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無駄足

「私をこんな田舎にとどまらせておいて、せっかくの申し入れを断るというのか? いずれも私と懇意にしている者達だぞ?」

「ですから、そう言って子爵から紹介いただいた領地から工事の水準が満たせていないと不満の声が上がってきました。いくつもの領地を巻き込んだ大工事へ、実績に問題のある業者を招き入れる訳にはいかないんですよ。一定以上の品質を保てなければ、長期的な運用が見込めません」


 私がウォルフ男爵邸に辿り着くと、協議の場は既に迷走していた。

 畑の野菜とか吟味してきたものだから、メアリの想定より到着が遅れたってのもある。コキオでは農業区画を都市機能の外縁へ配置したものだから、のどかな町並みには興味を惹かれてしまう。

 メアリの不満げな視線がちょっと痛かった。


「物の分からん小娘だな! その点については私がきちんと言い含めておくと言っているではないか」

「それだけではないんです。子爵の領地ばかりに受注を偏らせる訳にもいきません。大規模な工事だからこそ、各領地の技術を結集させるものでなくてはならないんです」


 事実としてキャシーは経験が乏しい。

 そんな彼女が学院の卒業と同時に爵位を継いだ。ウォルフ領はそれだけ人材不足なのだと認識されても仕方のない部分はあった。しかも誤解というほどでもなくて、大きく変革しつつある領地の情勢に対応できていない。侮られるだけの状況が揃っているとも言えた。


 もっとも、リーエム子爵がそういった背景まで把握している様子は見られない。単純にキャシーが若くて女性で爵位に差があるから軽んじていい相手だと判断したんだろうね。

 残念ながら、長幼の序や女性蔑視に傾倒する人間はこの異世界にも大勢いる。


「姉様とスカーレット様が友人同士だと知らない筈がないのに、どうしてあそこまで強気でいられるんでしょう……?」


 応接室からの会話を盗み聞いていたメアリが理解できないと首を傾げた。

 本来の予定だと今日の協議が始まる前に私がリーエム子爵を追い払う手筈だったのだけれど、私が寄り道したせいで予定が狂って、隣の部屋で介入のタイミングを見計らっている。


「あ、それは学院での友人関係が2種類に分かれるからだね」

「どういう事ですか?」

「キャシーと入れ替わりで学院へ入ったばかりのメアリには実感が湧かないと思うけど、学院で友情を育んだからってずっと友達でいられるとも限らないんだよ」


 彼女は講師資格を取得した姉を見習って学院で実績を積むんじゃなくて、キャシーの補佐に最低限の講義だけを受講しながら王都とウォルフ領を往復する生活を送っている。キャシーがこれでもかってくらいに名前を売ったから、自身に必要なのは勉学より実務だって判断したみたい。

 コントレイルが実用化したからこそ可能になった新しいスタイルだね。


「学院では多少の自由が許されていても、卒業後は家の意向で動くことになる。関係の継続が家の方針とそぐわなかったり、当人同士が利益配分で揉めたり、学院生気分のままじゃいられない場合は多いからね」

「これから友達を作っていいものか、不安になってしまいます……」

「勿論、関係を構築する時点で将来的な方針を見据えている場合もあるし、公私を分けて友達付き合いを続けている例だってあるけどね」


 私の場合は、道理をねじ伏せて強行する方針を選んだ。キッシュナー伯爵へ談判した記憶とか既に懐かしい。

 メアリも、王都の滞在期間が短い事情を汲んでくれる相手が見つかればいいね。


「つまり、リーエム子爵はスカーレット様と姉様の関係が学院限定のものだったと判断した訳ですか?」

「随分前から学院の枠に収まってなかった筈なのに何故か、ね」


 キャシーが実家へ戻ったのが大きな理由だろうとは思う。

 ウォルフ領と南ノースマークは遠い。これだけ離れたなら、学院生時と同じ交流は無理だと考えるのが一般的だった。だから私と研究を続ける困難より、家を継ぐ実利を選んだのだろうって都合のいい解釈をしたんだと思う。


 でも実際のところ、領地を隔てていても飛行列車があるから無理なく往来は可能だし、魔力波通信機でいつでも連絡を取り合える。子爵はそう言った時代の変化にまるで追随できていない。


「どうしてもというなら……そうだな。もう1泊していくから、夜、部屋に来るといい」

「はい?」

「そんな大男を侍らせているくらいだ。激しいのが好きなのだろう? 存分に満足させてやろう。そうすれば、少しは従順になる筈だ」


 ―――。


 キャシーが耐えているなら暴言くらいは見逃そう……そんな寛容さは露と消えた。

 我慢の限界点は易々と突破した。


 タイミングを見計らう必要はもうない。リーエム子爵にはすぐにでも隠遁してもらおう。

 そう思って席を立ったのと、隣の部屋でグリットさんがキャシーへ重ねようとしていた子爵の手を払ったのは同時だった。


「グリットさん……?」


 今の瞬間まで置物のように控えていた彼がここで動くと思っていなかったのはキャシーも同じで、呆然と見つめることしかできていない。


「交渉はここまでみたいですな。お帰りいただいて結構ですよ」

「婚約者だか何だか知らんが、冒険者風情が何を言う? 貴様が狩ってくるそこらの魔物とは動く金の桁が違うのだぞ! 学もない不心得者が口を挟むな!」

「平民だろうと冒険者だろうと、分かる事はあります。侮辱されながら耐えるだけの状況を交渉とは言わない。権威を笠に着て必ず相手が引き下がると思い込んでいるなど、魔物より質が悪い」

「な……、な……、な……!!」


 グリットさんを貶めたつもりが魔物を引き合いに出されて、リーエム子爵は怒りのあまりに言葉を紡げなくなる。

 おまけに、子爵くらいは素手でも2秒あれば解体できる一級冒険者の憤怒を向けられて、彼の顔色は赤から青へ信号機くらいの素早さで変わった。


「小娘! 婚約者の手綱くらい握っておけ! いいのか? この男の言う通りに交渉を打ち切ってしまって……!」


 物理的に決して敵わない相手だと判断した子爵は矛先をキャシーへ戻す。

 けれど彼女は既に落ち着きを取り戻していた。


「ええ、構いません。彼には、あたしが最も信頼できる人物として同席してもらっています。交渉にならないと彼が判断したなら、それはあたしの言葉です」

「な……、に……?」

「子爵の思い通りとなる状況でなければ計画に賛同していただけないのなら、今回の道路整備はリーエム領抜きで進めることにします」


 古参貴族を迎え入れなければ計画自体が成立しない。

 そんな思い込みから漸く解き放たれたらしい。


 王族、侯爵、戦征伯、特殊な面談は体験してきている彼女は、子爵に恫喝されたくらいで怯まない。キャシーの躊躇いは周辺領地の今後を思ってのもので、リーエム子爵に対してのものじゃない。


「い、いいのか? 私が参加しないとなると、離反する家も多く出てくるぞ!」

「どうぞご自由に。権威に依存して他領の当主に肉体関係を強要する……そんな道理がこのご時世に通用するかどうか、試してみればいいでしょう」

「ぐ……」


 何百年か前ならともかく、良識のない発言は周囲から爪弾きにされる。もともと問題発言が多かっただろうから、ここぞとばかりにそっぽを向かれるだろうね。


「覚えてろ! 後になって泣きついてきても知らんからな……!」


 結局、リーエム子爵は根拠のない捨て台詞を残して去っていった。

 今回の件で近辺の勢力図が完全に塗り替わった事を彼はこれから知るのだと思う。


「すみません。勝手に交渉を打ち切ってしまって……。けど、これ以上見ていられなかったんです」

「気にしないでください。利益を提示して言葉を重ねれば分かってもらえるだなんて、あたしが甘かったんです。グリットさんの言う通り、交渉に値する相手かどうか考えるべきでした……それより、庇ってくれてありがとうございました」

「交渉事の手助けはできませんが、貴女の心を守るくらいはさせてください」


 私が出張るまでもなく面倒事を乗り越えた2人は彼女達だけの世界に浸る。何もしなかった私は止める権利も持っていない。


「あ、あの……どうしましょう。これ……」


 私との繋がりを強調して子爵を傘下に収めるつもりだったのに、その前に決裂してしまった。まるで想定していなかった事態に、私の傍ではメアリが慌てていた。


「いいんだよ、これで」

「え? でも、子爵の同意がないと道路網が完成しません……!」


 爵位に差があるので、このあたりの偏狭貴族の中ではリーエム領は広い。そこへ道路が通せないとなると、流通がいくらか滞る。

 だけど私は、その程度なら大した問題じゃないと思ってる。


「キャシーは領地の利益を公平にするために道路の敷設を選んだんだろうけど、いざとなったら飛行列車の区画限定便を開設するとか、運送用として既に飛行列車を取り入れている商会へ依頼するとか、方法はいくらでもあったんだよ」

「あ」

「飛行列車を下級貴族が運用できる状態にないのは、価格が下げられてないって事情以上に、製造できる商会が限定されているから増産が追い付いていないのが大きい。でもそんなの、キャシーには関係ないよね?」

「……姉様なら自作だって可能です」

「そ、最初から下手に出る必要なんてなかった訳だね」


 ただし、その場合はウォルフ領が利益を独占する。都市間交通網活用の為にウォルフ領へ人や物を集めるんじゃなくて、キャシーが周囲の流通を支配する。

 周辺領地が発展する点は共通していても、そこに不信が燻ってしまう。明らかにウォルフ領ばかりが利益を享受して、貧富の差も広がってゆく。技術力も影響力も資本力も最早異なる訳だから、キャシーはそんな未来をいつでも選べた。


「でもキャシーが選択したのは協調な訳で、そういった事情を説明すれば計画から離反する貴族はいないと思うよ。勿論、今回の件を噂としてばら撒いてリーエム子爵の発言力を貶めるって方法もある」

「事業が頓挫する心配はいらない訳ですね」

「そうなるとリーエム領だけ取り残される訳にもいかないだろうから、頭を下げてくるか、自分で道路を整備するしかなくなるだろうね」


 だからグリットさんの対応は正しい。

 毅然に理路整然と交渉できるのは道理が通じる相手に限った話で、時勢を読めていない相手を取り合うだけ無駄になる。


 ガチャリ―――


 ……なんてメアリを落ち着かせていたら、待機部屋の扉が開いてキャシーが現れた。2人きりの時間を打ち切るのが意外と早い。

 存在を告げていない私のところへまっすぐ来た事自体に驚きはない。いくらコソコソしていたところで、ウォルフ家の使用人が私の来訪を彼女へ告げない筈がないよね。


「レティ様、どうして……!?」


 うん。

 ホント、私は何をしに来たんだろうね……。


 メアリの心配も私のお節介も、まるで必要のないものだった。リーエム子爵の問題は片付いて、私の用向きは微塵も残っていない。

 キャシーは驚いてくれるものの、サプライズの為だけに来たみたいで居た堪れなかった。


「や、遊びに来たよ」

「どうして突然……あ、メアリ!」


 遊びに来た体で友人関係の継続を強調する。私との繋がりが途絶えていないって明らかになればリーエム子爵は引き下がる他ない―――筈だった。

 キャシーはメアリの意図に気付いたようだったけど、用向き自体が介入前に消えたから、私が遊びに来たって事実しか残っていない。嘘でも建前でもなくなった。

 お節介を焼こうとしたと知られる前にこっそり帰るって手段も失敗した。


 メアリが召致したって事実は消えないから、キャシーは男爵家の責任を預かる立場として私を持て成すしかない。迷惑分含めて歓待の必要性が生じる。ほとんど勝手に来たも同然なのにね。

 キャシーが呼んだなら、友人として内々に会うって方法が使えたんだけど。


 仕方ないから美味しいもの食べて、温泉入って、研究談議でゆっくりして英気を養ってから帰ろうかな。

いつもお読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] スカーレットがリーエム子爵の暴言を聞いている(スカーレットのことだから録音までしているよね)のであれば、王族に報告してリーエムの首を(ありとあらゆる力で)絞めてあげればいいのでは? スカーレ…
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