに専門部署を用意しているのが普通だった。国営郵便はあくまで民間向けだね。
そして当然の流れとして、文書を届けるならそのついでにと、配送事業にも手を広げてきた。ベールマン社はその一部を代行する。
その試み自体は初めてって訳じゃない。国の役割はサービスを一定以上の質で担保することなので、より早く的確に荷物を運べるなら民間企業とも協力する。特に最近ではコントレイルやアイテムボックス魔法と物流の大革命が起きていて、民間の方が最先端を取り入れた新規サービスを得意としている。
アイテムボックス魔法を導入した大型車両と飛行ボードを導入して王国南部の物流を支えるベールマン運送と協調することは、国にとっても悪い話にならない。代行するにはそれなりの信用と実績が求められるので、マーシャのところも名声が手に入る。カーレルさん達が考案した手法を北部や西部にも広げられて、更に名前が売れるよね。
マーシャに断られる事はそれなりに予想していたのか、特段気落ちする事なく陛下は視線をウォズへと変えた。
「ウォージス・ビーゲール、人工ダンジョンの開発に貢献しただけでなく、其方の活躍のおかげで開戦派と名乗る輩を穏便に駆逐できた。その手腕を私は高く評価している。ビーゲールの一族に連なるからでなく、其方個人を貴族として迎えたいと思っている」
「光栄です」
「民間の立場からこの国を支えると決めたビーゲールの方針は理解している。その上で願う。どうか私の期待に応えてもらえぬか?」
そうは言ってもウォズは商売人で、政治的な立場や特権より資本力で目的を達成する。その基盤に権力は必要としていない―――と、思っていた。
「謹んでお受けいたします。これより国の礎として、堅忍不抜の覚悟で尽力いたしましょう」
「え!?」
「「「!!」」」
「ほ、本当か!?」
その答えは全く予想していないもので、私達は勿論、願った陛下当人までが戸惑って見えた。独立したとはいえ、それまで培ってきたものは引き継ぐと思っていたから。
「こちらから要請しておいて確認するのもおかしな話だとは思うが……、良いのか?」
「はい。飛行列車事業に人工ダンジョン、そろそろ実家の影響力やスカーレット様の後援だけでは、貴族の強要を抑えるのが厳しくなってきております。新技術を取り扱う立場として、確固とした地位を得ておきたいのです」
「………………」
「其方の言い分は道理ではある。ノースマーク新伯爵の技術を半ば独占する以上、無理な圧力や謂れのない苛虐に屈するものであってはならない。跳ね除けられる立場でいてほしいと思う」
その実利は理解できる。
私って後ろ盾はあっても、ストラタス商会には積み重ねがない。実績という明確な信用が不足している。そこを突いてウォズから事業を取り上げようとする話はこれまでにもあった。
その都度私が黙らせてきたけれど、私が庇護するばかりだと別の風聞が生じてしまう。私抜きでは商売のできない未熟者、そんな中傷が根付きかねない。
だから、ウォズ自身が捻じ伏せるだけの権力が欲しい。
その気持ちは理解できた。
たとえ下級貴族であっても、爵位の有る無しでは天と地ほどに発言力が違う。この国では爵位に差があるからと言って服従する必要はない。上位者の言い分に道理が通っていないなら拒否できるだけの権利が保障されている。無爵位だとそうもいかない。
そういったウォズの事情は理解できるのに、意外が過ぎて頭が働いてくれない。言葉を上手く紡げなくて話を進めるウォズを静観する他なかった。
「商売の事を考えると南ノースマークから離れない方がよいのだろうが、少々確保が難しい。元ラミナ領なら都合がつけやすいのだが、距離が開いてしまう上に今は風聞が悪い。褒賞に適しているとは言えんな……。いっそ、王都近隣の方が商機の拡大が容易か?」
「いえ、土地の管理は遠慮させていただきたく思います。卑賎の身にて、人の上に立つだけの教養がありません」
嘘だ!
学院の単位を僅か1年で取得し終えているんだから、最低限以上の基礎を身に着けている。学院は貴族が集う関係上、為政方面の授業は多い。
多少の苦手はあったとしても、補佐さえいれば領地運営もこなせる筈だよね。方向性は違っても、ビーゲール商会って大規模集団を導くべく教育を受けてきた。それを統治に応用するくらい、ウォズなら難なくやってのけるに違いない。実際、商会員を手足みたいに運用してる訳だしね。
……なんて突っ込みも、あうあう意味不明な音が漏れただけだった。
「任官貴族を望むか」
「はい。商売から距離を置くつもりはありませんから、周辺貴族との折衝も支障となります。爵位は得たいところですが、できるだけ身軽でいたいとも思うのです」
「ならば、魔導技術省か財務省に専門の部署を新設しよう。其方を誰かの下に付けるのは思わしくない。業務内容はおそらく、新技術広域展開に関する意見書の作成となるだろう。部下は其方が好きに選ぶといい」
「ありがとうございます」
それほど大きな決定権を与えないのは爵位が低いって以上に、あんまり重い責任を負わせない為かな。役人を新しく雇うのも、商会員を部下に据えるのも、ウォズの裁量に任せてくれた。
意見書を重用するかどうかは他の誰かの権限で決めればいい。
「家名は“ストラタス”を名乗ることを許していただけますか?」
「ビーゲールでなくて良いのか?」
「それは実家の名です。俺個人より大陸中に名を轟かせるビーゲール商会の看板を変えてしまうより、俺が改名した方が混乱も抑えられるでしょう。大勢が認知しているビーゲール商会を消してしまう必要はありません」
貴族の名前を平民は名乗れない。貴族の家名となった時点で、一族とその支配地域を指す固有名となる。
だから、彼がウォージス・ビーゲールを名乗り続けるなら、ビーゲール商会が改名しなければならなかった。そうなると、知名の有利がなくなってしまう。改名したところで実態は変わっていないのだと説明しても、後継問題で揉めたウォズに裏切られただとか、実権を握る人間が変わって方針を転換したとか、邪推する者はどうしたって現れる。
大商会への嫉妬はあるし、この機会を狙って販路を奪おうとする同業者もいる。当面、少なくないレベルで苦戦を強いられるだろうね。
そもそも貴族となるのは何よりの栄誉で、自分の名前を唯一のものとするのが貴族の考え方ではある。でもウォズはそんなものに固執しないで、ビーゲール商会がこれから生む利益を優先すると言った。
国への貢献を考えているように見えて、これからもビーゲール商会長の息子って見栄を利用したいだけかな。
それでも、欲しいのはあくまで発言力で、叙爵を受け入れる動機に栄誉も売名も入っていないスタンスがウォズらしい。
「分かった。我が国は、ウォージス・ストラタスを新男爵として迎えよう。今後も国の利を生む活動を期待する」
「その要請には容易に応えられます。これからもスカーレット様の研究を助け、新しい明日を切り拓いていきましょう」
こうして、私の友達に貴族が増えた。
男爵になってもウォズには違いないから関係が変わるなんてないけれど、とんでもなく吃驚はしたよね。
あんまり驚いたものだから、話に割って入れなくてあわあわするしかなかった醜態は視界に入っていない―――と、いいなぁ……。
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