閑話 瓢箪から駒
久しぶりに3人称で物語を書いてみると、普段と随分勝手が違って戸惑いました。
文章としておかしなところがあれば、指摘していただけると幸いです。
その日、ヴィーリンで属性統括官を務めるレイリー・アーントは空恐ろしいものを感じていた。
何しろ、上司であるシュトルーベ大臣の機嫌がすこぶるいい。偏屈で神経質な彼がこういった姿を見せる事は珍しかった。
普段は部下の仕事の細部に至るまでを確認して不備を見つけるのが趣味で、レイリーが新人の頃には押印の角度が好ましくないと朝5時に家まで駄目出しに来て、本気でうんざりした覚えがある。一応善意での監督らしいのだが、指摘の度に機嫌が下降していく。好調子が1日持続する事はないと言っていい。
そんな彼がそろそろ1日の業務を終わろうかという時間までご機嫌を維持しているのだから、最早異常事態と言えた。
この状態でも失点探しは相変わらずだったが、いつものように叱りつける事はなく、気を付けるようにやんわり注意するのに留まっていた。普段と違い過ぎて、むしろ気味が悪い。
「大臣、何か良い事があったのですか?」
同僚の無言圧力に負けたレイリーが代表で真相を確かめる。損な役回りと分かって自ら引き受ける筈もないが、蚤の市へ行く為に仕事を代わってもらったばかりとあって拒否権を持たなかった。
大臣と奥方の不仲は有名であったし、子供は既に独り立ちして家庭を持っていると言うから、私生活で何かあったとは考え辛い。融通の利かない堅物なので、家庭に不満があるからと言って外へ逃げ場所を作ろうとしないのだ。
日がな1日不機嫌そうに見えても、家庭に比べれば職場の方が居心地はいいらしい。
「はっはっは、これを見たまえ。隣のノースマーク侯爵領から届いた約定だ」
「拝見します。……え!? 最新冷蔵車の供給に入国手続きの簡略化、通行税の軽減、開発援助金の増額、漁獲物の定量買取りの保証、新型船舶の共同開発の提案……何です? このヴィーリンにばかり都合のいい申し出は?」
驚くほどの内容に、同僚達も書面を覗き込む。
「祝い事でも重なりましたか?」
新王の即位や王族の結婚、慶事が起こったなら周辺国へ恩賞を分配する事はある。けれどその場合は国家元首が式典に招待されるので、周知されていない筈がない。たとえそうだったとしても、ヴィーリンの利が大き過ぎた。
「先方は対価として、越境者の改竄を求めている」
「裏取引ですか」
「うむ。先日、呪詛魔道具を用いて不正入国した犯罪者の話があったろう? その片方を記録から抹消してほしいそうだ」
「……? 片方だけですか?」
普通は犯罪者の存在自体を秘匿する。呪詛魔道具を所持するような極悪人を他国へ放出したと言う不都合な痕跡を消す。
片割れだけでは失態の事実が残ってしまう。
「ああ、初老の女性に関してはそのままでいいそうだ。片方に全てを擦り付けるのではないか? 過去に例のない規模の支援には、犯罪者の逃亡を許した事への賠償も入っているのだろう」
「それにしても破格では?」
「何でも、歴史に残るような大事件に発展したらしいぞ」
「そうなると、詳しく知る必要はなさそうですね。触れないのが一番です」
ヴィーリンはヴァンデル王国との交易無しに成り立たない。主力の海産物にしても自国で消費するよりノースマークへ出荷する方が多いくらいである。もう一方の有力交易相手であるカラム共和国より運送が容易な事から、偏りは決して揺らがない。
大領地であるノースマークより北に領土があっても防衛が困難な事から、進軍する価値を見出せなかったおかげで占領を免れた歴史があり、王国どころか侯爵家に見放されるだけで存続が揺らぐ。
隠蔽を強く要請されるだけでも断る選択肢が存在しないのに、対価まで提示されてしまっては渋る理由も見出せない。
「つまり、ヴィーリンの当面は明るいと言う事だ。素晴らしい話だろう?」
大袈裟な手振りで喜びを表現する様子を見て、大臣がご機嫌な理由にレイリーも察しがついた。
ヴィーリンでは、各地の小議会が推薦した人物の中から元首を選ぶ。選出された代表者はそれぞれの大臣を任命し、国家議会を組織する。
その任期は5年で、小議会の承認を一定以上得られたなら続投も可能となる。
更に、レイリーは民生省に所属している。
彼の場合は鑑定魔法によって各人の属性を把握し、見合った職業へ割り振るのが役目となる。他には住民の属性と生活場所を紐づけて管理したり、生まれた子供をヴィーリンの住人として登録するのもこの部署の業務である。情報の管理だけではとどまらず、有用属性保持者を上手く誘導して主力産業を盛り立てて、国の発展にも寄与してきた。
ノースマークの支援によって情勢が好転するならば、そんな部署の長が交替を求められるなどあり得ない話と言えた。
要するに、来期の大臣職がほぼ決定して歓喜の感情を抑えられない訳である。
政治家でないレイリーにはあまり関心の湧かない話ではあったが、国が栄える事が不満である筈もない。
それに、シュトルーベ大臣の人となりは面倒であっても、国民の情報を預かる以上間違いの許されない部署にあっては、あれで有用な人物とも言える。継続当確を喜べないような事はなかった。
しかし、呪詛魔道具を用いた不正入国はあったものの、ヴィーリンで何か事件が起こった訳でもない。
それにも関わらず望外の申し入れは、本当に隠蔽の対価だけのものだろうか?
どうしても何か裏があるのではないかと勘繰ってしまい、レイリーはその日、あまり仕事が手につかなかった。上司が浮かれているので咎められる事もなかったが。
しかし、訝しさが払拭できないまま帰宅してみると、その答えが待っているのだった。
「いつものお客様がお待ちですよ。あまり散財しないようにしてくださいましね……」
レイリーが玄関をくぐると、妻が開口一番嫌味を告げる。
常日頃から夫婦仲が悪い訳ではないのだけれど、禁忌の異物に一億ゼルを注ぎ込み、半分近くを回収できなかった事で趣味への理解は失った。
何かの購入を約束した覚えはない。
妻の視線が冷たい状況で、欲望を抑えるくらいの良識はレイリーにもあった。
それでも彼の蒐集癖は有名なので、商人側から売り込みに来ることも珍しくない。特に不審を覚える事無く応接室へ向かうと、随分と若い人物が待っていた。
「はじめまして、レイリー・アーント様。ストラタス商会の代表を務めておりますウォージス・ビーゲールと申します。どうぞ、お見知りおきください」
子供と言っていい。
しかし、彼の名乗りを聞いて侮る気持ちはレイリーの中から吹っ飛んだ。
大陸中にその名が轟く大商会ビーゲールの嫡男でありながら、後継の椅子を蹴って自らの商会を立ち上げた麒麟児。
大魔導士スカーレット・ノースマークが望む通りに素材を集めて研究を支える陰の立役者。めきめきと威光を発揮して、今や手に入れられぬ物はないと言う。
驚きを顔に出すほどレイリーも迂闊ではなかったが、衝撃は大きい。機嫌を損ねないまま一日を過ごした上司を見た時以上の驚きなのは間違いないだろう。
今や時の人となった商売人が何故レイリーの前に現れたのか、姿勢は恭しいからと警戒を解く気は起きなかった。
「本日はレイリー様に是非ともお勧めしたい品々をご用意させていただきました。どうかご確認ください」
いや、蒐集の趣味は控えているので―――売り込みを制止しようとした声は、取り出された壺を見た瞬間に掻き消えた。
「こちらはシュトローム先生の作品で、失敗作だと打ち壊されそうになっていたところを当社の者が偶然の芸術性を見出して引き取った品となります」
マジックバック。
王国で流行しつつあると言う内容量が見た目と異なる運搬用鞄から、大きさのまるで見合わない壺を取り出す様子にも目を引いたが、紹介を聞いて息が止まる。
一見すると焼成の過程で側面が膨らんで形状が歪んでしまった壺。しかし、奇跡的に生まれた丸みが何とも言えない味わいを生んでいる。一品目からレイリーにとって、垂涎の品と言って良かった。
それからも目を奪われる芸術品が続く。
傾いたまま幹を伸ばした結果、反り返った状態で枝葉を茂らせる鉢植え。100を超える知恵の輪を組み合わせて枝垂桜を表現した金属細工。まるでゴブリンの顔に見える切り株。脱皮の途中で絶命したニシキヘビの剝製、本物と見紛うほど精巧につくられたスライムの硝子細工。
これだけの品を一度に見られただけでも幸せだった。
レイリーの趣味をここまで理解して購入を持ち掛けられた経験はない。
同時に、この中から欲しいものを選べと言うのは残酷な仕打ちに思えた。悩む。選べない。どれも欲しい。しかし、全てを買う余裕もない。
買い控えると言う選択肢はいつの間にか彼方へ消えていた。
「気に入っていただけたようで何よりです。けれど、私は今回これらを売り込みに来たのではございません。お気に召しましたなら、どうぞ全てお収めください」
………………………。
…………………。
……………。
は!?
「今、何と?」
「ですから、これらは全て、悪魔の心臓を譲っていただいた件に感謝されているスカーレット様からの贈答品です」
「え? どうして……?」
あの異物に関する売買契約は既に終了している。レイリーにとっての損はあったものの、政治的な問題を孕んだ厄介物を回収してもらって助けられたくらいだった。当然、今更話を蒸し返す気もない。
そんな認識だったので、感謝と言われても戸惑いしか覚えない。むしろ、彼以外には神秘性を理解できない物品を大金で引き取ってもらって申し訳なさが先立つ。
「あれがダンジョン核だった!? しかも、あれを研究して人工ダンジョンを既に完成させた!?」
けれど、事情を聞けばとても納得できるものだった。下手をすると時代が動くだろうとレイリーでも予想できる。
そして、条件の良過ぎるノースマークからの支援にも合点がいった。
「なるほど、あれもスカーレット様からの恩賞だった訳ですか」
「はい。人工ダンジョンが今後生み出す利益と釣り合うだけ……とは申せませんが、できる限りの返礼はしたいとディーデリック陛下も仰せです」
大国の王の名前まで飛び出して、恐れ多さで震えてしまう。
あまり人に自慢できない収集癖が随分な奇跡を生んだものだと、レイリー自身も感心する。あれがスカーレットの下へ渡って本当に良かったと心から思えた。
惜しむ気持ちは湧いてこなかった。
正体不明の異物にしろ、ダンジョン核にしろ、レイリーなら持て余した事に違いはない。観賞用としてなら愛でられても、研究するような才覚も、それを依頼するような伝手もない。
「それなら……年に一度くらいでいいからこうしておすすめの品を持って来てもらえないかな? 勿論、差し出せとは言わない。見合う値段で購入させてもらいます」
「それだけでいいのですか?」
「ああ、それ以上は身に余る。それに、こうして気に入った品を眺める以上に幸せな事なんて、私にはないんだ」
返礼の意思を疑っている訳ではなかった。
レイリーが望むなら、大臣どころか国家元首への道筋だろうと用意してもらえるのだろう。今回の件を公表して、王国が後押ししてくれるなら、きっとそれも難しくない。
しかし、その人生はレイリーの望みとは違う。
特段興味も湧いてこない。
王国へ貢献した事も秘匿して、蒐集欲だけ満たしてもらえれるならそれで十分だと思えた。
ところで、ウォズが帰った後、贈答品に囲まれて幸せを堪能していたレイリー氏だが、また無駄遣いしたと誤解されて妻と大喧嘩する羽目となる……。
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