元冒険者の憂鬱
エッケンシュタインから戻って、引き籠り部屋……は諦めるとしても、くつろぐための環境にはこだわりたいと強く思うようになった。
私はお貴族様なので身の回りの全ては高級品で揃えているのだけれど、フラン達に任せるばかりで自分で選んだ品と言うのはあまりない。私、センスは自分より彼女達を信頼してるからね。強いて挙げるならお風呂関連の設備にこだわったくらいかな。
フラン達の選択に不満なんてない。
一級品ばかりで揃えてあるし、最高クラスの一品というのは不満を抱かせないだけの長所が溢れている。
例えばベッドは何処までも柔らかいマットにフワフワのお布団が備えてあるし、心地よくて私の睡眠はいつだって深い。執務机や椅子は私の身長に合わせて高さを調整してある。適度に引き出しや書棚が備えてあって、すぐさま必要なものを取り出せる。勿論、長時間座ってお尻が痛くなるなんてない。
こういうのって腕のいい職人さんが手掛けてくれるってのもあるし、フラン達が私の好みを完璧に把握して調整をお願いしてくれている。
だから決して不満があるって訳じゃないんだけど、もう少し機能性に富んでいても良いと思った。
ソファベッドがあっていい。高さ調節機能付きの机があっていい。
要するに、ベッドへ移動する手間を省いて横になりたいし、その状態で手を伸ばせるテーブルが欲しかった。変形の手間は魔法が解決してくれる。
そこで、希望する家具の素案を書いていた。
店を探せば私の希望を満たせる商品もあるかもしれないけど、もうすぐ伯爵になろうって私が量産品を使う訳にもいかない。私専用の品を新調する必要があった。こうしてお金を使うのも、職人さんに仕事を回すのも貴族の仕事だしね。
私がアイディア出しした後は、フラン達が調整を加えて発注してくれる。多分、希望した以上に私好みの仕上がりとなって届くんじゃないかって思う。
そんな期待に、成長する気配のない胸を膨らませながら概要書を書いていると、グリットさんがやって来た。
何故だか、単眼巨獣の眼球を持って……。
「冒険者稼業は休業中だと言ってませんでしたか?」
収穫祭へ向けての研究も並行して進めている。その為に丁度必要だと思っていた素材ではあるけれど。
「ええ、間違ってません。いや、一時的に解禁したと言うか、身体を動かしたかったので都合が良かったと言うか……」
「はあ……」
そもそも、グリットさんはキャシーと一緒にウォルフ領にいる筈だった。
キャシーが男爵家を継ぐにあたって、領内の有力者と顔を合わせておく必要がある。飛行列車の開発から一躍有名になったキャシーが挨拶の機会を作ると言うなら、地元ばかりか周辺領地からも面会希望が集まると思う。
そう言うのって、あわよくば要望を聞いてもらおうと追い縋ってくるに決まってる。そして、従来の男爵家にはそれを跳ね除けるだけのノウハウがない。今のキャシーなら強気な態度で断っても問題は起こらないのだけれど、彼女の両親や家人達はその環境に慣れていない。
彼等を刺激しないように言葉を選んでいたなら、最低限の面会だけで10日はかかるだろうとキャシーは予定を組んでいた。私はその倍は必要だろうと踏んでいる。
で、グリットさんはそこへ彼女の婚約者として同席する必要があった。
役職は騎士見習いでも、元冒険者の護衛役でも何でもいい。社交こなす必要もないから、最低限の挨拶を交わした後は置物のようにキャシーの隣に座っているだけでいい。とにかく、キャシーの婚約者として内外へ顔を繋いでおかないといけなかった。
そうでないとキャシーとグリットさんの婚約は不確かなものとして、将来有望なキャシーの下へ婚姻話が殺到してしまう。
「それで、連日の面会に気疲れして魔物狩りへ逃げた訳っスか?」
「全く……何やってるのよ」
「お貴族様になるんだって覚悟を決めた割には、音を上げるのが早過ぎるんじゃねーか?」
「……情けない」
事情を聞いた古巣の4人は容赦がない。
「そうは言うけどな、丸一日笑顔を張り付けて話に耳を傾けるってのは半端じゃなく神経が磨り減るんだからな!」
「けど、受け答えすんのはキャスリーン様で、旦那は座ってるだけだろ?」
「……キャスリーン様、ずっと大変」
「そりゃ分かってるよ! つっても、座ってるだけなんて簡単な話じゃ終わらねぇんだって……!」
彼等が烏木の守として活動するようになってから、貴族のいる場へ同席する機会はぐっと増えた。場合によっては王族と面会する場にも居合わせる。
初めの頃は私の予定によって青くなったり白くなったり大騒ぎだった彼等も、随分と耐性が付いた。今はウィードさんって見本がいるから、最低限の所作も覚えている。最近では私の護衛として恥ずかしいところも無くなった。
それでも、対談の当事者となるとレベルが違う。
ほとんどのやり取りはキャシーが引き受けると言っても、話を聞いていないと言う訳にもいかない。いつか話しかけられるかもしれない、そんな緊張に晒され続ける。
相手も当然、キャシーの婚約者としてグリットさんを窺う。護衛なら風景の一部くらいの認識でしかないのだけれど、婚約者となれば観察対象になるから隙は見せられない。今のグリットさんにはフォーマルな格好自体が窮屈だと思う。そこへ貴族然とした所作まで加わる。
「でも、アンタがここに居るって事は、キャスリーン様1人でその面会に挑んでるって事じゃないの?」
「いや、休む許可は貰ってあるからな……?」
「元リーダーに気を遣ってそう言うしかなかっただけじゃないんスか? キャスリーン様は慣れているのだとしても、気疲れがないって訳じゃないっスよね?」
「ぐ……、それは」
グラーさんの言い分は割と正鵠を射ている。
私だって割り切っているだけで、貴族同士の社交は決して得意なものじゃない。貴族として生きるなら必須の技能として身につけただけだよね。
「グリットさん、キャシーが許可したと言うなら、貴方が不在でも差し支えない程度に親交が深い相手との面会を充てられるように調整したんだと思います」
「……そうかもしれません」
「それでも、グリットさんの不在が全く影響しないとは言えません」
グリットさんが公の場へ姿を現さないのなら、愛人関係程度だろうと内心で軽んじられてしまう事もあり得る。それはつまり、結婚相手も定まらない内に愛人を囲うようなふしだらな女だとキャシーが認識されてしまう事でもある。
それは許せない。
「グリットさんにはあまり実感がないかもしれませんが、私と研究を共にするようになって急激に影響力を強めた関係で、キャシーは社交の在り方を見直さなければならなくなったんです」
「あ……」
「平気そうに見えても、不慣れな部分を必死に覆い隠しているところもある筈です」
私と出会うまで、貴族の義務を放棄していたと言うのもある。
研究の成果で名を上げて講師資格取得の実績で武装しても、まだまだ経験は不足している。不安定さは否めない。
表情を必死で取り繕って、神経をすり減らしているのはキャシーも一緒だろうと思う。
「心労を重ねている状況で、彼女が必要としているのは精神的な拠り所だと思います。婚約者としての顔見せ以上に、キャシーはそれを貴方に求めたのではないですか?」
「―――!」
多少の息抜きはいい。
多分、キャシーも魔導織の集成を眺めて気晴らしくらいはしてると思うから。
気心の知れた元同僚と顔を合わせたかった気持ちも分かるけど、ここへ来たのは余分だったと思う。素材を届けるだけならウォズに通信で言付ければ良かった。
「戻ってあげてください。グラーさん達と話す機会なら、魔力波通信機を使えば済む訳ですから」
「そう……ですね。彼女に甘えてしまってたようです」
「それと、忘れているかもしれませんけど、私も歴とした貴族ですよ? もうすぐ伯爵になりますから、高位貴族と言っても差し支えありません」
「あ」
「時間に余裕があるなら貴族との対談を実践していきますか、グリット様?」
「し、失礼します! キャスリーン様も待っていると思いますので……!」
貴族らしさを意識して微笑んであげると、グリットさんは青い顔になって去って行った。出会った頃はあんなに緊張しきりだったのに、私が貴族を前面に押し出すのが苦手なせいで感覚が麻痺していたのかもしれない。
あんまり覚悟が決まらない様子なら、荒療治も良いかもしれないね。
いつでも矯正して見せると、キャシーにも伝えておこう。
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