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没頭の日々 末期編

 ふと気が付くと、身体中が痛かった。

 椅子に座ったまま、机に突っ伏して、おまけに頬には書類の跡がある。

 眠気はいくらか解消されても、体の疲れは抜ける筈もなかった。


「…………またやってしまった」


 窓から入る光を見る限り、夜は明けたらしい。

 節々の痛みをほぐしながら、今日も寝落ちを後悔する。


 マーシャがまだ来ていないところを見ると、それほど長い間寝こけていたのではないと思う。寝室へ行ってもうひと眠りするって選択肢はあるものの、眠気は解消されたので数字の羅列と再び向き合う。

 できるなら、今日の午後には構築の魔法陣を組み込んだ試作ダンジョンを起動してみたい。より完璧を目指そうと思うなら、僅かな時間も惜しかった。


 キャシーも既に魔導織素材の選別を始めている。ああして彼女が頑張ってくれているおかげで、魔導織って無限と言っていい魔物素材の組み合わせにも規則性が見出せるようになってきた。

 もっとも彼女の場合、また寝ていない可能性も高いのだけれど。


 ―――きゅるるるるるるるるるるる………


 30分ほど作業を続けていると、空腹を訴える苦情が豪快に鳴った。

 考えてみると晩御飯を食べた覚えがない。切りのいいところまで計算を進めようと思っていて、次の記憶が起床のタイミングとなる。


「あれ? レティ様起きていたんですか。あたしもお腹が空きました」


 キャシーも漸く顔を上げる。彼女の集中力は大したもので、私が起きた事にも気付かず作業を続けていたらしい。多分、私のお腹が鳴らなければ、まだしばらく空腹を忘れていられたんだろうね。


「少し休憩しようか?」

「はい。あたしも少し頭がぼーっとします」


 それ、明らかに頭のエネルギーが足りてないよね。


 私のメイドは優秀なので、お腹の音を聞いた瞬間、音もなく部屋を出て行った。10分も待てば軽食が運ばれてくると思う。

 フランとベネットの代わりに付いてくれているエステルは、私へ意見しない代わりに細やかに気を配ってくれる。特段指示しなくても期待に沿った朝食が当てにできた。

 とりあえず、濃いコーヒーを摂取したい。




 想定通りに希望が叶ったのはきっかり10分後だった。

 献立はバターとお砂糖をたっぷり使ったフレンチトーストとハムエッグ、ポテトサラダも付いていた。当然、熱々のコーヒーも用意してある。糖分が頭の疲労に染みる。


「午後の実験には間に合いそう?」

「ええ、魔漿液を緩衝材として使えるようになったおかげで素材の組み合わせを効果ごとにまとめられるようになりました。ダンジョン核の起動と内部構造の設計は両立できると思います」


 要するに、さっきまで根を詰めていたのは魔導織の先を見据えてって事だね。

 直接関係ないようで、何か新しい法則が見つけられれば実験の見直しに繋がる。そもそも魔導織自体が新しい技術なので、見落としの危険はなくならない。


「……なんだか、甘くて幸せそうな匂いがしますわ」


 キャシーと進捗を擦り合わせていると、ソファでぐっすりだった食いしん坊さんも起きてきた。

 食事さえあれば目覚まし要らずの彼女の挙動は想定済みだったので、エステルはノーラの朝食も用意してくれている。


「おはよ、ノーラ。疲れは取れた?」

「バター、こんがり……、目玉焼き、まんまる……」


 うん、聞いてないね。

 空腹で思考能力が低下してるから、話は食事の後にしよう。


 そして、コーヒーで癒されていたタイミングで通信機が鳴る。


『おはようございます、スカーレット様。お目覚めだと伺ってご連絡しました』

「あ、おはよう、ウォズ。何か用?」

『本日予定していた実験の内容に変更はありませんか?』

「大丈夫だよ。大筋は昨日取り決めた通りでいいと思う」

『分かりました。大規模魔法の外枠は俺の方で組んでおきますね』

「うん、お願い。こっちが落ち着いたら、ノーラに調整へ行ってもらうよ」


 ウォズは既に動いているらしい。彼もいつ休んでいるのか謎だよね。


「ウォズと話すのは、すっかり通信での連絡が定着しましたね」

「あー、うん。……まあ、この部屋の惨状を考えれば仕方ないんじゃない?」


 走り書きのメモや書き損じの書類は散らかし放題、ウォズに集めてもらった資料は雑に積んである。キャシーの前には素材が山積みで、私の机も本と紙束で埋まっている。

 最初はエステルたちが片付けてくれていたんだけど、彼女には書類の必要不必要が判断できないし、私へ振られても応えている余裕がない。


 更に、服を透けさせるような失態は二度と犯さないとは言え、私もキャシーも髪はボサボサ、服はヨレヨレ、目の隈も酷い。シャワーを浴びたのは一昨日の夜だったと思う。おまけに昨晩寝苦しかったのか、ノーラはスカートが脱げていた。

 間違っても男性をこの部屋には招けない。

 女性でも仲間内以外は完全にアウトだよね。


 1週間前、オーレリアが授業の為に王都へ行ってしまったのが拙かった。

 午後の実験には戻るって話だったけど、どんなお説教が待っているかと思うと怖い。


「とりあえず、午後の実験の前にはシャワーを浴びて身なりくらいは整えようか」

「……賛成です」


 予定までの時間はまだ余裕があるものの、最期の詰めを思えば片付けている余裕はない。部屋の散らかり具合については、もう手遅れだと思って諦めよう……。


 各階層の趣向を自由にデザインしようって発想までは良かった。

 これから人工ダンジョンが一般化していくならダンジョン毎、領地ごとの特色をアピールできるし、冒険者に有利な地形も構築できる。魔物が出現しないフロアとか、回復薬が湧く泉とか作れるなら探索での犠牲者もぐっと減る。

 元となったのは前世のゲーム知識だけど、反対意見は出なかった。折角人工物でダンジョンを再現するなら、そのくらい手を加える余地があったほうが遣り甲斐もある。


 でも、大規模魔法と構築の魔法陣、まるで異なる技術を組み合わせるのは困難を極めた。

 ダンジョン核の起動時とは比べ物にならないほど魔導織の組み合わせが複雑になり、媒介の調整も極めて繊細となった。

 キャシーは組み合わせの総括に追われ、マーシャは膨大な数字と格闘し、ノーラはこことエーホルンダンジョンの往復を繰り返す事となる。私も全体のバランス調整に奔走した。


 結果として、生活を犠牲にして研究に没頭する日々が始まった。

 ノーラの境遇は少し特殊だとしても、キャシーもマーシャもお嬢様育ちなので、元々生活能力が欠如してたってのもある。私にしても前世の経験は既に遠い。こういう習慣って、身につけるのは大変でも削ぎ落とすのはあっという間なんだよね。


「でも、ディーデリック陛下からは何よりも優先してダンジョン研究を成功させろって言われてる訳だし、喫緊性を思えばこの惨状もきっと仕方のない事なんだよ!」

「その言い訳、オーレリア様にも通用すると良いですね」


 あ、うん、無理そうな気は私もしてる。

 オーレリアってば従者のいない生活が染みついている上、サバイバルも日常でこなすから、身の回り事を自分でする習慣が浸透してるんだよね。男性の部隊に混じっていたから隙を見せられなかったのもあるかもしれない。その分、私達への諫言も厳しくなってしまう。


「でも、スカーレット様。今日の実験が成功すればそんな些事も吹っ飛んでしまうのではありませんか?」


 漸く覚醒したノーラが心強い事を言ってくれた。


 そうだね。

 実証実験こそこれからだけど、理論上の完成は確信している。

 世界の何処にも存在していない新しいダンジョンを今日こそ生み出せる。


「よし、マーシャももうすぐ来るだろうし、しばらくここを空けていたオーレリアをあっと言わせる為にも、もうひと頑張りしようか!」

「「はいっ!」」


 この日、歴史が動く。

いつもお読みいただきありがとうございます。

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